2008/12/03

RHQ、難民に対する援助金の給付を停止

政府(外務省・文化庁・厚生労働省)から委託を受けて、国内の難民に対する定住支援事業を行っている団体であるRHQ(難民事業本部)が、今日12月3 日、難民と難民認定申請者に対する援助金の給付を停止した、というニュースが入ってきました。

詳しくは「在日ビルマ難民たすけあいの会」のサイトに書いたのでご覧ください。

RHQ、難民に対する援助金の給付を停止

モウニーさん、認定される

ビルマ国境ニュースNo. 11で取り上げたモウニーさんが今日、法務省により難民として認定されました。おめでとう! 

該当記事 モウニーさん 頑張れ!

2008/11/15

『ミャンマー難民キャンプ潜入記』出版のお知らせ

『ミャンマー難民キャンプ潜入記』 
吉岡逸夫 著
熊切拓 解説

発行:出版メディアパル 発売:高陵社書店


「ミャンマーを知るには、アウンサンスーチー氏×軍事政権の構図だけ見ていても分からない。アウンサンスーチー氏も軍事政権もビルマ族であり、それは多数派の勢力争いに過ぎない。全体を把握するには、虐げられている少数民族、特に難民の中から見た方が全体像が分かる気がした。」(本書プロローグより)

『ミャンマー難民キャンプ潜入記』は、2007年のビルマの「サフラン革命」の直後、タイ・ビルマ国境の難民キャンプの存在を知ったあるジャーナリストが、さまざまなツテを頼って難民キャンプに潜入する旅を描いた傑作ルポルタージュだ。

著者である吉岡逸夫さんは、東京新聞の記者であり、数々の著書を持つ著名なジャーナリストだ。そのひとつ『漂泊のルワンダ』は第五回開高健賞奨励賞受賞作品でもある。

この本はとにかく面白い。どこが面白いかというと、まずキャンプに入るまでの過程が面白い。吉岡さんが東京でキャンプ行きのツテを求めて奔走する話、実際タイに行って、キャンプへと続く悪路を走破する話など、読んでいるうちにぐいぐい引き込まれてしまう。

何度もキャンプに行ったことのあるぼくが言うのだからこれは本当だ。いや、吉岡さんの探し求めたツテのひとりであり、彼の取材旅行に同行したぼくがあまりの面白さに舌を巻いたのだから間違いない。

次に読ませるのは、ついに潜入した2つのキャンプの情景だ。難民キャンプを人権の観点から、あるいは支援活動の観点から書いたものはたくさんあるが、吉岡さんのようにキャンプに生きる人々の姿を生き生きと、そして色鮮やかに描いたものはないと思う。

これ以外にも、カレン人長老との対話、カレン人政治家へのインタビュー、ビルマ側の町ミャワディへの越境など、読みどころがいっぱいだ。

ビルマ関係の本というと、ビルマ問題に関心のある人しか読まない、といったものになってしまうが、さすがに練達したジャーナリストである吉岡さんはそうではない。ビルマのことなど知らなくても、ビルマの深部に向かう吉岡さんの旅に巻き込まれずにはいられない、そんな優れたルポルタージュに仕上がっている。

ついでにいうと、取材旅行に同行したぼくも本書の解説として「ビルマ少数民族と民主化運動」を書かせていただいた。ビルマ少数民族の目から見た「ビルマ民主化」とは何か、ということを論じたもので、少数民族に対する迫害に比して、あまり取り上げられることのない少数民族の政治的主張を扱っている。吉岡さんの本文とあわせてお読みください。

なお、発売日は11月20日で、都内の大書店であれば21日には店頭に並ぶとのこと。また、アマゾンでも注文できます。

Amazon 『ミャンマー難民キャンプ潜入記』

吉岡逸夫さんの公式サイト

発行元の出版メディアパルさんのホームページ

発売元の高陵社書店さんのホームページ

2008/11/14

隠された子どもたち

在日ビルマ人の政治活動家、アウンミャッウィンさんが発行する雑誌・ブログより依頼を受け以下のような一文を書かせていただきました。

アウンミャッウィンさんのブログ   平和の翼
                      隠された子どもたち


隠された子どもたち

メディアの王、アステュアゲスは夢占いにより、自分の娘がペルシア人との間に生んだ子がいつか自分に代わって王となるということを知った。王はその子どもを殺すように命じたが、さいわいにも命令が実行されることはなかった。赤子の殺害を押し付けられた牛飼いの妻がたまたま死児を産み落としたのである。死んで生まれた子が身代わりとなり、強運の赤子は牛飼いの子として育てられることとなる。ヘロドトスが伝える、ペルシア帝国の創始者キュロス大王の出生にまつわる伝説だ。

この話のように、やがて時の権力者を脅かすであろうと予言された赤ん坊が殺されかけ、周囲の助けによって出自を偽ってなんとか生き延びる、というひとつの物語の類型が存在するようだ。事実、似たような話は、どこでも、いつの時代でも見いだすことができる。

たとえば、幼いモーゼとイエスがそれぞれ幼児虐殺を免れる聖書の物語も、この類型のヴァリエーションのひとつだ。いや、聖書を引っぱり出すまでもない。スターウォーズあるいはハリー・ポッター・シリーズにおいても、この筋立ては非常に重要な役割を果たしている。「難を逃れた赤子」や「出生の秘密」を巡る物語は、今なお人を引きつける力を持っているのだ。

ビルマとは何の関係もないような話だが、わたしはこれらの物語や伝説と一緒に、ビルマの難民に関する二つの実話を並べようと思っているのだ。

まずはあるカレン人の女性の話から。

彼女が暮らすヤンゴンのカレン人居住区に、ひとりのカレンの若者が住み着いた。親戚を頼って田舎からやって来たのだという。彼と彼女との間を取り結ぶ人がいて、二人は結婚した。

やがて彼女は、夫が真夜中にたびたび奇妙な振る舞いに及ぶのに気がついた。些細な物音をきっかけに夫は素早く起き上がり、身を伏せる。そして、何かをひどく警戒するようすで闇を凝視している。そればかりでなく、時には銃を構えているそぶりをすることもあった。不審に思った彼女は夫を問いつめ、彼がKNU(カレン民族同盟)の元兵士であることを知った。

KNUというのは、カレン人の政治組織で、現在のビルマ軍事政権にとってもっとも具体的な敵である。1990年代に多くの非ビルマ民族武装組織がビルマ軍と停戦協定を結んだが、KNUだけはその例外であり続けた。ビルマ軍はこの最後の敵を殲滅すべく総攻勢をかけているといわれている。彼女が夫とした男はこのKNUで兵士として戦った経歴を持っていた。そして、彼女を驚かせた真夜中の奇行は、長く厳しい兵士生活が彼に与えた心の傷によるものだった。ほとんど子どもといってもいい年齢から、ジャングルの闇で戦ってきた彼は、ふとしたおりにある種の強迫観念に襲われることがあったのだ。

男が自分の前歴を周囲に黙っていたのは、もちろんのこと、そんなことを公言すれば命が危なかったからだ。二人が暮らしていたのは、タイ・ビルマ国境のKNU支配地域ではなく、「解放地域」からずっと離れたヤンゴンのカレン人居住地区だった。そこではカレン人たちがビルマ政府の敵意に怯えながら、目立たぬよう生活していた。KNUの名を口にすることすら危険だった。

夫の素性を知り、図らずも軍事政権の敵の妻となったことを悟った時の彼女の驚愕と恐怖を想像してみてほしい。もしこれが世間に知れたら、夫だけではなく彼女の命も危なくなるのだ。いや、そればかりではない。二人の間には生まれたばかりの息子がいた。

彼女にとって悩ましい日々がはじまったが、その悩みは夫が再びKNUに加わるべくタイ・ビルマ国境に逐電してからは、さらに大きくなった。そして、彼女の心配は現実のものとなる。カレン人の動向を常に厳しく監視している軍当局が彼女の夫の失踪を調べはじめたのだ。敵兵を夫とした反逆者として逮捕される前に、彼女はビルマを脱出した。

もちろんのこと幼い息子をこの逃亡に同行させるわけにはいかなかった。出発する前に彼女は息子を親戚に預け、日本の住民票にあたる家族構成票をひそかに書き換えた。息子がその親戚の家の子どもであることにし、その生い立ちからKNUの兵士の父をもつという事実を消し去ったのであった。このようにして彼女は、息子を失うのと引き換えに、息子に対する政府の追及をかわそうとしたのである。

これに似た話をあるカチン人女性が話してくれた。だが、二番目のものとなるこの話では、子どものたどりつつある運命は、前の話ほど良好なものではない。

カチン人にもKIO/KIA(カチン独立軍・カチン独立機構)と呼ばれる反政府武装組織があり、長い間、ビルマ軍と内戦を戦ってきた。1994年に両者の間に停戦協定が結ばれるが、これはあくまでも停戦、戦争が終わったわけではなく、ビルマ軍の支配地域ではカチン人はあいかわらず敵性分子として扱われている。

このカチン人女性の夫も、KIAの兵士であった。夫は停戦後、カチン州で働いていたが、あるトラブルに巻き込まれ、妻と幼い娘を残して行方知れずとなった。そして、それ以来、母子の長い逃亡生活がはじまることになる。

二人は親戚をたよって、カチン州を転々とした。だが、どこにいっても元KIA兵士の妻という呼び名がついて回った。これは、ビルマ国内では相当に危険な呼び名である。結果として彼女は、娘を残して外国へ逃げる、という決断を余儀なくされたのだった。

娘はといえば、ある親戚の家が面倒を見てくれることになっていた。しかし、現在のビルマでは、子どもの居候を置くのにも、役所に届け出なくてはならない。親戚は、KIAの兵士の娘を家にかくまっていることが急に厄介に感じられてきた。いや、それどころか、恐ろしくなってきた。もしかしたら、あの子のせいで自分たちもKIA支援者とされ当局に睨まれるのではないか、と震え上がったのだ。その親戚は、逃亡中の母親の意向を尋ねることなく女の子を家から追い出し、孤児院に放り入れた。

ここに記した二つの物語は、決して特別なものではない。あらゆるカレン人、あらゆるカチン人、あらゆる非ビルマ民族に起こりうる物語だ。非ビルマ民族はそれだけビルマ軍事政権と長く激しい闘いを繰り広げてきたのだし、ビルマ軍はそれだけむごたらしい迫害を非ビルマ民族に加えてきたのだ。親や親類が非ビルマ民族武装組織のメンバーや兵士であったがゆえに家族を奪われた子どもたち、出自を隠しながら、あるいは本当の親のことを知らずに育つ子どもたちが、ビルマの至るところで息をひそめながら、解放のときを待ち続けている。

前述の類型によれば、殺されかけた子どもは、その生涯のある時点で本来の生まれにふさわしい者となり、やがて自らを殺そうとした者を圧倒するにいたる。キュロスに隠されていた王家の血は、牛飼いの息子としての育ちを凌駕し、アステュアゲスの代わりに彼を大帝国の玉座につかせた。

もとより育ちよりも氏のほうが重要だと主張したいわけではない。どのような出自を持とうとも、人間としての価値は異ならない。これはどのような民族に生まれたかによって、その生涯の苦難の度合いがほぼ決定されるビルマでは、大いに強調すべきことだ。

わたしが言いたいのはもっと素朴なこと、あらゆる親にとって自分の子どもは王子であり姫であるということだ。ビルマがどのように民主化されるかはまだわからないが、その民主化のうちには、これらの奪われ秘匿された子どもたちが、ひとりの王、ひとりの王妃として、その親のもとに公然と、そして威厳に満ちて凱旋する、ということも含まれていなければならない。(了)

2008/10/27

OKO-Japan選挙

在日カレン人の民主化団体である海外カレン機構(日本)Overseas Karen Organization Japan, OKO-Japanの2008年〜2010年の役員選挙が10月26日東京、高田馬場で行われた。

参加したメンバーは16人。選挙委員として、NLDのトーマス・ゴンアウンさん、KNU-Japanのソウ・ミョーカイシンさん、ゾエガビン・マガジンのサ・タウンウィンさんが選挙を公平に進行する中、以下の8人の新役員が選出された。

会長 ソウ・フラジー (Saw Hla Gyi) 8票

事務局長 ノウ・トゥエポウ(Naw Twai Paw) 9票

副事務局長 ソウ・ネイアウン(Saw Nay Aung) 7票

会計 ナン・トゥエトゥエウィン(Nang Thwe Thwe Win) 9票

会計監査 ノウ・エムー(Naw Eh Mu) 8票

国際担当 熊切拓 13票

役員 ソウ・ロイド(Saw LLoyd) 5票

役員 S.ウィンスエ(S. Win Swe) 11票

2007年〜2008年のOKO-Japanは活動面ではなかなか厳しい状況もあった。とはいえ、JACへの参加、AUN-Japanとの共同声明への参加、カレン殉難者の日の開催など基本的な活動を継続することができたのは、前会長のソウ・ロイドさん、ソウ・フラジーさん、S.ウィンスエさん、ナン・トゥエトゥエウィンさんの働きによるところが大きい。

また、この1年の間に半数以上のメンバーが、難民として何らかの滞在資格を得ることができた。これも大いに喜ばしいことだ。

今回の選挙により3期にわたり国際プログラム担当を務めることになったが、これはOKO-Japanをはじめた頃は、外国に行けるのはぼくを除けば一人しかいないという状況によるものだった。半分以上のメンバーがビザを得た現在、タイの難民を支援するのになにも日本人の力を借りる必要はない。自分たちでどんどん積極的にやるべきだと思う。とはいえ、新会長の勧めもあり、とりあえずもう一期がんばらせていただくことに。

感謝のスピーチをする前会長のソウ・ロイドさん

会場の様子

2008年〜2010年の新役員と選挙委員

OKO-Japanのメンバー

選挙の運営を支援してくださったカレン人夫妻
チョースエウー(Kyaw Swe Oo)さん、ノウ・サンインモウ(Naw Hsan Yin Mo)さん
そして8月に生まれたばかりのモモちゃん

2008/10/21

海の魚

ビルマの人々は川魚を食べつけているので、日本にやって来て海の魚を食べさせられると、「海臭い」と抵抗を感じる人もいるとのこと。

ビルマ国境ニュースNo.11

ビルマ国境ニュースNo.11のインターネット版を公開しました。
久々の更新です。今後ともよろしくお願い申し上げます。

ビルマ国境ニュースNo.11

主な内容
「在日ビルマ難民たすけあいの会」特集
在日カレン人ミョーアウンさんの漫画
アラカン民主連盟の活動紹介
カチン人によるカチン語月刊誌の紹介 など

2008/06/25

スパイの話(1)

6月15日に高田馬場でカレン人たちの集会が行われ、そこで在日カレン人難民Tさんがカレン人参加者を前に「日本人の中にはスパイがいるから、お前たち気をつけろ」といったそうだ。

具体的にはこのスパイがどんな活動をしているのかは知らないが、Tさんがカレン人のことは日本人には教えるな、と言ったからには、この不敵な日本人はおそらくカレン人の政治活動に対する破壊工作を展開しているものと見られる。

この日本にそんなスパイなどいるわけない、と思う方もいるかもしれない。だが、日本で最初に難民として認定されたカレン人であり、国民民主連盟解放区日本支部の副事務局長(2)まで務めたことのある人物が言うのだから、間違いない。

まったくけしからん話である。だが、Tさんの知るところとなったからには、大丈夫、カレン民族を分裂させ、ビルマ民主化を妨害するこの人物の命はもはや風前の灯といってよかろう。

ただ、ひとつ残念なのは、このTさんが名指ししたスパイの名が、不思議にもぼくと同じであったことだ。

Tさんとは10年以上の付き合いがあり、一緒に難民支援活動もしたこともあるし、一緒にタイ・ビルマ国境地帯へ旅をして、カレン人の会議に参加したこともある。そればかりでなく、個人的なことでもいろいろ手伝ったこともある。

だから、ぼくとしてはあまり信じたくはなかったが、この会議に参加した4人のカレン人がそう教えてくれたからには、何かがあったと思わざるをえない。

そこで、ぼくは実際にTさんに電話して聞いてみることにした。
(いいところで続く)

2008/06/20

和食ファン

実家が裕福にもかかわらず日本に働きにきていた20代のカレン人を指して、滞日歴15年の40代のカレン人が言った。

「こいつは日本にちょっとサシミを食べにきたんだよ」

2008/06/19

カチンの老人の話

日本で難民認定された娘夫婦に20年ぶりに会うため、カチンの老人が日本にやってきた。

80歳になんなんとする(実年齢は本人にもわからない)今でもビルマで畑仕事を続けているこの老人、日本で娘夫婦の家に厄介になっている生活がものたりない。

早くビルマに帰国して畑に行きたいが、サイクロンの後のビルマは、物価高、食料不足。しかも衛生状態も悪化するばかり。せめて3ヶ月のビザが切れるまでは、と家族に懇願されては帰るに帰れない。

そこである日の夕食中、婿にこう言った。

「働かずに世話になりっぱなしというんじゃ、どうにもわしは落ち着かん。日本では90歳、100歳超えても社長をしているというではないか。お前の職場で働かしてくれんかな。この通り体は丈夫、何でもできるぞ」

婿はただうつむいて、黙るばかり。いつもは2杯食べるご飯も、1杯しかのどを通らない。

老人にはもうひとり日本で難民として暮らす娘がいた。それで今度はその娘の婿に言う。

「お前の働いている工場で、わしを働かせてくれんかな」

その婿は、姉の婿ほど控え目ではなかったので思わずこう言い返した。

「お義父さん、もしわたしたちがあなたを働かせたら、わたしたちは恥ずかしさのあまり、死んでしまいますよ!」

2008/06/18

性的暴行事件(チン州)

チン人の10代の少女2人、軍政関係者に強かんされる
(在日チン民族協会と協力して作成したものを転載)

チン人の立場からビルマ軍事政権を告発するメディア、Khonumthung News Groupが2008年6月17日に報じたところによれば、チン人の十代の少女2人が、ビルマ政府関係者により強かんされたという。

事件を起こしたのは、第268軽歩兵大隊のソータイッアウン少佐と、チン州タントラン郡裁判所の法律家ウ・ミィンポン。この2人は6月8日午後4時ごろ、タントラン郡の13歳と14歳の2人の少女を、ミィンポンの自宅で強かんし、そのまま監禁した。

被害者のひとりの父である警察官が当局に訴え出たことにより、被害者は救出され、犯人は逮捕された。

ウ・ミィンポンとソータイッアウン少佐は、タントランとハーカーの警察署にそれぞれ拘束されている。

被害にあった少女のひとりは、性的暴行によりひどく負傷しハーカーの病院に入院しているとのこと。

ニュースのソース
Khonumthung News Group: http://www.khonumthung.com/
Two Chin teenaged girls raped in Burma: Rapists arrested

ある大工の話

ヤンゴンのインセインは、悪名高いインセイン刑務所のある地区だが、カレン人キリスト教徒の居住地としても知られている。そのインセインの一角ににひとりの若い大工が暮らしていた。

ある日、ボーガレーの教会で牧師として働いている親戚が彼の家にやって来て、言った。

「教会の建物が古くなってね。ボーガレーに来てもらえないか。あちこち修理してほしいんだ」

たまたま仕事がなかったので、大工はこの依頼を引き受けることにし、牧師とともにボーガレーに行って教会の改修に取りかかった。

サイクロンがやってきたのはその2日後のことだ。

インセインに残された家族は、大いに大工の身を案じるが連絡のとりようもない。2日、3日と経ち、ボーガレーの惨状が伝わるにつれ、家族はすでに大工が死んだに違いないと考えはじめていた。

しかし、4日後に大工は家族のもとにひょっこり帰ってきた。家族は非常に喜んだが、やがて彼の様子がおかしいのに気がついた。何を聞いても一言もしゃべらない。黙りこくったまま、涙を流している。

1日中、大工は無言で泣いていた。そして、その次の日も。頭がおかしくなったのかもしれない、と周りの者たちが思いはじめた3日目になって、大工は大声を上げて泣き、自分が見たものを語った。

彼は村人たちが溺れ死んでいくのを見た。激しい風と濁流が村を襲った時、真っ先に水に飲まれていったのは子どもと女たちだった。子どもを守ろうとして木に縛り付ける者もいた。だが、木そのものが水に押し倒されるのをどうすることもできなかった。

大工が助かったのは、教会に逃げ込んだからだった。50人ほどの村人がそれで命を救われたという。ヤシの木にしがみついてなんとか生き延びた者もいた。牧師もその一人だったが、彼は自分の妻子を失った。

サイクロンが去った後、村に残されたのは無数の溺死体だった。とはいえ、それらはみんな、どこか別の村から流されてきた見知らぬ遺体で、村人たちの遺体はどこにも見当たらなかった。

牧師には身内の死を悲しむ暇などなかった。彼は生き残った者たちとともに、死者たちの埋葬に取りかかった。大工もひたすら穴を掘り続けた。それですぐに帰ることができなかったのだ。

この話は、ある在日カレン人難民から聞いたものだ。話をしてくれた難民と主人公の大工は親戚関係にある。

村の牧師によれば、650人の村人のうち、250人が死亡もしくは行方不明となったそうだ。

不吉な夢

カレン民族同盟(KNU)は、ビルマ人の圧政からカレン人を解放するために、半世紀以上もの長きにわたり歴代のビルマ政府と戦ってきた。盛時の勢いはないとはいえ、現在もタイ・ビルマ国境のカレン人居住地域で一定の勢力を保っている。

そのKNUのある中堅幹部が夢を見た。

キリスト教徒である彼は、毎週教会に行き、礼拝に出席してきたが、今日だけはどうしても行く気がしない。なんとなく不安を感じるが、妻がせき立てるので、行かざるをえない。

教会に着くと、まだ礼拝のはじまる前。そうだ、賛美歌の練習をしなくてはならない、と彼はピアノの前に座り、演奏する。

信徒たちはそれにあわせて歌を歌うが、その中に見知らぬカレン人がいる。よそ者はカメラを持っていて、彼の写真を撮り、また携帯電話で何かを話している。

妙に気になる。そして、彼は急に恐ろしくなる。すると、ヤクザのようななりをした巨漢のタイ人がバイクで教会に乗り付け、駆け込んでくる。

どうしてだかわからないが、彼は不意に悟る。そのタイ人が自分を射殺しようとしていることを。彼は席を立って、別のところに移ろうとする。

だが、タイ人は彼めがけて走ってくる・・・

今年の2月14日、KNUの実質的なNo.1であったパドー・マンシャ事務総長が敵対するカレン人によって射殺された。中堅幹部が見た夢に、この2月の暗殺事件を読み取るのは容易である。だが、どうしてタイ人が暗殺者として登場するのかはわからない。

もっとも、夢解きが主題なのではない。この夢に横溢する恐怖こそ、この記録の主眼である。

その恐怖は、ニュースにもならず、それゆえ理解されることもあまりないが、軍事政権のスパイと刺客が跋扈し、無法行為が横行する現在のタイ・ビルマ国境で暮らすカレン人政治活動家たちが、程度の違いこそあれ日々感じているものなのである。

2008/06/15

JAC参加団体

JAC( 在日ビルマ人共同実行委員会(Joint Action Committee of Burmese Community in Japan)というのは、在日ビルマ民主化活動団体のほとんどが参加している組織で、昨年のビルマでの僧侶を中心としたデモ活動を受けて、結成された団体だ。

31の団体のうち、非ビルマ民族の組織は14あり、日本で活動する非ビルマ民族組織のほとんどが含まれている(入っていないのはおそらくひとつだけ)。

以下は、JACのウェブサイトに掲載されている参加団体のリストであり、順番はそれに従っている。非ビルマ民族の組織は7から20番までだ(イタリック・太字で示した)。

JACのウェブサイトに記されている非ビルマ民族組織の日本語名称には、正式名称ではないものや、慣用とは異なるものがあり、それを修正したものが以下のリストである(もっともそれでも誤りはあるかもしれませんが)。

1.国民民主連盟(解放地区-日本支部)
National League for Democracy (Liberated Area) Japan Branch, NLD (LA) JB
2.ビルマ民主化同盟 League for Democracy in Burma, LDB
3.ビルマ民主アクショングループ Burma Democratic Action Group, BDA Group
4.全ビルマ学生連盟(国際委員会)
All Burma Federation of Student Union (Foreign Affairs Committee), ABFSU(FAC)
5.新社会民主党 Democratic Party for a New Society-Japan Branch, DPNS-JPB
6.ビルマ民主連合 Democratic Federation of Burma, DFB

7.民族民主戦線(日本代表) National Democratic Front (Burma), NDF-B, Representative for Japan

8.カチン民族向上の会 Kachin National Uplift Society, KNUS


9. カチン州国民民主議会党(解放地区-日本支部)

Kachin State National Congress Party for Democracy (Liberated Area−Japan Branch), KNCD (LA-JB)

10. カチン民族機構-日本 Kachin National Organization-Japan, KNO-Japan


11.海外カレン機構(日本) Overseas Karen Organization (Japan), OKO-Japan


12.カレン民族同盟(日本支部) Karen National Union (Japan), KNU-Japan


13. 在日カレン民族連盟 Karen National League (Japan), KNL-Japan


14.在日チン民族協会 Chin National Community (Japan), CNC-Japan


15. 在日ナガ民族協会 Naga National Society (Japan), NNS-Japan


16. 在日パラウン民族協会 Palaung National Society (Japan), PNS-Japan


17. 在日プンニャガリ・モン民族協会 Punnyagari Mon National Society (Japan), PMNS-Japan


18. アラカン民主連盟(亡命・日本) Arakan League for Democracy (Exile-Japan), ALD (Exile-Japan)


19. 在日シャン民族民主連盟 Shan Nationalities for Democracy (Japan), SND-Japan


20. 在日シャン州民族民主連盟 Shan State Nationalities for democracy (Japan), SSND-Japan


21. ビルマ女性連盟日本代表 Burmese Women Union, BWU, Representative for Japan
22.ビルマ労働組合連盟 Federation of Trade Union – Burma, FTUB
23.在日ビルマ市民労働組合 Federation of Workers Union of the Burmese Citizen in Japan, FWUBC
24.在日ビルマ人ホテル・レストラン労働組合 
Hotel and Restaurant Workers’ Union of Burma, HRWUB
25.ビルマ船員組合日本代表 Seafarers’ Union of Burma, Representative for Japan
26.人的資源発展プログラム Human Resources Development Program, HRDP
27.アハラ・ジャーナル Aahara Journal
28.アリンアイン・マガジン Aalinneain Magazine
29.ティッサー革命マガジン Thitsar Revolation Magazine
30.ビルマ愛国戦友会 Patriotic War Veterans of Burma, PWVB/Japan
31.ビルマ連邦国民評議会日本代表(NCUB 日本代表)
National Council of Union of Burma (NCUB), Representative for Japan

真のビルマ連邦のための歴史的合意集

「真のビルマ連邦のための歴史的合意集」

ビルマ民主化のためには非ビルマ民族の権利を保障する連邦制の確立が不可欠です。ビルマ独立の基礎となった「パンロン合意」をはじめとする6つの歴史的合意・宣言を特設サイトにまとめました。

2008/06/09

アイヌ、ジュマ、ビルマの先住民族・マイノリティとともに

6月15日(日)に行われるイベント「アイヌ、ジュマ、ビルマの先住民族・マイノリティとともに〜首都圏のアイヌ、滞日外国人の中の先住民族との出会い2008〜」で、在日チン民族協会(CNC-Japan)の会長、タン・ナンリヤンタンさんが、ビルマの先住民族チン人のひとりとしてスピーチを行う予定です。

イベントの詳細については以下をご覧ください。

http://alertwire.jp/read.cgi?id=200805121605241

「ビルマ国境ニュース」はこのイベントそのものとは関係ありませんが、タン・ナンリヤンタンさんが当日会場で配布する資料の作成にかかわったので、ここに一応ご案内する次第です。

2008/06/07

品川入管にて

6月6日、あるビルマ人が入管に出頭することになり、同行した。入管の3階で書類を手渡した彼は、ほどなくして7階に連れて行かれた。

ぼくたちは3階で待ち続けていた。ずっと上の階にいる彼はいま自分の難民申請の判定結果を入管職員から聞かされているはずだった。結果次第によっては、彼はそのまま収容される可能性があった。

彼の保証人であるビルマ人もやってきていて、待っている間に少し話をした。

「昨日、彼と一緒だったんだけど、ひとりでぼーっとして、何にもしゃべらない。かわいそうに」

「前に収容されていたことはあるんですか」

彼はうなずき、イギリスやアメリカの例を出して日本の入管政策を批判した。

いつどのように収容が決まるのか、その収容期間はどれくらいになるのか、どのような基準で難民の認定・不認定が決まるのか、どうして保証金の額が時期によって違うのか・・・これら数多くの謎から判断する限り、入管はまったく気まぐれで働いているとしか思えない、というのが彼の見解であった。

「入管のポスターにありますよね、『ルールを守って国際化』って。そう言う入管自体にはルールがないのですよ」と彼は笑った。

3階で待ち始めてから一時間以上過ぎた頃、この保証人の携帯電話が鳴った。彼はビルマ語で話し、電話を切ると、ぼくたちに告げた。

「彼から。今日はここに泊まる、だって」

2008/06/05

追悼礼拝

6月1日、在日カチン人姉妹の母がビルマで亡くなり、その追悼礼拝が新宿区の教会で行われた。


姉妹はともに難民としてビルマから日本に逃れてきた。姉のほうは1年前に難民と認定され、妹は現在、審査の判定待ちの状態。いつか2人そろってタイに行き、母との再会を、と結果を待ち望んでいたが、ついに間に合わなかった。

現在日本にいる難民の多くは1988年の民主化運動前後にビルマを脱出した人々だ。そのため、20年近くも、両親と、夫と、妻と、子どもと会うことのできない人もいる。

難民であるということは、家族関係、人間関係が、程度の差こそあれ損なわれているということなのである。

しかし、難民の家族関係、人間関係といったものが日本の難民政策の関心となったことはないようだ。もっぱら何をしているかというと、難民認定・不認定の決定、そして認定後の日本社会への「同化」にばかり力を入れている。

丁度ひよこのオスメスの仕分けに精を出すようなものだ。このあじけなさでは「難民であることにより破壊されてしまったなにか」はいつまでたっても回復しないに違いない。

これは結局、「同化」される側の日本社会が、その構成要素である人間をどう見ているか、の反映でもある。つまりわれわれはひよこの一種なのであり、卵を生むか産まないかが唯一にして重要な分別条件なのだ。

訂正など

在外投票事件に関していくつかの追加情報。

1)訂正
「ある女性の証言(3)」で、馬乗りになった警官に殴られているビルマ人男性が、この日逮捕された人であるかもしれない、としたが、実際にこの日逮捕されたAさんと話した結果、このような事実はないとのことであった。おそらくこの女性は別の男性が殴られているのを見たのであろう。

なお、Aさんはこの日、公務執行妨害で逮捕されたのだが、彼によれば、自分が警官を殴ったり、小突いたりしたことはなかった、そもそももみ合いの中、身動きすらとれなかった、と語った。

2)参事官
「ある女性の証言(2)」で、大使館から出てきた男性は、参事官であり、在日ビルマ民主化活動家の投票権の要求について「考えてみる」といったんは答えたらしい。

3)3人の女性職員
「ある女性の証言(2)」に登場する3人の女性の職員(日本人であるとのこと)と活動家との激しい問答が、警察の介入につながった、という見方は、かなりあたっているようだ。

4)医療費
以前の投稿で事件の後、病院に担ぎ込まれた人のうち何人かの治療費を警察が支払った、と書いたが、ある日本政府関係者によれば、そのようなことはあり得ないという。確かに、税金を使うことになるのだから、品川警察といえども、簡単には代わりに支払えないだろう。だが、そもそも、治療費がかかるようなことをしなければよいのだ。

2008/06/03

ビルマ民主化の中のソウ・バティンセイン

6月1日の行われたソウ・バティンセイン追悼集会で、参列者の1人として演説を求められた時、僕はその場にいる日本人の方々へ、彼の死が、カレン人にとってだけではなく、ビルマの人々すべてにとってどのような意味を持つかを、できるだけ解説したほうがよいと感じた。

それで、実際そうしたのだが、あまり首尾よく行かなかったし、そもそも日本人もあまりいなかったので、ここにその「解説」を書いておこうと思う。


ビルマ民主化のために具体的道筋として、多くのビルマの政治活動家(特に非ビルマ民族の)と国際社会によって広く支持されているのはいわゆる「三者間対話」だ(国連総会ではこの三者間対話を促す決議がなされている)。

この三者とは、

1)ビルマ軍事政権
2)アウンサンスーチーさん率いる国民民主連盟
3)非ビルマ民族(少数民族)組織

である。

これらの三勢力の協議なくして、ビルマの民主化はありえない、という考えは、ビルマの問題の解決には、国民民主連盟だけでなく、非ビルマ民族組織の参加も不可欠であるという認識に基づいている。

つまり、あるカレンニー人の政治家が語ったように「ビルマの民主化と非ビルマ民族の問題は二つの車輪」なのであり、どちらか一方だけでは前進しないということだ。

だが、この三者間対話にはあやふやな部分がある。軍事政権にしても国民民主連盟にしても具体的な組織の名称であるのに、非ビルマ民族組織もしくは少数民族組織という名の組織はない。つまり三者の内のひとつは、個々の非ビルマ民族組織を指すのか、それともすべての非ビルマ民族組織を取りまとめる別の組織を指すのか、明確ではないのだ。

こうした状況のなか、非ビルマ民族の政治団体と武装組織は、この三者間対話を進めるためにできるだけ包括的に非ビルマ民族の声を代弁する組織が必要だと考えた。

それが、2004年1月に結成されたビルマ連邦少数民族評議会(Ethnic Ntionalities Council [Union of Burma])であり、このENCは三者間対話における非ビルマ民族の代表となるべく活動を続けている。

ソウ・バティンセインは、カレン民族同盟(KNU)議長であるから、カレン人にとっては非常に大きな存在であった。

だが、いっぽう彼はまた、このENCの議長でもあった。つまり、彼は三者間対話の内のひとつの代表という立場であったのであり、そうした人物が亡くなったのである。

だから、彼の存在はカレン人のみならず、すべての非ビルマ民族、すべての民主化活動家・組織にとって重要な意味を持っていた。

だからこそ、6月1日の彼の追悼集会に、カレン人の政治組織だけでなく、カチン、チン、アラカン、シャン等の非ビルマ民族政治組織と国民民主連盟等の民主化団体が集ったのであるが、この辺りの事情は日本人の間ではあまり知られていないようだ。

朝日新聞(5月24日朝刊)に、ソウ・バティンセインの死を報じる短い記事が掲載されたが、それは彼の死をもっぱらカレン人の反政府活動の中でだけ捉えるもので、現在の非ビルマ民族の政治活動全体の枠組みから見たものではなかった。

記事では彼の死がKNUの弱体化と結びつけられている。だが、KNUの弱体化はいまにはじまったことではない。

むしろ、彼の死がKNUを超えた場所でも重く受け止められているという事実のほうが重要なのではないだろうか。

それは、いうならば非ビルマ民族全体の協力関係の進展、政治活動の深化を意味するのである。

2008/06/02

ソウ・バティンセイン追悼集会

6月1日、池袋にてKNU-Japanが主催したソウ・バティンセインKNU議長追悼集会の様子。



2008/05/31

姓と名

ビルマ人には姓がない。例えば、アウンサンスーチーさんの場合は、「アウンサンスーチー」すべてが名で、姓といったものは含まれていない。

そこで、日本に暮らすビルマ人は、外国人登録などの行政手続きの際に少々困った事態に直面する。

なぜなら、たいていどの書類にも姓と名を記せ、と書いてあるからだ。

そこで、うっかり名前の前半部分を姓の欄に、後半部分を名の欄に記入して、後で欧米風に姓と名をひっくり返されて、おかしな名前で登録されてしまった人もいる。

近頃では、役所で手続きするビルマ人が増えてきたため、ビルマ人には姓がないという事実が行政の現場に、周知されるようになったようだ。

先日あるビルマ国籍カチン人が役所に行って書類に名前を記入した。書類を見た職員、相手がビルマ人だと知るや、マニュアルを取り出してビルマ人のページを見て言った。

「ビルマの方ですよね、姓の欄に記入してありますが、ビルマ人は姓の欄には記入しなくてもいいのですよ」

そして、姓の欄に書かれた文字を消して、名前の欄に書くようにと、助言した。

だが、その職員は知らなかったのだ、カチン人はビルマの中で例外的に姓をもつ民族であることを。

そんなわけで、そのカチン人は、職員の親切により日本で姓を登録し損ねたのであった。

(もっとも、カチン人はビルマ本国においてすら、自分たちの重要な文化的な印である姓を蔑ろにされている。つまりビルマ政府による国民登録や住民登録で、カチン人の姓が記載されることは滅多にないのである。)

ソウ・バティンセインの言葉

以下は、ソウ・バティンセイン(Saw Ba Thin Sein)の経歴に付されていた彼の言葉を訳したもの。

ソウ・バティンセイン
KNU議長の残した言葉


わたしはカレン革命が誠実なものであり、正しいものであると信じて働いてきました。カレン民族が不当に弾圧され、虐待される状況に、またカレン人女性が残酷に辱められる状況に、わたしはカレン人のひとりとして我慢することができませんでした。カレン革命がどんな困難に遭おうと、どういう状況に置かれようと、わたしは革命運動を自分の命が尽きるまでやり遂げる気持ちでいます。今やわたしは老齢にありますが、絶望はしません。諦めません。わたしは革命の使命をできるだけ果たしたい。片足を失ったら残りの足で、片手を失ったら残りの手で、できる限り頑張りたい。たとえ自分の手足が動かなくなっても、まだ脳が働く限り、頑張り続けます。最後に脳が半分しか動かなくなっても、その半分の脳で革命をやり遂げます。
2008年5月5日

わたしたちカレン民族をはじめとする非ビルマ民族は、幾世代も抑圧されてきたため、あらゆる点で取り残されてしまいました。迫害のために、自分の運命を自分で切り開く機会が与えられなかったのです。その機会を手に入れるために、カレン民族を含むすべての非ビルマ民族が闘っています。自分の運命を自分で切り開く機会を手に入れること、これはあらゆる民族にとって生得の権利なのです。
2007年2月5日

すべての問題を平和的な方法で解決すること、これがわたしの一番の願いです。わたし自身としては、相手と直接会って議論し、答えを探すことが、問題の解決につながる、と信じています。わたしたちの国の問題にしても、他人のあら探しにうつつを抜かさず、すべての民族が参加し、時間を作ってともに答えを探るのなら、きっと解決する、とわたしは確信しているのです。
2005年9月19日

ビルマ国境ニュースNo.10発行のお知らせ


「ビルマ国境ニュースNo.10」を発行いたしました。

【内容】
1)4月26日在外投票事件の真相!「ある女性の証言」

2)在日チン人難民女性のエッセー「小さなカタツムリのように」

3)入管行政を斬る!「いま入管ははち切れんばかり!(下)」

4)在日カチン人漫画家の一コマ漫画

など全10ページ。このブログでもいずれはダウンロードできるようにしたいですが、とりあえずは手渡しもしくは郵送のみです。

ご希望の方はメールにてご連絡ください。

「ビルマ国境ニュース」は、非ビルマ民族の政治活動を軸にビルマ民主化運動の現状を伝え、その活動と取り巻く状況を批評するニュースレターです。

2008/05/28

それを言うと冗談の言いすぎではなかった

ビルマ国民の間で、魚を食べるのを忌む人々が急増しているという。

これはもちろん、先のサイクロンで多くの水死者が出たことに基づく。つまり、水死者をついばんだ魚など食べられない、というわけだ。

軍事政権がいまだに犠牲者を水面に放置しているという現状が、このような風評を生み出したのに違いない。

いまのところこの風評により被害を受けているのは魚屋さんであるということだが、災害時の悪い噂というものは、どこにどう飛び火して爆発を引き起こすか、知れたものではない。

2008/05/27

日本市民体験者の記録

4月26日在外投票の日、事件の渦中にいた日本市民の記録が

ノッポの日記:4月26日(土)の重要な出来事

で読むことができます。

難民支援を長く続けている筆者のノッポさんは、難民の間ではかなり知られた方です。

2008/05/25

それを言うと冗談の言いすぎだ

ガピイというのは「魚やエビを腐らせて擂りつぶした塩辛に似た食べ物(注)」で、ビルマの人々の食事には欠かせない食品だ。かなり強烈な臭いを発するので、ビルマの人々の「外国人が食べているのを見るととうれしくなってしまう食品」にも指定されている(たいていの日本人にとっては納豆だ。もっとも、ビルマでは納豆も食べる)。

魚とエビが主原料であるから、新鮮で上等な海産物が獲れる土地のガピイはおいしいとされる。今回のサイクロンでもっとも被害を受けた町のひとつ、ラブッタも名産地として知られている。

日本で政治活動を行うあるビルマ人が、酒を飲みながらこんなことを言った。

「もう、ラブッタのガピイは食べられない! 水死体の肉を食べた魚だからね」


(注)『それを言うとマウンターヤの言いすぎだ』(新宿書房、マウンターヤ著・田辺寿夫訳)p12の注より引用。

ソウ・バティンセイン追悼集会

5月22日未明に亡くなったカレン民族同盟(KNU)議長ソウ・バティンセイン氏の追悼集会が、カレン民族同盟日本支部(KNU-Japan)により以下の要領で開催される。

日時:6月1日 午後6時〜9時
場所:コア・いけぶくろ(豊島区民センター)5階
   JR山手線池袋駅東口下車 徒歩約5分
   地図
主催:カレン民族同盟日本支部(KNU-Japan)
連絡先:090−8559−0195

2008/05/23

サイクロンの被害(ミャウンミャ)

在日カレン人から聞いたミャウンミャ(イラワディ・デルタの町)の状況。

ミャウンミャ自体のサイクロン被害は大きなものではなかったが、近隣の村々では甚大で、それらの村から多くの被災者がミャウンミャに流入している。

町の小学校が仮の避難所となっており、ある小学校には6000人もの被災者が寝泊まりしている。

食料、医薬品、飲み水が足りない。衛生状況が悪化しているため、ミャウンミャ住人にも感染症などの心配が生じている。

軍事政権は5月25日から小学校を再開させる予定であり、それまでに被災者たちをどこかに立ち退かせようとしている。

サイクロン・レポート(5月11日)

以下はパテイン(イラワディ管区)在住のカレン人の教会関係者の方からいただいたメールを和訳したもの。発信者の身元が分からないよう若干手を加えてあります。

サイクロンはパテインではひどくありませんでした。しかし、パテイン西部の村々は暴風雨によりかなり破壊されてしまいました。この辺りの村では相当の死者が出ています。被害を聞いたわたしは同僚とともにバスで向かいました。

ラブッタ周辺の村には5月11日に着きました。わたしたちはそこで出来るだけ多くの食料と医薬品を配布し、ビデオで活動を記録しました。それからボートに乗って別の村に行きました。

その村に着くや否や目に入ってきたのは、川面に浮く無数の人々の遺体でした。死んだ家畜も浮かんでいます。腐臭がどこにいってもつきまといます。

村には生存者もいましたが、着る服すらないのです。ほとんどが家を失い、食物にこと欠く人々もいます。

本当にわずかな人々だけが難を逃れることができました。それ以外の人々、わたしたちの仲間、その家族も皆亡くなってしまいました。

わたしは写真を撮って記録しました。

医薬品、食料、避難所、衣服、飲料水が絶望的なほど不足しています。わたしたちは食料を渡し、とても深刻な状態にある者については、パテインの避難所に連れて行きました。(終)

KNU-Japan

カレン民族同盟日本支部(KNU-Japan)のウェブサイト(ビルマ語)をリンクに追加。Art For Freedomという民主化活動を行うメディアの協力によりウェブを運営しているとのこと。

2008/05/22

KNU議長の訃報


カレン人の反軍政組織、カレン民族同盟(Karen National Union)の議長、ソウ・バティンセイン(Saw Ba Thin Sein)が5月22日午前2時、ビルマ国内のKNU解放区内で亡くなった。パドー・マンシャのように暗殺されたわけでなく、病死と伝えられる。

DVBが報じている彼の略歴を以下に訳出する(KNU leader passes away)。

1927年3月11日  イラワディ管区ヒンダタにソウ・バセインとノウ・ティンミャッとの間に生まれる。9人きょうだいのうちの次男。

1946年  ヒンダタのアメリカン・ミッション・スクールの高校を卒業。

1949年  カレン民族革命(つまり民族解放の闘い)に加わる。

1963年  カレン民族同盟(KNU)中央委員会委員。

1970年〜1971年  KNUマゴイ・タヴォイ地区議長。

1978年  KNU教育文化局担当

1983年  KNU事務総長

2000年〜2008年5月  KNU議長

写真は2004年6月にKNU解放区で開催された第3回カレン・ユニティ・セミナーで、筆者が撮影したもの。このセミナーが終わると、病身のバティンセインさんは下の写真(2004年6月撮影)のように運ばれて、ジャングルの中に消えて行った。

これを見ていたあるカレン人、「これがカレンのヘリコプターさ!」


カレン民族同盟は日本にも支部がある。その支部の代表を務めるカレン人にある日本人が言った。

「おかげさまで、先日、子どもが生まれました」

「おめでとうございます。生まれたのは何日ですか?」

「3月11日です」

「それは素晴らしい! カレンの『大統領』ソウ・バティンセインと一緒ですよ!」

とあまり意味のない興奮をするくらいカレン人にとっては重要な人物だ。ボーミャ、マンシャと立て続けに指導者を失っているカレン人が受けた衝撃は大きい。

KNUの日本支部、KNU-Japanはソウ・バティンセイン追悼式典の準備をはじめたとのこと。

果報は死んで待て

チン人のある難民申請者が、渋谷のラーメン屋で働いていると、入管の職員が押し掛けてきて、彼の仮滞在許可証を見るや、「働くことまかりならん」と。

解雇された彼は、さっそく品川の入国管理局に行って入管職員に質問した。

「自分が難民申請をしてもう9ヶ月にもなるが、未だに何の判定も出ていません。それなのに働いてはいけないといわれました。いったいどうすればいいのですか」

入管職員は答えた。

「待ちなさい」

ああ、時はすべてを癒してくれる偉大な癒し手なり! だが、待っている間に餓死してしまったら、時といえども癒しようがないのである。

(詳しくは以前の投稿「もっとリアリズムを」参照)

2008/05/21

OKO-Japan

5月18日、在日カレン人の政治団体、海外カレン機構(日本)Overseas Karen Organization (Japan)の月例会議に出席。サイクロン被災者救援等について議論。

リサイクルセンター

高田馬場駅近くにある新宿区リサイクルセンターとその裏手の新宿区消費生活センターでは、日曜日になるとたいていいくつかのビルマ民主化団体や少数民族団体が会議室を借りて、会合を開いている。

そんなわけでリサイクルセンターではついにビルマ語の後片付けシート(会議室使用後に記入して提出する紙)まで出来てしまった。


扉にはこんな張り紙も。

2008/05/20

U MINGALARのつぶやき

ウ・ミンガラこと西田敦先生のブログ

U MINGALARのつぶやき

をリンクに追加。

齢80にしてブログをはじめたウ・ミンガラが、ビルマ難民を取り巻く不合理な現状に怒る!

ある女性の証言(4)

大使館前は大混乱でした。わたしはもみくちゃにされて、押し潰されそうになったのですが、そのとき、警官が身を挺してわたしを守ってくれました。

わたしの友人も同じような経験をして、危うく踏みつぶされるところを警官が引き上げてくれたのだそうです。

彼女が言うには、後でみんなが「悪い警官、悪い警官」と叫んで非難したとき、自分はどうしてもそう叫ぶ気になれなかったとのことでした。

別の人は、警官や機動隊員の中には涙を流していた人もいたと言います。職務上仕方なくわたしたちを手荒に扱ってただけで、本心はビルマ人たちに同情していたというのです。本当かどうかはわかりませんが。

なんにせよ、警官たちはわたしたち活動家を排除するときは容赦ありませんでした。ある女性は警官に足を蹴られ、首根っこをつかまれました。すると不思議なことに全身の力が抜けてしまったそうです。もしかしたら、彼らは首の神経を圧迫して脱力させる技を身につけているのではないか、というのが、彼女の見解です。

さて、わたしはといえば、3〜4人の警官たちに抱えられて、列の外へと運ばれて行きました。「自分で歩けます」と言っても放してくれません。わたしはバッグを落としたのですが、それを拾うことすら許してくれませんでした。

この日は12人が救急車で病院に運ばれましたが、わたしもその1人でした。もともとは救急車に乗るつもりはなかったのですが、警官たちに道路に叩き付けられて腰を痛めた女性に付き添っていたら、なりゆきで救急車に乗ることになってしまったのです。彼女ほどひどくはなかったのですが、わたしもやはり怪我をしていました。

救急車にはひとりの謎めいた救急隊員が乗っていました。車内で彼はわたしたちにいろいろ署名させました。わたしたちが連れて行かれたのは築地にある聖路加病院でしたが、この謎の救急隊員はまるでわたしたちを監視するかのようにそばを離れないのです。

「どうしてわたしたちのところにいるのですか。忙しくはないのですか」とわたしが聞くと「あなたたちが外人だから親切にしてあげます」と彼は答えました。わたしの疑念は募るばかりです。

1時間ばかり待たされた後、診察が始まったのですが、びっくりしたことにこの救急隊員も診察室に入ってくるのです。そればかりではありません。口まで挟むのです。

わたしが医者に自分の痛みを説明しようとすると、この隊員が「大丈夫、大丈夫、たいしたことありません」と勝手なことを言います。

怪我したときの状況についてわたしが医者に話していると、この隊員は「あなたたちが警官の言うことを聞かないから、そんな目に会うんだよ!」と話の邪魔をします。まるで警官の代弁者のようです。

しかも、医者も医者で、どうもわたしたちの怪我を真剣に見てくれているようではありません。何を言っても「大丈夫、大丈夫」です。

ある女性の足を診察した医者は「あなた、前から足が痛いでしょう」と、まるで怪我の原因が今日の出来事ではないかのような口ぶりです。

別の人の怪我に至っては、「今日のところはヒビは入っていないが、明日ヒビが入るかも」などと言う始末です。

謎の救急隊員といい、医者の対応といい、わたしはどうも釈然としないものを感じたのでした。

そこでわたしたちは診断書をください、と頼みました。すると、忙しいからすぐにはできない、といわれましたが、もしここで引き下がるとうやむやになってしまうのではないかと恐れたわたしたちは、怪我が痛くても我慢して診断書を待つことにしました。

診察中に、ある負傷者のもとに電話が入りました。誰からかはわかりませんが、「医療費は払う必要はないから払わないように」という電話でした。

わたしたちの中には、まだ難民申請中の人もいました。つまり、保険がない人もいたということです。だから、診察が終わって3万円、4万円という額を請求される人もいました。

そこでわたしたちが「こんなお金は持っていないし、払うつもりもありません」というと、病院側の答えは「それはわたしたちとは関係のないことです」というものでした。結局わたしたちは払いませんでした。

その日病院で診察を受けたのは12人だけでしたが、実際には怪我をした人はもっといました。ただ病院に行かなかっただけです。しかも、当日は何ともなかったのに、翌日あるいは数日後に激しい痛みを感じて後から病院に行った人もいます。(終)

2008/05/19

ランボー最後の戦場


ランボーが、どうやら勝手にビルマを最後の戦場と思い定めてしまった模様だ。

それはそれでかまわないし(映画の中だから)、現実に同じようなことをしている人もいる。例えばカレン民族解放軍(KNLA)に加わる日本人がそれだ。戦いたがり屋としか思えないが、人それぞれにいろいろな考え方、命の使い道があるということだろう。

もっとも、ビルマの人々の中にもこうした戦いたがり屋を歓迎する人もいる。

3年前、ヤンゴンでタクシーに乗ったとき、初対面の運転手がいきなりこんな風に言ってきたのにはびっくりした。

「あんた外国人だろ? イラクみたいにアメリカがビルマにやってきて、政府をやっつけてくれねえかな!」

もちろん、アメリカが来るといっても、スタローンではない。名うての戦いたがり屋、アメリカ軍だ。要するに、こんな危ない願望を抱くほど、つまりイギリスと日本の軍隊がかつてビルマでどれだけひどいことをしたかすら忘却してしまうほど、ビルマの国民は軍事政権に追いつめられているというわけだ。とはいえ、現実にアメリカの軍隊がやって来たとしたら、その結果はイラクと同じく悲惨にちがいない。

ビルマの民主化においては、武力によらない解決、死者を出さない解決こそが最良のものだ。実際ほとんどの民主化団体、少数民族組織が平和的解決への道を探っている。

「ムダに生きるか、何かのために死ぬか。お前が決めろ」とは、劇中でランボーが口にする台詞にして、宣伝文句だが、民主化を求める政治家や政治活動家の言葉ではありえない。まともな政治指導者にとって問題となるのは「ムダに国民が死ぬビルマか、何かのために人が生きることのできるビルマか」の二者択一、そして答えはわかりきっている。

もっとリアリズムを(補遺)

こんなふうに「働いてはいけない」と記されている。

(3)活動の制限
収入を伴う事業を運営する活動又は報酬を受ける活動に従事することを禁止します。
You must not engage in activities related to the management of business involving income or activities for which you receive remunaration.



これは「仮滞在」の許可証の場合であるが、「仮放免」の場合は許可証には同様の記載はなく、ただ入管職員から口頭で「働いちゃダメ」と指示されるとのこと。

2008/05/16

もっとリアリズムを

5月14日水曜日の事件。

朝7時30分のこと、中目黒にある串焼きの食品加工場を10名ほどの入管の職員が襲撃した。

当時そこでは12人のビルマ国籍者が働いていたのだが、飛来した入管の職員は全員の滞在資格を調べ、そのうち6名が労働資格を持たないことを、輝く目で発見した。

そして、ただちに雇用者を呼びつけて、この6人をやはりただちに解雇させたのである。

問題は、この6人が難民申請中の身だということだ。

難民申請をすると申請中の滞在を保証する仮放免許可証という紙が申請者に渡される。そしてしばしばその紙には「働いてはいけない」と書いてある。

もっとも、書かれていない場合もある。どうしてある申請者は働いてよくて、別の申請者はダメなのか、その理由は知らされることはない。これがまずおかしなことだ。

次におかしいのは、「働いてはいけない」人が、難民認定の結果がでるまで、2〜3年も待たされるということだ(現在の入管が難民申請者の増加に対応できていないのでこんな事態になっているのだ)。その間どうやって生き延びれば良いのか。

働いてはいけないといいながら、そして何年も結果を待たせながら、入管は申請者を放置し、何の援助も行わないのだ。

だが、生きるためには腹を満たさねばならない。そのためには幾ばくかのお金を手にしなくてはならない。だから、難民申請者は働くのである。仮放免許可証の記載がどうあれ、生活のために働かなくてはならないのである。

それを入管は見逃さないのだ。摘発と称して乗り込んでくるのだ。飛んでくるのだ。そして仮放免の紙に「働くべからず」と書いてあるのをめざとく見つけては、解雇させるのだ。

まったく馬鹿げたことだ。兵糧攻めだ。難民申請者が飢え死にするのを見てるんだ。

いや、そうではない。そこまで入管はずる賢くない。ただ、入管の職員は、人間は食べなければ生きてゆかれぬという事実を知らないだけなのである。人間の現実を知らないのだ。

職場に、現場に、難民法に、入管法に、入管職員の頭の中に、もっとリアリズムを。

「そんなことわかってらい!」とやんちゃに言うのならば、難民申請者の就労を全面的に認めるか、申請者に生活費を支給したまえ。

サイクロン被災者追悼礼拝

大久保にあるビルマ教会(チン人が中心、他にカレン人、カチン人、ビルマ人など)、ミャンマー・クリスチャン・ミッション・センター(MCMC)からのお知らせ。

追悼礼拝のご案内

2008年5月5日
関係者各位

イエス・キリストの御名においてご挨拶申し上げます。

ミャンマー(ビルマ)を襲ったサイクロン「ナルギス」による犠牲者を悼む礼拝集会を下記の要領で開催いたします。ご参加ください。

2008年5月2日夜に襲来したサイクロン、ナルギスは5月3日、4日と吹き荒れ、旧首都ヤンゴンと穀倉地帯イラワディ・デルタを含むミャンマーの南西部を壊滅させました。

食料、飲料水浄化設備と容器、一時避難所の衛生設備、避難所の備品、燃料、基本的な医薬品、医療処置のすべてが絶対的に必要とされています。被災者の中から、これらの必要を満たすために災害中心地の外へと移り住もうとする者が生じている一方、飲み水、食料、避難所もないままデルタ地帯で立ち往生している者もいます。交通網、連絡網が破壊され、また浸水が広がっているため、救援活動は難航し、今後一週間の天気予報で報じられている豪雨がさらにその困難に輪をかけます。

わたしたちは被災者のために祈らなくてはなりません。被災者たちが困難を乗り越えられるよう手を差し伸べなくてはなりません。

ぜひわたしたちとともに祈りにいらしてください。

期日: 2008年5月18日
時間: 午後5時30分より午後9時まで
会場: 東京都北新宿3-10-5 中央栄光教会(Central Gloria Church)
連絡先: ジョセフ・ラルトング牧師 jpnmjoseph01@yahoo.com
ジュリア・マンガイハウ事務局長 haukhek@yahoo.com


海外旅行

在日カレン人の中でも、とびきり暢気な男(ビザなし、パスポートなし)がある日、

「カナダにいる友人のところにちょっと遊びに行きたいんだけど、どうすればいい?」

といきなり電話してきた。

ある女性の証言(3)

大使館員らしき男性や女性職員を取り囲んだりしていたのは、それぞれのグループのリーダーたちで、それ以外のわたしたちは、ただ黙って並んでいました。

すると警察たちがやってきて、わたしたちを道路の邪魔にならないよう壁際に2列に並ばせました。わたしたちは何の抵抗もせず、警察のいう通りにしました。

しばらくすると、大使館前に警察の車がやってきました。機動隊の姿も見えました。マイクから退去するようにとアナウンスする声が聞こえました。車の上の台に何人かの男が立っていて、カメラやビデオでわたしたちの姿を撮影していました。

警察と機動隊員の数がどんどん増えてきて、緊張がじょじょに高まっていきました。ビルマ人の誰かが「みんな、手をつないで!」と呼びかけました。そして、警官と機動隊員が一斉にわたしたちに押し寄せてきました。

先に彼らがわたしたちを壁際に並ばせたことをお話ししましたが、わたしはこれは警官たちがわたしたちが通行人の邪魔にならないよう配慮してくれたのだと考えていました。ですが、それはわたしの勘違いだったと思います。警官たちはわたしたちを壁際に並ばせることでわたしたちの動きを封じたのでした。襲いかかってきた警官たちはわたしたちを壁に押し付けました。見ると壁と人に挟まれているのは女の子ばかりでした。妊娠中の女の子もいました。

「死んじゃう、死んじゃう」「つぶされる!」

みんなが悲鳴を上げていました。2列に並ばされたわたしたちに対し、4列の機動隊員たちが押してくるのです。なす術もありません。

警官と機動隊員たちは次々とビルマ人を排除していきました。3〜4人で1人のビルマ人をまるで人形のように抱えて連れ去っていくのです。

警官も機動隊員も鍛えられた人たちです。ビルマ人の中には日本人より大きな人もいますが、敵うわけはありません。ましてや女性など赤子も同然です。3人の警察が女性を抱えて運んで道路に放り投げていました。彼女は「痛い痛い」と泣き叫びます。それを見ていたビルマ人が「やめろ!」と駆けつけると、たちまち警官たちに取り押さえられてしまいました。

激しいもみ合いの中、わたしは1人の男性が、警官たちにむりやり列から引きはがされていくのも目撃しました。警官たちはその男の人を離れたところに連れて行くと、地面 に引き倒し、2人の警官がその上に馬乗りになって激しく殴っていました。5人ほどの警官たちがその周りを取り囲んで、見えないように隠していました。「死んじゃうよ、死 んじゃうよ!」わたしは叫びました。後から思えば、このとき殴られていた人が、逮捕された人なのかもしれません。

わたしたちの劣勢は明らかでした。みんな警官たちに向かって叫んでいました。「何で日本政府は軍事政権をかばうんだ!」

警官たちはものすごい形相で何か怒鳴り散らします。これにビルマ人側も激しく怒鳴りかえしました。

「同じ人間なのに、どうしてわたしたちだけこんな目に会わせるのか!」

「わたしたちには関係ない!」と警官たち。

「軍事政権がどれだけひどいことをしているかわかるでしょ!」

「関係ない!」「知らない!」

大使館前は凄まじい光景でした。わたしは日本に暮らして20年近くにもなりますが、まさか日本でこんなことが起きるとは思いませんでした。日本の警察がここまでするとは思いませんでした。

ある女性の証言(2)

大使館前にできた列に並んでいると、スーツ姿の男性が大使館から出てきました。大使かもしれませんがわかりません。

もしかしたら、わたしたちの投票を認めるのではないかと思って、誰もが固唾をのんで見守っていましたが、そうはなりませんでした。

また、別のとき、大使館より女性職員が3人出てきて、わたしたちにこう告げました。「大使館に税金を収めていない人には投票権は認めない」

税金というのは、在外ビルマ人がパスポート更新のために大使館に支払わなければならないお金のことです(収入の一割を支払わなければならないといわれている)。世界中どこを探してもこんなバカげた税金はありませんし、結局軍人のポケットマネーになるお金なので、わたしたちは払っていません。ビルマ大使館が「税務署」とビルマ人に呼ばれている理由がわかるかと思います。

活動家たちは女性職員に詰め寄りました。

「わたしたちはそんな税金は払いたくない。軍事政権を利するだけだからだ。でもわたしたちはれっきとしたビルマ国民だ。わたしたちに投票権を与えるべきだ!」

3人の女性職員はよってたかって責められるので、2人がとうとう泣き出してしまいました。この3人の職員は日本人とビルマ人だったと思います。

すると、日本の警官たちが、彼女たちを守ろうとして活動家たちの間に割って入りました。

大使館の中を見ると、明らかにビルマ軍人とわかる男たちが、鋭い目つきでこの様子を注視していました。

わたしは思うのですが、このように女性だけを3人、活動家たちの中に放り出したのは、軍事政権の汚い策略なのです。このようにして危険に見える状況を作り上げることで、日本の警察に介入させるきっかけを与えたのでしょう。

わたしは大使館の塀の中からこっちを睨みつけている軍人たちに向かって叫びました。

「どうして弱い女の人を外に出すの! 男のあんたたちが出てこないのは汚いよ! 責任者が出てこい!」

軍人たちは知らん顔をしていました。

2008/05/11

ある女性の証言(1)

わたしがその日大使館前に行ったのは、午前8時40分頃のことでした。

はじめは大使館前でなく別のところにわたしは知り合いと一緒に立っていました。どこに並べばよいかわからなかったので。

すると、制服を着た警察官がやってきて「投票権は持ってるか」と尋ねました。わたしが「投票権が欲しいから来ました」と答えると、警官は「ここは違うよ、大使館前に行って。ここに立っていてはダメだ」と言いました。

それでわたしたちは、大使館前の列に加わりました。後に警察はわたしたちを乱暴に追い出そうとしたのですが、そもそも大使館前に並ばせたのは警察だったのです。

わたしたちは静かに並んでいました。プラカードもシュプレヒコールもなく、ただビルマのパスポートと国民登録票を手に並んでいました。いつもやるようなデモではありませんでした。

ただし、大使館はわたしたちの投票権を認めてはいませんでした。一部の人にしか通知を送っていなかったのです。この通知がないと投票ができなかったのでした。ですが、わたしたちはれっきとしたビルマ国民です。その証拠となるパスポートなどを持って、静かに並んでいたのでした。

ただ大使館側が何かを言ってくるのを待っていたのです。門扉をこじ開けて大使館に無理矢理入り込もうとするものは一人としていませんでした。

治療費

4月26日病院に運ばれた者は、治療費を払うべきは警察であるとして支払わなかった。後に本当に警察が支払ったという。とはいえ、警察が払う前に自分で支払ってしまった人もいるにはいた。

いずれにせよ、警察は自分たちがやりすぎたことを認めたようなもの、と多くのビルマ人は考えている。

被害状況

12名が怪我をし、救急車で運ばれた。そのなかには妊娠3ヶ月の若い女性もいた。頭を負傷して入院した男性もいた。

当日病院には行かなかったが、打撲やねんざでのちに病院に行った者もいた。

張り切りすぎ

ある日本人の見解。

日本人はもはやデモをあまりしなくなっているから、機動隊は出番もなければ経験もない。だから、今回の強制排除では張り切りってしまったのだ。それで、ついやりすぎたというわけだ。

襲撃の始まり

ある人の証言。

大使館前でビルマ人活動家たちの強制排除がはじまったのは午後2時頃。警察と機動隊員はまず女性に飛びかかって服をはぎ取ろうとした。それを見ていたビルマ人男性が、やめろと怒って殴りかかった。これが襲撃ともみ合いの始まりだった。

2008/05/08

写真数葉




Moe Thauk Kye Journalより4月26・27日の活動を記録した写真800枚以上いただきました。ありがとうございます。

ビルマの人々の声明文

「2008年4月26日在外投票事件」抗議のための連帯のお願い

4月26日、東京品川のビルマ(ミャンマー)大使館前で、静かに並んで投票のときを待っていたわたしたち在日ビルマ国籍者は、日本の警察と機動隊に襲われました。彼らはわたしたちを大使館の前から引き離そうとして、乱暴を働きました。押しつぶし、殴り、羽交い締めにしました。女性の服を剥ごうとしました。1人の有能な指導者が逮捕され、12名が怪我を負い、救急車で病院に運ばれました。なかには妊娠3ヶ月の若い女性もいました。

わたしたちはただビルマ国民として当然の権利を行使しようとしていただけなのでした。自由と人権をないがしろにしているビルマ軍事政権は、自分たちの権力の存続のみを目的とした憲法を制定し、その賛否を問う国民投票を5月10日に行おうとしています。この国民投票に先立ち、軍事政権は各国のビルマ大使館で在外有権者のための投票を実施しました。4月26日と27日が日本での在外投票日でした。

だから、民主化活動家であるわたしたちは、パスポートを手に、拒否の票を投ずる決意を胸に、大使館前に並んでいたのです。

ですが、軍事政権はわたしたちを敷地内に入れようとはしませんでした。軍人たちはあらかじめ投票させて良い人だけを選別していたのでした。民主化を求める者、非ビルマ民族の側に立つ者、難民である者ははじめから排除されていました。

それでもビルマの国民であるわたしたちは投票権を求めて、大使館前に並び続けました。

大使館側はついにわたしたちを追い払おうと決めました。警察と機動隊がやってきて、ただ立っていただけのわたしたちをまるで石ころのように蹴散らしたのでした。わたしたちは暴力を振るわれながら、1946年以来続く非ビルマ民族に対する迫害を、1988年の民主化運動の弾圧を、そして去年のサフラン革命を想起し、わたしたちを痛めつける日本の警察官の手足の一本一本にまぎれもない軍事政権の刻印を見て取りました。

ビルマ民主化を求めるわたしたちの思いが、代表的な民主主義国家である日本政府によって踏みにじられたことは大変ショックなことでした。ですが、それもわたしたちの闘いの一部です。わたしたちははるかに凄まじい暴力を乗り越えてきたのです。

わたしたちが今憂慮しているのは、わたしたち自身のことではありません。日本人の皆さんのことです。このように簡単に不当な暴力を行使してみせる国に暮らす皆さんのことなのです。わたしたちを苦しめるビルマ軍事政権とこの日本との間に横たわる距離の短さが、わたしたちを心配させるのです。暴力によって立つ政府は、いつか顔つきが似てくるものです。

わたしたちは、現在この4月26日「在外投票事件」の記録と証言を集め、日本政府とビルマ大使館に対して抗議を行おうと活動を続けています。日本の皆さんがこの弾圧をきっかけに、ビルマと日本の民主化のため、わたしたちともに立ち上がってくださることを心から願っています。

2008年5月6日

「在外投票事件」の真相究明を求める在日ビルマ国籍者一同

弱みにつけこんで

在日チン人から聞いた話。国民投票の一週間ほど前のこと、そのチン人の母が、ヤンゴンの病院に入院した。

手術を受ける間際になって、政府の役人が病室にやってきて、彼女に事前に投票するように迫った。退院してからでも間に合うから、と言っても頑として聞かない。そんなわけで、彼女はしぶしぶ投票せざるをえなかったのだが、もちろん「賛成」以外に選択肢はない。

彼女が言うには「だって反対だなんて書いたら、手術中に何されるか知れたものではない」と。

逃げ足

在外投票の日、公務執行妨害容疑で国民民主連盟解放区日本支部の幹部の一人が逮捕された。彼の逮捕の知らせを聞いたある人が次のように尋ねた。

「で、Xさんは逃げたでしょう?」 

Xさんは逮捕された幹部とともに以前同じ役職に就いていた人であるが、借金を抱えて逃げ回っているという噂を想起して、思わずこう言ったのである。

2008/05/07

因果応報

因果応報を巡るカレン人キリスト教徒の話ふたつ。

在日カレン人のなかではちょっとした顔の夫婦の間に子どもが生まれた。その子は生まれてほどなくして皮膚病にかかり、頭の毛も抜け落ちるほど。

その夫婦に長いこといじめられてきたあるカレン人、赤ん坊のさまを見てひそかに喜んだ。すると、たちまちそのカレン人の体に異変が起き、痒くてたまらなくなった。

罪もない子どもの不幸を喜んだ自分に神様が罰を下したのだ、と恐れおののき、必死にその赤ん坊のために祈り続けたところ、体のかゆみも治まり、赤ん坊の病気も治ったという。

次の話。

アルコール依存症の若いカレン人と、彼の面倒を見ている年上のカレン人がいた。年上のカレン人は若者を自分の弟のように思って、あれこれ忠告するのだが、いっこうに効果なく、あいかわらず酒浸りの生活を続けるばかり。とうとう業を煮やして、ある晩、酔いしれている若者の足を思わず蹴ってしまった。

数日後、在外投票の日がやってきた。年上のカレン人は投票権を求めて、大勢の活動家たちとともに品川のビルマ大使館前に並んでいたが、やがて警察と機動隊の強制排除がはじまった。彼は、他の民主化活動家とともに激しく抗議し、警官たちに抵抗した。

あっという間に警官たちに取り囲まれた彼の足を、誰かが強く蹴った。それは数日前の夜、まさに彼が若者を蹴った箇所だった。羽交い締めにされながら彼は即座に、神が自分を罰したことを悟ったのだが、付け加えて語るには「警官たちは柔道をやっているだけあって、ローキックはたいしたものだったね」と。

在外投票事件映像

YouTubeよりビデオをいくつか。

election day of myanmar embassy (Japan)
ビルマ語。交渉の様子。

interview at infront of election day of myanmar embassy (1)
interview at infront of election day of myanmar embassy (2)
ビルマ語。警察と機動隊がくる前、パスポートを手に大使館前に静かに並ぶ活動家たち。

japanese police crackdown burmese citizens
警察がどのように振る舞ったかがよくわかる記録。

映像:投票日の暴力1〜4

YouTubeよりMyanmar8888(Violence Voting in Japan)26-4-2008 Part1~4の4本シリーズをリンク。

当日の経過がよくわかります。

映像

日本在住のアラカン人活動家アウンタンテーさんがYouTubeに投稿した映像を4本リンク。

TBSのニュース画像
2008-4-26 TBS NEWS(MYANMAR)ミャンマーニュース
2008-4-27 TBS NEWS(MYANMAR)ミャンマーニュース

現場の映像。2番目のものはなまなましい。
DEMOCRACY IN JAPAN (ミャンマーニュース)
DEMOCRACY IN JAPAN (ミャンマーニュース)PARTⅡ

モータウッチェ・ジャーナル

在日ビルマ人の発行する月刊紙、モータウッチェ・ジャーナル(Moe Thauk Kye Journal)のウェブサイトをリンクに追加(ビルマ語)。ビルマ語書籍を約5000冊所蔵する図書館を高田馬場で運営しています。

図書館と民主化活動はあまり関係ないように思えるが、1988年の民主化運動当時、ビルマ各地で市民の運営する小さな図書館や貸本屋は、学生や活動家たちの情報交換と学びの場となっていたという。

2008/05/06

サイクロン

ビルマのサイクロンの被害が尋常ではない。死者も2万人を超えたという。

在日ビルマ人たちも非常な衝撃を受けている。ヤンゴンやデルタ地帯出身の人々は心配して家族に電話するが、通じない状況だという。すでに各団体でも義援金を募り、支援を開始している。

ひとつ気がかりなのは、在日ビルマ人の多くがヤンゴン出身であることから、それらの義援金がヤンゴンの被災者にしか行き渡らないのではないかということだ。

もちろんそれでも良いのだが、それでは同様に被害の大きいデルタ地帯が抜け落ちる可能性がある。この地域はヤンゴンほど有名ではないが、穀倉地帯としては非常に重要な地帯だ。

しかも、カレン人の居住地域でもある。デルタのカレン人は、タイ・ビルマ国境のカレン人ほどには注目されてはいないが、同じくらいひどい弾圧下に暮らしている。

だから、支援のありようによっては、もしかしたら今後、デルタのカレン人にとって最悪の状況が生まれるかもしれない。

そんな懸念から、デルタ中心の支援ができないかと、デルタ出身の人々と共に話し合う場を設ける予定。

東京新聞

ミャンマー新憲法案賛否 軍政、ひそかに在外投票

2008年4月25日 朝刊

 【バンコク=大場司】ミャンマー軍事政権が、新憲法案への賛否を問う五月十日の国民投票に先立ち、国外で暮らすミャンマー人を対象に在外投票を始 めた。軍政は国連が打診した国際監視団の受け入れを拒否、在外投票の実施も公にしていない。その一方で、軍政は国民に新憲法案への承認を迫る組織的な運動 を推進しており、国民投票が公正に行われるかが強く疑問視される。

 本紙の調べでは、在外投票は各国のミャンマー大使館で期間を設けて実施。ミャンマー人が多く暮らすタイでは今月二十二日から六日間の日程で投票が始まった。約七万人のミャンマー人に投票資格があるという。

 シンガポールでは二十五日から五日間、ラオスでは二十六日から二日間、ベトナムでは二十七日から二日間、投票を行う予定。在外投票の実施は大使館からの電話や口伝えで通知されており、投票には旅券や労働許可証などが要るという。

 軍政はひそかに在外投票を始める一方、国内では国営紙に新憲法案の承認を求める標語や論評を連日掲載。軍政が設立した大衆運動組織「連邦団結発展協会」の会員もフル稼働させ、国民に新憲法承認を迫っている。

 これに対し、自宅軟禁中の民主化運動指導者アウン・サン・スー・チーさん率いる最大野党「国民民主連盟」は、胸の部分に「NO」と書いたTシャツを着るなどして反対運動を展開。だが、軍政は理由も告げずに党員らを拘束しており、反対運動を事実上弾圧している。

 軍政は「自由、公正な国民投票の実施」を国連や東南アジア諸国連合(ASEAN)の加盟各国に約束しながら、国際監視団の受け入れ拒否だけでなく、外国メディアによる国民投票の取材も一切認めない方針だ。

http://www.tokyo-np.co.jp/article/world/news/CK2008042502006390.html


毎日新聞

在日ミャンマー人:大使館前で抗議活動…在外投票権求め

ミャンマー大使館前でパスポートを掲げ、抗議活動をするミャンマー人たち=東京都品川区北品川で2008年4月26日午後3時26分、須賀川理撮影
ミャンマー大使館前でパスポートを掲げ、抗議活動をするミャンマー人たち=東京都品川区北品川で2008年4月26日午後3時26分、須賀川理撮影

 ミャンマーの新憲法案の賛否を問う国民投票(5月10日)での投票権を求めて、在日ミャンマー人約150人が26日、東京都品川区のミャンマー大 使館前で抗議活動を行った。警視庁の機動隊ともみ合いになり、東京消防庁によるとミャンマー人とみられる20~50代の男女10人が手や足にけがをするな どして、病院に運ばれた。機動隊員に殴りかかったとして、ミャンマー人とみられる男(41)が公務執行妨害容疑で警視庁品川署員に現行犯逮捕された。

 国民投票を前に日本での在外投票が26日、2日間の日程で始まった。警視庁によると、抗議活動をしたのは、民主化運動などにかかわり在外投票の対 象から外されたミャンマー人らとみられる。抗議は同日朝から始まり、午後、警備の機動隊ともみ合いになったという。【杉本修作】

http://mainichi.jp/select/jiken/news/20080427k0000m040027000c.html

読売新聞

ミャンマー在外投票、大使館前で抗議グループが機動隊ともみ合う

ミャンマー大使館前で警官隊と向き合い、主張を叫ぶ男性ら(26日午後)

 26日午後1時20分ごろ、東京都品川区北品川4の在日ミャンマー大使館前の路上で、ミャンマー人のグループと警視庁の機動隊員がもみ合いになった。

 同庁品川署は自称ミャンマー人の男(41)を公務執行妨害容疑で現行犯逮捕。東京消防庁によると、ミャンマー人の男女8人が腕の打撲などで病院に運ばれた。

 品川署によると、逮捕された男は、もみ合いの際に機動隊員の顔を殴った疑い。

 同大使館ではこの日、軍事政権の新憲法案の是非を問う国民投票の在外投票が行われていた。大使館前には、投票権を与えられなかった在日ミャンマー 人約150人が詰めかけ、抗議していた。同署は、狭い路上で車の通行に支障を来す状態になったため、機動隊員らが移動させようとしたところ、もみ合いに なったとしている。

 集まったミャンマー人には、民主化を求めて国民投票には反対票を投じるつもりだった人が多く、「投票させないのはおかしい」などと訴えていた。

朝日新聞

在外投票権求めたミャンマー人 警察が強制排除

2008年04月27日01時53分

 ミャンマー(ビルマ)の軍事政権が主導する新憲法案の賛否を問う国民投票への投票権を求め、26日朝から東京都品川区のミャンマー大使館前で抗議行動を していた在日ミャンマー人らが、午後に警官隊に強制排除された。その際、1人が公務執行妨害で現行犯逮捕され、東京消防庁によると10人が病院に運ばれ た。

写真

ミャンマー大使館前で警官ともみ合う在日ミャンマー人たち=26日午後1時16分、東京都品川区、筋野健太撮影

 排除されたのは、同国の民主化運動にかかわる在日ミャンマー人ら約150人。大使館が26、27日の在外投票を知らせる対象から民主化運動関係者を除外したため、改めて投票を求めたが、大使館は応じなかった。昼過ぎに警官隊が排除に乗り出し、大使館前の道路を封鎖した。

 新憲法案は軍の権力を維持する内容で、軍政は中身を周知しないまま市民に承認への圧力をかけている。抗議者らは「投票すらさせないのはおかしい」と憤った。

http://www.asahi.com/international/update/0426/TKY200804260267.html

2008/05/04

他者との自己同一化

「確かに、他者との自己同一化、他者と自己を同じ人間として考える態度が、今日では昔より広がっていることは否めない。罪人の打ち首、八つ裂き、車裂きの刑を見物しに行くのが日曜日の娯楽であった時代ははるか昔のこととなった。」

『死にゆく者の孤独』ノルベルト・エリアス

ビルマはこうした「態度」が広がっていない国のひとつだ。軍人たちが非ビルマ民族に対して(大人であろうと子どもであろうと、男性であろうと女性であろうと)行っている蛮行は、この他者との自己同一化の欠如によらずして説明することはできない。

だが、軍事政権に迫害される側の人々(ビルマ民族も非ビルマ民族も)には、そういった態度が身に付いているかというとそうではないのである。

多くのビルマの人々にとっては、自分と異なる民族、自分と異なる信仰を持つ集団、自分と異なる政治的態度をもつ人々が、ときとして自分と同じ他者としてではなく、悪魔や禽獣に近い非人間的存在として立ち現れる瞬間がある。

もっとも、われわれ日本人が北朝鮮人や中国人のことをどのように見なしているかを考えれば、ビルマの人々のことを笑うことはできない。それは、日本人から北朝鮮人や中国人について聞かされた無知な人が、この二つの国の人々が強さと賢さにおいて超人に違いないと逆に結論づけてしまうほどなのである。



2008/05/03

お宮参り

生まれたばかりの子どもがいるビルマ人仏教徒が

「赤ちゃんをお宮参りに連れて行かないと、中学生ぐらいになったら日本人にいじめられると聞いたのですが、本当ですか」

と尋ねてきた。

やさしい入管

2003年10月の「共同宣言」以前、入管と警察は滅多なことでは不法滞在の外国人を捕まえなかったという。幾人かの証言によれば、1990年代はたとえ警察に職務質問されたとしても、パスポートを提示すればすぐに見逃してくれたのだそうだ。

いわゆる「不法滞在外国人の増加」は、外国人ではなく日本人によって生み出されたともいえるのだ。とはいえ、そのツケを支払わされているのは、外国人だけだが。

強制送還されなかった男

2003年10月17日の「首都東京における不法滞在外国人対策の強化に関する共同宣言」以前の話。

あるカレン人の若者が祖国にひとり残した母危篤の報を聞き、帰国しようと思い立った。

外国に滞在するビルマ国籍者は、その国の大使館に毎月収入の一割ほどの「税金」を収めなくてはならない。その税金を納めないと、パスポートの更新をしてもらえないのである。このカレン人はそんな税金など払ったことはなかったし、そもそもいったいどれぐらいの額を滞納しているのかも知らなかった。

そこで、彼はビルマ大使館ではなく入国管理局に行ってこう言った。

「わたしは不法滞在者です。ビルマに帰りたいのですが、どうしたらよいでしょうか」

入管の職員は彼にパスポートの提示を求めた。そして、彼がもっていないのを知ると、入管から追い払った。

入国管理局が職務遂行を怠ったおかげで、彼は帰る機会を失い、今もオーバーステイのまま、日本に暮らしている。ビルマにいる母はとっくの昔にこの世を去り、天涯孤独の身の上だ。

2008/05/02

ZWEGAPIN

在日カレン人活動家の発行しているZWEGAPIN誌のウェブサイト(ビルマ語)をリンクに追加。

報告会

4月27日に池袋で行われたシンポジウム「ビルマ(ミャンマー)東部で何が起きているのか?〜紛争・開発・難民 日英若手専門家の報告」の様子。慣れぬカチンの服を着て、慣れぬ司会を務めさせていただきました。




2008/04/29

在特

難民申請資料作成・翻訳を手伝ったカチン人のDNさん母子が今日、特別在留許可もらう。妻と幼児を残して強制送還された夫は、ビルマを逃げ回った後オーストラリアに逃げ、難民申請中。これで家族3人が一緒に暮らせる日が近づいた。

週末

週末の出来事。

1)26日の大使館の抗議行動で警察・機動隊とビルマ活動家が衝突し一人逮捕、多数が負傷した。
逮捕された活動家は友人。負傷した人々にも多くの友人が含まれていた。このひどい「弾圧」の真相についてはいずれ書く予定。

2)カチン民族機構(日本)の主催したベネディクト・ロジャーズ氏と秋元由紀氏のシンポジウム。これもいずれ報告予定。

アルコール依存症のカレン人の話。

部屋で一人で酒を飲んでいると、外から「あんたのために棺を作ったからオイデ」と言いながらノックする者がいるので、出てみるが誰もいない。不思議に思いながら部屋に帰るが、ノックはしばらく聞こえていた。

依存症の引き起こす幻聴によるものであろう。謎の言葉はビルマ語でなく日本語だったというのが面白い。

同席していた別のカレン人曰く
「よかった。ハイ行きます、って答えていたら死んでいたに違いない」

アルコールと精神障害

アルコール依存症のビルマの友人が入院したとの連絡が入り、都内の病院に行き、医師の先生たちから今後の治療について説明を受ける。

そして、深夜にアラカン人の友人から電話。ある友人の頭がおかしくなったのでどうしたらよいかという相談。尋常でない振る舞いに警察に相談したら、入管に行けと言われたとのこと。港町診療所にまず行った方がよい、という結論に達す。

2008/04/25

母語

難民認定申請書には申請者の母語とそれ以外にできる言語を記す欄がある。

あるカレン人が母語の欄にビルマ語と記した。

そこで「あなたはカレン人だから母語はカレン語ではないのですか」と聞くと、そのカレン人の女性は驚いた顔で答えた。

「マザー・ランゲージを書けと言われたから、ビルマ語と書いたのです。私の父はカレン人ですが、母はビルマ人なのです」

在外投票

軍事政権が自分たちに都合良く作った憲法草案の賛否を問う国民投票が5月10日に行われるが、それに先立ち国外在住のビルマ人の在外投票が各国の大使館で実施される。

日本では品川のビルマ大使館で4月26日(土)、27日(日)の二日にかけて投票が行われ、在日ビルマ人にすでにその旨通知がなされている。

とはいっても、通知は難民や難民申請者には届いていない。ビルマ大使館が投票を認めるのは、有効なパスポートをもつ人、つまり帰国の意思があるとみなされる人々だけだという。

これに対して、在日ビルマ国籍者の活動家や難民は「自分たちの投票権を認めよ」と、投票日に大規模な抗議活動を行う予定だ。

ビルマ市民フォーラムのメーリングリストに流れた声明を引用しよう。

「在日ビルマ人民主化活動家  投票権を求め、在日ビルマ大使館に要請書を提出 (東京) 」

4月22日(火)、在日ビルマ人共同行動実行委員会(JAC、在日ビルマ人の 民主化運動団体31団体の連合体)は在日ビルマ大使館へ憲法草案の賛否 を問う国民投票の在外投票に関する説明ならびに投票権付与を求め、 要請書を提出しました。民主化運動に関わらない一般の在日ビルマ人には 在外投票の案内が手紙で郵送されています。

JACは大使館へ直接要請書を提出したいと希望していましたが、インターホン を何度ならしても全く反応はなく、要請書は大使館の郵便受ポストへ入れました。

大使館の対応を受けて、JACは4月26日(土)および27日(日) 朝8時30分〜午後6時まで、在日ビルマ大使館前で投票権に関する 大使館側の説明を求め抗議行動を行うことを決定しました。

日本のみなさまも、ぜひこの大使館/ビルマ軍事政権の姿に注目して いただきますようお願いいたします。(以上引用)

一方、通知をもらった人々、つまり「投票権を持つ」人々はどうかといえば、まったく困り果てているのだそうだ。

難民申請をしない、あるいは政治活動をしないと言っても、必ずしも軍事政権に賛成しているわけではない。生活上の必要があって、パスポートの更新をしなくてはならない人もいるし、日本人と結婚したものの帰化が認められないから仕方なくビルマのパスポートをもっている人もいる。国に残した家族・親族のことを心配して表立って声を上げないだけだ。

だから、もちろん軍事政権の憲法など拒否したい。いや、投票なんて行きたくない。では棄権するか、と、送られてきた通知を見る。4桁の番号が書いてある。しかも、投票にさいしてはパスポートとこの通知をもってくるべし、などと記されている。ということは、誰が棄権したかばっちりわかる仕組みなのだ。となると、棄権したら、政府に睨まれ、今後のパスポートの更新に支障が生ずるかもしれない。

では行くだけ行って、思い切って反対の票を投じたらどうか。いや、それこそ一番やってはイケないことだ。きっと、国に残した家族が虐待される。投票の秘密を守るなんて立派なことができる政府なら誰もこんな苦労はしない。

とどのつまりは、賛成という選択肢しかない。軍事政権が永久に続くように賛成の票を泣く泣く投ずるほかないのだ。だが、それだけは絶対にしたくない。

と、こんな風に心ある「有権者」たちはいま絶体絶命のジレンマに追い込まれているというのだ。ある人はなんとか「入院中」ということで切り抜けられないかと、思案したほどだ。

もちろん大使館前でデモを準備している活動家たちも同じ国の人々が困っているのは熟知している。そこで、こんな名案が生まれた。

つまり、投票日には投票権を求める活動家たちが大使館の入り口に並び「自分たちを中に入れない限り、誰も入れない」と頑張るのだという。したがって、投票権を持つ人々は後ろの方に並ばざるをえないから、自分たちが入れるか入れないかは、大使館が活動家と難民たちの投票を受け入れるか如何にかかっていることになる。

デモ参加者たちが投票できるならば、後からついていって投票すればよい。デモ参加者たちが閉め出されるならば、入ることはできない。入ることができないのだから、投票はできない。いくらしたくても、いくらしたくなくてもそれは関係ない。すべては大使館側の決断に委ねられた。かくして投票権を持つ人々は窮地を脱することになる。

軍事政権の支配のやり口のひとつが分断である。今回は通知を送るか送らないかで、在日ビルマ人社会を分断しようとした。これに対して、在日ビルマ民主化活動家たちは、投票権を持つ人々の現状をも考慮にいれ、分断された状況を逆手に取って、ひとつの連帯を生み出す運動へと見事に転化してみせた。これは、明日、実際にこれがうまくいくかも含めて、面白いことだ。

2008/04/13

Arakan Forward

リンクにArakan Forwardを追加。フラエーマウン(Hla Aye Maung)さんはアラカン民族の活動家。

KNO-Japan


カチン民族機構(日本)(KNO-Japan)のミーティングに参加。ベン・ロジャーズさん来日の件について話し合いが行われました。

今回のプロジェクトには、招聘費用等かなりのお金がかかりますが、100人以上いるメンバーでなんとかカバーできそうとのこと。

「みんなが一生懸命皿洗いして作ったお金を無駄にしないように頑張ろう」と、事務局長のアジのある言葉。

2008/04/11

ビルマの宗教の自由のための特別礼拝

Prayer For Religious Freedom of Burma
「ビルマの宗教の自由のための特別礼拝」のご案内

ビルマ軍事政権によるキリスト教徒迫害に関する初の全体的報告書『十字架を担いて(仮題)』の日本語版出版と、著者のベネディクト・ロジャーズさんの来日を記念して、以下の要領で特別礼拝を行います。ビルマの宗教の自由、人権問題、ビルマ民主化に関心のある方、アジアのキリスト教に興味のある方はぜひご参加ください。

ベネディクト・ロジャーズ
人権問題に取り組む国際的な非政府組織(NGO)クリスチャン・ソリダリティ・ワールドワイド(CSW)の政策提言オフィサー(南アジア担当)。英国保守党人権委員会の副議長も務める。ビルマ(ミャンマー)を中心に、パキスタン、スリランカなどを頻繁に訪れ、人権状況についての実態調査を行う。なかでも内戦状
態にあるビルマの民族地域への訪問回数は数十回におよび、特に難民・国内避難民が数十万人も出ている東部地域の惨状に詳しい。

目的:
ビルマ軍事政権による宗教迫害、民族迫害により多くの非ビルマ民族(カチン人、チン人、カレン人など)が日本に逃れ、難民として暮らしています。低賃金労働者として日本の経済を支え、日本社会による差別に傷つきながら、それぞれの民族が独自のコミュニティと宗教活動を育んできました。チン人難民である牧
師のメッセージを通じて、今回の礼拝がビルマの宗教迫害、日本で難民の直面する問題、そしてアジアの中のキリスト教について理解を深める機会になればと思います。

当日は在日ビルマ難民、キリスト教徒の方々も参加します。宗教迫害やビルマの現状について生の声を聞ける好機です。

内容:
難民として日本に逃れてきたビルマ国籍チン民族牧師(ペンウクタンさん)による礼拝とベネディクト・ロジャーズさんからのメッセージ。

日時:2008年4月29日(祝)正午より2時30分まで

場所:
新宿区立新宿消費生活センター4階会議室
新宿区高田馬場4−10−2 電話(03)3365−6100
JR山手線高田馬場駅下車
(地図http://www.city.shinjuku.tokyo.jp/map/recycle_center.htm

参加費:無料

参加者:宗教・宗派を問いません。無宗教の方ももちろんご参加ください。

主催:カチン民族機構(日本)KNO-Japan、ビルマ国境ニュース

連絡先: 090-4076-6579(KNO-Japan)

報告会のお知らせ


ビルマ(ミャンマー)東部で何が起きているのか?
〜紛争・開発・難民  日英若手専門家の報告
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日時:2008年4月27日(日) 午後6時〜8時半 

場所:豊島区民センター(コア・いけぶくろ)6階文化ホール
http://www.toshima-mirai.jp/center/a_kumin/
豊島区東池袋1-20-10
電話 03-3984-7601
JR山手線池袋東口下車徒歩約5分

■講師:
ベン・ロジャーズ
(クリスチャン・ソリダリティ・ワールドワイド政策提言担当オフィサー、英国保守党人権委員会副議長)

秋元由紀
(米国弁護士、ビルマ情報ネットワーク/特定非営利活動法人メコン・ウォッチ)

■参加する場合は

*事前申込みは不要
*参加費: 500円

■主催・問い合わせ: カチン民族機構(日本)
090 4076 6579 (日本語可)

■協力(4月2日現在):
在日ビルマ連邦少数民族協議会(AUN)、ビルマ市民フォーラム、
社団法人アムネスティ・インターナショナル日本、
特定非営利活動法人メコン・ウォッチ

ビルマ(ミャンマー)で昨年8〜9月にあった大規模なデモ行進、そして軍事政権による弾圧から半年がたちました。

アウンサンスーチー氏率いる民主化勢力と軍政との対立構図の影に隠れがちなのが、ビルマの民族問題です。ビルマは多民族国家で、人口の3割以上が非ビルマ民族(カレン、カチン、シャン、カレンニー、
チン、モン、アラカンなど)です。

ビルマ軍政は国家予算の約半分を軍事費に充てており、国軍の規模は東南アジア最大級へと膨れあがっています。そしてその軍事力は、自国内にのみ、とりわけ民族居住地域と民族住民に集中的に向けられているのです。国軍の侵攻により、ビルマ東部だけで3000以上の村が破壊され、強制労働、強制移住などにより150万人以上の生活が奪われています。

こうした民族に対する迫害政策の資金源は天然ガスなどの資源です。ビルマでの資源開発に、日本の私たちも無縁ではありません。

「ビルマ(ミャンマー)東部で何が起きているのか? 〜紛争・開発・難民 日英若手専門家の報告」では、ビルマ東部地域の惨状に詳しいベン・ロジャーズ氏を招き、難民・国内避難民が数十万人も出ている背景について話していただきます。また、民族居住地域に集中する天然資源と環境破壊や人権侵害の密接な関係について、専門家の秋元由紀氏から聞きます。


■講師プロフィール

ベン・ロジャーズ氏
人権問題に取り組む国際的な非政府組織(NGO)クリスチャン・ソリダリティ・ワールドワイド(CSW)の政策提言オフィサー(南アジア担当)。英国保守党人権委員会の副議長も務める。ビルマ(ミャンマー)を中心に、パキスタン、スリランカなどを頻繁に訪れ、人権状況についての実態調査を行う。なかでも内戦状態にあるビルマの民族地域への訪問回数は数十回におよび、特に難民・国内避難民が数十万人も出ている東部地域の惨状に詳しい。

若手専門家として英米の議会関係者や国連に豊富な人脈を持ち、英国議会議員や英国外務省、EU、国連人権理事会、米国議会議員などに現地調査を元にした最新情報の提供を行っている。また新聞や雑誌への寄稿や、テレビやラジオにも定期的に出演するかたわら、ホワイトハウス、イギリス保守党大会、ヘリテージ財団などで講演するなど幅広く活動する。今回、在日ビルマ人の民族団体の招きで初来日する。

秋元由紀氏
米国弁護士、ビルマ情報ネットワークのディレクター(共同)。米ニューヨーク州の弁護士資格を取得後、海外での営業活動を通じて起きた人権侵害について企業の責任を問うユノカル(現シェブロン)訴訟などの原告弁護団に参加。現在はビルマに関する情報を日本語で作成、配信するビルマ情報ネットワークで「きょうのビルマのニュース」「今週のビルマのニュース」などを担当。また特定非営利法人メコン・ウォッチでビルマでの開発事業のモニタリングや政策提言も行う。

2008/04/10

タイトル写真

2004年6月4日、タイ・ビルマ国境の農村地帯をカレン人難民の若者と一緒に旅したときの写真。

ビルマから来たたくさんの移住労働者たちが、タイの農村で小作人として働いています。