2008/06/25

スパイの話(1)

6月15日に高田馬場でカレン人たちの集会が行われ、そこで在日カレン人難民Tさんがカレン人参加者を前に「日本人の中にはスパイがいるから、お前たち気をつけろ」といったそうだ。

具体的にはこのスパイがどんな活動をしているのかは知らないが、Tさんがカレン人のことは日本人には教えるな、と言ったからには、この不敵な日本人はおそらくカレン人の政治活動に対する破壊工作を展開しているものと見られる。

この日本にそんなスパイなどいるわけない、と思う方もいるかもしれない。だが、日本で最初に難民として認定されたカレン人であり、国民民主連盟解放区日本支部の副事務局長(2)まで務めたことのある人物が言うのだから、間違いない。

まったくけしからん話である。だが、Tさんの知るところとなったからには、大丈夫、カレン民族を分裂させ、ビルマ民主化を妨害するこの人物の命はもはや風前の灯といってよかろう。

ただ、ひとつ残念なのは、このTさんが名指ししたスパイの名が、不思議にもぼくと同じであったことだ。

Tさんとは10年以上の付き合いがあり、一緒に難民支援活動もしたこともあるし、一緒にタイ・ビルマ国境地帯へ旅をして、カレン人の会議に参加したこともある。そればかりでなく、個人的なことでもいろいろ手伝ったこともある。

だから、ぼくとしてはあまり信じたくはなかったが、この会議に参加した4人のカレン人がそう教えてくれたからには、何かがあったと思わざるをえない。

そこで、ぼくは実際にTさんに電話して聞いてみることにした。
(いいところで続く)

2008/06/20

和食ファン

実家が裕福にもかかわらず日本に働きにきていた20代のカレン人を指して、滞日歴15年の40代のカレン人が言った。

「こいつは日本にちょっとサシミを食べにきたんだよ」

2008/06/19

カチンの老人の話

日本で難民認定された娘夫婦に20年ぶりに会うため、カチンの老人が日本にやってきた。

80歳になんなんとする(実年齢は本人にもわからない)今でもビルマで畑仕事を続けているこの老人、日本で娘夫婦の家に厄介になっている生活がものたりない。

早くビルマに帰国して畑に行きたいが、サイクロンの後のビルマは、物価高、食料不足。しかも衛生状態も悪化するばかり。せめて3ヶ月のビザが切れるまでは、と家族に懇願されては帰るに帰れない。

そこである日の夕食中、婿にこう言った。

「働かずに世話になりっぱなしというんじゃ、どうにもわしは落ち着かん。日本では90歳、100歳超えても社長をしているというではないか。お前の職場で働かしてくれんかな。この通り体は丈夫、何でもできるぞ」

婿はただうつむいて、黙るばかり。いつもは2杯食べるご飯も、1杯しかのどを通らない。

老人にはもうひとり日本で難民として暮らす娘がいた。それで今度はその娘の婿に言う。

「お前の働いている工場で、わしを働かせてくれんかな」

その婿は、姉の婿ほど控え目ではなかったので思わずこう言い返した。

「お義父さん、もしわたしたちがあなたを働かせたら、わたしたちは恥ずかしさのあまり、死んでしまいますよ!」

2008/06/18

性的暴行事件(チン州)

チン人の10代の少女2人、軍政関係者に強かんされる
(在日チン民族協会と協力して作成したものを転載)

チン人の立場からビルマ軍事政権を告発するメディア、Khonumthung News Groupが2008年6月17日に報じたところによれば、チン人の十代の少女2人が、ビルマ政府関係者により強かんされたという。

事件を起こしたのは、第268軽歩兵大隊のソータイッアウン少佐と、チン州タントラン郡裁判所の法律家ウ・ミィンポン。この2人は6月8日午後4時ごろ、タントラン郡の13歳と14歳の2人の少女を、ミィンポンの自宅で強かんし、そのまま監禁した。

被害者のひとりの父である警察官が当局に訴え出たことにより、被害者は救出され、犯人は逮捕された。

ウ・ミィンポンとソータイッアウン少佐は、タントランとハーカーの警察署にそれぞれ拘束されている。

被害にあった少女のひとりは、性的暴行によりひどく負傷しハーカーの病院に入院しているとのこと。

ニュースのソース
Khonumthung News Group: http://www.khonumthung.com/
Two Chin teenaged girls raped in Burma: Rapists arrested

ある大工の話

ヤンゴンのインセインは、悪名高いインセイン刑務所のある地区だが、カレン人キリスト教徒の居住地としても知られている。そのインセインの一角ににひとりの若い大工が暮らしていた。

ある日、ボーガレーの教会で牧師として働いている親戚が彼の家にやって来て、言った。

「教会の建物が古くなってね。ボーガレーに来てもらえないか。あちこち修理してほしいんだ」

たまたま仕事がなかったので、大工はこの依頼を引き受けることにし、牧師とともにボーガレーに行って教会の改修に取りかかった。

サイクロンがやってきたのはその2日後のことだ。

インセインに残された家族は、大いに大工の身を案じるが連絡のとりようもない。2日、3日と経ち、ボーガレーの惨状が伝わるにつれ、家族はすでに大工が死んだに違いないと考えはじめていた。

しかし、4日後に大工は家族のもとにひょっこり帰ってきた。家族は非常に喜んだが、やがて彼の様子がおかしいのに気がついた。何を聞いても一言もしゃべらない。黙りこくったまま、涙を流している。

1日中、大工は無言で泣いていた。そして、その次の日も。頭がおかしくなったのかもしれない、と周りの者たちが思いはじめた3日目になって、大工は大声を上げて泣き、自分が見たものを語った。

彼は村人たちが溺れ死んでいくのを見た。激しい風と濁流が村を襲った時、真っ先に水に飲まれていったのは子どもと女たちだった。子どもを守ろうとして木に縛り付ける者もいた。だが、木そのものが水に押し倒されるのをどうすることもできなかった。

大工が助かったのは、教会に逃げ込んだからだった。50人ほどの村人がそれで命を救われたという。ヤシの木にしがみついてなんとか生き延びた者もいた。牧師もその一人だったが、彼は自分の妻子を失った。

サイクロンが去った後、村に残されたのは無数の溺死体だった。とはいえ、それらはみんな、どこか別の村から流されてきた見知らぬ遺体で、村人たちの遺体はどこにも見当たらなかった。

牧師には身内の死を悲しむ暇などなかった。彼は生き残った者たちとともに、死者たちの埋葬に取りかかった。大工もひたすら穴を掘り続けた。それですぐに帰ることができなかったのだ。

この話は、ある在日カレン人難民から聞いたものだ。話をしてくれた難民と主人公の大工は親戚関係にある。

村の牧師によれば、650人の村人のうち、250人が死亡もしくは行方不明となったそうだ。

不吉な夢

カレン民族同盟(KNU)は、ビルマ人の圧政からカレン人を解放するために、半世紀以上もの長きにわたり歴代のビルマ政府と戦ってきた。盛時の勢いはないとはいえ、現在もタイ・ビルマ国境のカレン人居住地域で一定の勢力を保っている。

そのKNUのある中堅幹部が夢を見た。

キリスト教徒である彼は、毎週教会に行き、礼拝に出席してきたが、今日だけはどうしても行く気がしない。なんとなく不安を感じるが、妻がせき立てるので、行かざるをえない。

教会に着くと、まだ礼拝のはじまる前。そうだ、賛美歌の練習をしなくてはならない、と彼はピアノの前に座り、演奏する。

信徒たちはそれにあわせて歌を歌うが、その中に見知らぬカレン人がいる。よそ者はカメラを持っていて、彼の写真を撮り、また携帯電話で何かを話している。

妙に気になる。そして、彼は急に恐ろしくなる。すると、ヤクザのようななりをした巨漢のタイ人がバイクで教会に乗り付け、駆け込んでくる。

どうしてだかわからないが、彼は不意に悟る。そのタイ人が自分を射殺しようとしていることを。彼は席を立って、別のところに移ろうとする。

だが、タイ人は彼めがけて走ってくる・・・

今年の2月14日、KNUの実質的なNo.1であったパドー・マンシャ事務総長が敵対するカレン人によって射殺された。中堅幹部が見た夢に、この2月の暗殺事件を読み取るのは容易である。だが、どうしてタイ人が暗殺者として登場するのかはわからない。

もっとも、夢解きが主題なのではない。この夢に横溢する恐怖こそ、この記録の主眼である。

その恐怖は、ニュースにもならず、それゆえ理解されることもあまりないが、軍事政権のスパイと刺客が跋扈し、無法行為が横行する現在のタイ・ビルマ国境で暮らすカレン人政治活動家たちが、程度の違いこそあれ日々感じているものなのである。

2008/06/15

JAC参加団体

JAC( 在日ビルマ人共同実行委員会(Joint Action Committee of Burmese Community in Japan)というのは、在日ビルマ民主化活動団体のほとんどが参加している組織で、昨年のビルマでの僧侶を中心としたデモ活動を受けて、結成された団体だ。

31の団体のうち、非ビルマ民族の組織は14あり、日本で活動する非ビルマ民族組織のほとんどが含まれている(入っていないのはおそらくひとつだけ)。

以下は、JACのウェブサイトに掲載されている参加団体のリストであり、順番はそれに従っている。非ビルマ民族の組織は7から20番までだ(イタリック・太字で示した)。

JACのウェブサイトに記されている非ビルマ民族組織の日本語名称には、正式名称ではないものや、慣用とは異なるものがあり、それを修正したものが以下のリストである(もっともそれでも誤りはあるかもしれませんが)。

1.国民民主連盟(解放地区-日本支部)
National League for Democracy (Liberated Area) Japan Branch, NLD (LA) JB
2.ビルマ民主化同盟 League for Democracy in Burma, LDB
3.ビルマ民主アクショングループ Burma Democratic Action Group, BDA Group
4.全ビルマ学生連盟(国際委員会)
All Burma Federation of Student Union (Foreign Affairs Committee), ABFSU(FAC)
5.新社会民主党 Democratic Party for a New Society-Japan Branch, DPNS-JPB
6.ビルマ民主連合 Democratic Federation of Burma, DFB

7.民族民主戦線(日本代表) National Democratic Front (Burma), NDF-B, Representative for Japan

8.カチン民族向上の会 Kachin National Uplift Society, KNUS


9. カチン州国民民主議会党(解放地区-日本支部)

Kachin State National Congress Party for Democracy (Liberated Area−Japan Branch), KNCD (LA-JB)

10. カチン民族機構-日本 Kachin National Organization-Japan, KNO-Japan


11.海外カレン機構(日本) Overseas Karen Organization (Japan), OKO-Japan


12.カレン民族同盟(日本支部) Karen National Union (Japan), KNU-Japan


13. 在日カレン民族連盟 Karen National League (Japan), KNL-Japan


14.在日チン民族協会 Chin National Community (Japan), CNC-Japan


15. 在日ナガ民族協会 Naga National Society (Japan), NNS-Japan


16. 在日パラウン民族協会 Palaung National Society (Japan), PNS-Japan


17. 在日プンニャガリ・モン民族協会 Punnyagari Mon National Society (Japan), PMNS-Japan


18. アラカン民主連盟(亡命・日本) Arakan League for Democracy (Exile-Japan), ALD (Exile-Japan)


19. 在日シャン民族民主連盟 Shan Nationalities for Democracy (Japan), SND-Japan


20. 在日シャン州民族民主連盟 Shan State Nationalities for democracy (Japan), SSND-Japan


21. ビルマ女性連盟日本代表 Burmese Women Union, BWU, Representative for Japan
22.ビルマ労働組合連盟 Federation of Trade Union – Burma, FTUB
23.在日ビルマ市民労働組合 Federation of Workers Union of the Burmese Citizen in Japan, FWUBC
24.在日ビルマ人ホテル・レストラン労働組合 
Hotel and Restaurant Workers’ Union of Burma, HRWUB
25.ビルマ船員組合日本代表 Seafarers’ Union of Burma, Representative for Japan
26.人的資源発展プログラム Human Resources Development Program, HRDP
27.アハラ・ジャーナル Aahara Journal
28.アリンアイン・マガジン Aalinneain Magazine
29.ティッサー革命マガジン Thitsar Revolation Magazine
30.ビルマ愛国戦友会 Patriotic War Veterans of Burma, PWVB/Japan
31.ビルマ連邦国民評議会日本代表(NCUB 日本代表)
National Council of Union of Burma (NCUB), Representative for Japan

真のビルマ連邦のための歴史的合意集

「真のビルマ連邦のための歴史的合意集」

ビルマ民主化のためには非ビルマ民族の権利を保障する連邦制の確立が不可欠です。ビルマ独立の基礎となった「パンロン合意」をはじめとする6つの歴史的合意・宣言を特設サイトにまとめました。

2008/06/09

アイヌ、ジュマ、ビルマの先住民族・マイノリティとともに

6月15日(日)に行われるイベント「アイヌ、ジュマ、ビルマの先住民族・マイノリティとともに〜首都圏のアイヌ、滞日外国人の中の先住民族との出会い2008〜」で、在日チン民族協会(CNC-Japan)の会長、タン・ナンリヤンタンさんが、ビルマの先住民族チン人のひとりとしてスピーチを行う予定です。

イベントの詳細については以下をご覧ください。

http://alertwire.jp/read.cgi?id=200805121605241

「ビルマ国境ニュース」はこのイベントそのものとは関係ありませんが、タン・ナンリヤンタンさんが当日会場で配布する資料の作成にかかわったので、ここに一応ご案内する次第です。

2008/06/07

品川入管にて

6月6日、あるビルマ人が入管に出頭することになり、同行した。入管の3階で書類を手渡した彼は、ほどなくして7階に連れて行かれた。

ぼくたちは3階で待ち続けていた。ずっと上の階にいる彼はいま自分の難民申請の判定結果を入管職員から聞かされているはずだった。結果次第によっては、彼はそのまま収容される可能性があった。

彼の保証人であるビルマ人もやってきていて、待っている間に少し話をした。

「昨日、彼と一緒だったんだけど、ひとりでぼーっとして、何にもしゃべらない。かわいそうに」

「前に収容されていたことはあるんですか」

彼はうなずき、イギリスやアメリカの例を出して日本の入管政策を批判した。

いつどのように収容が決まるのか、その収容期間はどれくらいになるのか、どのような基準で難民の認定・不認定が決まるのか、どうして保証金の額が時期によって違うのか・・・これら数多くの謎から判断する限り、入管はまったく気まぐれで働いているとしか思えない、というのが彼の見解であった。

「入管のポスターにありますよね、『ルールを守って国際化』って。そう言う入管自体にはルールがないのですよ」と彼は笑った。

3階で待ち始めてから一時間以上過ぎた頃、この保証人の携帯電話が鳴った。彼はビルマ語で話し、電話を切ると、ぼくたちに告げた。

「彼から。今日はここに泊まる、だって」

2008/06/05

追悼礼拝

6月1日、在日カチン人姉妹の母がビルマで亡くなり、その追悼礼拝が新宿区の教会で行われた。


姉妹はともに難民としてビルマから日本に逃れてきた。姉のほうは1年前に難民と認定され、妹は現在、審査の判定待ちの状態。いつか2人そろってタイに行き、母との再会を、と結果を待ち望んでいたが、ついに間に合わなかった。

現在日本にいる難民の多くは1988年の民主化運動前後にビルマを脱出した人々だ。そのため、20年近くも、両親と、夫と、妻と、子どもと会うことのできない人もいる。

難民であるということは、家族関係、人間関係が、程度の差こそあれ損なわれているということなのである。

しかし、難民の家族関係、人間関係といったものが日本の難民政策の関心となったことはないようだ。もっぱら何をしているかというと、難民認定・不認定の決定、そして認定後の日本社会への「同化」にばかり力を入れている。

丁度ひよこのオスメスの仕分けに精を出すようなものだ。このあじけなさでは「難民であることにより破壊されてしまったなにか」はいつまでたっても回復しないに違いない。

これは結局、「同化」される側の日本社会が、その構成要素である人間をどう見ているか、の反映でもある。つまりわれわれはひよこの一種なのであり、卵を生むか産まないかが唯一にして重要な分別条件なのだ。

訂正など

在外投票事件に関していくつかの追加情報。

1)訂正
「ある女性の証言(3)」で、馬乗りになった警官に殴られているビルマ人男性が、この日逮捕された人であるかもしれない、としたが、実際にこの日逮捕されたAさんと話した結果、このような事実はないとのことであった。おそらくこの女性は別の男性が殴られているのを見たのであろう。

なお、Aさんはこの日、公務執行妨害で逮捕されたのだが、彼によれば、自分が警官を殴ったり、小突いたりしたことはなかった、そもそももみ合いの中、身動きすらとれなかった、と語った。

2)参事官
「ある女性の証言(2)」で、大使館から出てきた男性は、参事官であり、在日ビルマ民主化活動家の投票権の要求について「考えてみる」といったんは答えたらしい。

3)3人の女性職員
「ある女性の証言(2)」に登場する3人の女性の職員(日本人であるとのこと)と活動家との激しい問答が、警察の介入につながった、という見方は、かなりあたっているようだ。

4)医療費
以前の投稿で事件の後、病院に担ぎ込まれた人のうち何人かの治療費を警察が支払った、と書いたが、ある日本政府関係者によれば、そのようなことはあり得ないという。確かに、税金を使うことになるのだから、品川警察といえども、簡単には代わりに支払えないだろう。だが、そもそも、治療費がかかるようなことをしなければよいのだ。

2008/06/03

ビルマ民主化の中のソウ・バティンセイン

6月1日の行われたソウ・バティンセイン追悼集会で、参列者の1人として演説を求められた時、僕はその場にいる日本人の方々へ、彼の死が、カレン人にとってだけではなく、ビルマの人々すべてにとってどのような意味を持つかを、できるだけ解説したほうがよいと感じた。

それで、実際そうしたのだが、あまり首尾よく行かなかったし、そもそも日本人もあまりいなかったので、ここにその「解説」を書いておこうと思う。


ビルマ民主化のために具体的道筋として、多くのビルマの政治活動家(特に非ビルマ民族の)と国際社会によって広く支持されているのはいわゆる「三者間対話」だ(国連総会ではこの三者間対話を促す決議がなされている)。

この三者とは、

1)ビルマ軍事政権
2)アウンサンスーチーさん率いる国民民主連盟
3)非ビルマ民族(少数民族)組織

である。

これらの三勢力の協議なくして、ビルマの民主化はありえない、という考えは、ビルマの問題の解決には、国民民主連盟だけでなく、非ビルマ民族組織の参加も不可欠であるという認識に基づいている。

つまり、あるカレンニー人の政治家が語ったように「ビルマの民主化と非ビルマ民族の問題は二つの車輪」なのであり、どちらか一方だけでは前進しないということだ。

だが、この三者間対話にはあやふやな部分がある。軍事政権にしても国民民主連盟にしても具体的な組織の名称であるのに、非ビルマ民族組織もしくは少数民族組織という名の組織はない。つまり三者の内のひとつは、個々の非ビルマ民族組織を指すのか、それともすべての非ビルマ民族組織を取りまとめる別の組織を指すのか、明確ではないのだ。

こうした状況のなか、非ビルマ民族の政治団体と武装組織は、この三者間対話を進めるためにできるだけ包括的に非ビルマ民族の声を代弁する組織が必要だと考えた。

それが、2004年1月に結成されたビルマ連邦少数民族評議会(Ethnic Ntionalities Council [Union of Burma])であり、このENCは三者間対話における非ビルマ民族の代表となるべく活動を続けている。

ソウ・バティンセインは、カレン民族同盟(KNU)議長であるから、カレン人にとっては非常に大きな存在であった。

だが、いっぽう彼はまた、このENCの議長でもあった。つまり、彼は三者間対話の内のひとつの代表という立場であったのであり、そうした人物が亡くなったのである。

だから、彼の存在はカレン人のみならず、すべての非ビルマ民族、すべての民主化活動家・組織にとって重要な意味を持っていた。

だからこそ、6月1日の彼の追悼集会に、カレン人の政治組織だけでなく、カチン、チン、アラカン、シャン等の非ビルマ民族政治組織と国民民主連盟等の民主化団体が集ったのであるが、この辺りの事情は日本人の間ではあまり知られていないようだ。

朝日新聞(5月24日朝刊)に、ソウ・バティンセインの死を報じる短い記事が掲載されたが、それは彼の死をもっぱらカレン人の反政府活動の中でだけ捉えるもので、現在の非ビルマ民族の政治活動全体の枠組みから見たものではなかった。

記事では彼の死がKNUの弱体化と結びつけられている。だが、KNUの弱体化はいまにはじまったことではない。

むしろ、彼の死がKNUを超えた場所でも重く受け止められているという事実のほうが重要なのではないだろうか。

それは、いうならば非ビルマ民族全体の協力関係の進展、政治活動の深化を意味するのである。

2008/06/02

ソウ・バティンセイン追悼集会

6月1日、池袋にてKNU-Japanが主催したソウ・バティンセインKNU議長追悼集会の様子。