2008/06/03

ビルマ民主化の中のソウ・バティンセイン

6月1日の行われたソウ・バティンセイン追悼集会で、参列者の1人として演説を求められた時、僕はその場にいる日本人の方々へ、彼の死が、カレン人にとってだけではなく、ビルマの人々すべてにとってどのような意味を持つかを、できるだけ解説したほうがよいと感じた。

それで、実際そうしたのだが、あまり首尾よく行かなかったし、そもそも日本人もあまりいなかったので、ここにその「解説」を書いておこうと思う。


ビルマ民主化のために具体的道筋として、多くのビルマの政治活動家(特に非ビルマ民族の)と国際社会によって広く支持されているのはいわゆる「三者間対話」だ(国連総会ではこの三者間対話を促す決議がなされている)。

この三者とは、

1)ビルマ軍事政権
2)アウンサンスーチーさん率いる国民民主連盟
3)非ビルマ民族(少数民族)組織

である。

これらの三勢力の協議なくして、ビルマの民主化はありえない、という考えは、ビルマの問題の解決には、国民民主連盟だけでなく、非ビルマ民族組織の参加も不可欠であるという認識に基づいている。

つまり、あるカレンニー人の政治家が語ったように「ビルマの民主化と非ビルマ民族の問題は二つの車輪」なのであり、どちらか一方だけでは前進しないということだ。

だが、この三者間対話にはあやふやな部分がある。軍事政権にしても国民民主連盟にしても具体的な組織の名称であるのに、非ビルマ民族組織もしくは少数民族組織という名の組織はない。つまり三者の内のひとつは、個々の非ビルマ民族組織を指すのか、それともすべての非ビルマ民族組織を取りまとめる別の組織を指すのか、明確ではないのだ。

こうした状況のなか、非ビルマ民族の政治団体と武装組織は、この三者間対話を進めるためにできるだけ包括的に非ビルマ民族の声を代弁する組織が必要だと考えた。

それが、2004年1月に結成されたビルマ連邦少数民族評議会(Ethnic Ntionalities Council [Union of Burma])であり、このENCは三者間対話における非ビルマ民族の代表となるべく活動を続けている。

ソウ・バティンセインは、カレン民族同盟(KNU)議長であるから、カレン人にとっては非常に大きな存在であった。

だが、いっぽう彼はまた、このENCの議長でもあった。つまり、彼は三者間対話の内のひとつの代表という立場であったのであり、そうした人物が亡くなったのである。

だから、彼の存在はカレン人のみならず、すべての非ビルマ民族、すべての民主化活動家・組織にとって重要な意味を持っていた。

だからこそ、6月1日の彼の追悼集会に、カレン人の政治組織だけでなく、カチン、チン、アラカン、シャン等の非ビルマ民族政治組織と国民民主連盟等の民主化団体が集ったのであるが、この辺りの事情は日本人の間ではあまり知られていないようだ。

朝日新聞(5月24日朝刊)に、ソウ・バティンセインの死を報じる短い記事が掲載されたが、それは彼の死をもっぱらカレン人の反政府活動の中でだけ捉えるもので、現在の非ビルマ民族の政治活動全体の枠組みから見たものではなかった。

記事では彼の死がKNUの弱体化と結びつけられている。だが、KNUの弱体化はいまにはじまったことではない。

むしろ、彼の死がKNUを超えた場所でも重く受け止められているという事実のほうが重要なのではないだろうか。

それは、いうならば非ビルマ民族全体の協力関係の進展、政治活動の深化を意味するのである。