2009/01/26

第61回カチン州の日(第3回 論評) 

新たな文化、創造しはじめた在日カチン人
この2年ほどの間に在日カチン人の多くが難民として日本での在留を認められたが、その分、政治運動としての必死さがなくなって、活動にあまり人が集まらなくなっている、などと言う話(もっとも同じことはビルマ人など他の民族の団体にも起きている)を聞いていたので、今年の「カチン州の日」はどうなることかと思っていたが、ふたを開けてみれば今まで以上に充実したプログラムとなっていた。

とはいえ、規模が大きくなった、とか、人が増えた、とか、やたらと派手になった、とかそんな意味の充実ではない。その点では去年とたいして変わりはない。また、プログラムの見た目もさしたる変化はない。演説にせよ、ビデオ・レポートにせよ、歌や踊りにせよ、去年の祝典にもあった。

ただ、それら個々の演目の洗練度、あるいは深みというものが格段に上回っているように思えた。たとえば、上映されたビデオにしても、しっかりした日本語字幕、ナレーションがつくなどして、通訳・司会をされていた田辺さんを感動させていた。

カチン人の団結を説く「決裂しないで」、カチン人の迫害をうたう「近代奴隷人生」、日本語を織り交ぜた「J&J(カチンと日本)」など、去年には聞いたことがない新作オリジナル・ソングも披露されたが、これも音楽好きのカチン人が本領を発揮したという感じだ。

豊島公会堂で祝典を開くのは今年で3回目だから、もちろんその分、プログラムや運営の質が向上するのは当然だが、この充実ぶりはそれだけではないように思う。

おそらくこれは、日本にいるカチン人たちの活動が、日本社会の中で難民としての地位を確立するという第1段階から、在日カチン人として新たな文化を創造していくという新たな段階に入ったからではないだろうか。

軍事政権のもと文化的発展を押さえ込まれてきたカチン人が、日本で堂々と自らの文化を育みはじめる、これは日本人としてはとてもうれしいことだ。