2009/02/27

ビルマとは違う

あるカチン人が難民と認められず、その場で入管に収容された。

折も折、息子に会おうと来日していた老母、収容の報を聞くや否や、周囲の者を急かして曰く、「さあ、ありったけのお金をかき集めて!」

こういう時は当局に賄賂を贈るのが一番。政府による迫害に長年さらされてきた人々の「知恵」である。

別の同様な話。

やはり日本滞在中に息子が入管に収容された老母、「釈放されるよう祈りましょう」という牧師に反論して、「祈りよりもお金」と。

2009/02/25

2009年2月20日UNA声明

2009年2月20日 ビルマ国内で活動する12の非ビルマ民族政党の連合であり、1990年の総選挙において67の議席を獲得した少数民族統一同盟(統一民族同盟、少数民族連合とも)United Nationalities Alliance (UNA) が声明を発表した。

軍事政権が行おうとしている2010年の選挙を巡って、これに参加すべきかどうか、これまで非ビルマ民族政治組織の間で議論がなされてきた。基本的には参加するべきではないという立場が主流だが、なかにはこれを国を変える好機とみなし積極的に参加すべきだと考える人もいる。

また、選挙そのものには反対であるにしても、選挙に参加しなかったがため、その後の政治の流れにおいて影響力を失うのではないかと危惧する人々もいる。

今回のUNA声明は選挙への参加をはっきりと拒絶するものだが、国内の政治組織によるものだけに、影響も大きいのではないかと思う。

その日本語要約と英文(原文)は次のとおり。


少数民族統一同盟(UNA)
ビルマ、ラングーン
2009年2月20日

軍事政権による2010年選挙を拒否し、
国民和解とビルマ(ミャンマー)民主化を求める
特別声明

(1) 軍事政権、国民民主連盟(NLD)、非ビルマ民族の代表とによる三者協議こそが、ビルマの問題を解決する唯一の手段である。

(2) しかしながら、軍事政権はこの要求を無視し、2008年の国民投票によりまやかしの憲法を採択し、さらに2010年にはやはりまやかしの選挙を行おうとしている。

(3) 2008年憲法は軍に国家のあらゆる分野において最高権力を付与するものである。国民の基本的人権、非ビルマ民族の権利が保障されておらず、ビルマをさらなる混乱に突き落とすであろう。

(4) ゆえにUNAは、政治囚の釈放、憲法の見直し、三者協議の実施を求めているNLDを支持する。

(5) 軍事政権が民主化と国民和解のプロセスに本気で取り組まないかぎり、UNAは2010年の選挙に参加せず、またこの選挙を合法的なものとの認めない。

(6) さらにUNAは、軍事政権によるこの選挙を支援しないよう国連と国際社会に対して要請する。三者協議が実現するよう、国連安保理と国際社会が軍事政権に実効力のある圧力を加えなくてはならない。


United Nationalities Alliance (UNA)
Rangoon, Burma (Myanmar)

Date: 20 February 2009

Special Announcement on
National Reconciliation and Democratization in Burma/Myanmar,
Rejecting the Regime's 2010 Election

We, United Nationalities Alliance (UNA), a coalition of 12 ethnic political parties in Burma which contested and won (67) seats altogether in the 1990 general elections, today announce our position on national reconciliation and democratization in our country. We also make suggestions to the United Nations and the international community as follows.

(1) We strongly believe that the current political, social and economic crises in Burma can only be solved through a meaningful and time-bound dialogue between the ruling military regime, known as State Peace and Development Council (SPDC), the National League for Democracy (NLD) party led by Daw Aung San Suu Kyi, and the representatives of ethnic nationalities. With this belief, we have consistently asked the SPDC to engage in a dialogue immediately and start an all-parties inclusive process of national reconciliation and democratization for the sake of country and the people of Burma, who deserve to live in peace and prosperity.

(2) However, the SPDC still ignores our requests, and instead has embarked on its own path of consolidating its powers and building a permanent dictatorship in Burma with a sham constitution, forcibly and illegally adopted in 2008, and a sham election, claimed to be held in 2010.

(3) The 2008 Constitution was written by a group of the regime's handpicked delegates through the on-off national convention process, which lasted over 13 years. It is designed to place supreme power in the hands of the military Commander-in-Chief. In addition to reserving 25% of seats in the Parliaments at every administrative level for military personnel, executive, judiciary and legislative powers are also vested in the military. The Constitution denies the fundamental rights of the people and makes ethnic nationalities to be the subordinates of the Burman majority. This Constitution, if it comes alive through the 2010 election, could not produce any positive outcome, but it would push our country towards total chaos.

(4) Therefore, we support the demands made by the National League for Democracy party, calling for the SPDC to release all political prisoners, to review and revise the Constitution and to engage in a meaningful and time-bound dialogue with election winning parties and ethnic representatives, without further delay.

(5) We also reaffirm our position that until and unless the military regime shows its sincere will to make positive changes and start an all-parties inclusive process of democratization and national reconciliation, we will not participate in the 2010 election and we will not recognize that election as legitimate.

(6) We also urge the United Nations and the international community to refrain from supporting the regime's unilateral roadmap and planned election. The United Nations Security Council and the international community should apply effective pressure on the regime to abandon its plan to create a permanent military dictatorship in Burma, and to instead engage in a meaningful and time-bound dialogue with the National League for Democracy party, and ethnic representatives, to find a negotiated political settlement to build a democratic, prosperous, and better Burma.

United Nationalities Alliance (UNA)

Contact Persons;

(1) Pu Chin Sian Thang
Member of Presidium, Spokesman
No.34, First Floor, 52nd Street
Botataung Township, Rangoon
Ph: 397389

(2) Nai Ngwe Thein
Member of Secretariat, Spokesman
Room No.27, Building No.221
Yankin Township, Rangoon
Ph: 555180 (Ext: 280)

2009/02/23

第61回チン民族記念日(おまけ)

ビルマ関係の催し物だとたいてい何かの食べ物が主催者側から振る舞われるのが普通だ。

今回のチン民族記念日もそうで、なかなか経験することのできないチンの料理を食べることができた。


チン人の主に食べる穀物は、粟とトウモロコシ。以前のチン民族記念日では粟の料理が出てきたが、今回はトウモロコシだ。

このトウモロコシは、日本での食べ方とは異なり、トウモロコシの粒を乾燥させ、杵で叩いて皮を取ったもの、つまり脱穀したものを、煮て食べる。

今回はこの粒と豆と鶏肉を煮込みであったが、チンの村では鶏肉よりも牛のモツを使うほうが好まれるのだという。お祝い事があると大鍋で作って、みんなで分け合うのだそうだ。もちろん、肉も何も入っていない場合もある。

別の人がいうにはこの料理は、普通の日のお昼に食べるものでもあるそうだが、おそらくそういった場合は、肉などは入っていないのかもしれない。

料理そのものの味はあっさりしている。やや物足りなく感じられるというのならば、小皿に盛られたトマトや唐辛子から作られた激辛の付け合わせを混ぜるとよろしい。これは隣接するインドの食文化の影響だとのこと。

2009/02/20

第61回チン民族記念日(3/3)

チン民族式典の第1部のプログラムのうち、もうひとつ取り上げるべきものがあるとすれば、それは第1回「チンランドとチン民族の友賞」の授与式である。

これは在日チン民族のために大きな貢献をした日本人に贈られる賞で、今年から始まったものだ。

受賞者には、記念品(ボールペン)と以下のように書かれた賞状が手渡された。

第1回
チンランドとチン民族の友賞

あなたは私たちチン民族の希望と困難を深く理解し、
たぐいまれな熱意によって私たちの日本での活動と
暮らしを支えてくださいました。よって在日チン民族協
会は、チン民族にとってかけがえのない永遠の友人で
あるあなたに敬意を表し、ここに記念品とともに「第1
回チンランドとチン民族の友賞」を授与いたします。

2009年2月15日
在日チン民族協会(CNC-Japan)
会長 タン・ナンリヤンタン

この賞状は、祝典の前日急に頼まれてぼくが作ったものだ。もちろん、内容は会長のタン・ナンリヤンタンさんの意をくんでいる。

ちなみに今年の受賞者は、今回の祝典で通訳を務めてくださった田辺寿夫さんとぼく。賞自体もさることながら、田辺さんと一緒に並ぶこともまた非常に光栄なことだ。

祝典の第2部は、歌と踊りがメイン。

チン民族といっても、その中にはいくつもの民族が含まれている。言語系統は同じであるにしても、互いに意思の疎通ができないほど、言語が隔たっている場合もある。

今回の祝典では、ティディム、ハカー、ミゾ、ゾミのおのおのの言語による歌と踊りが披露され、チン人の多様性をも楽しむことができた。

ハカーのチン人の伝統衣装と踊り

さらに現代のチンの若者の姿も見ることができた。CNC-Japanの若い女性5名によるファッション・ショーはなかなかの見物だったが、彼女たちが身につけていたのは、チンの各民族衣装のモチーフを現代風にアレンジしたものだ。これを製作したのもやはり若いチンの女性デザイナーである。

CNC-Japan発の最新ファッション

そして、チン民族記念日の最後を締めくくるのは、舞台だけでなく、フロア全体を使って繰り広げられる踊り。来場者みんなが手をつなぎ、輪になって、チン民族が民族として世界史に名乗りを上げたこの日を喜びあうのだ。

2009/02/18

第61回チン民族記念日(2/3)

今回は第61回チン民族記念日祝典第1部で行われた在日チン民族協会(CNC-Japan)会長タン・ナンリヤンタンさんのスピーチとCNC-Japanの声明を要約する。

タン・ナンリヤンタンさん

まずは、会長のスピーチから。

「チン民族記念日とは、チン民族が自分たちの望む政治体制についてはっきりと意見表明し、自ら決定した日を記念する日だ。つまり1948年2月20日、チン民族はそれまでの伝統的な封建的支配体制を自ら捨て去ったのである。

この決定にはピンロン協定にも関係しているから、チン民族にとってだけでなくビルマ現代史、ビルマ独立史、ビルマの民主主義の歴史にとっても大事な日だ。

チン民族はもともと自分たちだけの独立ではなく、連邦制を支持していた。ピンロン協定の1年前の1946年3月に、チン人はビルマ人政治家と話し合い、チン・ビルマ友好条約を結んでいる。

それゆえ、チン民族記念日が記念するチン民族の自己決定とは、非封建的な政治体制を求めたこと、そして、ビルマ連邦のひとつとしてチンランドに暮らすことの二つであり、こうした意志がビルマ独立以前から存在したことを再認識するのがこの記念日の意義なのである。」

次に、この記念日にあわせて発表されたCNC-Japan声明の要約。

声明文を読み上げるタレチースンさん

「CNC-Japanは次の7点の宣言を行う。

1) チン民族はビルマ連邦内において自己決定権を有し、また他の民族と同等の権利を有する。

2) 異国で働いていたり、難民として暮らすチン民族もまた、チンランドに暮らす権利を有する。

3) ピンロン協定の精神の実現を求める。

4) 反軍事政権の立場を取り、民主化を求める。

5) 軍事政権、国民民主連盟、少数民族指導者の3者協議の早期実現を求める。

6) 政治囚の即時釈放を求める。

7) 2008年憲法を承認せず、2010年の選挙の実施により連邦制が崩壊するおそれがあると憂慮している。」

2009/02/16

第61回チン民族記念日(1/3)

すでにお知らせしたように、第61回チン民族記念日(Chin National Day)祝典が千葉県市川市にて2月15日に開催された。主催したのは、在日チン人の政治活動家の団体である在日チン民族協会(Chin National Community - Japan)。

千葉の市川、というと在日ビルマ国籍者の政治活動ではまず聞かない地名で、たいていの集会は豊島区か新宿区で行われている。なので、人が集まるかどうか不安視する声もあったが、それでも、約150名のビルマ民主化団体、非ビルマ民族政治団体、日本の支援者、NGO、報道機関などの参加があった。

同じ日にはモン民族の祝典が開催されていたとのことで、参加者の中には祝典の第1部が終わるやいなやそちらのほうへあわただしく移動する人もあった。

祝典には報道機関の方もいたので、あるいはどこかで記事になっているかもしれないが、実際にどのような内容であったのかという記録を多少なりとも詳しく日本語で残しておくのも無意味なことではないように思われる。このBBNでは、第61回チン民族記念日祝典を3回に分けてご報告する。


祝典は2部構成で、1時から2時までの第1部ではチン民族記念日の由来の説明、演説などが行われ、2時15分から4時30分までの第2部ではチン民族の歌と踊りが披露された(お昼にはキリスト教礼拝もあった)。

第1部のプログラムのうち、まず来賓の1人であるウ・トゥンウィン氏の演説を紹介しよう。ウ・トゥンウィン氏はアラカン民族の亡命組織アラカン民主連盟(ALD-Exile)の会長であり、日本支部の招きにより2月8日に行われたビルマ連邦記念日祝典のために来日していた。下の写真で話しているのがウ・トゥンウィン氏で、その背後に立っているのが通訳をしてくださった田辺寿夫さん。以下の要約は田辺さんの通訳に負うものだが、むろんのこと文責は熊切にある。


「アラカン、チン、モン、シャンなどの民族は、イギリス植民地支配以前には、固有の領土を持った独立した民族であった。イギリスからの独立闘争においても、互いに協力して闘ったものであった。1947年のパンロン協定においては、署名した諸民族が苦楽をともにしてビルマ連邦を造ろうと誓い合った。

しかし、独立後の憲法は、シャン、カヤー、カレンニー民族には独自の州が与えられるいっぽう、アラカン民族らには州を認められないという、不平等な憲法であった。

またビルマ民族中心の政治が行われたため、結果として内戦が起きてしまった。とはいえ、非ビルマ民族どうしが戦っているわけではない。

アラカン民族とチン民族は古くから共存してきた。アラカンは仏教、チンはキリスト教とアニミズムというように宗教も異なるが、互いの存在を認め合っている。

『チン民族とアラカン民族が手を組めば、ビルマの兵隊は逃げていく』ということわざがある。このような非ビルマ民族間の協力関係を育み、ビルマ民主化を進めるため、23の非ビルマ民族組織を糾合してビルマ連邦少数民族民主連盟解放区(UNLD-LA)という組織を作った。

UNLD-LAでは幾人ものチン民族の指導者が活躍している。

日本に来てうれしく思ったのは、非ビルマ民族が協力し合っていること。これには感謝を申し上げたい。

チン民族にはチンの土地があり、それはチン民族が治めるべきものだ。アラカン民族もやはり同じような土地がある。

民族自決権の保障される新の連邦国家の実現のために、がんばろうではないか。(以上)」

2009/02/13

在日カレン人のブログ

在日カレン人(ポー・カレン)のサ・タウンウーさんのブログをリンクに追加(ビルマ語)。
サ・タウンウーさんは、去年のサイクロンで被害のあった地域の出身の方。

サ・タウンウーさんのブログ AYEYARWADDY2008

2009/02/11

可能性に満ちあふれ強靭な(2/2) ビルマのキリスト教徒

ビルマにおいては「仏教はビルマ民族ナショナリズムと同義で」ある、とベネディクト・ロジャーズは述べているが、ビルマ軍事政権の宗教迫害政策の背景には、こうした宗教的民族主義がある。だが、この宗教的民族主義とは思うに、ただ単に政策によってのみ発生するものではない。むしろある特定の集団の内部にすでにあった心的傾向が、政策によって煽り立てられるのである。軍事政権は遠からず姿を消し、政策的な宗教迫害も止むときが来るだろうが、この差別的心性が残る限り、非政策的な迫害・差別が軍事政権と命運を共にすることはありそうにない。日本国憲法で「法の下の平等」が定められて何十年も経つにもかかわらず、今なお多くの人が性別や生まれによって差別されているのと同様である。

そればかりではない。軍事政権が長らく続けてきたいわゆる「分断統治」により、宗教と宗教との間に深い溝が生じてしまっている。軍事政権は退場に当たり、ご丁寧にもその溝を修復しようなどとはしないだろう。つまり、この深刻な分断は民主化されたビルマへとそのまま手渡されるのだ。

このような見通しの中で、自分たちの果たすべき役割は何だろうか、と日々の宗教活動の現場で問い続けたキリスト者が導き出した答え、それが宗教間の対話なのであった。もちろん、ただ対話するだけではない。そのようなかけ声だけの対話、「対話することに意義がある」式の対話は、暇つぶしに日本の神学者や宗教者にやらせておけばよい。あの会議で友人の牧師が語った宗教間対話とはまさしく、自分の宗教のもつ排他性、差別性を批判的に見つめながらなされる対話、あらゆる宗教の自由を確保するための対話、あらゆる信仰を持つ人々の命を守るために必要に迫られて行う対話なのである。

対話は、もちろんのこと仏教、イスラム教をはじめとするビルマ国内のあらゆる宗教からの参加があって可能となる。キリスト教徒がキリスト教徒のためだけに行う対話などありえない。

この対話の包括性、非限定性は、日本からのビルマ民主化支援のあり方とも無関係ではない。まず、ビルマにおけるキリスト教徒の迫害は、ひとり日本のキリスト教徒のみが気にかけるべき問題ではなくなった。対話の実現を目標にする以上、日本の仏教徒のみならず無信仰者の関わりすら必要とされている。そして、もっと大事なことなのだが、ビルマにおける宗教間対話の構築過程は、日本における宗教の位置と役割を理解するさいに新たな視点を与えてくれることだろう。公人による靖国参拝など、国家神道的原理主義が、それとはっきり悟られないうちに力を得つつある現在の日本を考える上で、仏教原理主義国家であるビルマにおいて慎重に目論まれる宗教間対話、新たな宗教の自由の可能性の追求は非常に重要な意味を持つように思う。それは日本のみならず世界を席巻しつつある宗教的不寛容といかに立ち向かうかの、貴重な実例となるであろう。日本人はビルマで迫害された人々を支援することもできるが、同じ人々から学ぶこともできるのである。

たしかに、多くの報告書が明らかにしているとおり、ビルマのキリスト教徒は差別され、迫害され、時には命すら奪われるような危機にさらされている。だが、やられているばかりではない。目立たない動きかもしれないが、宗教の自由を取り戻すための闘いが、迫害される人々の間で進行している。これらキリスト教徒たちは単なる弱々しい被害者ではない。苦難の中にありながらも、世界のどこを探しても見あたらない可能性に満ちあふれた強靱な人々なのだ。

2009/02/09

可能性に満ちあふれ強靱な(1/2) ビルマのキリスト教徒

以下の文章は在日ビルマ人政治活動家による日本語ビルマ語雑誌「平和の翼」に向けて書いたものです。平和の翼ジャーナルのウェブ・サイトはこちら


数年前のこと、ぼくは非キリスト教徒ながら、タイの某所で「カレン人キリスト教徒の使命」と題された会議に参加していた。会議はビルマ国内外で働くバプテスト、聖公会、カトリックのカレン人聖職者の代表が集うエキュメニカル(超教派的)なものであり、また、ビルマ国籍カレン人ばかりでなく、タイ国籍のカレン人も加わっていた。基調講演を行ったのはソウ・サイモン牧師で、彼はメラ難民キャンプで聖書学校を運営する著名な神学者だ。カレン人ではない参加者は、ぼくをのぞけば、韓国人の牧師がふたりいるきりだった。タイのカレン人の間で宣教活動をする彼らは、流暢なスゴー・カレン語を話した。

「カレン人キリスト教徒の使命」と書いたが、じつはこれは本当のプログラム名ではない。たとえ日本語であっても本当の会議名を記せば、ビルマ国内からの参加者の身に危険が及ぶかもしれない。会議で知り合ったある神学生はこう語った。「ビルマを出国するときは、ただ観光に行くんだって申請したんだ。ラングーンの空港の待合室では、何人か牧師がいたけれど、互いに知らないフリをしてね、本当は同じ会議に出るんだけど」

日本の法務省の公式見解は、ビルマに宗教的迫害は存在しないというものだ。かくして、ビルマ出身のキリスト教徒の難民不認定処分理由にはたいてい「関係資料によれば、ミャンマーでキリスト教徒が迫害されているという事実は認められない」などと記されることとなる。もっともこの「関係資料」がいったい何を指すのか、それを知りえた人はいないのだが。

いっぽう、ビルマにおける宗教的迫害を証明する資料はいくらでもある。もっとも有名なのが、アメリカ合衆国国務省が毎年公表している「世界各国の宗教の自由に関する報告」で、2008年度版ではビルマの宗教状況を「非常に抑圧的」としている。また、弾圧されている側からの告発や弾圧の事例をまとめた報告も、英文で数多くまとめられている。ビルマで宗教的迫害を受けている人々は、非ビルマ民族が多いので、これらの民族の報告にも宗教的迫害の事例が数多く見いだされる。キリスト教徒の迫害に関する報告で、もっとも包括的なものは、クリスチャン・ソリダリティ・ワールドワイドという国際的なキリスト教団体のベネディト・ロジャーズが2007年に出版した『十字架を背負って』だ。2008年4月に、日本のカチン人の政治団体、カチン民族機構(日本)KNO-Japanが根本敬先生の素晴らしい序文をつけて日本語版を自費出版している(ぼくも監修と編集に関わらせてもらった)。また、チン人、カチン人、カレン人の運営するニュースサイトにも、宗教的迫害のニュースが頻繁に登場する。

とはいえ、日本の法務省が誤った認識を持つのにもわけがある。ビルマにおける宗教的弾圧のあり方はぱっと一目で分かるようなものではないのだ。その理由は、ひとつには迫害の大部分が、非ビルマ民族の住む山岳地域で進行していることにある。そこにはほとんど外国人の目が、いやヤンゴンやマンダレーに暮らすビルマ人の目すらも届くことはないのである。

もうひとつの理由は、宗教者の行動原理に由来するものだ。ビルマのような政府のもとに生きる宗教者の務めといえば、まずなによりも信仰者たちを守ることにある。いわば、自分たちが楯になって、信仰者たちを政府から守らねばならないのである。それは、ひとえに政府との関係いかんにかかっており、宗教者たちは政府との対応にまさに骨身を削るような思いをしているのだ。そして、こうした努力の一例が、ぼくが上に引用した神学生の言葉なのである。

こうした慎重さを武器に権力の暴力をかわさねばならないという厳しい状況の中、カレン人のキリスト教活動をどのように発展させるか、それが前述の会議の主要なテーマとなっていた。カレン語の分からないぼくには、どのような議論が行われたのかは具体的には分からなかったが、韓国人牧師はビルマ国内における宣教活動の重要性を説いたようだった。つまり、信徒数が増えれば、それだけ大規模で多様な活動ができるというのだろう。だが、その日の会議が終わって、ともにお酒を飲み交わす時間が来たとき、古くからの友人である牧師がぼくに呟いた。「韓国の牧師たちの主張は、タイのカレン人の状況においては有効かも知れないが、ビルマにいる私たちの文脈からすればズレている。今、重要なのは宗教間対話なのだ」

2009/02/06

コーヒーの葉

シャン州は名だたる茶の産地であるが、コーヒーの栽培もまた行われている(それ以外に有名なのは麻薬)。

シャン州北部出身のカチン人によれば、現地の人は、このコーヒーの葉(豆ではなく)を、お茶に混ぜて煎じて飲むという。香りがよくなるとのこと。

2009/02/04

革命家

日本で革命(レヴォリューション)というと共産主義革命を指すのが普通だが、ビルマの政治運動の文脈では「ビルマ政府を打倒して民族の解放と自治権を獲得するための闘い」、いわば民族主義的革命を指すのに用いられる。

たとえば、カレン革命記念日(Karen Revolution Day)というと、ビルマ以外のカレン人の暮らすあらゆる場所で祝われる祝日だが、これはカレン人がビルマ政府に対して武装蜂起した1949年1月31日を記念している。

もちろんこれはカレンだけではなく、他の民族も同様で、カチン人もやはり自分たちの解放闘争を革命と言っている。

カレン民族同盟(KNU)はカレン人の反政府組織であるが、以前、その中堅メンバー、おそらく20年後には幹部のひとりとなっているであろう人物と車でタイを旅をしたことある。

彼は背は高くないが、厳つい体格で、しかも無口なので近寄りがたい印象だった。とはいえ、付き合ってみるとわかるが、無口なのは単に英語ができないだけで、本当は親切な人だった。

彼が40後半に見えるのに独身だというのを聞いたぼくは、別のカレン人を介して何の気なしにその理由を尋ねた。

すると彼は通訳を待たずに直接英語でこんなふうに叫んだのだった。

「俺は革命家だ(I am Revolutionary Person)。結婚なんてしないさ!」

ビルマ軍とカレン人が闘いはじめて今年で50年。世界最長の内戦ともいわれるこの戦争自体にはいろいろな評価があろう。だが、少なくともはっきりしているのは、このように叫ぶ人々がいなければ、とうの昔にKNUが(そしてある人々にいわせればカレン人そのものが)消滅してしまっていたということなのだ。

2009/02/02

第61回チン民族記念日祝典

第61回チン民族記念日(CHIN NATIONAL DAY)祝典が、在日チン民族の団体、在日チン民族協会(CHIN NATIONAL COMMUNITY)主催により下記の要領で開催される。

参加費無料、誰でも参加できるとのこと。

日付: 2009年2月15日
時間: 13:00〜16:30
場所: 市川市男女共同参画センター
     千葉県市川市市川1丁目24番2号
     TEL: 047-322-6700
     (JR市川駅、京成真間駅からいずれも徒歩5分位)
主催:在日チン民族協会(CNC-JAPAN)

連絡先:(日本語) 070-6447-6315/ 090-7260-6974/ 090-7902-7169/ 080-5198-6586