2009/06/29

入管の新方針について記事

本ブログで取り上げたビルマ人再申請者に対する入管の新方針について、共同通信記者の原真さんが記事にされました(取材に協力させていただきました)。

原さんは入管問題、難民問題等に関して取材を続けられている方です。

以下、原さんのref-netへの投稿より転載いたします。

2009年06月29日
◎法務省が事情聴取を省略/2回以上の難民申請で

 法務省が5月から、難民認定を2回以上申請した外国人について、申請内容が前回と同一などと判断した場合、事情聴取を省略し書面だけで審査する方針に転換していたことが29日、分かった。申請者の急増を受け、手続きを速めるための措置だが、難民支援者からは「不十分な審査で不認定とされかねない」と懸念する声が出ている。

 同省によると、先月初旬から/(1)/申請内容が前回までと同じで、新たな事実がない/(2)/一見して、母国で迫害を受ける恐れがない—などと判断した場合、従来必ず実施していた担当官による事情聴取を行わないことにした。

 ミャンマーの政情不安などの影響で、難民申請者は昨年1599人と前年から倍増。申請から不認定に対する異議審査の結論が出るまでの期間も2年余りと、法務省の目標の半年を大きく超えている。

 同省難民認定室は「申請者が膨大なので、事情聴取の必要性を判断することにした。ずさんな処分をするつもりはなく、申請内容に新しいことがあれば事情聴取を行う」と話している。

 入管難民法は複数回の難民申請を妨げておらず、再申請で難民と認定された例もある。一方、在留期間を過ぎて日本に滞在しようとする外国人が再申請を乱用しているとの指摘もある。

2009/06/27

入管の新たな動き(続報)

先日入管の新方針について書いたが、入管がそれについて再申請者に配布した文書(A41枚)を手に入れたので、以下書き写す(下線の引いてある部分は太字イタリックで表記)。

問題となるのは4番目の項目で、インタビューなしで結果を出す場合があるというところ。

2回目とはいえども申請者は申請者。これでは1回目の申請者に比べて2回目の申請者を軽んじているととられても仕方がないし、審査の公平性についても問題がありそうだ。


2回目以降の難民認定申請をされている方へ

○迫害を受けるおそれに係る立証責任は、申請者にあります。

○迫害を受けるおそれ等について、既に難民認定再申請書に記載されていること以外にあなたが申し述べたいことがあれば、その全てを書面に記載し、2009年○月○日(曜日)までに提出してください。

○迫害を受けるおそれ等について、既に提出している資料等以外にあなたが提出したい資料等があれば、2009年○月○日(曜日)までに提出してください。

○申請書及び提出された資料等により審理を行いますので、面接による事情聴取(インタービュー)を実施しないで、処分の結果を出す場合があります。

○上記の日時までに資料等の提出がない場合は、正当な理由がある場合又は特別の事情があると認められる場合を除き、申請書及び既に提出されている資料等によって処分の結果を出す場合があります。

(以上)

2009/06/25

入管の新たな動き

ここのところ入管の動きが不穏だ。

まず牛久のほうでは、ビルマ人収容者の仮放免許可申請が2件続けて不許可になった。これはここ数年無かったことだ。

品川入管でもビルマ人難民申請者に対して変わった動きが報告されている。品川入管では連日のように再申請者(最初の申請で不認定となって2度目の申請をしている人)でまだ審査のはじまっていない人に出頭を命じ、15名ほどをまとめて一室に集め、こんなことを話しているのだと言う。

「再申請した人は、口頭審査なしで申請書のみで審査されることがあるので、いついつまでに必要な書類を提出するように」

つまり、再申請をした人のうちには難民認定審査の重要な柱である口頭審査を受けずに結果を出される人があるということだ。

その理由については、ある人が聞いた所によると、通訳者の問題があるとのこと。通訳者の問題といってもいろいろあるが、ひとつには通訳者の不足があり、もうひとつには通訳者と申請者とのあいだで通訳を巡って問題が発生しているのだそうだ。

これが本当かどうかはさておき、口頭審査を省略することで、審査のスピードアップをはかるという理由もあるのかもしれない。

問題なのは、この方針変更が再申請者にどんな影響を与えるかだが、否定的な見方をする人が多い。文書では書ききれない事柄を口頭で伝える機会が失われるのは、再申請者にとって大きな不利益であるというのだ。

再申請者の立場はともかく、日本人としていえば、審査には十分時間を尽くすべきだし、もし効率化のためならば、口頭審査を削るよりも前に、入管の体制を変える、もしくは難民審査のあり方を変えるほうが先決ではないかと思う。

いずれにせよ、今の段階では何も分からないのだが。

2009/06/24

KNUの行方(2)

しかし、武器を持って闘う(カレン人にいわせれば戦闘ではなく防衛であるが)ことばかりが、抵抗活動ではない。

KNUの弱点のひとつは国際社会に対するアピールが完全に欠如していることだ。ビルマでも有数の組織なのにろくなウェブサイトひとつない、という事実がこれを物語っている。

他 を恃まないプライドの高さと、それと表裏一体の排他的性格は、カレン人、特にキリスト教徒カレン人に多く見られるが、KNUにもやはりそんなところがある のかもしれない。いずれにせよ、結果としてKNUは国際政治の世界では存在感をまったく失ってしまった(持っていたことがあったのかは知らないが)。

だ が、この国際社会にKNUの新たな活路がある、と思う。活動の場を世界に広げ、国際社会の中でカレン人の代表として語り、ビルマ軍事政権への圧力を呼びか ける非 武装政治組織へと方針転換するのである。もちろん国際的なロビー活動はKNUも他の少数民族とともに行ってきたが、これからはそれに全力を傾けるというこ とになる。

このような方向転換をしない限り、KNUのこれからは非常に危ういように思う。

今回のビルマ軍の攻勢は大きな痛手だが、決して敗北ではない。いやそれどころか、KNUの変化次第によっては、ビルマの解放へのターニングポイントになるかもしれない。

2009/06/22

KNUの行方(1)

いくつかのニュースでも報じられているように、ビルマ軍がカレン民族同盟(KNU)に大攻勢をかけている。伝え聞くところでは、KNU側は重要拠点を次々と失っているという。国内避難民も増加し、4千人もの難民がタイ側に逃げようと国境で待機しているとのこと。

これは計り知れない打撃だが、ある人の言うところではKNU側には人的被害はほとんど出ていないそうだ。ビルマ軍が地雷で多数の死者を出しているのに対し、KNU側には1人も死者は出ていない、と言う人もいる。

これをKNU(およびカレン民族解放軍、KNLA)が自らの戦闘能力を誇示するために流しているプロパガンダと見る人もいるかもしれないが、そうではないと思う。むしろ逆で、KNUはもはやまともに戦えないほど弱体化していて、ただ逃げるほかない、ということだろう。

KNUの弱体化はずっと以前から進行していたことだが、ここ数年は特に人材流出がその拍車をかけていた。その原因はアメリカ、カナダ、オーストラリアへの再定住プログラムだ。

この再定住プログラムを通じて、難民キャンプから毎年何千もの家族が国境を後にしているが、そのなかにはKNU幹部候補も含まれているのである。

ぼくはこうした将来の幹部までが国境での抵抗活動を見限るのを見て、軍事組織としてのKNU(KNLA)の先行きは暗いと常々考えていた。

2009/06/21

ブラックリスト(2)

それは友人のカレン人が話してくれた話だ。

日本で長い間働いてビルマに帰国したカレン人がいて、その親戚が日本を訪問したのだという。その人が日本のカレン人と話している際にぼくの名前を出して、政府のブラックリストに載っている、とかいったのだそうだ。

帰国したカレン人はぼくの友人であるが、その親戚は知らない。どうしてその人がぼくの名前を知っているのかも分からないし、何を根拠にそんなことを言ったのかも分からない。

こうした得体の知れない話は、ビルマの人々とつきあうとよくあることだ。

一昨年の話だが、ブローカーまがいのことをして金を儲けているカレン人女性が、ぼくのおかげで大損をした、などと触れ回っているのを聞いて不愉快な思いをしたことがある。もちろん、その女性には会ったこともない。

何らかの誤解があるのかもしれないし、誰かが何かを仕組んだのかもしれない。

いずれにせよ、この手の話を真に受けるのは大いに危険だ。おそらく、ぼくの名前は何らかのリストに載っているのかもしれないが、それが軍事政権のものだと言い切るだけの証拠はない。

ビルマ政府のブラックリストに載っているかどうかを確かめるのに一番良い方法は、実際に大使館に行ってビザを申請してみることだ。とはいえ、申請料の三千円が惜しいので、まだ試してはいない。

2009/06/20

ブラックリスト(1)

日本でビルマ難民支援を10年続けている日本人のAさんは、ビルマのビザが出ない。

団体ツアーにまぎれて申請すれば大丈夫かも、と考えたが、それでもダメだった。彼の名前は、ビルマ軍事政権のブラックリストに載っているのだ。

カレン人の取材を続けているジャーナリストも、ビルマ難民のために働いている弁護士も、この「ブラックリスト」に載っているという話だ。

また、ビルマを頻繁に訪れる仕事をしている人や、配偶者がビルマ国籍の人にとって、もしも、ひょんなことでビルマ政府に睨まれて、ブラックリストに載ったりしたらそれこそ一大事だ。

だから、これらの日本人はビルマ難民のために働いたり、民主化活動を支援したとしても、自分の名前が表に出ないようにつねに細心の注意を払っている。

いっぽう、活動家やジャーナリストでも、ビルマを訪問するという選択肢を残したい人は、人前に出たり、記事を書いたりする時は偽名を使うことがある。

ある人が偽名を使っているのをはじめて知ったとき、ぼくは自分もこれは考えなくてはならぬ、しかもその「活動名」はかっこ良くなくてはならぬ、と一生懸命に思案したものだが、そもそもがブラックリストに載るほど有名でもないので、時間の無駄であった。

とはいえ最近、気味の悪い話を聞いた。

バーマ・シェイブ

バーマ・シェイブ(Burma-Shave)というのは1920年代から60年代頃までアメリカで販売されていたシェイビング・クリームのことで、アメリカの広大な大地を横切るハイウェイを利用した伝説的な宣伝方法で有名だ。

その宣伝方法がどんなものかというと、ハイウェイの路肩に一定の距離をおいて看板が立っている。その看板には短い句が記されていて、その次に現れる看板には続きとなる別の句が記されている。

これらの句は全体として気の利いた内容の短い韻文となっており、ドライバーは運転しながら次から次へと興味深く読み進んでいき、最後の6枚目で「Burma-Shave」という商品名を知ることになる。

例えばこんなものだ。

[The poorest guy]   「人類」
[In the]         「で」
[Human race]     「一番貧しい男」
[Can have a]      「でも」
[Million dollar face] 「顔は百万長者」
[Burma Shave]    「バーマ・シェイブ」

[If you have]     「2つのアゴが」
[A double chin]   「あるのなら」
[You've two]     「使い始める」
[Good reasons]   「理由も」
[To begin using]  「ふたつ」
[Burma-Shave]   「バーマ・シェイブ」

http://burma-shave.org/より。以下の例も同様)

このバーマ・シェイブについて知ったのは映画「世界最速のインディアン(2005)」に出てきたからだが、それ以来、このBurmaがビルマと関係あるのかどうか気になっていた。

そこで、インターネットで調べてみたのだが、関係ないわけではないようだ。

つまりBurma-Shaveを販売していたのはBurma Vitaという会社で、このBurma Vitaというのも商品名であり、ビルマ産の原料を用いた軟膏だそうだ。軟膏のほうが商品として先発していたため、シェービング・クリームにはビルマ由来の原料は用いられていないにも関わらず、Burma-Shaveと付けられたのだという。
http://findarticles.com/p/articles/mi_g1epc/is_tov/ai_2419100188/

とはいえ、この軟膏に用いられたビルマ産の原料が何なのか、あるいは何のための軟膏かは分からない。

最後にもうひとつ宣伝文句を引用しよう。

[Regardless of]   政治信条に
[Political views]  関わりなく
[All good parties] よい政党がみんな
[Always]       選ぶのは
[Choose]       いつだって
[Burma-Shave]   バーマ・シェイブ

「バーマ・シェイブ」を「アウンサンスーチー」に変えれば、今の民主化運動の現状となる。

2009/06/19

疑問

日本語のつたないビルマの人に限って、かけてくる電話がザーザーいったり、ブチブチ切れたりするのはどういうわけなのか。

2009/06/17

携帯電話

ビルマでは携帯電話を手に入れるのに20万円以上かかるのだという。だからといって、特別な携帯ではない。タイでなら1万円もしないで買えるような機種だ。

このバカ高さには、いくつかの理由が考えられる。

通信のインフラがあまりにも未整備なため、その運営にはかなりのコストがかかるのかもしれない。

また政府が通信を管理できる規模に押さえておくために、あえて携帯電話の所持に厳しいハードルを課しているのかもしれない。なんといってもビルマは戦時下にあるのだ。

しかしもっともありそうな理由は、携帯電話事業が軍人たちの利権となっているというものだ。20数万のうちかなりの金額が軍人たちの懐に流れ込んでいるのであろう。

2007年頃、あるビルマ人の老人がはじめてタイに行って、露店のおばさんまでが携帯を持っているのを見て仰天したという話が伝わっている。

2009/06/16

地獄

あるカレン人が別のカレン人をかねてから軍事政権のスパイだと疑っていた。

そのカレン人がある日、夢を見た。

彼は巨大なビルの中にいる。そのビルの警備員は彼を追い出そうとしたが、彼は自分は招かれているのだと言い張り、なんとか入れてもらったのだ。

錯綜した通路をさまよったのち、彼はどうやら目的地にたどり着いたように感じる。彼はためらわずに目の前のドアをあける。

立派な会議室だ。だが、驚くべきことにその真ん中には巨大な鍋が置かれており、油が煮えたぎっている。

もっと驚いたことに、その油の中で会議が行われているのだ。人々は平気な顔で議論をしていて、まるでお湯にでもつかっているかのようだ。

「てんぷらだ!」と彼は恐れおののく。

その油の中には、彼がスパイだと疑っている人物もいて、やはり楽しそうに話している。

何の根拠もなくある人物をスパイだと言いふらすのは文句なく愚かな行為であり、不愉快きわまりない。だが、この夢の話には、あまりのしょうもなさに笑ってしまった。

2009/06/15

解放区

NLD-LAとはNational League for Democracy Liberated Areaの略で、日本語ではたいてい国民民主連盟解放区と訳されている。

非ビルマ民族諸団体から成るUNLD-LA(United Nationalities League for Democracy Liberated Area)は、統一諸民族民主連盟解放区とでもしたらいいかもしれない。

この解放区というのは、もちろんビルマ軍事政権から解放されている、という意味だ。

ところで、UNLD-LAは日本では確か代表が1人いた程度だと思うが、NLD-LAのほうにはNLD-LA JBつまり国民民主連盟解放区日本支部があり、非常に活発に活動している。

だが、国民民主連盟解放区日本支部とは、日本がビルマ軍事政権の支配から解放された地域のひとつであるかのような、おかしな名称だ。

とはいえ、これは屁理屈というもので、実際にはこの「解放区」という言葉は、そもそもタイ・ビルマ国境のビルマ軍事政権の支配の及ばない地域を指し、そこで活動しているNLDとUNLDを、ビルマ国内のNLD、UNLDと区別するために、「解放区」と後ろに続けたのだ。

その後、NLD-LAの活動が世界中に広がったため、世界のあちこちで「解放区」が設置されることとなったわけだ。

これを理不尽だと感じたせいか分からないが、この「解放区」という言葉ではなく「亡命」という言葉を用いる団体もある。アラカン人の組織、アラカン民主連盟(ALD)がそれで、国内のALDに対して国外の組織をALD (Exile)と呼んでいる。

「解放区」がもはや具体的な地域ではなく、単に国外の組織であるということの印でしかないことを考えれば、「亡命」としたほうが理にかなっている。

ところで、NLD-LAを、NLDロサンジェルス支部と読んだ難民認定申請者がいたこともついでだから書いておこう。

2009/06/01

発見

あるフォトジャーナリストが、ビルマの奥地を旅し、珍しい少数民族を発見した、と報告していた。