2009/11/06

森を見て木を見ない話(1)

1.やや長めの「はじめに」

ぼくがこの物語で行おうとしているのは、特定の団体を非難することではない。その世界的な団体は非常に有益な活動で知られており、ぼくもそれには十分な敬意を払っている。ぼくがしたいのはむしろ、そうした組織的に大きな団体が、規模や歴史の点でその組織ほど十分に保護されていない小さな組織や個人に対して誤りを犯すことがある、という一般的傾向を指摘することである。

また、同時に物語には、ビルマ民主化運動、非ビルマ民族政治運動を語る上で不可欠な要素がいくつも関与している。3年以上前の出来事だが、日本におけるビルマの政治運動がどのように動いているか、そのコンパクトな実例としても読んでいただけることだろう。もちろん、ぼくはビルマの政治運動の当事者ではない。だが、やや特殊な事情から、この出来事の際には渦中にいたといってもよいと思う。そして、その当事者性ゆえに、いくつかの場合で匿名や仮名を用いさせていただかなければならなかった。なぜなら、ぼくが語ることが、つねに客観的で正しいとは限らないからである。できるだけそうであるように努めてはいるにしても、だ。

また、カレン人の政治組織が3つ登場するが、それらの団体に関する記述は、ぼくがもっとも深く関わったOKA-Japanのそれでさえ、2006年当時のものであり、またぼく個人の見解・観察によるものである、ということを明記しておく必要があるだろう。これらそれぞれに個性を持ち、それぞれ立派な活動を行っている団体について、その実情をお知りになりたい方は、ご自分で連絡を取り、直接話を聞くことをお勧めする。ともあれ、誰かがこの物語を読んで、これらのカレン人の団体のひとつにでも悪印象を持ったとしたら、それはぼくの書き方が悪いのである。

同様に、物語で取り上げる匿名の団体に対する見解も、あくまでぼく個人のものであり、OKA-Japanを代表するものでは決してない。現在のOKA- Japanのメンバーの中には、今なお、不安定な人権状況に暮らす者が多数おり、これらの人々の命のためにその団体が果たすべき役割はとてつもなく大きい。

公平を期すためにいえば、ぼくは自分が創立に携わったOKA-Japanで、今なお「国際プログラム担当」という役割をいただいている。これはタイ・ビルマ国境の難民の支援を行う上で、誰かタイに行ける人が必要だったためで、メンバーの誰もビザがなく、海外はおろか東京の外にすら自由に出られなかった時期の名残である。今や、多くのメンバーが喜ばしいことに、何らかの滞在資格を得ている。手間はかかるが、海外旅行も可能になった。OKA-Japanは自立の道を歩きつつあり、それと同時にぼくの役割の重要性も軽減した。それでもメンバーたちはある種の記念のような形で、引き続きぼくがこの役職につくことを許してくれた。とはいえ、これはほとんど名目上のもので、2006年の創立当時のようにぼくが組織の運営にかかわることは現在はない。

さて、件の事件は、当初ぼくを悲憤慷慨させたのであった。だが、同時にどうしてこのようなことが起こるのか、その仕組みについて知りたくもなった。ぼくは長い間考え続け、その結果をこうしてここに公表させていただくわけである。