2010/05/31

地域通貨(2)

というのも、日本では地域通貨は人の生活のすべての必要に応えるほど、発達してはいないからだ。

おいしい野菜や、卵ぐらいなら何とかなりそうだが、それだけでは生きてはいけない。

2010/05/30

地域通貨(1)

不法滞在の状態で難民認定申請をした人は、基本的に就労してはいけないことになっている。

難民認定審査が2〜3日で終わるならば、それもよかろうが、平均2年かかるのであるから、これでは申請者はからからに干上がってしまう。

RHQなどが申請者に生活費を支給する場合もあるが、全体からみればわずかなもんだ。そんなわけで、たいていの申請者はどこかで働いている。

以前は、こうした人々も入管の職員が逮捕して懲らしめたものだが、支援弁護士たちが裁判を起こしたおかげか、最近はそうした話は聞かなくなった。いわば黙認している状況だ。

ぼくとしては、申請中であれなんであれ、日本にいるかぎりはきちんと生活できるように配慮すべきだと思うので、就労不許可というのはできるだけ早く変えてほしいと考えている。

すると、難民たちのこうした状況について、ある人が地域通貨でもって生活を支えるプロジェクトをしたらいいのでは、という助言を与えてくれた。

2010/05/28

死装束

ビルマ人とカチン人の夫婦がいて、2人の幼いこどもがいた。

夫はしばらく前から入管に収容されていて、ぼくが彼の保証人になり、仮放免申請を行っていた。

カチン人の妻は、夫が収容された頃から精神的に不安定になり、夫も、その周囲の知人も、彼女が何か早まったことをしやしないか、心配していた。

ある水曜日、品川の収容所の夫から電話があった。妻とこどもが入管から金曜日に呼び出されており、収容されるのではないかと怖がっているので、一緒に行ってほしい、というのだ。

ぼくは、あいにく金曜日には入管に行く予定がないのでと断った上で、彼にこれまでの経験から幼児のいる夫婦が同時に収容されることは今はまずない、ということを説明し、おそらく書類上の手続きのために呼ばれているのだろうと話した。

するとその夜、入管から電話が入り、別の仮放免の件で金曜日に入管に行くことになった。それで、ついでにカチン人の母子にも入管で会うことができるだろうと考えた。

ところが、翌日木曜日の夜、再び入管が電話をかけてきて、件の夫の仮放免許可が下りたので次の月曜日に来てほしい、と告げたのであった。ぼくは金曜日にも行くので、いっそのこと前倒しにしてもらえませんか、と虫のよいことを尋ねたが、それは無理のようだった。

それはともかく、ぼくの推測は誤っていなかった。月曜日に夫を釈放するいっぽう、その妻子をその前の金曜日に収容するなど、ありえない話だ。

ぼくは、さっそく彼の妻に連絡をして、この吉報を伝えようとしたが、果たせなかった。いずれにせよ、明日入管で会うだろう、とぼくは考えた。滅多にないよい知らせを告げる楽しみは明日にお預け、というわけだった。

金曜日、入管の玄関でカチン人の妻と、2人のこどもに会った。3人は、一緒に付き添ってくれるカチン人の友人を待っていたのだった。ぼくはその友人と入管に向かうバスの中でたまたま一緒になり、すでに夫の仮放免許可のことを伝えてあった。

妻は、夫が月曜日に出られることを聞くやいなや、その友人に抱きついて涙を流した。

こどもたち、3歳にならない娘と、ベビーカーに座った1歳半の息子は、無表情だ。

2人ともやけに派手できれいな服を着ていた。姉はピンクの上着を着て、弟は青いシャツに、水色の靴を履いていた。

ベビーカーのハンドルにはピンクのぬいぐるみのリュックがぶら下がっている。

カチン人の友人は、妻としばらく話した後、ぼくにいった。

「この人は、今日、こどもと一緒に収容されると思い込んでいたんです。そして、ビルマに送り返されて、全員殺されるって。それで、せめて最後にこどもたちを喜ばせてあげようと、きれいな服を着せて、好きなおもちゃを買ってあげたんだっていうんです」

こどもたちはむっつりした顔でおとなたちを見ていた。

2010/05/23

眞露のおかげ

酔ったビルマの人はやたらと酒瓶で人の頭を殴りたがる。つい最近、ぼくが保証人をしている人も、ビンで殴られて怪我をした。

ぼくがこれまでに聞いたかぎりではほかに2件ある。調べればもっとあるにちがいない。

ひとつは2年ぐらい前のことで、ビルマのレストランで起きた。殴られた人は、意識不明になり、一時は生死も危ぶまれた。

次の事件もやはりビルマのレストランで、起きたのは今年の2月。被害者は大けがをしたそうだが、それほど長くは入院しなかった。加害者は逮捕されたが、詳しいことはよくわからない。殴った理由についても、双方で言い分が異なっている。

ぼくが保証人をしている人の場合はといえば、部屋でみんなで飲んでいたら、泥酔した1人がいきなりビンで殴りかかってきたとのこと。

10針縫う怪我だが、さいわいにも頭の内部には特に影響はなかった。しかし保険がないので7万円かかったという。

その被害者に、どうしてビルマの人はビンで殴りたがるのか、と聞いたら「わからない」との答え。

酔っぱらって喧嘩を吹っかける日本人が「表に出ろ」とわめくのと同じく、ビンで殴るのはおそらくビルマの人々の間でひとつの行動パターンとして定着しているのかもしれない。

なんにせよ、彼の怪我が比較て軽く済んだのは、ビンが割れなかったせいだ。ちなみに何のビンかというと眞露。

酒癖の悪いビルマの人と飲む時は眞露をお勧めする。

2010/05/21

死後の世界

仮放免申請している収容者の仮放免が認められた、と入管から保証人に連絡が入るのは、たいてい予定される仮放免の日の2〜3日前だ。月曜日に連絡が入って、水曜日に、水曜日に連絡が入って金曜日に出る。あるいは木曜日に連絡が入って翌週の月曜日にという場合もある。慌ただしい場合には前日、などということもある。

入管の指定した仮放免の日が保証人にとって都合が悪ければ、後にすることができる。前倒しになったケースはないようだ。

仮放免許可の通知の際に保証人が入管の職員から告げられるのは、

収容者の名前
仮放免の日時
保証金の金額
保証金と身分証明書と印鑑を持参すること

である。

もうひとつ要求される事柄がある。それは、仮放免の許可がおりたことを、当の収容者に教えないでほしいということである。

この理由については、入管の人に尋ねたこともあるが、よくわからない。

仮放免許可を聞いた収容者が、うれしさのあまり卒倒する可能性があるとか、大はしゃぎして、周りの収容者に迷惑をかけかねないことを心配してのことであろうか。

あるいは、入管は収容者を小学校よろしくみんな平等に扱っているので、ひとりだけ突出するということを憎んでいるからであろうか。

それとも、仮放免許可の出た者に対する、他の収容者のねたみ、さらにはそれによって引き起こされる暴動を恐れてのことだろうか。

いや、もしかしたら、仮放免許可という吉報を収容者に伝えるのを入管の職員は無上の喜びとしているのかもしれない。「許可が出たことを知ったときのあの顔、あの喜びようときたら!」 よい知らせの運び手になることを拒む者は誰もいないのである。

とすると、入管は収容者にこの吉報を告げ知らせる幸福を独占しようとしているのかもしれない。何たる巨大利権であろうか。

あるいは、収容者のことを考えたのではなくて、収容者を管理する側である職員のことをおもんぱかってであろうか。つまり、これらの人々にしてみたら、収容者がいなくなることは、職務上さみしい出来事であり、心の傷となって残りかねないのである。

入管側にとって収容者の仮釈放は、他界であり、昇天であり、永久の別れだといえよう。

そのようなわけで、心のケアの一環として、収容者をなるべくそっと釈放することにしているのかもしれない。気がついたらいなくなっていた、ぐらいの感じがちょうどいい。

(おそらく、仮放免が本決まりになるのは保証金を支払ってからなので、それまでは確定事項とはいえないので教えない、ということだろうと思う。なお、仮放免許可手続きについては以前、BRSAのブログ(仮放免の詳細)に書いたものもあるので、そちらも参照していただきたい。)

2010/05/20

不正投票

ビルマの団体の選挙では、たいてい他所の団体から3人ほど人が来て、選挙委員として、公平な選挙を行うべく、その場を仕切ることになる。

この選挙委員はぼくもやったこともあるが、開票や集計もやるので結構いそがしい。

この間、BRSAの選挙があった。選挙の最中、票を数えていた選挙委員が、不正投票らしきものを発見した、といって会場の注意を喚起した。

その委員が鋭くも見抜いたところによれば、全く同じペン、同じ筆跡で、同一候補者の名前が記された二枚の投票用紙が出てきたのだという。

「何者かが二重投票をした疑いあり」と、厳しい目つきで会場を見回す委員たち。今年はビルマで軍事政権の選挙が行われる。その意味でも、民主化活動家たる我々はささいな不正も許してはならぬのだ・・・。

すると、ひとりの女性が手を挙げていった。

「それは、わたしたちのです。夫が赤ちゃんを抱いているので、代筆したのです」

2010/05/19

民主党本部

民主党本部の5階で開催された「新しい公共」づくりをめざした市民と民主党の政策形成プロジェクト第5回会合に出席する。

議員会館とか国会議事堂ではなく、一政党の本部ということで、何となく油断していたのだが、本部の建物に向かう道で警官に行く先を聞かれたり、入り口で警備の人にどこに何の用事で行くのか、と質問されたりして狼狽する。

ごにょごにょ答えていると、後ろから車いすの人が来た。警備の人がそっちの対応(入り口には段差があるので)に気を取られているうちにまんまと侵入する。

そしてぬけぬけと5階の大部屋に現れ、のうのうと座り、無料のお茶をごくごく飲み、しゃあしゃあと質問し、そそくさと退散した次第。

10人ぐらいの議員が来たと思うが、司会の大河原雅子参院議員を除けば、ずっといた人はほとんどいない感じだ。

そうであっても、政権党がこうした会合を開くのはよいことだし、月1回といわずに、週1回、いや随時開催ぐらいにしたほうが、面白いと思う。

市民キャビネット地球社会・国際部会で一緒に政策提言作りをしているNICEの開澤さんのプレゼンの様子

2010/05/18

老人と虎

難民キャンプ訪問のためにタイに行ったとき、イギリス人たちの会話の場に同席したことがある。

もちろん、英語だ。だが、ぼくはネイティブの発音はなかなかわからない。なので、適当に相づちをうってごまかしていた。

会話の内容はといえば、ぼくの理解できた範囲では、ドイツ人の老人と虎の話をしているようだった。ぼくは、密林の中で虎を追いかけるゲルマン民族の老人と、その目にきらめく静かな執念を思い描いていた。まるで小説のようじゃないか。英語ができないなりにぼくも会話を楽しんだのだった。

だが、ホテルに帰って、寝る前にこの奇妙な物語をゆっくり考えているうちに、気がついた。

イギリス人が言っていたのは「タイガー(Tiger)」ではなく「タイガール(Thai girl)」だったのだと。

カタの病院

日本で長く暮らしていたカレン人とヤンゴンで再会し、話しているとこんなことを言った。

「カタの病院・・・何て言うか、動物ではなく、カタの病院のお医者さんが・・・」

しばらくして「人間の行く病院」であることがわかったのだが、つまり、彼は「あの方、この方」という表現から、「カタ」が日本語で人を意味するのだと推理していたのである。

2010/05/14

サムライは有機日本食に高楊枝

今年の1月ぐらいから、「新しい公共をつくる市民キャビネット」という市民団体の集合体に参加して、政策提言づくりを行っている。ぼくが加わっているのは地球社会・国際部会という部会で、ここで難民や外国籍住民に関する政策提言を提出させてもらった。

部会のことや自分の政策提言のことなどについては、そのうち取り上げようと思うが、それはともかく、4月29日にこの市民キャビネットの全体集会が開かれた。その集会で、福祉、災害支援、男女平等、子どもなどのそれぞれの部会がつくった提言について意見交換がなされた。

ある部会で学校給食が有機食材のものになるよう政府が積極的に支援すべきだ、という政策提言をつくった人がいた。

有機食材はもちろん結構なことだ。農業のことはよくわからないが、安全なものを食べるに越したことはない。

政策提言作成者によれば、子どもが有機食材をぱくつくようになれば、アトピーやキレる子ども、学級崩壊、学力の低下などの問題などがすべて解決するという。にわかには信じがたい話だが、これもまあ大目に見るとしよう。

だが、「日本人本来の体質にあった食事」を子どもたちに食わせるために「学校給食の主食は米、主菜は魚または大豆製品と」するというふうにいわれると、これはとてもじゃないが食えたもんではないという気がしてくる。

「こんなものばかり食べていたら、子どもがみんな和尚さんになってしまう、あぶない!」とぼくは思うのだが、こんなつまらぬ懸念はさておくにしても、これは根本的に2つの点で現状にそぐわない。

ひ とつは、学校給食を食べる子どもが「日本人」であるとはなから決めてかかっている点。つまり、小学校には、韓国人、朝鮮人、中国人、台湾人、ビルマ人、ブ ラジル人、フィリピン人などなどさまざまな国の子どもがいるのだ。そうした子どもに「日本人本来の体質にあった」食生活を強いることにどれだけ意味がある のか。

また、もしあらゆる子どもにとってその出身文化本来の食事を食べさせるのがよいのであれば、日本人の子どもだけでなく、他の文化の子どもにもその「本来」のものを食べさせるべきである。

もし、日本人のほうが数が多いからという理由で、他の文化の子どもたちに「日本人本来の体質にあった」ものを食べさせるとすれば、それはまさに数の暴力だ。

も うひとつは、「日本本来」のという名目のもと、豚や牛など肉食が「日本人本来のものではない」として排除されている点である。要するに、この政策提言その ものが、部落差別を成立させている「穢れ」による差別観を焼き直したものにすぎないのである。つまり、「有機食材」「子どもを守る」などもっともらしい外 観をまとっているが、その奥には肉食に対する忌避、ひいては食肉加工業に対する差別意識が隠されている。

そもそも、日本人が歴史的に獣の肉を食べなかったかどうかは、簡単に答えられる問題ではない。時代や、階層、宗教、職業あるいは生活の場面によって大いに異なるはずだ。それに、沖縄の人々やアイヌの食生活も考慮に入れなくてはならない。

確かに、肉食が一般化したのは、最近の現象であろうが、それ以前も一般化していなかっただけであって、まったく牛や豚が食べられなかった、あるいは、まったく必要とされていなかった、というわけではない。

い ずれにせよ、不確かな歴史的事実や歴史的にみれば比較的最近はじまったことでしかないことが、いつの間に「日本人の伝統」、あるいは擬似科学的な装いで 「日本人本来の体質に適合した」などと一般化されることが多すぎることを考慮に入れれば、この政策提言の「日本人本来」も大いに疑われるべきであろう。

また、そうした過去の歴史的事象の安易な一般化は、その当の歴史的事象に密接に関連している他の歴史事象をも現代に持ち込むことにもつながりうるのだから(この場合では穢れに基づく差別意識)、なおさら熟慮の上行うべきであろう。

その顕著な例が、日本人のサムライ信仰というヤツで、近頃の日本はどこを向いてもサムライだらけだ。そう呼ばれてるだけならまだしも、自称の多いこととき たら! たいした鼻息だ。しかも、色までついている。だが、農工商とエタ、非人あってのおサムライさんであることをいう声など聞いたこともない。ラスト・サムラ イが生き延びる分だけ、ラスト・エタ、ラスト・非人もむりやり生かされ続けるのが道理ではないか。これでは差別もなくなるまい。

話を元に 戻せば、もちろん、ぼくは有機食材を使った食事に反対しているわけではない。ただ、「有機食=昔ながらの食事=日本人本来の食事」という理屈がおかしいと 思っているだけで、有機農業や環境保全という結構な思想が、無意識のうちに民族主義や宗教的原理主義と結びついてしまう危険の一例をここに示したにすぎな い。

有機農業を持ち上げるのなら、「日本伝統の」とかいうように後ろ向き、排他的にならずに、すべての人、どのような文化の出身者であろうと、おいしく健康に食べられる有機農業のあり方を模索するほうが、ずっと生産的なはずだし、そういう観点から政策提言をなすべきだと思う。

2010/05/08

猫の手と難民(3)

第2の説は、このリアクション説に立つものである。つまり、入国管理局は、根っからの自民党支持者で固められており、民主党という政党が政権についたら、とんでもない人権侵害が行われるぞ、ということを示すために、難民をいじめているのだという。

こ れは馬鹿げているし、そもそも矛盾している。入国管理局(そして保守派の政治家)にとっての悪とは、外国人が日本で自由に(そして楽しげに)行動すること だ。だから、難民をはじめとする外国人に対して悪待遇を強いるのは、これらの人々にとっての善であり喜びなのであり、こうした素晴らしく善いことを、民主 党政権下で行うのは、敵を利することに他ならないのである。

だから、民主党が政権を取ったらとんでもないことになるということを、入管が 示そうとした場合、それはむしろ、収容所をカラにし、取り締まりを緩め、入国を管理しないという入国管理業務放棄の方向に向かうはずである。つまり、民主 党政権下では外国人は「野放しになる」といいうことを示そうとするはずなのである。

それに、第一、入国管理局、というか官僚がいくら自民党を支持していたとしても、そこまで自民党にべったりだとは考えられない。それは、われわれが日本の官僚の問題点として耳にしている話とは大いに異なるのである。

その話とは官僚による政治の誘導であり、またあらゆる巨大組織が持つ弊害である無目的な自己保身への欲求であるが、いわばこうした官僚中心主義の土壌で、上記のような政治的判断が生まれるとは考えられない。

むしろ、この官僚中心主義こそ、今回の方針悪化の根本原因ではなかろうか?

つまり、この方針転換は入国管理局が新たな政権に対して、自分たちのやっていることは税金の無駄遣いではないということをアピールするためのものではないかと思うのである。

だからこそ、収容所はいつも満員でなくてはならない。それどころか、なんなら足りないぐらいだ、という雰囲気も出したい。なにしろ、仕分けされてはかなわないからね、というわけだ。

忙しい人は猫の手でも借りたい。入国管理局は難民の命を収容期間だけきっかりお借りして、政権交代という未曾有の事態をしのごうとしているのである。

2010/05/07

古き良き体罰

ぼくが子どもの頃は教師が子どもに体罰を行うのは普通のことで、小学校と中学校ではよく殴られたものだった。

今なら、不登校になってもおかしくはなかったかもしれないが、殴られても殴られても文句をいわずに通っていたのは、おそらく殴られた衝撃のせいで頭がおかしくなってしまっていたからだろう。

今では、体罰と聞くととんでもないことのように思えるし、またそれが当たり前のことだったふた昔ほど前の時代が、いかにも野蛮な時代だったように感じられる。

それは実際そうなのだ。体罰が必要であると考える人もいるだろうが、体罰によって生まれる悪のほうが体罰をしないことによって生まれる悪よりもはるかに大きい、と思う。そして、その悪が減少した分だけ、世の中はよくなっているといえるわけだ。

子どもを小学校に通わせているあるカレン人のお母さんが、こんなふうにこぼした。「日本の先生は弱すぎるね。ビルマの先生はもっと厳しいよ」

日本の教師はもっと子どもをピシリとやるべきだというのである。

こういう言葉を聞くと、「ああビルマはいい国だ」などといって、古き良き失われた日本をそこに見いだそうとする人が必ずいるものだ。

ぼくはそうは思わない。むしろ、そうした教師の実力行使が、ビルマ社会にはびこる暴力とどこかでリンクしているのではないかと考える。そして、またこうも思う。そんなふうに昔を美化する日本人も、子ども時代に殴られすぎて、頭がどうかしてしまったに違いない、と。

猫の手と難民(2)

それはともかく、こうした方針転換の理由について、いくつかの説がある。

ひとつは民主党が政権を取ったことにより、この方針転換がおきた、というものである。つまり、民主党が難民に対して厳しい態度で臨むという方針を打ち出したことに起因する、というのである。

だが、これは2つの点から間違いだとわかる。まず、民主党には難民の処遇の向上のために活動している議員がいる数少ない政党のひとつである(とくに中川正春議員と今野東議員)。

この点からすればすくなくとも、今回の方向転換が(転換そのものに関するかぎり)民主党主導であるとは思えない。

もうひとつは時間的な問題である。

品 川の収容者の増加は、夏の終わり頃からはじまっていた。本格的に増えはじめ、その悪い方向への変化を誰もが気づき、確信するようになったのが9月頃のこと である。もちろん民主党政権がそれに拍車をかけたということができるが、先に述べたようにそれは民主党主導とは考えにくい。

それに、9月に発足した政権が、入管行政にそこまで即座に関心と影響を及ぼせるものだろうか。これまでの動きを見るかぎり、何事もゆっくり、がこの政権の特徴であるようだ。

ゆえに、この方針転換は民主党政権に起因するというよりも、民主党政権誕生に対するリアクションであると見たほうがいいだろう。そして、そのリアクションの主体は、もちろん入国管理局(法務省)である。

2010/05/06

猫の手と難民(1)

去年の秋頃から、難民の収容に関して入国管理局が変わった。

それまではどちらかというとよい方向に向かっていた。つまり、収容が少なくなり、また収容そのものの期間も短くなった。仮放免申請を出せば、約2ヶ月で出られたのだった。

しかし、去年の秋から、ビルマ難民の収容が急増し、暮れ頃には100人を超えていた。

そして、同時に仮放免申請から仮放免までの期間も長くなった。4月30日にぼくが仮放免手続きをした人は、11月の初めに申請した人だ。つまり、申請から6ヶ月もかかっている。

牛久の収容所でもやはり変化があった。ビルマ難民への仮放免申請が却下されるようになったのだ。これも、数年前までは当たり前のことだったが、近頃ではたいてい「一発で」申請が通るようになっていた。

また、品川のビルマ難民収容者が長崎の大村収容所に送られるという事態が発生した。これは2006年頃まではよくあったが、最近はなかったことだ。ここにはぼくが保証人をしている人がひとり収容されているが、なかなか申請が通らない。現在3回目の仮放免申請中だ。

こ れらの状況は、すべて入管の難民に対する方針が悪化したことを示している。ここで取り上げたのはビルマ難民の例ばかりだが、ビルマ難民ばかりに限った話で はない。というか、日本の難民の中でもっともよい扱いを受けていたのがビルマ難民であり、それ以外の国出身の難民ははるかにひどい状況におかれている。