2010/08/31

2010選挙ボイコット委員会

8月29日、16の在日ビルマ民主化団体、非ビルマ民族政治団体が集まって「2010選挙ボイコット委員会2010 Election Boycott Committee (Japan)」が結成されたとのこと。日本のビルマ活動家による反選挙キャンペーンが本格的に動き出したといえる。

参加団体は次のとおり。

1  国民民主連盟解放区日本支部(NLD-LA-JB)
2  ビルマ民主連盟(LDB)
3  ビルマ民主アクション(BDA)
4  ビルマ民主連合(DFB)
5  全ビルマ学生連盟(ABSFU)
6  新社会のための民主党(DPNS)
7  在日ビルマ難民たすけあいの会(BRSA)
8  SAVE BURMA
9  PEACEFUL BURMA
10 在日ビルマ市民労働組合(FWUBC) 
11 SCI
12 アリンエイン
13 ビルマ民族民主戦線日本代表(BDF-B)
14 パラウン民族協会(PNS)
15 在日アラカン民主連盟(亡命)(ALD-Exile-Japan)
16 在日チン民族協会(CNC-Japan)

JACが今も存続していれば、JACが中心となってこうしたキャンペーンを張るところだろうが、あいにく分解してしまったので、新たな集合体が作られたとのこと。JACの牽引役のひとつであったビルマ日本事務所(BOJ)の名前が加わっていないのも気になるところだ。もっとも、BOJ自体には実質的な動員力はないようなので、運動の規模にはさほど影響はしないだろう。

この委員会の具体的な活動についてはまだ情報がないが、次の4部門に分かれて活動するらしい。

1.Public Education
2.Public Awareness Campaign
3.Election Watch
4.Logistics

参加団体の初期のリストではAUN-Japanの名前があったが、最新のリストでは、その代わりにNDFとパラウン、チン、アラカン民族の政治団体の名前が入っている。

想像するに、最初のリストではこの委員会の多数派のビルマ人が、会議に参加した非ビルマ民族政治団体の名前を個々に記さずに、勝手にAUN-Japanでまとめてしまったので、非ビルマ民族のほうから訂正の申し入れが来た、というところではないか。

JACが弱体化したのは、BOJとNLD-LA(JB)などとの間に意見の相違が生じ、後者が脱退したからだとの話を聞いている。

この委員会もせめて選挙の日まで保って欲しいものである。

なお9月18日に公式発表をするらしい。

2010/08/30

「悲しみの涙で溢れるエヤーワディー」評

日本在住のビルマ人監督の製作した「悲しみの涙で溢れるエヤーワディー」上映会に行きました。

編集や録音は必ずしも良いものではなく、また上映中にも映像と音声がずれるというハプニングもありました(これは第1回の上映なので仕方がない)。

ですが、映画そのものはすごかった。笑いあり涙あり、歌あり踊りあり、恋ありアクションありという何でもつまった娯楽映画の王道でした。2時間の間にこれでもかといわんばかりに詰め込んだ感じは、インド映画にも似ている。

しかも撮影地が、江戸川に見えない。本当にビルマのイラワディ川の情景のようだ。もちろんそう見えるように撮影し、その感じを出すべくいろいろセットにも工夫を凝らしているのですが。これにはどんなCG・特撮よりも、感心させられました。

物語の舞台は、イラワディ川の村。新任教師と同僚の美人教師。その美人教師を狙うどら息子。借金取りに悩まされる一家。弟思いの少女。村の悪党たち。軍事政権の手先の村長。カレン人の婚約者たち。歴史を語る老人などなどの登場人物による「織りなし」型のストーリーだが、その織りなし方も堂々たるもので、安心してみていられる。

基本的には、ビルマの伝統的なドラマの運びで、音楽もビルマ音楽を用いている。しかも滑稽なところには滑稽な音楽、悪人には暗い音楽が流れるのでわかりやすい。

物語の中盤で、サイクロンが襲来する。これは実際の映像を用いているが、その後の映像処理は、伝統的というよりも現代的で、ビルマのPV風の流れを挟みつつ、ハリウッド大作流の技法で終わるという、驚異の展開。監督の「やりきった!」という声が聞こえてきそうなほど。しかもラストシーンが泣ける。

主役の少女は、素人の演技とは思えませんでした。その他の俳優も基本的には素人。知っている人ばかりで、デモなどでお馴染みの女性活動家が悪役で登場したときには、観客も大喝采を送っていました。えっ、あの「スター」がこの役で?って感じで。そういうローカルな楽しみにも溢れている。

奇妙に思ったのは、サイクロン襲来が映画の中盤で、その後にタイトルが挿入されること。それと後半、軍事政権の軍人が村人を虐待する場面がいくつかあるが、その度に観客のビルマの人々が笑うこと。以前にも、軍事政権の弾圧を描いた劇で同じような笑いが漏れたことがあった。これがどうしてなのか分からない。ある種の文化では残虐さは笑いと結びついているが、ビルマもそうなのだろうか。

それにしても、田舎のつましい暮らし、子どもたち、童歌、川の風景などなどいかにもビルマらしい情景に溢れたこの映画を見て思うのは、みんなビルマに帰りたいのだな、 ということ。民主化運動の「政治的プロパガンダ」的な部分(決して嫌みにならない程度の)もあるが、基本的に望郷の映画というか、そういう意味で「亡命者たちの作った映画」ということを強く感じました。


舞台挨拶の様子

借金のカタに牛を取り上げるシーン

2010/08/28

ドイツの寿司

ドイツで難民認定されたTさんはフランクフルトの寿司屋で働いていた。

かなりの人気店だったそうで、週に同じ魚を36本も捌いたことがあるという。もっとも、それがどれくらい多いのかは分からないが。

ドイツではどんな変わった寿司があるのですか、と尋ねたら、申し訳なさそうに「日本ではありえないけど、ピーマンの寿司かな」と答えてくれた。

握りか細巻きか軍艦かは聞きそびれたが、カッパ巻きを考えれば、決して「ありえない」味とはいえない。むしろ、歯ごたえと苦みでけっこう美味いかもしれない。

回転寿司のメニューにあっても良さそうなものだが、ざっと調べた限りみあたらない。 ということは少なくとも一般的ではないのだろう。

ところで、河童といえば謎に満ちた生物である。ドイツにおいてこの謎に匹敵するのはカスパー・ハウザーを措いてない。

ゆえに、ピーマンをネタにしたこの新種の巻き寿司を「カスパ巻き」と呼んだらどうかと提案したい。

2010/08/26

異邦人たち

ドイツで難民認定されたビルマ人、Tさんから聞いた話。

Tさんが暮らしていたのはフランクフルトで、滞在資格を得てからは寿司屋で働いていた。

ある晩、いつものように店にいると、見知らぬ若い日本人が入ってきた。パスポートもお金もなくしてしまったので、働かせて欲しい、というのだ。Tさんは日本人の社長に電話したが、無理だという。

この若者が不憫になったTさんは、閉店まで待っているようにいい、その後、いくつか心当たりに連絡してやった。だが、あいにく無一文の外国人を雇ってくれるところなどなかった。

青年は途方に暮れて、しょんぼりしていた。Tさんは、日本で働いていた経験もあったから、多くの日本人を知っていた。どうやら、そう悪そうな人間にも見えなかった。

そこで、彼が事情を聞いてみると、青年は、ドイツに音楽の修行に来たのです、と語った。

「ですが、空港で置き引きにあって、全財産をなくしてしまいました。日本にいる親に連絡を取ってお金を送ってもらうつもりなのですが、時間がかかるようです。それまでどうしたらよいか、本当に分からなくて・・・・・・」

Tさんは言った。

「ならば、わたしの家にしばらく泊まりなさい。朝にはわたしと一緒に家を出て、わたしが働いている間は、公園かどこかで時間を潰しなさい。夜はこの店で待ち合わせてわたしと一緒に帰りましょう」

この提案に、青年は涙を流して感謝した。

Tさんはこの青年を注意深く観察していた。その人間性の善し悪しが問題であった。だが、いたって真面目な若者のようにみえた。彼はTさんの言いつけを良く守り、また金品をくすねたりなどもしなかった。

そこで、数日後Tさんは彼に自転車の鍵を渡し、「わたしが働いている間はこの自転車で好きなところに行きなさい」と告げた。

10日あまりが過ぎた。その間、Tさんは青年に寝場所はもちろん、食べ物まで提供した。毎朝、同じものを食べて外出し、毎晩、同じものを食べて、眠りについた。Tさんは自分がこの青年の善良さを確信したのは誤りではなかったと感じていた。

そして、ついに青年の元に両親からお金が届いた。青年は大喜びでTさんの前に立った。彼の手には、お金が握られていた。

「Tさん、このお金で・・・・・・」

Tさんは友人(そう、もはや2人はそう見なせるほどに腹を割って話せる間柄になっていた)をじっと見た。その目は輝き、頬は紅潮していた。もとよりそんな礼など期待していたわけではなかった。人間として当然のことをしたに過ぎない、と拒絶を仕草で示そうとしたTさんにむかって、青年は言った。

「このお金で、わたしを風俗に連れて行ってください!」

Tさんはそうしたところに足を踏み入れたことはなかったが、仕方なく案内してやったのだそうだ。

致命的

あるカチンの女性が教えてくれたことには、来日したばかりで日本語も何もまだ分からなかった頃、「いらっしゃいませ」と「ありがとうございました」を取り違えて、アルバイト先で恥ずかしい思いをしたことがあったとのこと。

まあ、それくらいならば害はないが、彼女の知り合いには「大丈夫」と「あぶない」を取り違えていた剛の者もいたという。

その強者の仕事先は、建築関係か何かだとのことで、ある日現場の片付けを命じられた彼がドラム缶を開けようとしていると、日本人のボスが遠くの方から「あぶない! あぶない!」と叫んでいる。

ならば「大丈夫」と思った彼は、そのまま蓋を開けようとした。すると、その日本人が血相を変えて飛んできて彼を殴ったので、「ああ日本とはなんというところか」と憤慨したという。ちなみにそのドラム缶には有害な薬品が入っていたらしい。

2010/08/20

ボルヘスでお馴染み

2006年に入国管理局に収容され、そこで難民認定申請を行い、長い審査の後不認定処分となり、処分取り消しを求めて裁判を起こし、最高裁まで行ったが敗訴し、2010年現在、振り出しに戻って再び難民認定申請中の身となった人に、「最近いかがですか?」と尋ねたら、こんな答えが返ってきたそうだ。

「わたしはまだ迷路にいます」

2010/08/19

5対1

8月8日の民主化デモで、たくさんのビルマの人に会いましたが、そのうちの5人の人に

「太った?」

と言われ、ひとりに

「痩せた?」

と言われ、今年の夏は1勝5敗の結果に終わりました。

ちなみに、ビルマ社会では「太った?」と挨拶代わりに聞くのは普通のことで、一種の褒め言葉です。ですが、そんな風にビルマ流の挨拶をする人は、日本社会をよく知る人から「日本人に対しては失礼だから止めなさい」とたしなめられたりしています。

「太った?」というのは決まり文句の挨拶であるということは、すべての挨拶がそうであるように、必ずしも事実に即している必要はないということでもあります。たとえば、日本語の「お元気ですか」にしても、本当に相手が元気であるかどうかはあまり関係ありません。

すると、わたしを大いに喜ばせたところの「痩せた?」にしても、ビルマ流の「相手の体型をほめる」を日本社会にいわば逆に修正して反映させたにすぎないのかもしれません。日本人相手に「太った?」と聞くのは失礼なので、逆に「痩せた?」と気を利かせた可能性も大なのです(しかし、これもまた間違いで、正解はもちろん「人の体型については何も言わない」です)。

つまり、この「痩せた?」も必ずしもわたしの現在の体型に即したものとは限らないわけで、どうやら全敗の気配が濃厚になってまいりました。

まだ

8月8日のデモで久しぶりに会ったビルマの人から日本語で

「奥さん、まだ元気?」

と挨拶されました。

2010/08/12

「和の民主主義」VS「気持ちの民主主義」 (5)

まず、気持ちが場に依存したものであるかぎり、「気持ちの民主主義」に蓄積はありえない。それは絶えずその場限りに始まって終了するものであり、制度上の改良点や反省点の次回への適用はありえない。これは日本の選挙制度が絶え間ない振り返りと改良の結果であるのと好対照をなす。また、民主主義を愛する気持ちが重視されるのに対して、肝心の民主主義の内実そのものは案外問われることがない。これは、ビルマの人々が民主化を声高に叫ぶ割には、具体的なビジョンとなるとからきしなのと軌を一にしている。さらに、「気持ちの民主主義」は、制度的、理念的裏付けを欠くがゆえに、容易に独裁へと転じうる。

気持ちはあくまでも強度によって計られ、その内容は二の次となる。すると、気持ちの強さが、公平さ、人権、平等に優先するようになり、また、強い気持ちの存在する関係のほうが、弱い気持ちしかない関係よりも重視されるようになる。国民、市民といった包括的なカテゴリーよりも、同じ民族、いや同じ家族のほうが強い気持ちを惹起するに決まっている。かくして、「気持ちの民主主義」は、ビルマの軍事政権と重なり合うこととなる。軍事政権の中心人物たちこそ、気持ちの権化である。彼らは国を分裂から救おうという強い気持ちゆえに、国家を非常事態に置き、武力で「反逆者」たちを虐殺している。彼らは気持ちの強度が遠近法に従っていることを知っている。だから、身内以外に信頼関係が築けるとは信じない。彼らは気持ちを大事にするあまり、気持ちより大事なものがこの世にあることを知らないのだ。

ビルマ人と交流した日本人がしばしばこう感激するのを耳にする。ビルマの人々は本当に真心がある、と。気持ちがこもっている、日本人が忘れてしまった思いやりがある、と。そして、こう言ってみせた後に、多少ましな人ならこう首を傾げる。こんなに素晴らしい心をもっているビルマ人の政府があんなにも残虐なのは信じがたい、と。だが、称賛に値するその「真心」も「素晴らしい心」も、実際のところ、その残虐行為と地続きなのだ(「ましでない」人の場合がどうなるかというと、ビルマ政府の「真心」にもすっかり感激してしまい、その熱心な擁護者となってしまう)。(おわり)

2010/08/11

「和の民主主義」VS「気持ちの民主主義」 (4)

件の選挙で会長が固執したのはこのような「和の民主主義」であり、これはもちろんビルマ人会員には理解できないものであった。そもそもビルマ人はそのような「和」を民主主義における最優先事項とは認めないのである。では、ビルマ人たちは何をもって民主主義の最優先事項と理解しているのか。ぼくの経験からいうと、それは「気持ち」である。ビルマ人は、自分たちが民主主義に関わっているという気持ちが満たされないかぎり、それを決して民主主義とは認めないのである。

だから、その気持ちを満たすためならば、どのようなことでもする。一度決まったことをひっくり返すことも問題とならない。それでみんなの気持ちが満たされるのならば。なぜなら、会員たちの民主主義手続きに関わっているという気持ちこそが、選挙に正当性を与えるものだからだ。日本人のように念入りな準備によって選挙は正当化されはしないのである。それゆえ、どのような選挙がふさわしいかは、集まった人々次第で大いに変わりうる。その意味では、準備など無駄なのだ。

また、気持ちの盛り上がりが大切という点では、選挙は同時に祝祭でもある。権利の祭典でもある。気持ちの解放の場でもある。そのようなお祭りに水をさす行為、つまりここでは会長の振る舞いであるが、それはひそかなブーイングの対象となる。

気持ちが大事、これは当然のことだ。ビルマ人たちはそうした民主主義的な気持ちを認められない国から逃げてきたのである。ビルマの民主化は、抑圧されてきた民主主義を切望する気持ちを解放するところからはじめなくてはならない。だが、同時にこのビルマ的な「気持ちの民主主義」は欠点や危険性をはらむ。(続く)

2010/08/10

「和の民主主義」VS「気持ちの民主主義」 (3)

さらに指摘しておくべきは、「想定外の事態」と「危機」とはまったくの別物だということだ。「想定外の事態」には危険な事態をも含みうるが、それ以外の事態(「サプライズ・ゲスト」「意外な発見」「予期せぬうれしい展開」などなど)をも含みうる。また、危機は想定外の事態からばかり発生するわけではない(われわれは自動車教習所でこれをいやというほど叩き込まれるのだ……)。しかし、この部分的に重なり合うにすぎないものを、あたかも丸ごと重なり合うかのように思い込まされ、何につけても危機管理、危機管理と怯えさせられるのが、現在の日本の治安状況なのだ(これで、わかろうというものだ。どうして外国人が入国管理局の収容所に閉じ込められなければならないかが。外国人は想定外であるがゆえに危険なのだ。「連中は何をしでかすかわからないからな!」)。

さて、この予防措置が、どのようにして民主的であることにつながるのか。それは、この危機管理が、あらゆる人のためになされるということに関係する。それはすべての人々をやさしく包み込む親心であり、老婆心だ(いらぬおせっかいでは断じてない)。誰でもみんなおいで! ここにいれば安心だよ! こうすれば安全だよ! そのようなあったかーい配慮のもと、万人に対してなされる事柄が、どうして民主的でないことがありえようか。もちろんそうに決まっている。民主主義とは、みんな平等、みんな安全に暮らすことなのだ。それを確保する手だてが、どうして民主的でないなどといえるだろう。そうだ、和をもって尊しとせよ、これこそ、日本の民主主義だ。聖徳太子は民主主義の先駆者なのだ!

人々の関係の平穏さ、和合を民主主義の実現態と捉える、日本人の民主主義観を「和の民主主義」と呼ぶことにしよう。日本人の民主主義的努力は、この和の実現に対してのみ費やされる。和は、民主主義を成り立たせる他の要素、公平さ、正義、人権、言論の自由に対し優先的な地位を与えられる。これらの諸要素が、和の達成にとって有害であると判断される場合には、躊躇なく抑圧されるのである。

しかも、重要なのはこの和そのものが、ある種の民主主義的手続きとは無関係であるということだ。ここでぼくが念頭に置いているのは投票だ。確かに、有権者の登録から、通知はがきの送付、投票所の開設、実際の投票、開票と集計までのあらゆる手続きは、和の民主主義の関心の中心的事柄をなす。滞りなく、無事に投開票が完了するよう、あらゆる配慮がなされるのである。投票所では、子どもに配るための風船まで置いてある。誰が膨らませてくれたのか知らないが。だが、こうした完璧な準備、配慮にも関わらず、和の民主主義は肝心な事柄に触れるのにつねに失敗する。その関心からは、個々の有権者の投票したいという気持ちをどのように盛り上げるかという問題はすっぽり抜け落ちてしまうのである。和の民主主義は、和の実現が確信されるだけの準備ができるやいなや、姿を消してしまう。あたかも詳細な計画を立てるだけで満足してしまう人のようでもあり、笛さえ入念に磨き上げておけば、誰ひとり踊らなくても結構、と考えている笛吹きのようでもある。だが、人は投票所が安全だからとか、十分に準備されているからという理由で投票に行くのではない。投票によって自分の意見を表明できると確信している人、あるいは表明できるかもしれないと思っている人が行くのだ。和の民主主義からは、この確信は決して生まれてこない。なぜなら、意見を表明するという行為は、つねに他の意見表明との関連においてなされうるものであり、意見相互の関係は必ずしも調和的なものとは限らないから。(続く)

2010/08/09

「和の民主主義」VS「気持ちの民主主義」 (2)

だが、総会の日がやってきて、選挙が始まったとき、会長は驚愕する。なぜなら、選挙は、あたかも準備などされていなかったかのように行われたからだ。あらかじめ決められた効率的な投票法のかわりに、無駄の多いやり方が採用されていた。立候補はすでに締め切られているにもかかわらず、選挙委員たちは公然と呼びかけた。「この会場に立候補したい人がいるのなら、名乗り出てください!」(なお、選挙委員はBRSAの会員以外の第三者、具体的には他のビルマ民主化団体の代表が務めていた)。

会長は抗議をする。まったくもうめちゃくちゃ! 会議で決めた通りになんでできないの? 規則もへったくれもないなんて、まったく民主的ではない! だが、ビルマ人たちは聞く耳を持たない。なかには「はて、会長、なんでそんなに起こってるの?」という顔をする人もいる始末だ。

とうとう果敢な会長も諦める時がきた。大きなため息をついて、やりきれないといった体で、椅子に座る。そして、そのまま選挙は続行され、滞りなく終わり、投票した会員たちは満足して会場を後にしたのだ。

若干脚色を加えたものの、ぼくの意図は会長を揶揄することではない。そうではなく、この会長の行動、総会や選挙に対する態度、ビルマ人会員の「やり方」に関する反応が、多くの日本人が共有するものではないかと考えているからだ。つまり、会長は日本人なら当たり前のことをしたのである。

会長の思考で何よりも特徴的なのは、選挙を滞りなく終わらせることのみを至上の目的としていることだ。会長の関心、その努力はこの目的の実現のみに向けられており、さらにいえば会長(もしくは役員)という職の自己規定は、この目的の達成に関わるものであったといってよい。

こうした態度は、実は日本社会に溢れている。いわゆる「シャンシャン総会」というものがそうだ(用意周到な想定問答集も忘れてはなるまい)。イベント前の度重なる打ち合わせ、あるいは根回しと呼ばれる非公式の打ち合わせがそうだ。そして、次回につなぐための反省会もそうだ。議会で官僚の用意する答弁書やあらゆるやりとりが定められた「脚本」がそうだ。

これらはすべて、日本人がいかに「想定外の事態」を怖れ、それを排除しようと躍起になっているかの証拠であり、この恐怖は、突き詰めていけば日本人の社会の秩序の意識、治安感覚、危機管理、ひいては統治のあり方にまで行き着くだろう。とはいえ、ここではこれを論じるわけにはいかないので、ただ2点だけを指摘しておこう。まず、ある事態が「想定外」もしくは「不確定」であるかは、必ずしも客観的なものではない。ある人にとっては想定外のものが、他の人にとってそうであるとは限らない。事態が不確定かどうかは、それを受け取るものの経験や知識に左右されるのである。想定外の事態が誰にとっても想定外とは限らない。天気予報を見ない人に限って、ずぶぬれになるのだ(しかも、天に向かって「さっきまで晴れていたのに、今になって振り出すとはなんというヤツだ!」と罵りだすときたもんだ)。

また、想定外かそうでないかは、文化や習慣の問題でもある。日本人が想定外と感じるものも、他の文化に属するものにとってはそうでもないかもしれない。選挙のとき、会長が、日本人にとっての想定外として忌避したものは、あるいはビルマ人にとっては想定のうちだったのかもしれないのだ。(続く)

2010/08/08

「和の民主主義」VS「気持ちの民主主義」 (1)

2010年5月16日、在日ビルマ難民たすけあいの会(ビルマ難民と日本人で運営している難民支援団体。略称はBRSA)の役員選挙が「民主的に」行われ、副会長のぼくを含めた中央執行委員が選出された。

ここで「民主的に」と括弧付けしたのには意味がある。ビルマ人(ここでいう「ビルマ人」は必ずしもビルマ民族のみを意味するわけではない。ただし、現在約 460人いるBRSAの会員のほとんどはビルマ民族)の会員の目から見れば、それはかなりの程度「民主的」であったに違いないが、日本人(もちろん、大和民族に限らない)会員の目から見れば必ずしもそうとはいえなかったからだ。

とはいえ、選挙を担ったBRSAのビルマ人執行部や、それを受け入れたビルマ人会員が民主的ではなかったといって非難したいわけではない。ただ、今回の選挙を通じて、ぼくはビルマ人と日本人とでは「民主主義」という語に込める意味、「民主的であること」に関する解釈が異なることを感じて、非常に面白く思ったのだ。

さて、BRSAの選挙で何が起きたかを簡単に記そう。

今回の選挙に先立つ会合で、BRSAの日本人会長は次のように執行委員会でたびたび訴えていた。「BRSAの選挙も3度目なのだから、しっかり準備して、混乱も滞りもなく、すみやかに終わらせましょう!」

そのためには、何が必要か? もちろん、あらかじめ立候補者をリストアップしておかなくてはいけない。前回の総会での選挙のように、当日その場で立候補者が出るなんてもってのほかだ。そんなことがあったら総会は大混乱に陥ってしまう。それに、立候補者が前もってわかっていれば、不適格な候補者がいた場合、前もってふるい落としておくことができる。泡沫候補は選挙の手間を増やすばかりだからだ。しかも、そんなおかしな候補が何かの間違いで当選したらどうなる? そうなったら、今後の会の運営にも支障が生じてしまう!

会長の考えをぼくなりに要約すれば、次のようになる。中央執行委員会の責務は、総会と選挙を無事に終わらせて、次の役員に会を手渡すことにあるのだから、あらゆる不確定要素は除外しておかなくてはならない、と。

なんなら(と日本人会長は考えを進める)、中央執行委員会で次期役員を決めてしまって、総会ではただ会員から承認の拍手をもらうだけにしたらどうだろうか。そのほうが時間の節約にもなるし、無用の混乱も避けることができる。これはいい!

だが、そう思ったのは会長だけで、ほかのビルマ人役員たちはむしろ困惑顔だ。会長は会議に出席するもうひとりの日本人である副会長に加勢を求めようと目を向けるが、こいつときたら肝心な時にあらぬほうを見つめている。目を合わせまいとしているのだ! 

こんなふうに多少の後退を余儀なくされたことはあったものの、会長はそれ以外の点では決して譲歩をすることなく、選挙の準備を進めていったのだ。(続く)

2010/08/07

「悲しみの涙で溢れるエヤーワディー」上映会

在日ビルマ難民の映画監督テイティッ(HTAY THIT)さんのことは以前にも書いたが(江戸川と映画監督)、とうとう映画が完成したようで、8月29日に上映会が行われるそうだ。

【以下案内】

「悲しみの涙で溢れるエヤーワディー」上映会 

これがミャンマー(ビルマ)の現実だ!
2008年5月、サイクロン・ナルギスがミャンマーを襲った。
15万人もの命が失われた。被災者は250万人。
なぜこれほどまでに被害が拡大し、悲劇を生んだのか?

日本に住む映画監督ティッターが事実に基づいた脚本を自ら執筆、撮影にあたった。
助監督はアウンリンナイン。多数の在日ビルマ人が出演するなど制作のすべての面で協力。サイクロンに襲われたビルマで何が起こったのかを赤裸々に再現した。

ミャンマーのエヤーワディー(イラワジ)管区、サイクロン・ナルギスが襲われた被災者たちが実際に体験した恐怖や悲嘆を、人びとの暮らしぶりや社会のありようをふまえて描いた映画です。この映画を通じてミャンマーのありのままの姿を知っていただきたいと願っております。上映に際してご協力いただいた寄付金は、関係団体に託し、被災地域の再建に役立てます。

上映会

期日:2010年8月29日(日曜日)

場所:南大塚ホール(大塚駅)

スケジュール:
第1回:午後1時30分〜3時30分
第2回:午後4時00分〜6時00分
第3回:午後6時30分〜8時30分

なお、次のリンクも参照されたい。

http://www.badauk.com/tokyo_biruma/event_report11.html

2010/08/06

アラカン民主連盟(亡命)第5回総会(2)

ALD-Japanの顧問を務めさせていただいている関係で壇上に呼ばれ、あらまし以下のようなスピーチをさせていただいた。

「あるアラカンの人が教えてくれたのですが、アラカン州で話されているアラカン語は、ひとつではなく、いくつもの種類(方言)があるとのこ とです。日本でもさまざまな方言がありますが、若い世代の間では古い言葉はどんどん失われています。そのため、地元の人や研究者が方言を記録に残そうと一 生懸命活動をしています。

日本語の方言ですら、きちんと記録しなければ失われてしまうかもしれないのに、ビルマ民族以外の民族の自由、ビルマ語以外の言語研究・教育の自由が認められていないビルマで、多くの方言、言語が消失の危機にあるというのは当然のことです。

また、日本に暮らす多くの難民、特に子どもを持つ難民の悩みは、子どもたちが自分たちの民族の言語を習得することができずに、日本語話者となってしまうということです。

アラカン民主連盟のみなさんは、アラカン民族の権利、文化、言語を守るため、ビルマ軍事政権と闘い、その結果、日本に難民として逃げてこなくてはならな かったのですが、そのように民族のために闘った結果、日本で民族としてのアイデンティティの喪失に直面しているという皮肉な事態が生じているのです。

ビルマ国内と、日本国内の二つの状況が指し示すのは、アラカンの文化、言語を全面的に守り維持するために、アラカン民主連盟として積極的に行動を起こさなければならないということです。

とくに、日本社会は他の文化、言語に対して決して理解があるといえませんから、日本に定住するアラカン民族として、自分たちはどのような生 活を望んでいるのか、自分たちの子孫がどのようになっていってほしいのか、しっかり日本社会に対してアピールする必要があると思います。

ぼくとしてもそのためのお手伝いを今後一緒にできればと考えております。」

2010/08/05

アラカン民主連盟(亡命)第5回総会(1)

在日アラカン民主連盟(亡命)(Arakan League for Democracy [Exile] Japan, ALD-Japan)の第5回総会が、7月25日、東京高田馬場で開催された。


ALD-Japanの総会には毎年招待されていて、また中心人物である前会長ZAW MIN KHAINGさんと現会長HLA AYE MAUNGさんとは親しい友人でもある。

ALD-Japanは組織としてもしっかりしていて、それにも非常に好感を持っている。

毎年総会で配布される報告書も、必要な事項、活動報告、会計報告などがすべて収められた見本にしてもいいぐらいの出来だ。


ちなみに報告書によれば、ALD-Japanの会員数は81名。2003年にはじめてZAW MIN KHAINGさんに会った時は、ほとんど彼ひとりといってもよかったのだから、たいした発展である。