2010/08/30

「悲しみの涙で溢れるエヤーワディー」評

日本在住のビルマ人監督の製作した「悲しみの涙で溢れるエヤーワディー」上映会に行きました。

編集や録音は必ずしも良いものではなく、また上映中にも映像と音声がずれるというハプニングもありました(これは第1回の上映なので仕方がない)。

ですが、映画そのものはすごかった。笑いあり涙あり、歌あり踊りあり、恋ありアクションありという何でもつまった娯楽映画の王道でした。2時間の間にこれでもかといわんばかりに詰め込んだ感じは、インド映画にも似ている。

しかも撮影地が、江戸川に見えない。本当にビルマのイラワディ川の情景のようだ。もちろんそう見えるように撮影し、その感じを出すべくいろいろセットにも工夫を凝らしているのですが。これにはどんなCG・特撮よりも、感心させられました。

物語の舞台は、イラワディ川の村。新任教師と同僚の美人教師。その美人教師を狙うどら息子。借金取りに悩まされる一家。弟思いの少女。村の悪党たち。軍事政権の手先の村長。カレン人の婚約者たち。歴史を語る老人などなどの登場人物による「織りなし」型のストーリーだが、その織りなし方も堂々たるもので、安心してみていられる。

基本的には、ビルマの伝統的なドラマの運びで、音楽もビルマ音楽を用いている。しかも滑稽なところには滑稽な音楽、悪人には暗い音楽が流れるのでわかりやすい。

物語の中盤で、サイクロンが襲来する。これは実際の映像を用いているが、その後の映像処理は、伝統的というよりも現代的で、ビルマのPV風の流れを挟みつつ、ハリウッド大作流の技法で終わるという、驚異の展開。監督の「やりきった!」という声が聞こえてきそうなほど。しかもラストシーンが泣ける。

主役の少女は、素人の演技とは思えませんでした。その他の俳優も基本的には素人。知っている人ばかりで、デモなどでお馴染みの女性活動家が悪役で登場したときには、観客も大喝采を送っていました。えっ、あの「スター」がこの役で?って感じで。そういうローカルな楽しみにも溢れている。

奇妙に思ったのは、サイクロン襲来が映画の中盤で、その後にタイトルが挿入されること。それと後半、軍事政権の軍人が村人を虐待する場面がいくつかあるが、その度に観客のビルマの人々が笑うこと。以前にも、軍事政権の弾圧を描いた劇で同じような笑いが漏れたことがあった。これがどうしてなのか分からない。ある種の文化では残虐さは笑いと結びついているが、ビルマもそうなのだろうか。

それにしても、田舎のつましい暮らし、子どもたち、童歌、川の風景などなどいかにもビルマらしい情景に溢れたこの映画を見て思うのは、みんなビルマに帰りたいのだな、 ということ。民主化運動の「政治的プロパガンダ」的な部分(決して嫌みにならない程度の)もあるが、基本的に望郷の映画というか、そういう意味で「亡命者たちの作った映画」ということを強く感じました。


舞台挨拶の様子

借金のカタに牛を取り上げるシーン