2010/10/22

先生ども

東京都庁の27階にある都民生活部にビルマ・コンサーンのNPO法人の設立申請に行った。

申請を受け付けてくれたのは年配の男性で、ちょっと厳しそうだ。前回は若い女性で威圧的な印象は受けなかった。しかし、書類の不備を指摘され、受理してもらえなかった。

今回は万全を期したつもりだ。ぼくは共同して代表をしているタンさんと、再び都庁に乗り込んだのであった(もっとも、申請は郵送で済ませることもできる)。
 
カウンターに座ると、職員が書類を一枚一枚念入りにチェックしはじめた。ぼくたちはハラハラしながら見つめる。だが、そんな心配はないのだ。ぼくたちは抜かりなかった・・・・・・。

ぼくたちはまず、申請書類の中に茶封筒を挟んでおいた。 そいつに気がついた職員は、周囲に気がつかれぬようそっと手で隠して、ポケットに入れた。

だが、職員は再び書類に目を戻した。理事の名前に間違いがないか、眉根を寄せてひとつひとつ指でなぞっている。ぼくたち理事全員を指で潰してやろうかというぐらいの力の入れようだ。

おそらく封筒が薄かったのだ。手触りで分かったのだ。こうなりゃ、プランBだ。

ぼくはおそるおそるいう。「先生のお部屋はどちらでしょうか・・・・・・いや、たいしたことじゃないんです。だたちょっと後でご挨拶にでもと思いまして」

だが先生、これには返事をせず、理事の住民票と理事のリストに記された住所の照合に没頭している。ますます険しい顔して。きっと部屋ではなにか不都合があるんだ。いや、単に虫の居所が悪いだけなのかも。

では、次の手に打って出るしかない。「あの、先生、こう根詰めてお仕事したんじゃ、お体にも障りましょう。ちょっと、外でお茶でもいかがですか」

喫茶店でちょいと鼻薬を効かせようっていうのがこっちの魂胆だ。だが、うんともすんともいいやしない。こいつは手強いぞ。ひょっとしたら、朝から同じような手合いにお茶ばっかり飲まされて、腹がはち切れんばかりなのかもしれない。

それとも、疑り深くなっているのかも。「先生、お茶代をどうぞ」などといわれて渡された封筒に、本当にお茶一杯分しか入っていなかった、マジで一杯食わされた、なんてことが続いたので。

見れば、苦虫をかみつぶしたような顔。ムネン、全部裏目に出たか。これじゃ、いつ突っ返されるか、もうわかりゃしない。

こんなことならはじめからブローカーに頼んでおけばよかった! 金はかかるが、役所とツーカーでちょちょいのちょいだ。その間ぼくたちは、家で寝転んでいいればいいって寸法だ・・・・・・。

すると、職員は言った。「では、少々お待ちください」 書類を持って奧に引っ込んだ。なんと第1段階を突破したようだ。

職員が申請書類を目の前で精査するその緊張感に耐えかねて、ぼくはすっかりビルマ風のやり方に空想で逃げ込んでしまったらしい。もちろんここは日本だ。ここでは職員を「先生」扱いしないし、職員たちはといえば、ぼくたちを「お客様」と呼んでいる。それに、担当してくれた職員もなかなか腰の低い人だということがわかった。

【追記】

この文を発表した後、ある人からこれはとんでもない問題だというご指摘をいただいた。あたかもぼくが賄賂を支払ったかのように読めるというのである。もちろんそんなつもりはないし、そんな事実もない。

また、都庁の職員の方の対応に何か不満があったわけでもない。むしろ適切なものだったと思っている。この文の主眼は、ビルマの役所でこの手の申請をしたら一般的にどのような事態が起きるかということのみにある。だから、文中で妄念に苛まれたぼくが手渡したお金は、円ではなくチャットであり、お茶というのも深蒸し茶とか昆布茶とかダージリンとかではなく、ビルマ風のミルクティーだ。

だが、役所と交渉する時はどうしても緊張してしまう。ビルマと日本の役所の対応には雲泥の差があるが、ぼくはその緊張にひとつの共通点を見いだし、そこから話を広げてみたというわけだ。

とはいえ、誤解をした人がいる、あるいはその可能性があるということは看過できないので、もとの文に少しだけ修正を加えた。

(2010/X/28)

民主化の木(2)

演説会の演説など、たいていは紋切り型、スローガン以上のものではなく、おそらくまともに聞いたらすぐさま退屈してしまうに違いないが、いわばこの木はどの聴衆よりも辛抱強く聞いているわけで、まったく立派なものだ。

つまり、この木は日本における民主化活動の生き証人とでも言うべきで、ビルマが民主化されたあかつきには、宣伝次第によってはちょっとした観光地にもなりそうだ。「民主化の木」だなんて呼ばれて。

それに、よく植物に音楽を聴かすとよく育つとか、味がよくなるとかいって、それを実践している人もいるが、これだけ演説を聴かされれば、木の方にも何か変化が起きているという可能性だってないとはいえない。

ある民主化活動家が五反田南公園の立派な木に感心して撫でたり触ったりしていると、別の民主化活動家がそれを見咎めて言った。

「あぶない! ちょっとの力でヒビが入るから。なにせウロだらけだからね」

こっちのほうのジョークは、ぼくが作ったもの。

2010/10/21

民主化の木(1)

あるビルマの人から面白いジョークを聞いた。書くなといわれたが、どうしても書かずにはいられないし、それほど害があるとも思えない。

在日ビルマ人が品川のビルマ大使館に向けてデモを行うとき、たいてい出発点となるのは五反田南公園で、これは五反田駅前にある、小さいわりに木陰の多い公園だ。デモ参加者の集合場所として利用されているわけだが、8月8日のデモなどの大イベントとなると、参加者も千人を超え、公園には入りきれないほどになる。

デモ行進というものは、集まってすぐ出発というものではなく、その前に整列や演説会などが行われる。

公園の敷地いっぱいに列をなしている参加者に向けて、行おうとしているデモの意義、民主化に向けての決意表明、軍事政権にたいする批判、政治信条の開陳などが行われるのが、出発前の演説会で、政治指導者が前に立って檄を飛ばす。

このような場で演説するということは、政治指導者にとっても、またその人が代表を務める政治団体にとっても重要な機会なので、いつも5〜6人ぐらいの政治団体代表が入れ替わり立ち替わり登場することとなる。

五反田南公園にはひときわ大きな木が一本あり、これがいわば集会の中心の役目を果たしている。整列もこの木を起点にして行われるし、また演説者もこの木を背にして立つ。

さて、ある日あるデモの集会で、この木がこんなふうに言ったそうだ。

「演説する連中はコロコロ変わるが、お前たちの国は一向に変わらないな!」

こうしたジョークを喜ぶ人々がいる限りは、ビルマの民主化もまだ大丈夫という気がする。

2010/10/20

追放

在日ビルマ難民たちで選挙ボイコット委員会が結成されたこと、そしてその委員会で数名の活動家が不当に非難されていることはすでに書いたが、先日これらの活動家が、この委員会から一方的に除名されたそうだ。

追放された活動家、というか政治指導者はそれぞれ少数民族団体の指導者である。委員会はおそらく、これらの活動家がビルマ民族であったら同じことはしないに違いない・・・・・・つまり、その背景には民族的な差別があると、ぼくは見ている。

追放した側は反論するであろう。少数民族であることが理由なのではない。その証拠に、われわれの委員会にはまだ少数民族がいる、と。

それは確かにそうかも知れない。おそらくそれらの少数民族はたまたま停戦協定を結んでいるだけなのだろう。

それは冗談にしても、選挙ボイコット委員会がビルマ国民全体をまとめるという努力を放棄したことは事実だ。だが、委員会はこう感じなかったのだろうか? それはやはり軍事政権がとうの昔に放棄していることでもあり、その放棄こそがビルマの問題の根源であるのだから、その点に関して自分たちは徹底的にセンシティブでなくてはならない、ということを。

要するに、委員会はこれらの5名の活動家を不当な理由によって追放したことにより、国民和解の努力を、民主化の大義をも追放してしまったのだ。

民主化がビルマ民族中心の国を作るためだけに行われるのならば、民主化などくそくらえだ。

2010/10/13

こんがらがってPART2

選挙ボイコットでまとまりつつある在日ビルマ政治活動指導者たちから、「選挙参加派」を支持したと見なされた活動家たちが非難されたことについては前回書いたが、その非難がなされた場で、ある指導者が一同を前にこんな風に啖呵を切ったそうだ。

「あなたたちは親選挙派なのか、ちがうのか!」

政治的指導者を自認する者がこんなことをいうとは情けない。これでは軍事政権の尋問と一緒ではないか。

「お前はスパイか、そうではないのか?」

「お前はこいつの協力者か、違うか?」

軍事政権に手ひどくやられた経験が甦ったか、こんがらがってしまったらしい。

政治はレッテルからはじめるべきではない。レッテルが覆い隠す現実から出発するのが本当の政治である。

2010/10/12

こんがらかって

在日ビルマ政治活動家は、11月7日の選挙をボイコットするという方向で一致団結しようとしているが、ヨーロッパで活動する著名な政治活動家の来日が引き金となって、これに水を差す出来事が起きた。

この政治家は選挙とは関係のない目的で日本の国会議員に会うためにやってきたのだが、問題は
彼が、選挙に参加すべき、という立場を取っていることであった。在日ビルマ政治活動指導者たちはこの「親選挙派」が日本政府にビルマ軍事政権の進める選挙を認めるように訴えに来たのだと誤解し、来日中の彼と行動を共にした活動家たちを非難したのである。

しかし、よく考えてみれば分かるように、選挙参加を容認することは必ずしも軍事政権の側に付くことにはならない。軍事政権にたいする抵抗活動のひとつとして選挙に参加するというストラテジーもあってもよいはずだし、実際、このヨーロッパの活動家の立場もそのように思える。

そして、選挙ボイコットもやはりビルマ軍事政権を変えるためのストラテジーのひとつでしかないのであり、つまり目的が同じであるならば互いに排斥する必要もないはずである。むしろ、選挙参加とボイコットという両面作戦で軍事政権に影響力を行使する道を探っていくほうが効果的なのではないか。

ところが、みんな怒っちゃった。

それというのも、目的と手段が頭の中でこんがらかってしまったからだろう。手段にすぎないボイコットが目的になってしまったのだ。ボイコットこそが、軍事政権に立ち向かっていることを示す最良のポーズになってしまって、それ以外のポーズはもってのほかということになってしまった。

敵との握手を拒否するばかりが抵抗ではない。拱手しているばかりではダメ、相手を引きずり出すにはその手を掴むことも手の内に入れておかねばならない。

もちろん、軍事政権はそうした手業を披露するにはかなり剣呑な差し手であることは承知しているが、あえてそのような手にで出ようとする人がいるのならば、むしろ応援するべき、とまではいわないまでも、すぐさま「軍事政権の敵」とするような短絡は止めたほうがいい。こうした方策をとる人から思わぬ成果が生まれないともかぎらないのだから。

民主的な社会を目指すという目的の下に、さまざまな議論、方法、ストラテジー、利害を調整・共存させ、総体として「民主化をもたらす力」を上げていくのでなければ、民主化というものはうまくいかないだろうし、たとえうまくいっても、別の形の独裁政権を誕生させるだけだろう。

ボイコット以外の選択肢を認めない活動家は、軍事政権に妥協しない選挙参加があるのと同様に、軍事政権に迎合するボイコットもありうることに気がついていない人だといえる。ボイコットそのものに隠された現状変化にたいする消極性、惰性こそが、この立場にたいする重要な反論となっている。

2010/10/09

文化的独断論をめぐって(8/8)

それはまさに大仕事だ。腰を据えた議論、長期のトレーニングやワークショップが必要だし、BRSAだけでなく在日ビルマ人社会そのものも変わらなくてはならない。残念ながら今のBRSAにはその仕事に取り組むだけの余裕はない。いかに生き延びるか、それでみな精一杯なの だ。また、ちょうど大瀧会長が試みたようにいきなりビルマの人々の考えを変えようとするのはかえって混乱のもとでもあるように思う。それがで きない以上、ビルマの人々のやり方を尊重するほかはない。ぼくはそのように判断していたのであった。

大瀧会長のお気持ちはわからないではなかったが、そのやり方ではビルマ役員たちは決して納得、いや理解すらしないだろうとぼくは考えていた。 それゆえ、ぼくにとっては、BRSAの執行委員会における選挙をめぐる、大瀧会長VSビルマ役員の議論は時間の無駄のように思えた。そこで、ぼくが何をしたかというと、手っ取 り早い妥協点を双方に提案して、擬似的な合意を形成して、この議論にケリを付けようとしたのである。なにしろ話し合うべきことはいくらでも あった。いや、口ではなく、手を動かして仕事をするべきだった。無益なものと知れている議論に使う時間はなかったのである。

「擬似的な合意」とはつまりすでに書いたように同床異夢の合意のことであるが、そのようないい加減な合意を作り上げて事足れりとしたぼくの姿 勢に対して、不誠実であるとか、いい加減であるとか、批判する人もいるかもしれない。そういわれてもぼくは反論はしないが、ひとつだけ理解し ていただきたいのは、ぼくはそれでも選挙は上手くいくと考えていたことだ。ぼくはビルマ人役員の選挙の運営能力にまったく疑念を抱いていな かったのである。もちろんそれはビルマ流のそれであり、それ相応の問題点もあるだろうが、そうだとしても、少なくともビルマ流として理解され るかぎりにおいては、役員たちならば、かなりの程度満足のいく選挙を実施してくれるはずだったし、事実その通りになったのであった。

総会の終わりにぼくは副会長の言葉として次のようなことを述べた。「日本人のやり方がよいわけでもない。ビルマ人のやり方がよいわけでもな い。これらのふたつよりもよいやり方を見つけていくのが重要なのだ」と。繰り返すようだけれども、日本でこの作業を行い続けているのはBRSAだけなのだ。そして、大瀧会長がそうであるように、これらの困難な問題と格闘するの は、このような団体にいる者のみが味わえる特権なのだ(おわり)

2010/10/08

文化的独断論をめぐって(7/8)

また、他のビルマ団体との兼ね合いと同様に、もうひとつ考慮しなくてはならない文脈がある。それはBRSA会員の反応である。BRSAは 日本人とビルマ難民が共存する団体だが、数からいえばビルマ難民のほうが圧倒的に多い。BRSAは 会員の会費によって運営されているため、ビルマ難民会員の会に対する満足度は特に重要だ。会員の多くが会に不満を抱いたり、その活動への参加 に興味を失ったりして、会費を滞納したり、退会するようなことになれば、BRSAはす ぐに消滅してしまうだろう。それゆえ、選挙はもちろんのことBRSAのあらゆる決定は これらビルマ難民の反応を考慮に入れてなされなければならない、というのがぼくの考えだ。

大瀧会長のお考え通りに選挙が実現していれば、それは素晴らしいものになったにちがいない。また非常に民主的なものになったとも思う。だが、 それを会員が理解できなければ意味がないのである。それどころか、会員がそのやり方に満足しなかったり、ビルマ風のやり方のほうがよいと感じ たり、あるいは自分が選挙に参加した気にならなかったら、かえって逆効果なのである。忙しいなか総会にやってきてくれた会員たちが、日本の中 でビルマ民主化運動に加わっているということ、自分たちも選挙を通じて会に対して意思表示をすることができたということに満足と喜びを感じて くれ、BRSAに対して愛着を深めつつ帰ってくれること、これがぼくがまず総会に期待 していることで、それが手っ取り早くできるのは、お馴染みのビルマ流のやり方以外にないのだ。

しかし、だからといって、ぼくはビルマ流のやり方に問題がないと感じているわけでもないし、また会員に迎合しているわけでもない。さらにいえ ば、この現状を無批判に容認しているわけでもない。ビルマの人々の「気持の民主主義」の問題点については、前回の記事で誰もこれ以上書けない ほど辛辣に書いたつもりだし、これこそがビルマ民主化の核心であるとぼくは考えている。法律や制度、いや政権ですら変えるのはある意味で簡単 なことだ。だが、人の心性、心の構え、あるいは文化的な独断を揺り動かし、変容させるのは、そう単純な話ではない。BRSAの選挙ひとつとっても、それに関する意識を本当に変えるには、BRSA役員だけを相手にしていてもはじまらない。BRSAの 会員、そして在日ビルマ難民社会全体に働きかけなければ、意味がないのである。

2010/10/07

来日カレン人の居場所

第三国定住プログラムとして来日したカレン人が現在どこで研修を受けているのか、とあるメディアに尋ねられた。

何人かのビルマの人々に聞いてみたが、どうも分からない。とはいえ、今現在ぼくがもっている情報は次の通り。

○東京にいる。

○新宿区にいる。

○国立オリンピック記念青少年総合センター(代々木)に滞在している。

○難民事業本部(RHQ)の研修センターで研修を受けている。この研修センターはRHQのサイトを見るとRHQ支援センターというもののようだ。地図は掲載されてはいないが、難民が日本語研修を受けるために通っているところだ。早稲田にある。

○早稲田通り沿いに、「ミッチーナー」というカチン・ビルマ料理の店があるが、その近辺のビルに来日したカレンの家族が住んでいるらしい、という情報。

いずれも噂の域を出ないが、記録として書き記しておく。

文化的独断論をめぐって(6/8)

BRSAの 選挙においてもそうだったように、在日ビルマ難民団体の選挙においては、他のビルマ団体の代表が選挙委員として参加し、選挙を取り仕切り、そ の正当性を確保するのが通例である。これはただ単に、選挙を成立させるだけの手続きであるだけでない。それは同時に、自分たちの団体が、他の 民主化団体とともに働き、ともに反政府活動を行っているということの確認作業でもあるのだ。それゆえ、この他団体の選挙委員の存在は、在日ビ ルマ難民の団体においては非常に重要な要素なのであり、これを抜きにしては選挙は成り立たないといってもよい。

これは日本人が思うよりはるかに切実な問題だ。選挙委員がいるということは、その団体が軍事政権を支援している団体ではない、もっとはっきり いえば裏切り者ではない、ということを意味しているのだ。

当然のことながら、在日ビルマ人団体においては選挙のやり方そのものも、この選挙委員の存在を前提として構想されることになる。選挙の方法 は、まずこれら外部の選挙委員たちが理解できるものでなくてはならない。これは、在日ビルマ難民の社会で一般的に実践されているやり方の踏襲 を意味する。もし、BRSAが慣習からかけ離れた独自の選挙方法を実践しようとし、そ れを他団体の選挙委員にまで強制しようとするのならば、それは選挙委員たちを困惑させる事態にもなりかねず、ひいては選挙そのものを混乱に陥 らせるかもしれないのである。いや、そもそも、そのようなことはありえない。ビルマ人にとっては、選挙委員こそが正当性の根拠なのであるか ら、事前にいかなる議論が行われようと、選挙委員が壇上に上がった以上は、これらの人々の権威に服さなければならないのである。

総会当日、自分たちの思う通りに選挙を取り仕切ろうとした選挙委員をご覧になった大瀧会長は「あの人たちはただの監視員なのだから、勝手なこ とをさせないように」と役員たちをお叱りになったが、これは大瀧会長がビルマ団体における選挙委員の役割を理解なさっていなかったために起き た出来事だと思う。また、ビルマ人側としては、自分たちは標準的な選挙をやっているつもりなので、大瀧会長の不満はまったく理解できないので ある。

ぼくがいう現実的な判断とは、ビルマ人にとっては選挙にはただの選挙以上の役割があり、この役割が非常に重要である以上、別の選挙方法の実施 は容易ではない、という判断なのである。

2010/10/06

文化的独断論をめぐって(5/8)

ぼくの基本的な立場は、ビルマ役員が思う通りに選挙を すればよいというものであった。とはいえ、それはビルマ人のやり方がよいと感じているからではない。大瀧会長がビルマ役員の選挙のやり方につ いて感じている不満のいくつかは、やはりぼくも共有している。その意味では、大瀧会長はある程度は正しい。だが、ぼくがそれでもビルマ流のや り方を推すのは、それがもっとも現実的、プラクティカルだと判断しているからだ。

選挙のやり方にせよ何にせよ、BRSAのすべての活動はある一定の文脈に依存してい る。まず、BRSAは日本に存在するたったひとつのビルマ難民団体ではない。それは、 いくつもある他のビルマの政治団体との関係において存在している。したがって、BRSAの 決定は、それらの他の団体との兼ね合いをも考慮に入れてなされなくてはならない。

具体的にいえばこういうことだ。BRSAの総会において行われた選挙のやり方は、大瀧 会長から見れば異常なものだったかもしれないが、これは実のところ、ビルマ難民の団体の選挙ではごく普通のものなのである。いや、それどころ か、これら団体の水準からみれば高くすらあったといっていい。民主化をうたいながらロクな選挙もできない団体もあるのだ。

それはともかく、もちろん在日ビルマ人社会においてひとつの共通したやり方が実践されているからといって、その正当性が保証されるわけではな い。だが、これは少なくとも次のような事態を意味しうる。すなわち、選挙にせよなんにせよ、ひとつの実践を共有することが、在日ビルマ人社会 において自分たちが協力して民主化運動に参加している、軍事政権を倒すために共通の目標に向かっているという意識の共有につながっているので ある。

2010/10/05

文化的独断論をめぐって(4/8)

さて、文化的独断論の話に戻ろうと思う。そして、それと同時に「書くべきであった背景」についても詳しく触れよう。

ぼくを含めたBRSA役員たちは、選挙の方法について事前にさまざまに議論したが、結 局、誰もこの文化的独断からは抜け出すことはできなかったのである。大瀧会長は、ご自分のとられた民主的なやり方によって意見を取りまとめ、 ある程度満足のいく選挙の準備ができたと確信されており、それだからこそ、実際はそう実現されなかったことについて、ビルマ人役員たちを怒 り、非常な失望を感じておいでだったが、まさにその点にこそ、日本人の文化的独断を見なくてはならない。ビルマ人役員たちは大瀧会長を失望さ せるようなことは何一つしなかった。役員たちは自分たちは会議で決まった通り選挙を実行したのだと考えており、選挙当日の大瀧会長の憤慨を理 不尽なものとすら感じているのである。

どちらが間違っているのか。ぼくの見るところ、どちらも間違ってはいないし、どちらも間違っている。いやそもそも、正しい、正しくないの問題 ではない。日本とビルマの文化的独断がつばぜり合いを演じている、それだけである。

会議の末にわれわれが達した合意は、二つの顔をもっていた。ひとつの顔は日本風に微笑み、もうひとつの顔はビルマ風に微笑んでいた。大瀧会長 は日本風の微笑みだけを見ていた。ビルマ人役員たちはビルマ風の微笑みだけを見ていた。だが、すべての人が微笑みを見ているからといって、そ の微笑み方が、その微笑みの由来が同じだと誰がいえよう。われわれは同じ合意に達したと確信しながら、異なる選挙を思い描いていたのだ。どち らも「独断の眠り」を眠り、別々に夢を見ていたというわけだ。そして、その二つの夢が破られたのが、選挙当日の出来事なのであり、まさにその ときビルマと日本の独断論が対峙したのである。

では、お前はどうしたのだ、眠れる人々の間にあって目覚めていたと自称するものよ、と人は問うだろう。副会長という責任のある地位にいなが ら、そして、日本人とビルマ人が別々に抱く夢に気づいていながら、お前は何をしていたのか、と。ぼくは堂々と答えるだろう。「すいません!  狸寝入りをかましていました!」と。だが、そうであるにしても、その理由を説明することはやはり義務であるように思われる。

2010/10/04

文化的独断論をめぐって(3/8)

さて、先に大瀧会長について独断的では決してなかった と訂正・謝罪させていただいたが、別の意味では大瀧会長は独断的であったと思う。別の意味というのは、ある社会においてのみ妥当する思考様式 をあたかも普遍的であるかのようにみなし、別の社会においても当然適用されるべきものと独断するという意味であり、会長はいわば文化的な独断 論に陥っていたと思うのである。

もっとも、この文化的独断論(別の言葉でいえばエスノセントリズム)は文化的な行動様式に属するものであるから、決して大瀧会長個人の行動に 還元できるものではない。むしろ、社会全体の問題として捉えるべきものであり、また個々人に明瞭に意識されないという意味で、集団的、無意識 的なものでもある。この文化的独断、いわば日本社会なりビルマ社会の「独断の眠り」をいかに表現するか、というのが、前回の記事の主眼であっ た。

しかし、前回の記事では、この集団的な文化的独断と、個人的な独断との区別を曖昧にして論じていた。そのため、ぼくとしては社会のもつ独断 性、認識の限界を論じたつもりだったが、大瀧会長が独断的であったと読み取った人もいるかもしれない。すでに述べたようにこれは誤解であり、 ぼくの書き方が不十分であったのである。

2010/10/03

文化的独断論をめぐって(2/8)

さて、大瀧会長がおっしゃったのは「会議においては議論のたびごとに副会長であるぼくに意見を尋ねており、独断で物事 を進めたことがなかったにもかかわらず、あたかもそのように書かれているのはおかしい」ということだった。この点に関しては、ぼくも物事を単 純に示そうとするあまり、記述において公平を欠いていたと率直に認めなくてはならない。少なくとも、大瀧会長は他者の意見を聞かず、自分勝手 に物事を進めるという意味では独断的ではなかった。

また「会長が非民主主義的な提案をなしたかのように取れる部分」とは、前回の記事でぼくが「なんなら(と日本人会長は考えを進める)、中央執 行委員会で次期役員を決めてしまって、総会ではただ会員から承認の拍手をもらうだけにしたらどうだろうか」と書いたことを指す。大瀧会長は自 分がこのような事実を主張したことはない、とおっしゃった。ここで訂正と謝罪をしたい。


前回の記事でもすでに書いたように、ぼく自身としては大瀧会長を非難したり揶揄したりするつもりはまったくなかった。ただ、BRSAの選挙を通じて、日本人とビルマ人との(あるいは日本社会とビルマ社会との)考えの違 いを描写しようとしたにすぎない。しかしながら、その書き方には十分練られていなかった部分があることは認めざるを得ない。ぼくは書くべきこ とを省略し、また重要な点で概念を整理し損ねていた。


書くべきことというのは、大瀧会長の行動や反応が日本人ならば誰でも取るもので、決してそれ自体は悪くも何ともないということだ。ぼくが前回 の記事で書いたのは、そうした日本人の行動が、ビルマ社会においては理解されない場合もあるという事態であるが、その背景に関しては十分書い ていなかったため、大瀧会長があたかも非難に値する行為をしたかのような誤解を与えてしまった。これはぼくの意図しないことであることをはっ きりさせると同時に、ご迷惑をかけた大瀧会長に謝罪したい。


また、もうひとつ書くべきことがあった。前回の記事でぼくは日本流の考え方と、ビルマ流の考え方の違いを述べたが、ただ2つ並べただけで、一 切の解決を示さなかったのである。解決を示さなかったのは、もちろんそれが自分にも分からないからであるが、少なくともぼくは次のように書き 加えるべきであったと思う。


「日本人とビルマ人との考え方は異なり、その溝は深いが、そうした問題そのものに気がつかせてくれるのは、日本人とビルマ難民がともに活動す るBRSAだからこそである。この問題の解決はそう簡単ではないが、このような問題に 直面すること事態、類い希なことであり、有り難く、楽しいことなのである」と。


だから、もしもこうした出来事をもって読者がBRSAに関して否定的な評価をするとし たら、それはぼくの狙いとはまったく別だ。ぼくむしろ多くの日本人にこういいたいぐらいなのだ。「ここに非常に解決が難しい問題が、歴史学、 人類学、哲学、言語学、政治学、社会学などなどあらゆる学問の知を集めなければ解けない問題がありますよ。どうです。やりがいがあるでしょ う!」 このような問題に日々直面できること、これがBRSAの魅力なのである。

2010/10/02

文化的独断論をめぐって(1/8)

「平和の翼」誌(第10号、2010年8月8日)」にぼくが発表した「和の民主主義」と「気持ちの民主主義」に関する 記事を読まれた大瀧会長の呼びかけにより、話し合いの場が設けられたのは、8月15日のことだった。その日は在日ビルマ難民たすけあいの会(BRSA)のセミナーが開催された日でもあった。

話し合いは散会後の会場(大塚地域文化創造館の会議室)がそのまま利用され、使用時間が尽きた後は、同会館のロビーで継続された。出席者は、 大瀧妙子会長、大川秀史弁護士(BRSA顧問)、モーチョーソー事務局長、通訳を引き 受けてくださった会員のタンチョーテイさん、そしてぼくである。


大瀧会長がおっしゃるには、ぼくの書いたことはとんでもない間違いなので謝罪して欲しい、とのことだった。具体的に何が間違いかというと、BRSAの選挙の準備の過程ではあたかも会長が独断的に事を進めているかのように描かれてお り、これは実情とは異なること。また、会長が非民主主義的な提案をなしたかのように取れる部分もあり、それも問題だとのことだった。


大瀧会長は、ぼくの件の文によって、会長とBRSAに関する間違ったイメージが、「平 和の翼」に乗って広まってしまったことを深刻に懸念されていた(もっとも、平和の翼はそれほど遠くまでは飛んでいかない)。会長とBRSAの受けたダメージは取り返しがつかないにしても、せめて次号の「平和の翼」で謝罪文を 公表して欲しい、とのことだった。


同席された大川先生は、記事の内容にはご理解を示して下さったが、やはり何らかの謝罪なり訂正が必要とお考えのようだった。また、大川先生は 「謝罪文」という形よりも、きちんと説明したうえで謝罪すべきはするという形のほうがよいのでは、ともご助言くださった。これに対して大瀧会 長よりは格別の異議もなかったので、大川先生の助言に従わせていただこうと思う。