2010/10/04

文化的独断論をめぐって(3/8)

さて、先に大瀧会長について独断的では決してなかった と訂正・謝罪させていただいたが、別の意味では大瀧会長は独断的であったと思う。別の意味というのは、ある社会においてのみ妥当する思考様式 をあたかも普遍的であるかのようにみなし、別の社会においても当然適用されるべきものと独断するという意味であり、会長はいわば文化的な独断 論に陥っていたと思うのである。

もっとも、この文化的独断論(別の言葉でいえばエスノセントリズム)は文化的な行動様式に属するものであるから、決して大瀧会長個人の行動に 還元できるものではない。むしろ、社会全体の問題として捉えるべきものであり、また個々人に明瞭に意識されないという意味で、集団的、無意識 的なものでもある。この文化的独断、いわば日本社会なりビルマ社会の「独断の眠り」をいかに表現するか、というのが、前回の記事の主眼であっ た。

しかし、前回の記事では、この集団的な文化的独断と、個人的な独断との区別を曖昧にして論じていた。そのため、ぼくとしては社会のもつ独断 性、認識の限界を論じたつもりだったが、大瀧会長が独断的であったと読み取った人もいるかもしれない。すでに述べたようにこれは誤解であり、 ぼくの書き方が不十分であったのである。