2010/10/05

文化的独断論をめぐって(4/8)

さて、文化的独断論の話に戻ろうと思う。そして、それと同時に「書くべきであった背景」についても詳しく触れよう。

ぼくを含めたBRSA役員たちは、選挙の方法について事前にさまざまに議論したが、結 局、誰もこの文化的独断からは抜け出すことはできなかったのである。大瀧会長は、ご自分のとられた民主的なやり方によって意見を取りまとめ、 ある程度満足のいく選挙の準備ができたと確信されており、それだからこそ、実際はそう実現されなかったことについて、ビルマ人役員たちを怒 り、非常な失望を感じておいでだったが、まさにその点にこそ、日本人の文化的独断を見なくてはならない。ビルマ人役員たちは大瀧会長を失望さ せるようなことは何一つしなかった。役員たちは自分たちは会議で決まった通り選挙を実行したのだと考えており、選挙当日の大瀧会長の憤慨を理 不尽なものとすら感じているのである。

どちらが間違っているのか。ぼくの見るところ、どちらも間違ってはいないし、どちらも間違っている。いやそもそも、正しい、正しくないの問題 ではない。日本とビルマの文化的独断がつばぜり合いを演じている、それだけである。

会議の末にわれわれが達した合意は、二つの顔をもっていた。ひとつの顔は日本風に微笑み、もうひとつの顔はビルマ風に微笑んでいた。大瀧会長 は日本風の微笑みだけを見ていた。ビルマ人役員たちはビルマ風の微笑みだけを見ていた。だが、すべての人が微笑みを見ているからといって、そ の微笑み方が、その微笑みの由来が同じだと誰がいえよう。われわれは同じ合意に達したと確信しながら、異なる選挙を思い描いていたのだ。どち らも「独断の眠り」を眠り、別々に夢を見ていたというわけだ。そして、その二つの夢が破られたのが、選挙当日の出来事なのであり、まさにその ときビルマと日本の独断論が対峙したのである。

では、お前はどうしたのだ、眠れる人々の間にあって目覚めていたと自称するものよ、と人は問うだろう。副会長という責任のある地位にいなが ら、そして、日本人とビルマ人が別々に抱く夢に気づいていながら、お前は何をしていたのか、と。ぼくは堂々と答えるだろう。「すいません!  狸寝入りをかましていました!」と。だが、そうであるにしても、その理由を説明することはやはり義務であるように思われる。