2010/10/07

文化的独断論をめぐって(6/8)

BRSAの 選挙においてもそうだったように、在日ビルマ難民団体の選挙においては、他のビルマ団体の代表が選挙委員として参加し、選挙を取り仕切り、そ の正当性を確保するのが通例である。これはただ単に、選挙を成立させるだけの手続きであるだけでない。それは同時に、自分たちの団体が、他の 民主化団体とともに働き、ともに反政府活動を行っているということの確認作業でもあるのだ。それゆえ、この他団体の選挙委員の存在は、在日ビ ルマ難民の団体においては非常に重要な要素なのであり、これを抜きにしては選挙は成り立たないといってもよい。

これは日本人が思うよりはるかに切実な問題だ。選挙委員がいるということは、その団体が軍事政権を支援している団体ではない、もっとはっきり いえば裏切り者ではない、ということを意味しているのだ。

当然のことながら、在日ビルマ人団体においては選挙のやり方そのものも、この選挙委員の存在を前提として構想されることになる。選挙の方法 は、まずこれら外部の選挙委員たちが理解できるものでなくてはならない。これは、在日ビルマ難民の社会で一般的に実践されているやり方の踏襲 を意味する。もし、BRSAが慣習からかけ離れた独自の選挙方法を実践しようとし、そ れを他団体の選挙委員にまで強制しようとするのならば、それは選挙委員たちを困惑させる事態にもなりかねず、ひいては選挙そのものを混乱に陥 らせるかもしれないのである。いや、そもそも、そのようなことはありえない。ビルマ人にとっては、選挙委員こそが正当性の根拠なのであるか ら、事前にいかなる議論が行われようと、選挙委員が壇上に上がった以上は、これらの人々の権威に服さなければならないのである。

総会当日、自分たちの思う通りに選挙を取り仕切ろうとした選挙委員をご覧になった大瀧会長は「あの人たちはただの監視員なのだから、勝手なこ とをさせないように」と役員たちをお叱りになったが、これは大瀧会長がビルマ団体における選挙委員の役割を理解なさっていなかったために起き た出来事だと思う。また、ビルマ人側としては、自分たちは標準的な選挙をやっているつもりなので、大瀧会長の不満はまったく理解できないので ある。

ぼくがいう現実的な判断とは、ビルマ人にとっては選挙にはただの選挙以上の役割があり、この役割が非常に重要である以上、別の選挙方法の実施 は容易ではない、という判断なのである。