2010/10/08

文化的独断論をめぐって(7/8)

また、他のビルマ団体との兼ね合いと同様に、もうひとつ考慮しなくてはならない文脈がある。それはBRSA会員の反応である。BRSAは 日本人とビルマ難民が共存する団体だが、数からいえばビルマ難民のほうが圧倒的に多い。BRSAは 会員の会費によって運営されているため、ビルマ難民会員の会に対する満足度は特に重要だ。会員の多くが会に不満を抱いたり、その活動への参加 に興味を失ったりして、会費を滞納したり、退会するようなことになれば、BRSAはす ぐに消滅してしまうだろう。それゆえ、選挙はもちろんのことBRSAのあらゆる決定は これらビルマ難民の反応を考慮に入れてなされなければならない、というのがぼくの考えだ。

大瀧会長のお考え通りに選挙が実現していれば、それは素晴らしいものになったにちがいない。また非常に民主的なものになったとも思う。だが、 それを会員が理解できなければ意味がないのである。それどころか、会員がそのやり方に満足しなかったり、ビルマ風のやり方のほうがよいと感じ たり、あるいは自分が選挙に参加した気にならなかったら、かえって逆効果なのである。忙しいなか総会にやってきてくれた会員たちが、日本の中 でビルマ民主化運動に加わっているということ、自分たちも選挙を通じて会に対して意思表示をすることができたということに満足と喜びを感じて くれ、BRSAに対して愛着を深めつつ帰ってくれること、これがぼくがまず総会に期待 していることで、それが手っ取り早くできるのは、お馴染みのビルマ流のやり方以外にないのだ。

しかし、だからといって、ぼくはビルマ流のやり方に問題がないと感じているわけでもないし、また会員に迎合しているわけでもない。さらにいえ ば、この現状を無批判に容認しているわけでもない。ビルマの人々の「気持の民主主義」の問題点については、前回の記事で誰もこれ以上書けない ほど辛辣に書いたつもりだし、これこそがビルマ民主化の核心であるとぼくは考えている。法律や制度、いや政権ですら変えるのはある意味で簡単 なことだ。だが、人の心性、心の構え、あるいは文化的な独断を揺り動かし、変容させるのは、そう単純な話ではない。BRSAの選挙ひとつとっても、それに関する意識を本当に変えるには、BRSA役員だけを相手にしていてもはじまらない。BRSAの 会員、そして在日ビルマ難民社会全体に働きかけなければ、意味がないのである。