2010/10/09

文化的独断論をめぐって(8/8)

それはまさに大仕事だ。腰を据えた議論、長期のトレーニングやワークショップが必要だし、BRSAだけでなく在日ビルマ人社会そのものも変わらなくてはならない。残念ながら今のBRSAにはその仕事に取り組むだけの余裕はない。いかに生き延びるか、それでみな精一杯なの だ。また、ちょうど大瀧会長が試みたようにいきなりビルマの人々の考えを変えようとするのはかえって混乱のもとでもあるように思う。それがで きない以上、ビルマの人々のやり方を尊重するほかはない。ぼくはそのように判断していたのであった。

大瀧会長のお気持ちはわからないではなかったが、そのやり方ではビルマ役員たちは決して納得、いや理解すらしないだろうとぼくは考えていた。 それゆえ、ぼくにとっては、BRSAの執行委員会における選挙をめぐる、大瀧会長VSビルマ役員の議論は時間の無駄のように思えた。そこで、ぼくが何をしたかというと、手っ取 り早い妥協点を双方に提案して、擬似的な合意を形成して、この議論にケリを付けようとしたのである。なにしろ話し合うべきことはいくらでも あった。いや、口ではなく、手を動かして仕事をするべきだった。無益なものと知れている議論に使う時間はなかったのである。

「擬似的な合意」とはつまりすでに書いたように同床異夢の合意のことであるが、そのようないい加減な合意を作り上げて事足れりとしたぼくの姿 勢に対して、不誠実であるとか、いい加減であるとか、批判する人もいるかもしれない。そういわれてもぼくは反論はしないが、ひとつだけ理解し ていただきたいのは、ぼくはそれでも選挙は上手くいくと考えていたことだ。ぼくはビルマ人役員の選挙の運営能力にまったく疑念を抱いていな かったのである。もちろんそれはビルマ流のそれであり、それ相応の問題点もあるだろうが、そうだとしても、少なくともビルマ流として理解され るかぎりにおいては、役員たちならば、かなりの程度満足のいく選挙を実施してくれるはずだったし、事実その通りになったのであった。

総会の終わりにぼくは副会長の言葉として次のようなことを述べた。「日本人のやり方がよいわけでもない。ビルマ人のやり方がよいわけでもな い。これらのふたつよりもよいやり方を見つけていくのが重要なのだ」と。繰り返すようだけれども、日本でこの作業を行い続けているのはBRSAだけなのだ。そして、大瀧会長がそうであるように、これらの困難な問題と格闘するの は、このような団体にいる者のみが味わえる特権なのだ(おわり)