2010/11/29

多数派

ある在日カレン人難民の母と9歳になる息子の会話。

「息子や、日本では嫁は姑の面倒を見ないというではないか。嫁にするならカレンの娘を選んどくれよ」

「母さん、日本ではカレンの娘は数えるほどしかいませんよ。どうして日本の娘を選ばずにおれましょうか!」

息子は少なくともしっかり者には育っている模様。

2010/11/25

禁忌

入国管理局のことを悪くいう人がいる。収容された外国人にたいする人権侵害を激しく糾弾しているのだ。

わたしとしてはむしろ入国管理局を擁護したい。入国管理局はとっても外国人思いなのだ。以下証明。

品川入管は建物の8階から11階までが収容施設になっている。各階は4つのブロックに分けられていて、それぞれにAから順にローマ字が割り当てられている。

各ブロックの定員は40人〜50人ほどであり、複数の部屋に分けられている。部屋の数はブロックごとに異なる。あるブロックには7、別のブロックには14という具合である。

これらの部屋に外国人が収容されるのである(部屋の大きさはまちまちであり、それに応じて定員も3名〜10数名と異なる)。

さて、これらの部屋には番号が1から割り当てられている。そこで、ブロック名と部屋番号を組み合わせれば、収容施設内の「住所」ができあがる。7つの部屋があるIブロックを例にとろう。

I-1
I-2
I-3
I-5
I-6
I-7
I-8

「I-4」がないのにお気づきだろうか?

その理由は明白だ。4が忌み数だからだ(ある収容経験者によれば「14」番の部屋も「なかったかも」と)。

3の倍数および3が付く数字の時にアホになった世界のナベアツ同様、古来日本人は4の数に出くわすたびに不吉になってきたのだ。

もし、4のつく部屋に収容された外国人が不吉な感じに苛まれたら・・・そんな日本人らしい配慮を、やさしいといわずしてなんといおう。ゆえに、入国管理局は外国人思いなのである。Q.E.D.

付記

もっとも、それを気に病む人がそこに収容される可能性が果たしてあるのかどうかは、はなはだ疑問である。また、朝鮮の文化でも4を忌避することがあるとのこと。

真面目にいえば、これは収容する側が怖がっているのだ、もちろん。

消息不明

第3国定住のためにやってきたカレン人たちの消息が不明だ。もっともぼくはいろいろ聞き回った結果、一応は突き止めたように思うが、一般的には不明だ。

ある在日カレン人難民が電話してきて怒っていた。

カレン人の伝統行事「カレン新年祭」を今年も開催する予定で、やってきたカレン人難民たちを歓迎の意を込めてぜひ招待したいのに、それすら出来ないとはどういうことだ、というのだ。

「日本政府のやり方はおかしくないですか?」とその人は言った。

ぼくも確かにそう思う。

秘密基地に拉致して、6ヶ月の秘密教育ののち、いきなり日本社会に放り出す、 そんなことがうまくいくわけがない。

ま、日本にもいちど難民になりにきたようなものだ。

2010/11/22

虫けらどもをひねりつぶせ(10)

もっとも、われわれとて笑ってはいられません。日本にだってありますからね。和風の「虫けらどもをひねりつぶせ」が。ネットの書き込みをたっぷり収録した大幅増補版、しかも一切の校正なしのヤツです。それに、中国だってこの分野にかけては一流です。なにしろ紙を発明したお土地柄ですから、大陸級のとてつもない分厚い一冊が無料で配布されています。もちろん、世界初の金属活字を誇る韓国だって黙っていません(北朝鮮のにはノドンの付録付きだとか)。これでわれわれは互いにバンバン頭を殴り合うわけです。バチン! みんなとことんやる覚悟のようです。バスン! 頭蓋骨をぺしゃんこに潰すまで、と息巻いています。バシャ! 飛び散った脳みそは海に流出し、海域の絶妙な位置で寄り集まって島となり、きっと新たな領土問題を起こすことでしょう・・・・・・。

ぼくの話もそれでおしまいです。支離滅裂で、またほとんど聞いている人がいなかったにせよ、ともかく副会長としての責任は果たしました。演説を終えるやいなや、ぼくは列の後ろに逃げて隠れました。人々の頭越しに例の「演説台」をみると、BRSAのモーチョーソー事務局長が演説をしていました。

デモは4時に終わる予定です。人々の背後をぶらぶらし、友人たちと話しているうちに3時半になりました。ちょうど2時間いたことになります。ぼくはゆっくりと後じさりしながらデモの列から離れ、絶妙な距離にまで達すると、素早く背を向けて一気に遁走しました。

デモの翌日、月曜日、ある人がぼくが演説している様子をネットで見たと言いました。ビデオ撮影者がたくさんいたので、それも当然ありうることでしょう。ですが、自分から探して見ようなんて気はてんで起こりません。(おわり)

2010/11/21

虫けらどもをひねりつぶせ(9)

ビルマ人に言わせれば、カレン人もカチン人もそれ以外の民族もみな狡賢く、油断がならず、信用がおけず、やたらと刃向かい、絶えず陰謀を張り巡らせている連中だそうです。それは確かにビルマ軍事政権の少数民族への対応に如実に表れています。ですが、注意すべきは少数民族もビルマ人をそのような剣呑な民族としてつねに語るということです(もっともビルマ人がいないときにかぎりますが)。すなわち、どの少数民族にもそれぞれの言語でビルマ人にたいする「虫けらどもをひねりつぶせ」があるということになります。

ビルマ問題でも何でもそうだと思うのですが、多数派と少数派の争いがある場合、しばしば、多数派が悪、少数派が善という構図が描かれます。少数派のほうに正義があるとされるのです。それはある次元では全面的に正しい。とりわけ多数派の暴力により少数派の血が流されている場合には。命を脅かされている側の命を救うための働きは文句なく正義そのものです。ですが、うっかりそれを別の次元にまで波及させてしまうことがあります。つまり、その少数派の民族性、信仰、伝統、思想、文化もやはり善にちがいないと誤解してしまうのです。

そうすると、ぼくなどは変な期待を持ってしまいます。これら虐げられた人々から、正義や人間の尊厳に関する何か深遠な洞察が聞けるのではないかという期待が。ところが、この期待はまれにしか成就しません。それどころか、口を開けば多数派に負けず劣らずの憎悪、偏見、恨みつらみ、被害妄想、復讐の夢・・・・・・。うんざりさせられますよ、きっと。

そこで、ようやく分かるわけです。要するに、双方とも似たような「虫けらどもをひねりつぶせ」でもってバカスカたたき合いをしているにすぎないのだと。ただ、本のつくりの違いだけなのです。多数派は分厚く、大判で、表紙も固くて破壊力十分。しかも美麗な装丁で、小口三方金ときています。かたや少数派のガリ版刷りのホチキス止め。勝負は目に見えてますが、開いてみれば、まあ、中身は一緒です。

2010/11/20

虫けらどもをひねりつぶせ(8)

1937年にフランスで出版された『虫けらどもをひねりつぶせ』(ルイ−フェルディナン・セリーヌ著、高坂和彦訳、国書刊行会)は、反ユダヤ主義とユダヤ陰謀論を基調とする本です。もちろんそれのみでこの400頁を越える作品が尽きるわけではないのですが、そうした要素抜きでは成り立ちえない本です。例を挙げればこんな具合です。

「フランス人にもし、好奇心があったなら、たとえば自分たちを引き回している連中みんなの名前を、嘘いつわりのない名前を少しでも知ろうとする気があったなら、どんなに物わかりがよくなることだろう。自分たちを支配している連中、それも、とりわけやつらの親や祖父母の名前を。(中略)ドレフュス事件以来、年が経つにつれて、純血種のフランス人が、公然か隠然たるかを問わず、あらゆる指導的な位置からほぼ完全に追い払われ、意気をそがれ、矮小化され、排除され、追放されていることに気づかねばならない。去勢され、徹底的に武装解除されてしまって、もはや自分の土地にいながら、ユダヤ人の言いなりになる得体の知れない家畜の群れでしかないことを。もうすっかり屠殺場行きの準備完了という次第だ。新しい職場ができても、すぐにユダヤ人に占領され、フリーメーソンやユダヤ女の亭主その他の連中によって空席も埋められ、ユダヤのものにされてしまうのが分かっているのか・・・・・・黒人がどうしようもなくのさばりやがる。サディスティックな、頑固一徹の混血野郎どもだ。(中略)ニグロ系ユダヤ人がわれわれの中にいるのではない。われわれこそが、やつらの中にいるのだ。(280-281頁)」

ホロコーストを経験したヨーロッパでこうした主張がとうてい認められるものではないのは当然で、そのため長く絶版となっているとのことです。ぼくはセリーヌやユダヤ民族差別の問題に関しては一般的な知識しか持ち合わせておらず、作者の意図やその問題点についてここで論ずることはできませんが、読み進めていくうちに、ビルマで現在起きている民族差別と重ね合わせずにはいられませんでした。

すなわち、もしビルマ人にセリーヌのような作家がいたとしたら、たとえばカレン人について、『虫けらどもをひねりつぶせ』とかなり同じようなことを書くのではないか、と思ったのです。いや、セリーヌのような文才はなくてもいいのです。別に作家である必要もないのです。普通のビルマ民族が他民族にたいして感じている恐れ、疑い、気味悪さ、憎悪、怒り、恨みを徹底的・直接的に表現したならば、きっと同じような書物、ビルマ語版「虫けらどもをひねりつぶせ」ができるに違いありません。

2010/11/19

虫けらどもをひねりつぶせ(7)

ビルマの新国旗が燃やすに値するものであること、それは誰にもわかりきったことなのです。そして、そんなものを燃やすぐらいのことは、ここ日本でなら誰でも何枚でもできるのです。お尻の穴にこびりついたウンコを拭くことだってできるのです。なんならそれをUstreamで中継してもいいのです。ですが、重要なのは、その旗を燃やした後に、どのような新しい旗が、どのような新しいビルマがあるのか、を示すことです。

もし、これがビルマで行われていたのならば、まったくその意義は異なります。そのような行為が逮捕や殺害に結びつきうる限り、それは解放の表現となります。「わたしたちはたとえ旗を燃やしても逮捕されも殺されもしない国を作るのだ」という極めて鮮烈なメッセージとなるのです。ですが日本ではその鮮烈さは失われます。ただ単に警察を慌てさせた、それだけです。その行為はここ日本でビルマの自由を促進するのにはほとんど役に立たないのです。

おそらく、これが、その出来事が起きたとき、状況全体に間延びした白けたような感じ、他人事のような雰囲気を付与した理由なのでしょう。

さて、演説に話を戻すと、どうしても書き記しておきたい出来事があります。それはぼくが演説の締めくくりに「どんな民族でも平等に」暮らせるビルマとかなんとか言ったときのことです。ぼくが民族問題について言及したのはこの箇所だけで、自分がこの問題に関わってきた関係上どうしても一言入れたいと思ってあえてしたのですが、ぼくがこう言ったとき、ちょうど目の前のデモの前列にいたカレン人のノウ・エムーさんが肯いてくれたのが目に入ってきました。

ぼくは彼女とは長いつきあいで、エムーさんが難民となった背景についても随分詳しく教えてもらいました。カレン民族として民族的迫害を自ら経験してきた彼女が、ぼくの言葉に肯いてくれたことは、本当にうれしいことです。演説している間は夢中で周りの様子などまったく記憶にないのですが、彼女が肯いたときの光景だけははっきりと覚えているのだから不思議なものです。

2010/11/18

虫けらどもをひねりつぶせ(6)

そうした生身の人間の命を蔑ろにしている権力があるという現状に対して、やはり同じ生身の人間として叫ばずにいられない、そうした切実さのみが、こうしたデモ活動に根拠を与えるのだろうと思います。その切実さの裏付けのない行為は単なる憂さ晴らしか目立ちたがりです。もちろん、デモにはお祭り的な要素もありますから、そうした行為があってもいいのですが、それはあくまでも本筋ではありません。

ぼくの古くからの知り合いの男性が、大使館の脇にある花壇を踏み台にして、大使館の敷地内に政治的主張が記されたA4サイズのプラカードを数枚放り投げました。すぐさま警官たちが静かに駆け寄ってきて両腕を掴まえて制止しました。抵抗しなかったのですぐに放されましたが、彼はデモの列に向かって自分のしたことを声高に訴えはじめました。拍手をする者もいれば、歓声を上げる者もいましたが、笑っている者もいました。もし、彼の行為に有無をいわせぬ切実さがあれば、笑う人などひとりもいなかったことでしょう。

正門前に集まった人々が、ビルマの新国旗を燃やすという出来事もありました。警官たちが押しかけてちょっとしたもみ合いになり、デモの責任者たちは他の参加者が騒動に加わらないように制止して回っていました。ぼくは遠くにいたのでどのような人々によって何がどのように起きたのかは実際には分かりません。押し合いへし合いするデモ参加者と警官とビデオカメラを持った人々、時たまちらりと上がる炎が見えただけです。そんなわけでこの行為を正確に評価はできませんが、ぼくの周りにいた人々の「おっなんかがおっぱじまったぞ」という野次馬的な態度やどことなく冷静なまなざしを含めてどことなく牧歌的な雰囲気さえ感じました。

もちろん、それなりの思いがあって旗を燃やしたのでしょうが、その思いが他の参加者たちに伝わったのかどうかははなはだ疑問です。

本当にすべき行為とは、それによってデモ参加者たちが励まされ、より真剣になり、勇気づけられるものでなくてはならない。これは非常に難しいことですが、そこを目指さない限り、ハイテク埴輪のほうがましということにもなりかねません。

2010/11/17

虫けらどもをひねりつぶせ(5)

演説はたいして長いものではありませんでしたが、ここに全文を書き記せるほどはっきりと覚えてはいません。ただ、「選挙反対」関係の言葉からはじめることができたことだけは確かです。このこと、つまり軍事政権が行う選挙によって国はちっともまともにならないという政治的立場をBRSA代表として明確に伝えることはなによりも重要です。500人以上に膨れあがったBRSA会員の命運がかかっているといってもいいのです。

もうひとつ気を遣ったのは、美辞麗句を並べたり、虫酸の走る運動用語で塗り固めたり、わかりきったスローガンでズバリ決めてみたりといったことがないように、ということでした。こうした場では本当はそうした演説のほうがふさわしいし、かえってあっさりして喜ばれるぐらいなのですが、ぼくはどうしても何か変わったことを付け加えたくなります。普段むっつり黙っている分、口を開くとここぞとばかりという感じなのです。

しかし、実際は何を言ってもかまわないのです。眩しい世界に眼をぱちくりさせている無精髭の男が蚊の鳴くような声で話しても、誰ひとりとて耳を傾けないのが実情です。女性や民族衣装を着た人、ひときわ熱狂的な演説者が話し始めるやシャッターチャンスとばかりに突進してくる報道関係者にも、つかの間の休息もしくは別の被写体にじっくり取り組む機会をプレゼントしたという次第です。要するに、代表として前に立って何か話した、という事実が重要なのです。

「では、大きめの埴輪ではいかが?」と誰かが尋ねるかもしれません。つまり「大きめの埴輪にポータブル・オーディオとスピーカーを内蔵させたのを置いていたっていいのでは?」と。もちろんそうしてもいいのですが、そうすると大使館前は埴輪だらけになってしまうかも。もちろんこれは冗談で、やはり生身の人間に勝るものはありません。

2010/11/16

虫けらどもをひねりつぶせ(4)

後から聞いたのですが、BRSAの会長の大瀧妙子さんもすでにお話をしていたそうです。また、後でビルマ市民フォーラムの代表として宮澤さんがお話ししているのも聞きました。デモに協力しているビルマの団体や日本の団体の代表がひとりひとり短い演説をするのが決まりになっていたのです。

もちろんそうした決まりがあるのは知っていましたが、それがこのタイミングで自分に降り掛かってくるとは思いもよりませんでした。ぼくは自分が卒倒しなかったのが不思議なくらいです。ぼくは書くのもダメですが、しゃべるのはそれに輪をかけてダメという手合いで、話し始めるや聞き手よりも先に自分の頭が朦朧としてくることしばしばです。カエルと一緒で口を開くのは食べるときだけです。

いきなり引きずり出されたぼくは「5分だけ待ってくれ」とノートを持った彼に懇願しました。どこからこの5分という数字を自分が引っぱり出してきたのか、いまだに分かりません。多分、5分あれば近くの公園にまで逃げられると思っていたのでしょう。

それはともかく、ぼくはサンダータウンさんとモーチョーソーさんのところに駆け戻り、何を話せばいいのか尋ねました。「総選挙に反対するということだ」という答えが返ってきました。慌ててぼくはメモ帳を取り出し、「選挙反対」と殴り書きしました。このメモを片手にぼくはあの「演説台」に戻ったのですが、まあ、貴重な5分間と紙一枚を無駄にしたわけです。

そもそも『虫けら』なんて読んでいたのがいけなかったのです。そんなものにうつつを抜かしている暇があったら、ネットで仕込んだビルマの最新情勢とか、人権守れ!の記事とか、民主主義育て!の論とか、民衆が今!のニュースとか、誰に見せても恥ずかしくないようなものを読んでいるべきだったのです。もっともたとえそうしたとしても、なにしろ読みつけてないので、ボロを出すこと必定ですが、しかし少なくとも頭はきっと前向きになっていたことでしょう。土の中から引きずり出されたモグラのようにぶるぶる怯えることはなかったでしょう。日頃の行いの罰が当たったのです。虫けらはひねりつぶされました。

でも、今さらそんなことを嘆いてもはじまりません。すでにぼくは「演説台」のところに立っているのです。ノートの彼に「通訳はありますか」とぼくは聞きました。すると「ない」との答え。彼はビルマ語で大声で紹介をし、ぼくは日本語で話しはじめました。

2010/11/15

虫けらどもをひねりつぶせ(3)

ぼくはデモの列の前、各団体の参加者たちがそれぞれ吊るしている色とりどりの旗の横を歩いて行きました。本当は列の後を通りたかったのですが、人で一杯で入るのは無理そうでした。

通過する間に、前面に立つ知り合いたちが挨拶してくれたり声をかけてくれます。久しぶりに会う人もいて、いろいろと話したいこともあるのですが、通行の邪魔になるので呑気に立ち話などできません。しかも、歩いているのはデモの正面という目立つ場所です。いちいち挨拶なんかしていられません。なにしろ日陰の中の日陰から出てきたばかりですから、一刻も早くBRSAの旗に辿り着き、人ごみの中に隠れたい一心なのです。

目指す旗の手前で、BRSAの役員のサンダータウンさんに呼び止められました。彼女の後には事務局長のモーチョーソーさんもいます。ほっとしたのもつかの間、サンダータウンさんが、話が聞きたいみたい、というようなことを言います。なんだろうと思うと、ビルマ人の男性がノートを片手に脇に立っています。彼女がぼくの名前を告げると、その男性はノートにメモしました。

ビルマのメディアが何かコメントを求めているのだろう、と考えました。こうしたことは幾度か経験があるので、ぼくは男性がICレコーダーを取り出すのを待ちました。

ところが、彼はぼくを正面のほうに連れて行こうとするのです。このときぼくは理解しました。彼はあの「演説台」に引っぱり出そうとしていたのです。『虫けらどもをひねりつぶせ』、例の「敗残の巨人」がひり散らした高濃度のどす黒いウンコの中からから出てきたばかりのぼくを。

2010/11/14

虫けらどもをひねりつぶせ(2)

この本は、読んだことのある方ならご存じのように、ウラ本中のウラ本とでもいうべき本で、電車の中で広げるのは気が引けるほど。見た目とは裏腹に意外に誠実な書きぶり、しかし念が入りすぎているのであまり頭に入らず、読み飛ばしていたわけですが、それでも品川駅で降りたときには、日陰の中の日陰からムリヤリ日なたに引っ張り出された気分で、目がしょぼつくほどでした。

その気分を引きずって、ビルマ大使館前まで歩いて行ったわけです。

デモは10時から始まっていて、ぼくはといえばとにかく顔を出すのが目的だったので、そんなに急いでいく必要もない。だから着いたのは1時半頃です。大使館前ではたくさんの活動家たちが一列に並んで、それぞれの団体の旗や、スーチーさんの顔写真、あるいはスローガンを記したプラカードを掲げていました。この日のデモにいったい何人が参加したのかははっきりいって分かりません。800人という人もいます。途中から来たり、途中で帰る人も多いので実数の把握は難しいでしょう。いずれにせよ、普段よりもはるかに多いということは確かです。

また、警察官や公安らしき人々の数も多いように感じられます。ビデオカメラやカメラ、マイクを持った報道関係者の数は間違いなく多い。メディアの注目も高いということです。

歩道にびっしりと並んだデモ参加者は、一方通行の車道を挟んで大使館の正門と壁に対峙しています。関係のない通行人は歩道を歩くことができないので、車道の端に並べられたパイロンとデモの列の間を通ることになります。車ももちろん通行しますが、車道はデモのリーダーたち、記録担当者、報道関係者などが動き回っているので、その度に警察が注意します。

大使館の壁側にもやはりパイロンが並べられていて、壁との間をカメラやビデオを持った人々が行き来しています。

正門横の壁のあたりは、いつものことですが、デモに参加した団体の代表がスピーチをする場所、いわば「演説台」で、ぼくが到着した頃にも数名のビルマの人が立っていました。

2010/11/13

虫けらどもをひねりつぶせ(1)

罰が当たることってあるんですね。

ビルマで総選挙が行われる日、11月7日、ビルマ大使館前でデモがありました。

軍事政権の行う総選挙に対して抗議をするのです。

ぼくはここ3年ほどはほとんど行きませんが、毎週のようにビルマ関係のデモやら、抗議行動やら、アピールやら、行進やらに顔を出していた時期か1年ほどあって、この手のデモがどういうものか、何が起こって、何が起こらないか、だいたい分かるようになった。それで、すっかり飽きてしまった。

もちろん、日本でやるデモの意義を否定するわけではありませんし、役に立つこともあるのですが、かといって政治的に本当に効果があるかというと、どうもそうではない。

そんなわけで、その日はとても重要な日だったのですが、どうも行く気がしなかったんですね。張り切って行くほどのものではないですし、茶番じみた出来事を見て居心地が悪くなることもあるので。

けど、やっぱり行くことにしました。どうせまたウンザリさせられるんだろうな、と思う一方、多少の好奇心もあって、何かマトモなことも起こるのではという気もしていて。それに、なんといってもつきあいというものもありました。ぼくは在日ビルマ難民たすけあいの会(BRSA)という難民団体の副会長をしていて、その事務局長のフラティントゥンさんから、顔を出すように、といわれていたのです。

それで、イヤイヤ家を出たわけですが、移動中の暇つぶしにと、本を一冊持っていきました。セリーヌの『虫けらどもをひねりつぶせ』です。 これがいけなかった。

2010/11/12

交通事故

木曜日の夕方、交通事故に遭った。保育園に子どもを迎えに行く途中だった。

停車中の軽自動車の右側を自転車で通り過ぎようとしたところ、急にドアが開いて、自転車ごと横倒しになった。

対向車線から軽トラックが向かってきているのを知っていたので、必死になって這って逃げたが、幸いなことに向こうは停まってくれていた。

後から車が来ていたら轢かれていたかもしれない。子どもを乗せていたらと思うとゾッとする。

血も出ないし、頭も打たなかった。右肩から落ちたので、そのあたりが痛むだけだった。運転手は30代後半から40代の女性で、すぐに飛び出てきて「大丈夫ですか」と言った。

ぼくは動転していたので「大丈夫です」と言ってそのまま自転車を押して行った。女性はそれ以上何も言わず、コンビニに入った。その前はいつも車が路駐していて、毎日「危ないな」と思って自転車で通っていたところだった。

コンビニの脇にまで自転車を運ぶと、年配の男性がやってきて「とんでもない人だ」と怒った。別の老婦人が「あなた連絡先を聞かなきゃダメ」と言ってぼくを連れてコンビニに入った。運転手の女性は小学生四〜五年生ぐらいの息子とコピーを取っていた。

老婦人はその母親に「酷いじゃないの」と言って出ていった。ぼくは気の毒になって、その母親から携帯番号と苗字だけ聞いて再び自転車に戻った。

自転車では男性が待ち受けていて、警察を呼ぶべきだといろいろ助言してくれたが、時間がなかったし、面倒くさかったし、復讐的なことをするのもいやだったので、礼を言って保育園に向かった。

ぼくは以前、日本で詐欺事件に巻き込まれたカチンの人々が適切な行動を取っていないことを罵った。これらの人々が自分のことしか考えていないのに腹を立てたのである。しかし、いざ自分がそのような目に会ってみると、自分がやはり自分のことしか考えていないことに気がついた。

もちろん警察を呼ぶべきだったのである。これは後になって冷静に考えてみて気がついたことだ。ぼくはそのあたりが路駐が多くて危険だと前から思っていた。だからこそ、警察を呼んでそのような事故があったことをしっかり記録に残してもらうのは重要なのだ。

ぼくが通報しなかったせいで、誰かが同じような事故に遭うかもしれない。そしてその被害者はぼくよりも幸運とはかぎらないのである。ぺしゃんこで血まみれ、脳みそをぶちまけて、遺族も見分けが付かないほど、しかも、前と後ろの補助席に子どもまで乗せていて、一緒にぐちゃぐちゃ、だなんて可能性だってあるのだ。そのときはぼくもやはりそれらの死に責任があるのだ。

復讐はいやだ、面倒くさい、オオゴトになるのは恥ずかしい、そんな個人的な思惑、くだらないかっこつけのために、ふさわしい行動を取れなかった自分を恥ずかしく思うとともに、ぼくは自分が非難したカチンの人々よりも立派でもまともでもないのだということを痛感している。

それにしても、教えてもらった電話番号、 何度かけても出てくれないのだ!

2010/11/10

悪徳の栄え

国際的なニュースメディアで、時々日本のニュースでもソースとして取り上げられるアルジャジーラ(英語放送)に、日本の難民状況についての取材に協力した。

いつ放映されたのかは知らないが、2分半ほどのニュース映像となってアルジャジーラのYouTubeのページで視聴することができる。

日本ではアルジャジーラの放送を直接見る機会はあまりないが、中東やアフリカ、ヨーロッパではよく見られている。アラビア諸国ではもちろん、英語放送よりもアラビア語放送のほうが親しまれているが。

映像にはぼくの顔も紛れ込んでいるので、チュニジアの友人に知らせたら面白かろうと思ってメールを出そうとした。そこで、気がついた。

チュニジアでは検閲によってYouTubeは見ることができないのだ。

ポルノグラフィを含むけしからん映像は御法度なのである。もっとも、周知の通りYouTubeはそのようなサイトではない。本当のところは、国民に見せたくないような情報が含まれているからだろう。たとえば、大統領の顔に落書きされていたり、罵詈雑言が浴びせかけられていたり。

芸術か猥褻か、議論はつきない。

2010/11/06

族か人か(4)

ならば、この曖昧さをまず除去しなくてはならない、というわけで、「〜人」と「〜族」の使い分けに関して、こんな原則を定めてみることもできる(実際に、これを実践している人もいる)。ある国の国民を意味する時は「〜人」を用い、民族的な背景を意味する時は「〜族」を使う、と。だが、これもさまざまな問題をはらむことがすぐ分かる。

まず、ある国の国民でなくても「〜人」とする例も豊富にある。これは先に挙げたバスク人の例がそうである。バスクという名の国は存在しない。「クルド人」にもこれは当てはめることができよう(もっとも、「クルド族」のほうももよく用いられるが)。

また、民族的な呼称として「〜人」が用いられている例としても、バスク人やクルド人の例は使える。そもそも、後で述べるように、民族的背景をさす「〜族」はすべて「〜人」に置き換えることができるのだ。もちろん、それで問題のすべてが解決するわけではないが、そうしないで引き起こされる問題のほうがはるかに大きい。

さて、ようやくビルマの話。上の原則に従えば「ビルマ人」とはビルマ国民のことを指し、「ビルマ族」とはビルマ民族を指す、ということになる。すなわち、ビルマ人というのは民族性を越えた総称であり、そこに「ビルマ族、カチン族、カレン族、チン族」などなどの民族グループが含まれるということになる。これは確かに理にかなっている。二つの問題点を除けば。ひとつは、ビルマにはかなりの数の中国と南アジアからの移民がおり、これらの人々もやはりビルマ国民であるが、「〜族」という形では決して表現されないことがある。要するに、「中華族(あるいは漢族など)、インド族」というよりも、「中華系、華人、インド系、インド人」などとするほうが普通である。しかも、この中華系、インド系などなどにしても、民族的に単一の存在ではない。移民と民族の問題についてはまた別に触れるけども、すくなくとも、ビルマのあらゆる国民が民族という属性できれいに分類できるわけではない、ということはお分かりいただけると思う。すなわち、この原則が前提とする「上位区分としての国民、下位区分としての民族」という二部構造では上手くいかないのである。

2010/11/05

族か人か(3)

例えば、「日本人」。「日本人」と言われる集団が、大部分「日本民族(大和民族)」からなっていることは一応認められるとしても、「日本人」がそのまま「日本民族」であるとは言えない。アイヌの人々が「日本人」であることは、誰も否定できないことであるし、異論もあるかもしれないが、韓国でも中国でもアメリカでもどこでもよいが、そうした外国の出身者で、「日本国籍」を持っている人もやはり立派に日本人と呼ばれるだけの資格はある(「国籍」にしても「帰化」にしてもそれぞれ議論すべき問題があるが、ここでは省こう)。

そんなわけで、「日本人」という言葉はそれが民族を指しもすれば、国籍をも指しうるという点で、はなはだ曖昧なものとなっており、まともな理性を持った人間ならば、この言葉をためらいなしには使えない。ある人が「日本人の伝統的な食事を子どもに伝えよう」という主張のもと、米だの、菜っ葉だの、漬け物だの、お豆だので一杯の怪しげな菜食を推奨していたが、その人は「日本人の伝統食」に、ルイベだの、ホルモンだの、ラペットゥ(ビルマのお茶のサラダ)なども含まれうる可能性には気がつかなかったのである。

もっとも、これは「日本人」だけの状況ではない。たいていの日本語の「国+人」で似たような問題に出くわすことだろう。

対照的なのが、朝鮮民族の場合だ。周知の通り、この民族は、日本やアメリカなどへの明白な移民を除けば、大韓民国、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)、中華人民共和国の三国にまたがって居住している。要するに、朝鮮民族は、「韓国人」であり、「中国人」であり、「朝鮮民主主義人民共和国人」であるのである。ところで、もちろん「朝鮮民主主義人民共和国人」などとはいわない。また「北朝鮮人」とも。おそらく「朝鮮人」と呼ぶのが普通であり、それゆえ、在日韓国人、在日朝鮮人と呼び分けたり、あるいは総称として在日コリアンなどと呼ぶのだろうが、この問題は複雑なのでこれ以上触れない。いずれにせよ、国の国境線が「〜人」の呼び分けに深く関わっていることが分かる。

そこで、次のような傾向を指摘することが適当に思われてくる。まず、日本語の「〜族」は民族的な背景を指し示すためだけに用いられる言葉であること。少なくとも、「〜族」に「〜国民」という意味を読み取ることはできない。いっぽう、日本語の「〜人」とは、国家の領域に関わる政治的な概念であると同時に民族的な背景を指し示すのにも現状として用いられていて、民族的な「〜族」と重なって、かなりの曖昧さを帯びている(具体例は「日本人」)。

2010/11/03

族か人か(2)

先に示したのはやや形式的な議論だが、もう少し実質的な根拠を主張することもできる。つまり、自分の国を持っている民族には「人」を、そうでない民族には「族」を当てはめるというものである。

これももっともらしい。だが、例外はいくつもある。例えば、バスク民族はフランス、スペインにまたがって居住する民族集団であるが、これをバスク族というのは聞いたことがない。バスク人のほうが定着している。

また同様に、フランスの少数民族のひとつ、ブルトン人をブルトン族とするのは耳慣れないし(歴史資料の翻訳にはあるかもしれないが)、アメリカ合衆国の日系人を日本族という人はいないだろう。在日韓国人、朝鮮人を、韓国族、北朝鮮族と呼ぶ人がいたらお目にかかってみたい。

もっとも日系人や在日コリアンを族で呼ばないのは、これらの人々が土着の民族ではなく、移民であるという事情も関わっているに違いない。

なんにせよ、「人」と「族」の境界線は、その民族が国を持っているかどうかであるわけではないようだ。

そもそも、国を持っている民族とそうでない民族を区別するこの考え自体が、近代的単一民族国家のイメージに由来するもので、この国家観がすでに現状に即していない以上、言葉のほうでも、いろいろと問題が生じてきている。

族か人か(1)

どのような民族名でもいいのだが、例えば、カレン「族」という人がいる。一方では、カレン「人」という人がいる。

どちらが正しいということはないのだが、ぼくは「人」のほうを用いているし、新聞でも何でも「人」派が増えつつあるように感じるのは、ぼくがこちらのほうが好ましいと感じているせいかもしれない。ま、それでも「族」の使用例のほうが圧倒的に多いのだが。

なぜ「人」のほうがいいのか。もちろんそれなりの理由はある。

ひとつは「人」と「族」には明確な区別が存在しないこと。もうひとつは「族」には差別的な含みがあること。

まず前者から論じてみよう。

われわれは自分たちのことを日本人と呼び、まず日本族とは呼ばない。いっぽう、例えばビルマの少数民族を「〜族」と呼ぶ人は多い。そして、「〜人」とするのが少数派であることはすでに触れた。

では、なぜ、日本人、あるいはアメリカ人、イギリス人、中国人などは「人」で、一方はカチン族、チン族、パラウン族と「族」が用いられるのか。

もっともはっきりした答えは、前に国名が来る場合には「人」、それ以外の場合には「族」を用いるというものだ。

これはもっともらしいが、いくつかのレベルで破綻していることがすぐ分かる。

まず、「人」の前に来る国名は必ずしもその国の国名と一致しないことがあげられる。すなわち、日本語では通常「アメリカ合衆国人、中華人民共和国人、グレートブリテン及び北アイルランド連合王国人」とはいわずに、アメリカ人、中国人、イギリス人とするのであり、これは「〜人」の前の「国名」が、正式国名とは異なるニュアンスを帯びていることを意味する。