2010/11/06

族か人か(4)

ならば、この曖昧さをまず除去しなくてはならない、というわけで、「〜人」と「〜族」の使い分けに関して、こんな原則を定めてみることもできる(実際に、これを実践している人もいる)。ある国の国民を意味する時は「〜人」を用い、民族的な背景を意味する時は「〜族」を使う、と。だが、これもさまざまな問題をはらむことがすぐ分かる。

まず、ある国の国民でなくても「〜人」とする例も豊富にある。これは先に挙げたバスク人の例がそうである。バスクという名の国は存在しない。「クルド人」にもこれは当てはめることができよう(もっとも、「クルド族」のほうももよく用いられるが)。

また、民族的な呼称として「〜人」が用いられている例としても、バスク人やクルド人の例は使える。そもそも、後で述べるように、民族的背景をさす「〜族」はすべて「〜人」に置き換えることができるのだ。もちろん、それで問題のすべてが解決するわけではないが、そうしないで引き起こされる問題のほうがはるかに大きい。

さて、ようやくビルマの話。上の原則に従えば「ビルマ人」とはビルマ国民のことを指し、「ビルマ族」とはビルマ民族を指す、ということになる。すなわち、ビルマ人というのは民族性を越えた総称であり、そこに「ビルマ族、カチン族、カレン族、チン族」などなどの民族グループが含まれるということになる。これは確かに理にかなっている。二つの問題点を除けば。ひとつは、ビルマにはかなりの数の中国と南アジアからの移民がおり、これらの人々もやはりビルマ国民であるが、「〜族」という形では決して表現されないことがある。要するに、「中華族(あるいは漢族など)、インド族」というよりも、「中華系、華人、インド系、インド人」などとするほうが普通である。しかも、この中華系、インド系などなどにしても、民族的に単一の存在ではない。移民と民族の問題についてはまた別に触れるけども、すくなくとも、ビルマのあらゆる国民が民族という属性できれいに分類できるわけではない、ということはお分かりいただけると思う。すなわち、この原則が前提とする「上位区分としての国民、下位区分としての民族」という二部構造では上手くいかないのである。