2010/11/21

虫けらどもをひねりつぶせ(9)

ビルマ人に言わせれば、カレン人もカチン人もそれ以外の民族もみな狡賢く、油断がならず、信用がおけず、やたらと刃向かい、絶えず陰謀を張り巡らせている連中だそうです。それは確かにビルマ軍事政権の少数民族への対応に如実に表れています。ですが、注意すべきは少数民族もビルマ人をそのような剣呑な民族としてつねに語るということです(もっともビルマ人がいないときにかぎりますが)。すなわち、どの少数民族にもそれぞれの言語でビルマ人にたいする「虫けらどもをひねりつぶせ」があるということになります。

ビルマ問題でも何でもそうだと思うのですが、多数派と少数派の争いがある場合、しばしば、多数派が悪、少数派が善という構図が描かれます。少数派のほうに正義があるとされるのです。それはある次元では全面的に正しい。とりわけ多数派の暴力により少数派の血が流されている場合には。命を脅かされている側の命を救うための働きは文句なく正義そのものです。ですが、うっかりそれを別の次元にまで波及させてしまうことがあります。つまり、その少数派の民族性、信仰、伝統、思想、文化もやはり善にちがいないと誤解してしまうのです。

そうすると、ぼくなどは変な期待を持ってしまいます。これら虐げられた人々から、正義や人間の尊厳に関する何か深遠な洞察が聞けるのではないかという期待が。ところが、この期待はまれにしか成就しません。それどころか、口を開けば多数派に負けず劣らずの憎悪、偏見、恨みつらみ、被害妄想、復讐の夢・・・・・・。うんざりさせられますよ、きっと。

そこで、ようやく分かるわけです。要するに、双方とも似たような「虫けらどもをひねりつぶせ」でもってバカスカたたき合いをしているにすぎないのだと。ただ、本のつくりの違いだけなのです。多数派は分厚く、大判で、表紙も固くて破壊力十分。しかも美麗な装丁で、小口三方金ときています。かたや少数派のガリ版刷りのホチキス止め。勝負は目に見えてますが、開いてみれば、まあ、中身は一緒です。