2011/01/31

ベンアリの顔(1)

ベンアリ(元大統領)が、チュニジアから逃げだして、国際指名手配中とは、いつかは起こるとは思っていたが、信じられない話だ。とはいえ、なんにせよ、チュニジアの人々にとってはいい話に違いない。

これまでのチュニジアはまったく息の詰まるような国で、これで少しでも人々がいい空気を吸えるようになるのだとすれば、実にうれしい。国中に充満した閉塞感、無力感は、外国人にとっても不愉快なのだから、チュニジア人にしてみればなおさらだろう。

下はベンアリ元大統領閣下が権力の座にあった頃のチュニスの写真。チュニス一番の大通り(ブルギバ通り)の風景だ。ベンアリ大統領が「国民をその胸に抱いている」というお馴染みのポーズをとって、「さあ、ともに挑戦!」と訴えている。


わたしがこの写真を撮ろうとすると、一緒に歩いていたチュニジア人の友人が即座にわたしから離れた。警察がたくさんいる場所なので、厄介事に巻き込まれたくなかったのである。

NLDの公式サイト

ビルマ国内の国民民主連盟(NLD)の公式サイトが昨日開設されたそうです。

アウンサンスーチーさんのメッセージも掲載されています。

http://www.nldburma.org/

2011/01/29

政治活動としての「たすけあい」

ぼくが編集長を務めるBRSA機関誌「セタナー」の第1号に「政治活動としての「たすけあい」 (BRSAの政治的立場について)」という題で記事を書いた。

そのリンクはこちら→政治活動としての「たすけあい」

会員向けなので、少し真面目なものになっている。日本語の読めるBRSAの会員にはなかなか好評だったので、ビルマ語に翻訳してもらった。ビルマ語版は先日出した「セタナー」2号に掲載してある。

ちなみに、文中で触れているアフリカの小国とはチュニジアのことで、 ビルマより一足先に民主化が進みそうな感じだ。

2011/01/26

OKO-Japan

1月23日午後6時から8時半までの間、高田馬場で開かれた海外カレン機構(日本)OKO-Japanの月例会に出席。

OKO-Japanは在日カレン人の政治団体だが、わたしはその創立者のひとりにして唯一の日本人会員。はじめた当初は17人で、今は50人にまで会員数が増加した。実質的には日本最大のカレン人団体だ。

OKO-Japanはここ3年ぐらい、会員同志のごたごたが続き、前議長は相当苦労したが、昨年なんとか新議長にバトンタッチすることができた。前議長らの努力に感謝するとともに、会員間の融和に心を砕く現議長らの新体制も喜びたい。

これまでの道のりは決して平坦なものではなかったが、ようやくOKO-Japanの実力を発揮できる状況が訪れたと思うし、会員のひとりとしてもできるだけ協力したい。



カレンドラム(2)

1月9日のカレン新年祭に行ったら、会場の正面にこのカレンドラムが置かれていた。

日本にもついにカレンドラムがやってきたかと思ってよく見ると何となく違う。すると、友人のカレン人が、ソウ・タムラさんが作ったのだと教えてくれた。

さっそくタムラさんを探して話しを聞くと、6ヶ月かけて段ボールでレプリカを製作したとのこと。もちろんモデルは、タムラさんの実家で所蔵してたものに違いない。

ただし、サイズは少し小さめ。またスプレーで金色に彩色したので色が違うといったが、ブロンズはそもそも黄金色なので、むしろ正確な再現といえる。

いずれにせよ、タムラさんの才能に驚くと同時に、カレン人の定住しつつある日本にカレンドラムが「やってきた」ことを喜びたい。

 カレンドラムが置かれているのは、これまたカレン民族の伝統的な楽器の水牛の角笛。
に見えるが、実は日本のフリーマーケットで買ったとおぼしきカレンとは関係のない飾り。
角には龍の彫り物が。

太鼓の表面の文様や豊穣のシンボルであるカエルも忠実に再現。

カレンドラムの取っ手。

カレンドラム(1)

カレンドラムと呼ばれる青銅製の太鼓は、カレン人が伝統的に大事にしている楽器で、宗教的な意味を持っている。詳しいことはよくわからないが、表面を飾るカエルの装飾に代表されるように、春の生命力を象徴しているとかいわれ、祭などで打ち鳴らされるそうだ。

もともとは古代中国あたりの青銅器文明に由来するとされ、こうした青銅製のドラムを持っている民族は他にもあるそうだ。われわれ銅鐸民族にとっても気になるところである。

このドラムを持っている家はかなりの家柄であり、またこの太鼓そのものもそんじょそこらの人は叩いてはいけないものらしい。


上の写真は、本物のカレンドラム。2003年にビルマに行ったときヤンゴンで撮影したものだ。古くからの友人であるソウ・タムラさんの実家が所蔵するものだ。タムラさんのお父さんはこのときで92歳とかいう年齢で、わたしのためにこのドラムを叩いてくれた。高齢のせいなのか、そもそもそういう打ち方をするものなのかはわからないが、白い布を先端に巻いた木の撥でゆっくりとゴーン、ゴーンと打ち鳴らしてくれた。その深い響きはビデオにも収録してある。

その後、わたしも叩かせてもらったが、 後に国境で会った若いカレン人が「この太鼓を叩けるのは長老だけで、俺なんか叩いたことはない」というので、「叩いたことあるよ」と言ったら、ヘンな顔をしていた。

ソウ・タムラさんのお父さんは今なお健在でおられるということで、すでに100歳近い長老である。

カレン新年祭

1月9日、新宿でカレン新年祭のお祝いがあった。カレン暦でいうと2750年の新年だ。本当の新年は太陰暦にしたがうのだけど、日本ではお正月休みに合わせて行っている。

今年で12回目。ぼくは第2回目から参加している(2年前のは行かなかったが)。

いつもならバンドが出て、激しく盛り上がるのだけど、今年は会場の都合でバンドはなし。ギターだけだった。

そのかわり、というわけでもないが、第3国定住で現在「秘密基地」で研修中のカレン人家族も参加していた。子どもたちがたくさんいて、それだけで会場の雰囲気も違う。

とはいえ、これらの難民の家族たちの写真はご遠慮くださいということで、会場の写真はほとんど料理だけ。




当日配布された式次第

2011/01/25

疑問

日本で暮らすあるカレン人の難民がこんなことを言った。

「わたしたち大人が難民になったのは自分でもわかっているからしょうがないけど、子どもたちにはなんの責任もない。日本では難民の子どもも死ぬまで難民ですか?」

日本のNLD新議長

NLD(LA)-JB、つまり国民民主連盟(解放地域)日本支部の幹部が12月の選挙で一新された。それで、NLDから、在日ビルマ難民たすけあいの会(BRSA)に新幹部の紹介もかねて、会談を行いたい旨申し入れがあった。こちらとして異存のあるわけもない。

そんなわけで、1月23日の午前、大塚のビルマ・レストランでNLDの新幹部とBRSAの幹部との間で会合が開かれた。会合の内容については、BRSAのブログで報告すべきことなのでここには書かない。

NLD日本支部の議長は、これまで、NLD副議長ティンウーさんの息子であるタンズィンウーさんという方が務めてきた。わたしは日本のNLDの内部事情についてはあまり知らないが、彼について厳格で非常に統率力があるという好評価はしばしば耳にしていた。

その彼が今回議長という重責を降ろしたのは、わたしが聞いた話では昨年ビルマで行われた選挙と、父の釈放をひとつの区切りとしたいと考えたからだとのこと。

それはともかく、タンズィンウーさんとは何度も会ったことがあるけど、近寄りがたい感じがあって話したことはほとんどない。これに対して、新議長となったラハンさんはもう少し打ち解けた感じの方だ。

会合でデモの話が出たとき、ラハンさんがこんなことをいったのには面白く感じ、また感心した。

「世界の民主化団体で、日本のNLDほど、ビルマ大使館前でデモをやったグループはないけど、今度これをギネスに申請しようと思ってますよ! どうやったらいいか知ってますか?」

ついでにNLD日本支部の年賀状を。

スーチーさんの絵

アウンサンスーチーさんが軟禁中にパソコンで描いた絵をポストカードにして販売し、HIV医療支援費とするという記事を新聞で読んだが、この前在日ビルマ難民たすけあいの会の会合で売っていたので買いました。

一枚1000円という破格の値段。温厚なわたしでもフザケルナ、と机を叩きたいところだが、これも民主化支援。

わたしが買ったのは「『ピンクの花』、わたしの『花』シリーズの一枚」と裏に書かれた作品。何種類かあったが、全部買うわけにはいかない。なにしろ1000円ですから。

しかし、これらの絵をみる限り、スーチーさんの家のコンピュータもやはり長期にわたり軟禁されていたという印象。


2011/01/07

ハヤシもあるでよ

昔からの知り合いのビルマ難民から電話がかかってきた。難民申請をしてもう何年にもなり、収容も幾度か経験している。今は再申請の異議申し立ての準備をしているが、いったいこの上何をしたらよいかわからない。もう頭の中がメチャクチャになってしまったのだそうだ。

「日本にいることもできない。かといってビルマに帰ることもできない。こうなったら天国しかないよ!」

いくら不謹慎をもって鳴るわたしといえど「地獄もあるよ!」とはさすがに言えなかった。

2011/01/06

千田是也

大きな駅などの人が集まる場所では、しばしば私服の警官が張っていて、外国人に目を光らせている。オーバーステイの外国人をとっつかまえようとしているのだ。

彼らは外国人とおぼしき人に声をかけ、その人が外国人であればパスポートの提示を求める。

いわば、行き交う膨大な人々をスキャンして、そこから「非日本的なるもの」を抽出し、それに突進するわけだ。

抽出の前提となる「非日本的なるもの」もしくは「日本的なるもの」の現実性についてはさておくとしても、実際に用いられている抽出法にはいろいろあることだろうと思う。

ある中国からの留学生からそんな抽出法の一例を聞いた。

東京駅を歩いていると、男が急に近寄ってきて「ひったくりが多いので危ないですよ」と声をかけてきた。その留学生が返事をすると、男は警察であることを明かし、パスポートの提示を求めてきた。

声をかけたのは、もちろん相手から返事を引き出し、その言葉に「訛り」があるかどうか確認するためである。