2011/04/30

大量強制送還(2)

というのも、最初の1人を捕まえて、収容後に送還したら最後、残りの2999人は蜘蛛の子を散らすように逃げてしまうから。

これらの人々は、難民認定申請のため、あるいはビザの延長のため、定期的に入管に行かなくてはならないのだが、自分が捕まって送還されるとわかっていて、誰がのこのこ入管に足を運ぶであろうか。

つまり、一度強制送還が始まるや否や生じるのは、残りの3000人近い難民たちの「地下への潜伏」であり「不法滞在化」なのである。

と ころで、入国管理局の仕事のひとつは、外国人居住者を管理することだ。外国人を管理不能にさせるような事態こそ、入管がもっともしてはならないことであ り、怖れていることでもある。そのような事態を起こしうる決定、つまり、不法滞在者を一気に増やしかねない決定をみすみす入管がするとは考えにくいのであ る。

さらに、そのようなリスクの高い決定を公務員は普通したがらない、ということも考慮に入れるべきであろう。たとえ、決定自体は大臣の名でするにしても。

こ れに加えて、国内の、また国外からの非難と抗議も覚悟しなくてはならない。在日ビルマ難民、国内の難民支援団体はもちろんのこと、国際的な諸機関、国連や 人権団体もまず黙ってはいないだろう。また、ビルマ難民たちは、ビルマ政府ではなく日本政府に対して抗議デモを行うにちがいない。

こうした抗議そのものに効果があるかどうかはわからないが、少なくとも、入国管理局にとっては有り難くない事態だ。というのも、何事も、できるだけ目立たず、騒がれずにことを進めたがるのが、役所というものだから。

とすると、できるだけ多くの外国人を送り返したい入管にとってこの大量強制送還プランがいかに願ったり叶ったりだとしても、それが引き起こす面倒、注目、非難を考えれば、とうてい見合う方法とはいえない。

そこで結局残るのは、入管のいつものやり方、つまり一人一人に対してこつこつと「帰りなさい」と言い続けることだ。そして、このやり方に対しては、ビルマ難民たちはもう何年も上手くやり過ごしてきたのである。

2011/04/27

大量強制送還(1)

2010年には総選挙があり、スーチーさんも釈放された。それで今年の4月には「民主化」政府が晴れて新装開店の運びとなったわけだが、こうした流れを受けて、多くのビルマ難民、特に難民認定申請中の人と、難民申請の後に難民とは認められなかったが在留特別許可を得た人の間で、ある心配が広がっている。つまり、民主的になったのだから帰れ、と入管が方針転換して、ビルマに全員送り返されるのではないか、というのだ。

これらの人々が持つ入管への不信感からすればそのような怖れを抱くのも当然といえるが、少なくともこれに関してはわたし自身はその可能性は低い、と考えている。

とはいっても、わたしになにか特別な情報源があるわけでもない。ある人によれば、入国管理局のトップが「そんなことはありえない」と、大量強制送還を否定したらしいが、そうした情報がなくても、理屈で考えれば、そんなことは不可能だということがわかる。

現在難民認定申請中か、在留特別許可をもらったビルマ難民が何人いるかは正確にはわからないが、難民として認定された人をはるかに凌ぐ数であることは間違いなく、仮に3000人としておこう。

とすると、まずこれらの人々を一度に送還するのは不可能だ、ということがわかる。タイタニック号の二倍以上の特別仕立ての大客船でも用意しなければ無理だ。

いやそもそも、3000人の難民を一網打尽に捕まえて、同時に収容すること自体が不可能だ。

では、少しずつ、捕まえて送還していったらどうか。なるほどこれはいい案だ。しかも、普段の入管のやり方でもある。だが、即座にこれも無理だとわかる。

2011/04/25

一時旅行許可

仮放免中の難民認定申請者は、旅行などで自分の居住地から外に出る場合は「一時旅行許可願」というものに行き先や目的、期間を記し、さらに身元保証人に署名してもらった上、入国管理局に出向いて提出して許可をもらわなければならない。

たとえば、都内に住んでいる人が神奈川県や千葉県に行く場合に必要となるのである(なお行き先は漠然と「〜県」ではダメで、「市」まで記さなくてはならない)。

被災地のボランティア活動を目的としてこの許可願いを申請すると、許可される人とされない人があるということで、在日ビルマ社会では問題になっているという話。

【追記】
後に入管の人から聞いたところによると、期間、宿泊先、内容などを記したボランティア計画書があれば許可されるとのこと。(2011/4/27)

2011/04/23

フライ人(写真編)

玄関前

行列


入管の周囲

品川駅で入管行きのバスに並ぶ人たち

入管の周囲


入管前の道路の向こう側にできた行列

2011/04/22

フライ人(4)

6階はいつもの静けさ。下の騒ぎなんか嘘のよう。高天原というわけだ。目指すは「違反審査部門仮放免」の部屋、だが、ドアのガラス越しに見ると、暗い。節電だ。しかも、ドアには「行政相談申請受理は終了しました」というボードがかけてある。

さては気を抜いてやがるな。こんなに早く来る人間がいようとは夢にも思わなかったってか? 「さあ、朝だ! 朝だ! ぼやぼやするな! 身元保証人のおでま しだ!」とばかりに勢いよドアを開けるわたし。だが、薄暗がりの中佇んでいた職員に「9時からですよ!」と追い払われる。それで部屋の外で15分ばかり待 ちました。 玄関先であんなに必死になっていた自分はいったい何だったのかと自問自答していたので、あっという間だ。

9時に再び入室。顔なじみの職員の対応もいつもより親しげだ。「お待たせしました!」とにこやかに。わたしも「いや、下は大変ですね!」だなんてい つもはしない無駄口叩き。地震みたいな災難のあとでは誰だって懐かしい友人に見える。まったく和気あいあいとして「お互い様ですよ!」ってねぎらい合っ て。地上の「フライ人」たちの騒ぎから遠く離れて、ひそかな優越感を共有しながら。

さて、仮放免手続きそのものは、通常通りの運び。4階の会計に行って、それから田町の銀行で保証金を振り込み、再び入管に戻る(入管行きのバスにもとんでもない行列、仕方なく歩いた)。

入管のエレベーターに乗り合わせた職員たちの話を耳に挟んだところでは、15日は4800人の外国人が再入国許可に並んだとのことだ。おそらく16日はそれ 以上に違いない。そのうちの一人は5センチ以上ある紙の束を持っていて、それには「申請受理票」と書かれていた。もちろん、再入国許可申請のヤツ! 彼ら が2階でエレベーターを降りるとき、ひとりの女性職員が「さあ行くぞ!」と気合いを入れていたが、それほど混雑していなかったので「あれ、そうでもない か」と呟いていた。

実際、少なくともこの日は入管の職員たちは実にうまく申請者の大群を整理・誘導していたと思う。ま、並んでた人に言わせれば違うかもしれないが。

わたしがすべての手続きを終えて入管を後にしたのは10時半過ぎ。そのときには、入管前の道路を越えたところに列のシッポが作られてた。並ぶのに横断歩道 を渡らなくてはならないというわけだ。ひょっとしたら列の最後尾はもう上海あたりにあるんじゃあ、と思いながらバスに乗りました。(おしまい)

フライ人(3)

それにしても並ぶのも大変だ。幼児連れもいれば、妊婦もいる。喉も渇けば、オシッコもしたくなる。トイレを使わしてくれ、中のコンビニで買い物させてくれ、印紙を買わせてくれ、という連中がたびたび玄関前にやってきて追い払われていた。

入管の脇にあるコンビニに行けば、食べ物はほとんど売り切れだ。トイレも使用禁止と張り紙がしてある。これじゃみんなの膀胱が爆発しちゃう。

警備員に文句を付ける人や、なんだかわからないがカンカンに怒っている人もいたが、それでもたいていの人は静かに並んでいた。ただし、玄関周辺はゴミだらけ吸い殻だらけだ。

さ あ、8時半だ。入管の職員が玄関の自動ドアを開き、ビザ申請の列の先っちょを少し進ませる。「開いたらゆっくり入ってください! ゆっくり! ゆっく り!」 この列は2階行きのエスカレーターに接続される列だ。わたしは玄関前の職員に大声で言う。「仮放免の手続きで6階に行くんです! 列には並ばなく ていいっていわれました!」 相手が返事をする前に、わたしはパイロンで作られた柵を擦り抜けて、列の先頭に躍り出る。

「6階です! 6階です!」 そればっかだ。だが、他の人々ともども入管の職員にしばし押し止められる。そして職員の「はい! 進んで!」の声とともに、わたしはエレベーターにまっしぐら。

フライ人(2)

警備員も整列に大わらわだ。入管の職員もだんだん外に出てきて、即席の案内板をもって整列させている。

列には 2つあって、 玄関に近いほうがビザ申請者の列、そしてその外側が再入国許可申請者の列。わたしは仮放免手続きだから、どちらにも該当しない。そこで、玄関前に並べられ たパイロンの脇に立っていると、警備員のおじさんが、ビザ申請者の列に並べ、という。違うといっても承知しない。

そ れで入管の職員に尋ねようとしたのだが、これがまた大変だ。みんなそれぞれ気がかりがあって、質問攻めにしてる。しかも、その職員、やけに丁寧な人で入管 の外のコンビニの場所まで教えている。じりじりしながら隙を突いて尋ねると、「並ぶ必要なし」との答え。さあどうだ、とばかりに玄関前に戻ると、警備員が また追い払おうとする。

いやもう梃子でも動かんぞ、とわたしが拒むと、「どうぞご勝手に、でもどうなったって知りま せんぞ」とばかりに去っていった。ま、警備員としてはただただ並ばせるのが職務、それぞれが入管内部でどんな事情があるかなんて知ったこっちゃないわけ で、ここは入管職員の言うことを信じて玄関前で待ち続けたほうがよいと判断(そしてそれが正解)。

フライ人(1)

フライ人(flyjin)とは、震災後、在日外国人の間で流通している言葉で、日本から飛ぶように逃げてしまった外国人を揶揄して指す。「外人(gaijin)」からの造語だ。

東京から逃げ出す日本人もいることを考えれば、不当な揶揄ともいえるが、それはさておくとしても、震災の翌週、3月16日水曜日に入管に仮放免手続きのために行ったとき、見ましたよ、すごい騒ぎを。

その日は計画停電やらなんやらで電車が止まると困るので、できるだけ早く行って、手続きを済ましちまおうってことで、6時半には家を出た。仮放免手続きは普通午後1時から始まるのだが、入管の人が前日に電話でいうには、交通のこともあるので午前からでも大丈夫だと。にしても、張り切りすぎた。早く着いちゃった。午前8時前だ。だが、もうそのときにはできてた、すごい列が、日本から逃げだそうっていう「フライ人」たちの行列が。

品川駅から入管まではバスが短い間隔で運行しているのだが、そのバスが着くたびに、外国人がどっと降りる。まるで寄せ来る波のよう。しまいには列は入管の周囲を取り巻いて、折れ曲がり、

八雲立つ出雲八重垣妻ごみに八重垣作るその八重垣を

てな塩梅。

いけないボランティア

聞いた話によると、難民認定申請中のビルマの人が入国管理局にこんなことを言われたとのこと。

「あなた、被災地に行って被災者のボランティアをしないの?」

入管の人が本気で言ったのか、冗談で言ったのか、あるいは、何かの言葉の面で誤解があるのか、そのあたりはわからない。だが、なんにせよ、このせいで、少なくとも一部の難民認定申請者が考えはじめちゃった。「被災地のボランティアに行かなければビザが貰えない」、いやもっと踏み込んで「被災地のボランティアに行けばビザが貰える!」と。

「不純な動機」というやつ。

しかし、本当に入管が真面目にそんなことを言ったのだとしたら、これこそ「余計なお世話」というやつだ。

【追記】

その後の情報では、入管がこのように言ったのは、難民認定申請者ではなく、すでに在留を許可されている人にだったとのこと。それが、難民認定申請者の間で誤って広がったということらしい。(4月25日)

2011/04/21

リリー・アレン

軍事政権による報道統制下にあるビルマでは、国外のメディアが唯一の正確な情報源となることが多い。インターネットを含めたそうした情報源のうち、古くからあるのがBBC(英国放送協会)のビルマ語放送で、これをこっそり聞くのを日課にしている人もいるという。

そんなわけで、わたしはビックリしてしまった。このBBCが日本の被災者向けに放送を行うと聞いて。原発事故の不手際に業を煮やしたイギリス政府が日本政府をついにビルマ政府並みに扱うようになったのかと思ったのだ。

もちろん、それはバカバカしすぎる勘違いで、要はBBCが励ましのラジオ番組をするということらしい。

OKO-Japan議長

海外カレン機構(日本)(OKO-Japan)は在日カレン人の政治団体であり、今ある3つのカレン人政治団体のうちでは一番大きなものであるが(KNCはいまのところ実態がないので除く)、その議長のティッルウィンさんが難民認定申請が認められなくて、この間、入管に収容されてしまった。

ティッルウィンさんは非常に誠実な人で、OKO-Japanも良い人物を議長に得た、と会員の一人として喜んでいたところで、残念なことだ。

とはいえ、ティッルウィンさん以前の議長ふたりも、やはり議長の時に収容されているんだな。そして、ふたりともその後、在留特別許可を得ている。

ティッルウィンさんが収容されてすぐに面会に行ったわたしは、励みになればとそのことを彼に言ったが、どうだか。笑ってたけど。

10万

震災のあと、入国管理局の職員がビルマの難民認定申請者にこんな風に聞いたのだそうだ。

「ビルマに帰らないの? 地震が怖くないの?」

これは、もちろん震災以後、難民認定申請を取りやめて帰国するビルマ人が出ていることにも関係している。入管としてはこうした地道な声かけ運動で一人でも多く帰国してくれれば、と願っているのだ(「いやがらせ」と呼ぶ人もいるが)。

とはいえ、残念なことに地震や原発事故にもかかわらず、難民認定申請を続ける人々はたくさんいる。

ある人にいわせれば「ビルマの公害のほうがもっと恐ろしい」とのこと。つまりカチン州で金の採集のために垂れ流されている水銀についていっているのである。

もっとも、こんなことを考える人はわずかで、難民認定申請者が帰国しないのは、単にビルマでは自分が政府に殺されると考えているからだ。

要するに、今回の津波や地震や原発事故は確かに類をみない災害・災難ではあるが、それでも悪政や戦争に比べたらどうってこたないのである。

ちなみに震災の前日、3月10日は東京大空襲があった日でこの日だけで10万人が亡くなったという。

逃げた研修生

研修生ビザで日本にやってきて、研修先から逃げ出して難民認定申請をするビルマ難民がいる。こうした人は難民認定されたり、在留特別許可をもらうのは難しいともいわれるけど、そうした例がないわけではない。

要は、ビルマ国内で命の危険があり、逃げる手段として研修生制度を利用せざるをえなかった、ということを証明すればよいわけだ。

それはさておくとしても、ビルマからの研修性の受け入れには、日本の企業と研修生の間を取り結ぶ団体が関わっているが、そうした団体のひとつが研修生に向けてこんなメールを送ったそうだ(もっともこれは2005年ごろのこと。メールは間違いを含めそのまま引用するが、固有名詞は削除した)。

(ここから)

みんなさんへ

にほんでしっそうしたA(ビルマ人男性の名前)はとうきょうほうめんでけんきょされてミャンマーにきこくとなり、ヤンゴン空港でとめられ、けいさつにつれていかれてからくににうったえられて、さいばんでのはんけつはヤンゴン・インセインけいむしょに3かげつはいることになりました。どうじに200まんチャットのばっきんをくににはらうことになりました。

Aのばあい、いぜん、みんなさんにわたしたろうどうしょうからのけいこくしょをだすまえにしっそうしましたが、ほんにんがしらなくてもこんかいのじょうたいになります。

しかし、ろうどうしょうからのけいこくしょをもらってからしっそうするばあいは、みんなさんにもまえからつたえたとおりけいむしょに1ねんかんと1000まんチャットのばっきんをはらうことになります。ですから、みんなさんもにほんでしっそうせず、3ねんかんきちんとしてミャンマーにかえることをさいどちゅうこくします。

にほんミャンマー○○くみあい

(以上。さらに同内容の英文付)

2011/04/05

捨てる神あれば

震災以後、どれだけの数かはわからないが多くの中国人、韓国人が日本を去った。そうはいっても「逃げない」中国人や韓国人はたくさんいるだろうし、また日本を離れた外国人についてもそれぞれ理由のあることだから悪く言うべきこととも思われない。実際、日本人だって東京から西に逃げているくらいなのだ。どうして日本脱出組の外国人を非難することができよう。

そうはいっても、中国人、韓国人がつぎつぎと日本を離れていると聞いて、これはひょっとしたら、と思ったことがひとつある。

当たり前のことだが、すぐに逃げることができるのは、日本で責任のある地位にいる人ではありえない。学生アルバイトが多いのではと想像できる。

そうした人がいなくなるということは、つまり、都内でアルバイトの口が増えるということだ。

だからもしかしたら、これは難民の失業者にとってはチャンスになるかもしれない。

しかし、震災以後、経済は停滞気味なので、アルバイト自体が減る可能性もある。そうすると難民の失業者はむしろ増えることにもなりかねない。いったいどちらに転ぶのだろうと考えていたところ、どうやらプラス方向に動いているとのこと。

つまり、中国人や韓国人の穴を他の人材で埋めようという動きが企業の中で出てきているようだ。中国人留学生を多く使っていた清掃会社がビルマ難民を雇いはじめているという。

もしそうならば大いに結構なことだ。 日本を去った人を責めることはできないが、そうした人よりも日本に残る人のほうが多く得て当然なのだから。

リテラシー(3)

情報の価値を自分で判断することができない人は、次第にあらゆる事柄の背景に黒幕や陰謀の存在を見いだすようになる。

自分で情報を集めて、そこから自分なりの結論を引き出すのは、自分で新たな情報を生み出すことに等しいが、それができない人にとって情報とは自分の手の届かない所から降り注ぐもの、外在的な神秘として常に立ち現れる。この神秘性こそがあらゆる陰謀論の源のひとつとなっている。

日本人が好む陰謀論は、フリーメーソンだなんだと薄っぺらだが、ビルマ社会のそれはもっとどっしりとしている。生きた陰謀とでもいうにふさわしい。陰謀先進国だ。

日本赤十字社が義援金の1割をポケットに入れている、という誤情報が広まって、ビルマ諸団体の寄付の動きが停滞したことを前に述べたが、これについてある人がこう語った。

「民主化運動に敵対する者たちがデマを流して、在日ビルマ難民が団結して被災者を支援しようとする動きを妨害したのである」

ビルマの人々にいわせれば、なんだって陰謀だ。

リテラシー(2)

在日ビルマ難民の諸団体でも、義援金を集めて被災地に送ろうという動きが盛んだ。ところが、ビルマ人の間で「赤十字に寄付すると、寄付金の1割が赤 十字の取り分になる」というメールが出回り、多くの団体が日本赤十字社の「東日本大震災義援金」に寄付するのをやめたのだという。

慈善団体が寄付金を掠め取ると聞いて、出した財布を一斉に引っ込めた、というわけだ。ブローカーなど怪しげな仲介者には喜んで金を支払うのにね。

BRSAの会議でもこの噂を受けて、会で募金するなら日本赤十字社に寄付しないで「ドラえもん募金」がいいと主張する人もいた。しかし、この人はドラえもんのポケットに入ったお金の一部は日本赤十字社に寄付されることは知らなかった。

この「1割横取り説」が間違いであることは、調べればすぐわかる。日本赤十字社のホームページには次のように書かれている。

この義援金は、今後、被災県で設置される義援金配分委員会に全額が送金され、同委員会で定める配分基準により、被災された方々に届けられます。(http://www.jrc.or.jp/contribution/l3/Vcms3_00002069.html

英語でも同じことが書かれているから、日本語なのでわからない、という言い訳は通用しない(http://www.jrc.or.jp/english/relief/l4/Vcms4_00002070.html)。

もちろん、書かれていることが本当だとは限らないが、そんなことが簡単にできるほど、日本の社会のチェック機能は弱くはない。そして、逆にいえばこれは、ビルマでは社会的な監視システムに対する信頼がまったくないということでもある。

また、たとえ寄付金の一部が運営費などに使用されるとしても、そのことがあらかじめ明記されており、目的と使途がはっきり報告されるのであれば、それほど拒否反応を示すべき事柄とは思えない。

それはさておき、ほとんどのビルマ人はこの噂を鵜呑みにするばかり、自分で調べようともしなかった。だが、そういう人に限って、「この人にお金を渡せば全額被災地に届けてくれる」だなんて口コミに乗せられて、1割どころか10割奪われてしまうのである。

2011/04/04

リテラシー(1)

原発の状況に関して政府は本当の情報を隠している、と疑う人がいる。政府のいうことはすべて嘘だ、と考える人もいる。

そうした人々の言葉を読んでいてつくづく思うのは、すべて虚偽だとして否定する態度も、まるっきり鵜呑みにする態度も、自分の頭で考えることを拒否している点では同じだ、ということだ。

本当のところは、政府やメディアの情報には正しいもの、間違っているもの、意図せぬ嘘、意図した嘘が混じっているのであり、それを見極めるために受け手は、さまざまな情報を集め、それらについて勘考した上で、自分なりに納得できる結論を引き出さなければならない。

ま、これは当たり前のこと。

しかし、ビルマの人はこれが非常に苦手だ。情報隠蔽をつねとする政府、言論の自由を欠いた不健全なメディア状況に育ったのだから、当然といえば当然だが、これらの人々の疑り深さ、そしてそれと表裏一体をなす騙されやすさにはいつも驚かされるし、また振り回される。