2011/06/24

カレン・ユニティ・セミナー参加の記録

5月22日(日)
DL283にて18:35に成田を発ち、23:25にバンコク到着。バンコク泊。

5月23日(月)
バンコクから飛行機でチェンマイに移動。チェンマイからバスでメサリアンに移動。

Karen Teachers Working Group (KTWG) のスタッフの青年と夕食。難民キャンプの現状などについて話を聞く。

メサリアン泊。

5月24日(火)
朝、メサリアンから車とボートでビルマ側のセミナー会場に移動。昼頃到着。

午後からカレン・ユニティ・セミナー(Karen Unity Seminar)に参加。カレン・ユニティ・セミナーとはビルマ国内、KNU解放区、国外のカレン人の政治団体、市民団体の代表が一堂に会し、カレン人の将来についてともに議論する場であり、今回で第8回を迎える。わたしは在日カレン民族同盟(KNL-Japan)の代表のひとりとして第3回、海外カレン機構(日本)(OKO-Japan)の代表のひとりとして第5回、そしてOKO-Japanの代表として今回、と3度目の参加となる。

セミナーの午後のプログラムでは自己紹介ののち、OKO-Japanからのビルマ語のメッセージを朗読してもらう。また、日本のカレン人の状況などを報告。

この日のセミナーでは、カレン人の教育と発展のための資金集めの課題が議論された。また、オーストラリア、カナダ、アメリカ、マレーシア(今回は不参加)からのカレン人団体、カレン民族同盟(KNU)、カレン難民委員会(KRC)など参加団体の活動報告や声明読み上げが行われた。

夕食後はカレン人若者主催による歌の集い。

セミナー会場泊。

5月25日(水)
終日セミナーに参加。

朝に集合写真の撮影。

午前中の議題はカレン人のユニティ(団結)をいかに作っていくかについて。KNU副議長デヴィッド・ターカボー氏よりユニティに関する基調講演。トゥートゥーレイ氏によるユニティーに関するスライドを用いた解説。昼食後、午前中の議論を踏まえて質疑応答。さらに、現在カレン人が直面している問題についての分団協議。のちに各分団からの報告。

夕食後はビルマの連邦制に関する討論が行われた。しかし、わたしはそれには参加せず、ビルマ国内からこっそりやってきたカレン人参加者にインタビュー。

セミナー会場泊。

5月26日(木)
終日セミナーに参加。

セミナー開始前にオーストラリアからの代表の一人にインタビュー。

午前中は各団体の活動報告。オーストラリア、イギリスとヨーロッパ、アメリカのカレン人団体のスライドを用いた活動報告。カレン青年機構(KYO)などの国境で活動する団体の活動報告。午後の議題は環境問題。より望ましい開発のあり方が議論される。さらに分団に分かれて、どのような市民活動が必要かについて議論される。

セミナーの合間を縫って、KNU副議長デヴィッド・ターカボー氏、KNU事務総長シポラセイン氏から日本のビルマコミュニティへのメッセージを収録。また前KNU事務総長のパドー・マンシャ氏の娘でイギリス代表のナン・ブワブワパン氏へのインタビュー等も撮影。

午後のセッションの終了後、イギリスとシンガポールの代表、ビルマ国内の代表とともにセミナー会場から徒歩とボートで1時間ほどのところにあるKNUの医療スタッフ訓練所を訪問。ほとんどが10代の生徒たちの勉強風景を見学した後、各々自己紹介と質問タイム。少年から地震と原発事故についての質問が出る。夕食後はイギリス、シンガポールの代表とロウソクの灯のなか雑談。

訓練所泊。

5月27日(金)
早朝からはじまる生徒たちの朝のエクササイズを見物。何人かの少年少女に取材。

朝食後、再びセミナー会場に戻る。荷物を整理して会場を後にする。セミナーは27日いっぱい続くが、日程の関係上、最後までいることはできなかった。しかし、途中で帰らなければならない参加者も多い。

ボートと車を乗り継いでメサリアンに到着。その後、メサリアンから乗り合いバスでメソットに向かう。途中豪雨でバスが立ち往生する。メソットから60キロ手前にあるメラ難民キャンプでバスを降りる。以前日本に暮らし、ヤンゴンに戻り、その後、メラキャンプに逃げてきたカレン人友人に再会し、日本から頼まれてきた寄付金などを渡す。その後、メソットに。メソット泊。

5月28日(土)
メソットからバスでバンコクへ。夕方着。バンコク泊。

5月29日(日)
DL284にて05:55にバンコクを発ち、14:00に成田到着。そのまま在日ビルマ難民たすけあいの会(BRSA)の総会に出席(17:30-21:30)。