2011/07/22

おごりおごられ(1)

ビルマの人はよくおごってくれる。というか、一緒にご飯を食べにいって、こっちが自分の分を払うのは至難の業だ。

わたしはいたって押しの弱いほうなので、すぐに諦める。一度は奪った伝票を渡してしまう。

もう最近では、おごろうとしてくれるビルマ人に抗うのすら時間の無駄だと感じるようになった。 だが、わたしにも意地がある。せめてお金を払う気持ちはあるのだというところを知らしめたい。

そこで、見え透いた小芝居をする。

お勘定のときに、これ見よがしに財布を出して、千円札を取り出そうとするのである。そうすると、相手はまず間違いなく「いや、いいいい、払う払う」と止めてくれる。 わたしは「えっそうなの? 払うつもりだったのに」とばかりにさも意外そうな表情を浮かべ、お金をしまう。

ところが、最近ではその小芝居すら面倒くさくなってきた。今では、店を出る時に、おごってくれた人に「ごちそうさまでした」と軽く会釈しながら、ポケットの上から財布を撫でてみせるだけだ。堕落だ。尻尾の退化だ。

だが、たとえ尾てい骨にまで縮小しようと、骨は骨だ。いや、むしろ気骨というべきだ。そのひと撫でこそが、まさにわたしの矜持なのだから。ポケットに触れながら会釈するとき、わたしは刀の柄を押さえながら一礼するひとりの野武士となる。

武士は食わねど高楊枝。もっとも、こっちはたらふく食っているわけだが。