2011/09/26

日本人に尊敬されるためには

以下は在日ビルマ難民たすけあいの会機関誌「セタナー」第4号(2011年8月8日発行)に掲載してもらったものです。 

難民審査において日本政府は申請者が難民であるかどうかを調べ、最終的に難民として認めるかどうかの結論を出すわけですが、その際に重要なのは、その申請者が難民となった理由だけではありません。もうひとつ大事な要素があるのです。

こういうと「難民かどうかを認定するときに、それ以外の要因を考慮に入れるのはおかしい!」と反発する人がいることでしょう。確かにその通りですが、現状は異なります。

もうひとつの要素とは、その申請者が日本社会でやっていけるかどうか、についての判断です。つまり入管は申請者が本当に難民であるか、ということとともに、本当に日本でやっていけるか、ということの二点を調べているのです。

わたしはこれは本当は正しいことではないと思っています。難民かどうかということと、日本社会に溶け込めるかどうかということはまったくの別物で、後者を難民審査に持ち込むのは誤りです。難民かどうかという問題は、申請者本人のみに関わることですが、その申請者が日本社会でやっていけるかどうかは、申請者のみの責任ではなく日本社会の責任も問われなくてはなりません。このまったく別のものが入管では一つの机で取り上げられてしまうのは、入管がそもそも難民を扱う役所ではなく、「日本社会を困らせる」外国人を管理するための機関だからです。

ですが現状ではこの2つの要因が日本の難民認定審査において重視されており、申請者はそのことを考慮に入れて審査に臨む必要があります。

「考慮に入れる」とは具体的にどうすることでしょうか。それはつまり申請者が審査において「自分は本当の難民であるばかりでなく、日本社会に害を与えないちゃんとした人間である」ことを示すことです。

いくら本当の難民であっても、審査する相手に対して粗暴な行動をしたり、軽蔑を剥き出しにしたり、日本人に対して敵意を示したりするような人に、入管が好意的な判断をするはずがないのです。

もちろん入管には問題がありますし、職員の中にもひどい対応をする人もいます。そのような対応に対してははっきりと抗議し、必要ならば怒るべきです。ですが、そのときでさえ相手の人間性に対する配慮を忘れてはなりません。そうした配慮があるかないかが、相手を敵と見るかそうでないかの分かれ目です。もしあなたが相手の人間性をないがしろにしたならば、そのとき入管の職員はあなたにとって敵になります。そして、それと同時に入管の職員もあなたを日本社会に対する敵だと見なし、日本での滞在にふさわしくない人物だと判断することでしょう。

ですが、だからといって、入管の職員の言いなりになれといっているのではありません。わたしが言いたいのは、誰であろうと崇めたり軽蔑したりせず、自分と対等の人間として敬意とともに扱うべきだという、ごくごく当たり前のことです。そして、これが重要なことなのですが、日本人はこうした態度を取る人を非常に評価するのです。

あなたが入管の職員や難民審査官に敬意を示したとしても、それがすぐに自分に跳ね返ってくるとはかぎりません。ですが、そのような態度の積み重ねなしには、いざというときに本当に敬意を表すべき人に敬意を表すことができないのも確かです。だから、入管での態度、とくに審査の時に態度には特に注意を払ってほしいと思うのです。

最後にもうひとつだけ、日本人に敬意をもって扱われるための秘訣をお教えしましょう。それは自分の間違いを認め、率直に謝ることです。ビルマの社会を観察して、みなさんが滅多に謝らないのにわたしはいつも驚かされます。自分の間違いを認めると全財産を奪われるかのようです。どんなに自分に非があっても、ビルマの人はそれを認めませんし、時には逆に怒り出す人もいます。これに対して日本人にとって謝ることはなんの恥でもありません。それどころか、率直にきちんと謝る人ほど高く評価されます。ですが、これは日本人がビルマ人に比べて高潔だからではありません。ただ日本人のほうがケチなだけです。なにしろ、謝るのにはまったくお金がかからないのですから!