2011/10/04

小銭への憎悪

日本在住歴20年になるカレン人難民の女性にお昼をおごってもらった。

支払いを済ませたその人が「あー、日本人になっちゃったよ!」というので何かと思って聞いてみたら、「財布に小銭を入れていくのがイヤになった」とのこと。

つまり、彼女が言っているのは、支払額が例えば748円の時に、1048円出してお釣りを300円にして10円玉や1円玉を減らそうとするその策略のこと。もちろん、803円だしてせめて1円玉を追い払おうという悪あがきも含まれる。

彼女によれば、こんなことをするのは世界でも日本人だけだとのこと。わたしはそんなことはないだろうとは思うが、時には仕事でレジ打ちもする彼女は「少なくとも中国の人はしない」と主張した。

1円玉を憎むこと甚だしく、小銭入れに4枚ある時点で不愉快、5枚で激昂、9枚以上で半狂乱となるわたしにしてみれば、機会あるごとに財布から小銭を追放しようというのはまったく当然のことのように思えるが、こうした心的態度も決して普遍的なものではなく、小銭なんかいくらあろうともへいちゃらというほうが普通という文化もあるのだ。

こういう話になると、 「それは日本人は計算が得意だからだ、教育が行き届いているからだ」という人がいるが、これは「自民族中心主義」的な古くさい見方だ。

おそらくもっと複雑な文化的な仕組みが働いているはずで、それにはお金を支払うことや何をもってサービスとするか(つまり売り手と買い手の関係性)に関する態度も含まれるに違いない。

ことによったら、ある文化における小銭に対する態度が、その文化がいかに少数派を受け入れるかという社会の寛容度と結びついている可能性だってあるかもしれないのだ(例:「金をはらう」と「追いはらう」と「はらい清める」)。