2011/10/05

凧とビデオ

2004年のこと、当時牛久の収容所に3年近くも収容されていたカレン人がいた(この頃は2年以上の収容は珍しくなかった)。彼をMさんと呼ぼう。

その頃は毎月のように牛久に面会に行っていたので、Mさんにもよく面会したものだが、彼はビルマに残してきた中学生の息子さんのことをいつも気にかけていた。その母、つまりMさんの奥さんは病気ですで亡く、その子は親戚の家に預けられていた。

その年の10月、わたしはたまたまヤンゴンに行く用事があったので、彼の親戚の家もついでに訪ねた。女性たちがわたしを出迎え、涙を流しながらMさんの息子を連れて来てくれた。

少年は父の使者だという日本人を見てもとくに心動かされた様子はなく、すぐに外に遊びにいってしまった。ついていってみると、庭の石段に座って他の子どもと凧の糸を糸巻きにくるくる巻き付けていた。わたしは彼の姿を写真とビデオに収めた。

帰国すると早速、写真を現像して、牛久に持っていった。問題はビデオだ。入管の収容所内ではビデオやDVDを見ることができない。しかし、せっかく撮影したのだから、わたしは是非Mさんに見て欲しかった。

そこで一計を案じた。面会所には携帯電話やカメラの持ち込みは禁じられている。しかし、パソコンはダメとは言っていないのである。

わたしは面会室にパソコンを持ち込み、そこで撮ってきた映像を再生し、Mさんに見てもらった。

入管職員が面会室をのぞき込んだ。わたしは緊張したが、職員はただ眼を丸くしただけで行ってしまった。

わたしはこのときのMさんの反応を覚えていない。おそらく入管の職員のほうばかり気にしていたせいだろう。ただ覚えているのは、ビデオを見た後、Mさんがわたし「指見た? わたしの息子、手に小さい6本目の指があるんだ」といい、わたしが「気がつかなかった」と答えたことだけだ。

今年の10月3日に牛久に面会に行ったら、面会の前に「携帯、カメラ、パソコンは持ち込み禁止」と言われた。わたしの他にも同じようなことをした面会者が何人もいたのにちがいない。わたしの使った手はもう使えない。

さて、それからしばらくして、Mさんは釈放された。わたしはこの時見せたビデオをDVDに焼いて渡した。2006年の10月、Mさんはお酒の飲み過ぎで亡くなった。孤児となった彼の息子は葬儀のために来日し、今も日本にいる。

 Mさんの息子が暮らしていた家
(2004年10月ヤンゴン)