2012/09/05

牛久の日々(2)

茨城県牛久出身の人によれば、むかしこの地には仏さまが住んでいたという伝承があるそうで、そんなゆかりもあって牛久大仏が建立されたのだという。

仏様といえばカピラヴァストゥ国の出身だから、おそらくビザの関係で牛久の東日本入国管理センターに収容されていたことからこんな言い伝えが生まれたのかもしれない。

さてそれはともかくこの牛久の入管、まったく行くのに不便だ。牛久駅から10キロほどのところにあるのだが、バスはほとんどないし、タクシーでは片道3,000円近くかかる。どうして入管がこんなところにあるかというと成田空港まで30数キロ、と収容者の輸送に便利だからだという。

この日、わたしは出発が遅れたせいで、牛久の入管になんとかたどり着いたのが9時半過ぎ。午前中に2回の面会がギリギリというところ。とにかく整理券片手に呼ばれるのを待つ。

受付のある部屋には長椅子が並び、7〜8名が座っていた。そのうち半分がどうやら面会を通じて支援活動をしている人たちのようで、情報交換をしたり、ぼんやり座ったりしていた。わたしは以前、そうした活動家のひとりを憤慨させたことがあるので、見つからないように隅で小さくなっていた(ま、無理だが)。

呼ばれるのを待つ。

スーツを着た弁護士たちもいた。牛久の通常の面会時間は30分だが、これらの人々には時間の制限がないという。そのため面会室がなかなか空かず、その分他の人の面会が遅れるのだ。

で、呼ばれるのを待つ。

中には小学生ぐらいの子どもを連れた女性もいる。フィリピンの人かもしれない。母子が会いにきたのは父親だろうか。品川でもどこでもこうした親子はいて、わたしはいつも気になるが、尋ねるわけにもいかない。ちなみにビルマ難民の収容者では親子がバラバラになるのはよくあることだ(最近はあまりないが)。

呼ばれた! いやもう11時近くじゃねえか。