2013/05/24

自殺と功徳

アシン・ソパカ師はドイツに亡命したのだが,慣れない環境と同居人との軋轢から,ついには自殺を考えるまで追いつめられたという。

自殺というものもまた文化的なものだから,ビルマ人と日本人の自殺観は異なる。あるカチン人が2007年の松岡利勝大臣の自殺のさいに「日本人はビルマ人が絶対に自殺しないようなことで自殺してしまう。これは理解できない」と言っていたことをわたしはいつも考えていて,ビルマの人がどういうときにどのような自殺を思うのかを知りたく思っていた。なので,アシン・ソパカ師の体験談は非常に興味深かった。

彼が自殺を思いとどまったのは,次の3つの理由のおかげだという。

1)自分を愛する家族がどれだけ悲しむか考えた。
2)知人たちは自殺した自分を愚か者だと考えるだろう。わたしは自分の人生を汚すことになるのである。
3)「悩みがあればそれを書き記しなさい 」という本の言葉を思い出し,それを実行した。

これらの理由はいわば,彼を死の縁から引き上げた3本の命綱というわけだが,これらの中でわたしの関心を惹いたのは2番目のもの,つまり自殺が自分の名誉を汚すという考え方だ。これは,日本人がしばしば自分の名誉を守るため,あるいは自分を恥辱から救うために死を選ぶのと対比をなしている。

名誉の自決というとずいぶん古めかしいが,これはその実「謝罪としての自殺」という形に変形されて,今も日本で見られる。「死んでお詫びする」というやつで,松岡大臣もやはりそうだった。

要するに自分の死が倫理的な完成(あるいは倫理的負債の完済)と関連付けられる点ではどちらも同じなのだ。しかし,謝罪と死が本当のところは無関係なのはいうまでもない。

さて,アシン・ソパカ師は自らの体験から,もし自殺を考えている人がいたら上記の3つの点に思いを馳せてほしい,そうすればそのような企てをせずに済むだろうから,と語られた。

しかし,注意すべきはこれは自殺を回避した人の言葉であって本当に自殺した人の言葉ではないことだ。このような3つの事柄に思い至り,それを実行できる人は,そもそも自殺する可能性などほとんどないのだ。

本当に自殺を考えている人にとっては,これらの自殺しないための3つの理由など容易に反駁できる。いや,自死の瀬戸際にいる人は,そのような助けに気がつかないほど追いつめられ,視野狭窄になり,思考が凝り固まってしまっている。

ゆえに,そうした人の自殺を防ぐためには別の方法,手立てが必要となろう。

しかし,そうではあっても,そうしたのっぴきならないどん詰まりに追い込まれないための助けとしては,アシン・ソパカ師のいう3つの理由は効果的であるかもしれない。それゆえ,わたしはあるいは誰かの助けになるかと,ここに彼の言葉を記録したわけである。

けだしわたしにとっての功徳とならんか(意地汚ねえな)。