2013/06/27

焼き肉ランチ

入管に収容されることのショック,拘束期間の分からないことの不安,収容され続けることのストレス,そして強制送還への恐れは,多くの難民の精神に傷跡を残してきた。

入管における収容が難民とその家族にどのような影響,というか苦しみを与えてきたか,そして今も与えているかについてのレポートを,今年中にできたら出せればとわたしは考えている。

それはともかく,わたしの友人のビルマ難民に,収容のショックで記憶力と集中力が衰えてしまったと訴えている人がいる。

この間たまたま,収容されている間の話を聞くことができた。それはまさしく恐怖の思い出で,聞いてるこちらも悲しくなるほどだった。

気がつけばちょうど昼。つらい話はもう終わり! さあ飯食って頭を切り替えよう!

知り合いの焼き肉屋が近所にある。カチンの人が働いている。

店に入って席につく。カルビだ,ハラミだ,ホルモンだ! 

えっ? 牛肉は食べない? じゃ,豚トロ定食で!

定食が運ばれてくる。ここの店のランチは弁当箱だ。肉,ご飯,キムチ,サラダと仕切られてる。

で,彼,目の前の豚トロ定食をじっと見て

「これ入管と同じね……」

やばい,入管の食事も似たような弁当箱だった!

「ハハハ」

力なく笑ってる。

2013/06/26

入管のひげ剃り

在日ビルマ難民たすけあいの会(BRSA)の会員の仮放免申請のため品川の入管に行き,まず同会の副会長のラミョーさんと一緒に面会をした。

どうして先に面会するかというと,申請書に被収容者のサインが2カ所必要なためだ(ただしこれは被収容者と申請人が異なる場合だ)。面会の前に申請書を差し入れし,面会中にサインしてもらい,面会後に受け取るというわけだ。

面会時間は30分。サインが済んでしまえば雑談だ。

その会員は口ひげと顎ひげを生やしている。それはいいのだが,手入れもしてないようすで,見栄えが良くない。

ラミョーさんが,外に出たらひげはちゃんと剃ったほうがいいよ,とアドバイスする。

彼は答える。「ええ,もちろん。でも,ここでは仕方がないのです」

で,いろいろな文化的背景を持つ人が,入管の収容所のような制限の多い生活を送る状況ならではの興味深い話をしてくれた。

収容所の中では電気ひげ剃りを所有することができるのだが,おそらく空いているコンセントがほとんどないのだろう,充電のたびにいろいろ問題が生じる。

そんなわけで自分のひげ剃りを持っていない人も多く,彼もその1人だ。

で,みんなどうしてるか。ありがたいことに,共用の電気ひげ剃りがある。

「ですが」と彼は言う。「これは使いたくないです。ビルマ人は口がとても大事だから」

被収容者のなかには驚くべきことにそれで陰毛の手入れをする人もいるのだという。

わたしだって口に当てたくない,そんなひげ剃り。

だが,調べてみれば分かるが,陰毛の処理が身だしなみのひとつとされている文化も多い。なので,剃る文化の人のほうはその人のほうで,剃らない人に対して不愉快な思いを抱いているかもしれない。「お前ら,床にまき散らしやがって!」と。

どっちの文化が優れているのか,わたしには分からない。生えてきた毛に罪はないということ以外には……

2013/06/25

マイジャーヤンの病院

ライザの病院に日本のODAによる設備があることを書いたら,ある方がこれが「草の根・人間の安全保障無償・ライザー人民病院(カチン州)医療機材供与計画」であることをご教示くださった。ありがとうございます。

外務省のODAのホームページの「草の根・人間の安全保障無償資金協力 地域・国別 平成17年度」に,そのことが記載されており,抜粋すると以下のようなものだ。

国:ミャンマー
G/C締結日:平成18年2月15日
分野:医療保健
案件名:ライザー人民病院(カチン州)医療機材供与計画
被供与団体名:ライザー人民病院
団体の性格:医療機関
邦貨:¥8,998,379

G/C締結日のG/Cって何,コード進行かな,と思って調べたら,「贈与契約(Grant Contract)」の略だそうだ。

さて,ライザの病院について触れたのだから,もうひとつのKIOの町,マイジャーヤンの病院の写真もご紹介しよう。撮影日は2012年6月30日。

 マイジャーヤンの町並み
戦争中なので人気がなかったが,今は活気も戻ってきているとか。

カチン語で書かれた病院の看板

「タバコ飲むな」とカチン語で書いてある。

入り口の待合所

病院から出て行く兵士たち

 怪我をしたカチン兵士と子ども

やはり怪我をした兵士

これも兵士

 病室の様子

病室の窓際に置かれた兵隊のおもちゃ

 
病院の責任者の医師
ここはKIOが運営している。

 病院受付の中

 看護師さん

2013/06/24

ライザの総合病院

ちょうど1年前の6月29日だが,カチン独立機構(KIO)の本部のあるライザに滞在した時,カチン独立軍(KIA)の隊長にライザ市内をあちこち案内してもらった。

そのうちのひとつにライザの総合病院があった。

わたしは病院のことは分からないが,その設備が最低限のものであることは察しがついた。いくつか立派な機械があり,そのうちのひとつは未熟児などが入れられる特別なベッドであったが,それらは日本のODAによるもののようであった。日の丸と「日本の国民から」と記されたシールが貼ってあった。

この病院には,他に看護師学校,看護師宿舎,伝統医学の医薬品倉庫などもあり,わたしはそれらも見て回ることができた。

病院はKIOが運営しており,ライザには他にKIO本部の近くの軍用病院がある。総合病院には,ライザ市民はもちろんのこと,傷痍兵も入院していた。ライザ近辺の戦争避難民キャンプからも重篤な病人が運ばれてくるという。

この総合病院でも治療できない病人やケガ人は,中国の芒市(マンシ)の病院などに運ばれる。

何枚か写真をここに紹介しよう。

ライザ総合病院

  診察室

診察室

ツボ人形

点滴をされて移送される女性の病人

看護師

 ケガ人とその息子

 看護師たち

 日本のODA

日本から寄付された装置

母と子どもの病棟

新生児用のベッド

 分娩室

母と子どもの病棟

女性の病棟

看護師学校

 看護師

2013/06/21

あいのりタクシーブルース

牛久駅から東日本入国管理センターまではバスで行くことができるが,2時間に1本もない。

そんなわけでタクシーで行くのが一番便利だ。ただし,片道2,500円は覚悟しなくてはならない。

最近は在日ビルマ難民たすけあいの会(BRSA)の仕事で行くことが多いので,タクシーを使わせてもらうが,以前はバスの時間に合わせて面会に行っていたものだった。

行きはいい。しかし問題は帰りだ。バスはそう都合よく来ないから,相当待たなくてはならない。やがて暗くなる。しかもかなりの田舎だ。明かりなんかない。人っ子ひとりいない。鬼太郎夜話! 心細いことこの上ない。金があるならタクシーに限る。

牛久駅と入管までの道筋はいくつかある。どれも大して変わらないように思うが,それでも一番近い道があり,これは林の中の狭い道を通る。しかし,ある運転手によれば,この道は事故が多いので通らないようにと言われているそうだ。

何年も前のことだが,面会を終えたわたしは入国管理センターから電話でタクシーを呼んだ。しばらくすると入管の玄関に配車。

わたしが乗ろうとすると,男の人が声をかけてきた。駅まで同乗させてくれというのだ。むろんのこと,タクシー代は割り勘だ。これはわたしにとっても助かる。

さっそくタクシーはわたしたちを乗せて出発した。その男の人は結構こわもて,で身体も大きい。面会に来ていたのだという。「ハッハー助かりました!」 大きな声で上機嫌だ。入管が遠い! と文句をいう。「まったくです」とわたし。一仕事終えて2人ともほっとしてる。

だが道のりを半分ほど過ぎた頃だ,この男が急に怒り出した。道が違う! 「ふざけんなこのやろう!」 運転手に怒鳴る,罵る。後ろから首を絞めんばかりだ。運転手は「あの道は通っちゃいけないんです」とか弁明するが,やっこさん,聞いちゃいない。真っ赤な顔で怒ってる。絶対金なんか払わねーぞ!

とんだあいのり! 俺が呼んだタクシーでおっぱじめんなよおい! この理不尽な出来事にわたしもだんだん腹が立ってきた。

「すいません!」 わたしはタクシーの運転手に言った。「もうここで止めてください! ここで降りますから!」 俺は歩く! 

と,男は我に返る。わたしに謝る。で黙りこくる。運転手に「ぼろうとした分は絶対払わねえからな!」と言ったきり。

駅に着く。男は自分が払いたい分だけ払って車を飛び出した。で,足りない分を支払ったのはこのわたしだ。

2013/06/20

難民の難儀

あるカチンの女性がアメリカ合衆国に行くことになった。親戚の結婚式があるのだ。

彼女はビルマの難民だから,日本人のように簡単にアメリカには行けない。

ビザ免除プログラムというものがあり,日本を含む特定の国の人はビザなしで90日間アメリカに滞在することができるが,ビルマは違うのだ。

非移民ビザを申請して取得しなくてはならない。これはインターネットで申請し,ビザ料金を支払い,大使館での面接した後に発給される(されないこともある)。だいたい1週間から2週間かかるらしい。日本人でも留学や就労のさいにはこの手続きが必要となるようだが,観光や短期の商用で行く分にはまず用がない。

で,そのカチンの女性はインターネットも英語も苦手なので,わたしに助けを求めて来た。しかも,結婚式までもう間がない。すぐ手伝ってくれという。

なんでこんなギリギリになったかというと,ワケがある。彼女は日本の入国管理局に再入国証の更新を申請していたのだが,なかなか許可が下りなかったのだ。

近頃の入管はとても忙しいらしく,「これこれの申請をしたのだが,待てど暮らせど返事が来ない」という話をよく聞く。内情は分からないけど,もしかしたら去年の7月の在留カードの切り替えと関係あるのかもしれない。もうすぐ1年経つから。

それはともかく,わたしは彼女とオンライン申請をする。面倒くさいが無事終了。次にビザ料金160ドルの支払い。これも一騒動あったが,なんとか終わる。さて,次は領事との面接の予約だ。これもオンラインでできる。

で,予約画面に入ったら,もっとも近い可能な面接日が結婚式の日の後。これじゃ間に合わない。

大使館に問い合わせる。わたしは事情を説明するが,答えは不可能。優先面接というシステムもあるが,これは葬式や緊急の商用のみで,結婚式や卒業式は理由にならないとのこと。

カチンの女性は頭を抱えている。すっかりしょげちゃった。結婚式の後から行ったって意味ない。式に集う親戚たちと会うのが何よりの楽しみなのだ。

わたしは,この女性の親戚が日本で結婚したときのことを思い出した。花嫁はビルマから自分の式に両親を呼ぼうとしたが,ビザがおりなかった。だが,彼女にはインドに兄がいた。難民として暮らしている。親が無理なら,その兄を呼ぼうと考えた。で,どうしたらよいか,わたしに相談しにきた。

だが,いろいろな問題がありこれは結局諦めざるをえなかった。兄妹の関係を証明する重要な書類がインド・ビルマ・日本の国境のどこかに紛れ込んでしまったのだ。

で,その花嫁,「結婚式なのに家族がだれ1人来てくれないなんて」と毎晩泣いていたそうだ。

そんな事情もあったから,アメリカ行きがフイになってしょぼくれているそのカチンの女性を見て,わたしは「難民であるということは,まったくいろいろ難儀なことだ」とあらためて思ったのだ……。

ところがだ。

その晩,彼女,アメリカの親戚に電話した。で,その親戚がアメリカで役所に掛け合った。そしたら,翌日朝早く面接できることになった。

で,面接を終えたばかりの彼女からさっき「すべてOK」との電話がかかってきた。

2013/06/18

日本のカレン民族交流会

日本に暮らすカレン民族の交流会が,江東区の清澄庭園の大正記念館で6月16日の午後に開催された。

カレンのみんなが食事を持ち寄って食べて飲んで談笑する会で,今年で4回目だとのことだ。参加者は30名弱。この日曜日は色々用事が重なって少なめだ。

カレン民族が,チンやカチンの人と異なるのは,教会を離れてこうした交流会を設定することだ。ほぼ100%がクリスチャンのチンやカチンの人はだいたい教会のなかでなんでも済ますことができる。だが,仏教徒が半数以上を占めるカレン人は,教会などの場以外でなければ,民族としての親睦会を行うことができないのだ。

はじめにちょっとした挨拶の後,各自自己紹介,そして,さらにしばらくしてからマイクでひとりひとりがコメントをしたり,冗談を言ったりする,という和気あいあいとした雰囲気で,これもまたカレン人らしい好ましさだ。わたしはすっかりお酒を飲み過ぎてしまった。

在日カレン人の中には,大きくわけてスゴー・カレンとポーカレンのふたつの民族グループがあり,言葉も異なるし,またヤンゴン育ちのカレン人の中にはカレン語が得意でない人もいるので,こうした場ではビルマ語も使われる。

ある若いカレン人がビルマ語で話している。ブツ切れだ。「彼はビルマ語が上手じゃない」と周りの人がわたしに教えてくれる。と,急にペラペラ話し出した。ビルマ語からスゴーカレン語に切り替えたのだ。

聞けば,エーヤーワディ管区のパテイン出身だとのことで,この大きな街はヤンゴンから車で4〜5時間のところだ。

ビルマ語の得意でないカレン人もいるにはいるが,そうした人は田舎の山の中から来たものとばかり思っていたので,これは意外だった。

2013/06/16

狒々の血

普通「父の日」というと,子どもが自分の父親に感謝する日だと考えられているが,キリスト教会などでは,その教会に集う子どもたちが,自分にとって父のような男性にも「ありがとう」を告げ,花などを贈る日だとされている。

世の中には子どものない男性や,父親のいない子どもがいることを考えれば,これはとても良い慣習だ。

あるカチンの子ども(前にスーチーさんへの手紙をここで紹介した子)がわたしに次のような父の日の感謝状をくれた。


これはとてもありがたいことだ。会長というのは在日ビルマ難民たすけあいの会(BRSA)でのわたしの役職だが,わたしの働きがこの会のすべての会員のおかげであることを考えれば,これはBRSAのすべての男性に宛てられたものと考えることもできよう。

なお,タイトルは吉田戦車の『伝染るんです』に拠っている。

2013/06/15

イタい写真

わたしのFacebook上の友人のほとんどはビルマの人で,それは別にいいのだけど,これらの人々は,その置かれている社会状況と,情報リテラシー,特に写真に対する考え方が,日本社会のそれとは異なるので,ときどき実に困ったことが起きる。

いわゆる「閲覧注意」な画像を平気でニュースフィードに乗せるのだ。しかもまったくの善意から。

この善意には,わたしが見るところ,2つのタイプがある。

ひとつは悲惨な画像でビルマの現状に関して注意を喚起しようとするものだ。これはだいたい3つの意図が含まれている。

①ビルマ政府の悪行を広く訴えようという意図。

②ビルマ社会において正義の遂行を求める意図。

③ビルマ社会の不公平さや貧困を訴える意図。

その結果,砲撃で殺されたカチン人民間人の写真,宗教的対立により惨殺された人の写真,災害で亡くなった人々の写真がわたしのニュースフィードに流されることになる。

もっとも印象に残っているのは,何人かの幼児の遺体の写真で,これらの子どもたちは地面に捨てられ腐乱していた。動物に食われているようでもあった。もっとも,それ以上は詳しくは分からない。じっくり見なかったので。

さて,もうひとつの善意は,「かわいそうだから見て!」という形で自分の感じた憐れみや同情心を共有しようというものだ。

これは,さまざまな障害や病気を持って生まれた赤ん坊の写真をシェアするという形で現れる。写真はビルマのものに限られず,この点が最初の善意と異なっている。

これらはたしかに「かわいそう」な写真であるが,だからといってネットという公的な場で拡散すべきものなのだろうか,というのが,おそらく日本社会の普通の感想なのではないかと思う。

NHKの記者の方が言っていたのだが,東日本大震災の報道で遺体をどのように扱うかはひとつの問題で,議論の末に,NKHでは遺体を映像としては映さない,ということになったそうだ。

これは遺体の映像がショックを与えかねないというのももちろんだが,それと同時に亡くなった人の尊厳やその遺族の感情への配慮も大きな理由となったに違いない。

今の日本でのメディアに関するこうした考え方からすれば,被写体の同意のないところで,その被写体が意図しない写真(遺体や著しい肉体的損傷などの写真)を公開するのは,それがいかに同情や共感を呼ぶ内容であろうとも,やはり違和感のあることである。

ビルマ社会と日本社会のリテラシーはこのように異なるのだが,そのどちらがよいかというのは別の問題で,ここでは触れないけれど,少なくとも,いきなりこうした写真を見せられる身にもなってみろ,とわたしはときには文句をいいたくもなるのだ。

そんなわけで,Facebookのフィードを見るときも恐る恐るだ。ヤバそうな写真があるときはさっと飛ばすか,目を細める。

この前も,ちらと見て,うわー,イヤな写真。

なんかの病気だろう。やせ細って,しわくちゃの老人。顔が骸骨みたい……死体か?

と思ったら,キース・リチャーズだった。

GRRR!

2013/06/12

まんだら屋の良太

わたしは大学に入るのに2年かかった。

出来が悪い上に,勉強もしないというていたらくで,なんとか学校にもぐり込むことができたものの,浪人期間中に身に付いた怠け癖は今もたたっている。

実際,あの時期に自分が何をしていたのか,さっぱり覚えていない。せいぜい読書に夢中になっていたことぐらいで。といっても畑中純の『まんだら屋の良太』という漫画。今ではあまり触れられることもないが,傑作だ。

それだけ覚えてりゃ十分。

さて,先日,牛久の東日本入国管理センターで,収容中のビルマ人難民の仮放免手続きをした。

で,その人は無事に外に出てくることができたのだが,外で改めて対面してみると,ずいぶんと若い。

それもそのはず24だ。

しかも,彼は2年間も収容されていた。品川に7ヶ月,牛久に1年半。

わたしの無駄な2年間は自業自得であったが,彼の2年のロスは必ずしもそうとはいえない。

ビルマがまともな国だったら,てか,世界がもっとまともだったら,異国で2年間も収容されるなんて目に遭いはしなかったろう。そのかわりに,まじめに勉強か何かしているか,まじめじゃなくても喫茶店かどこかで友人たちと楽しい時間を……なんにせよ収容所よりはましな生活だ。

若いうちの時間の浪費は後で響く。経験者が言うのだからこりゃ間違いない。東京へ向かう電車の中,彼の屈託のない様子に,わたしはどうにもやりきれない気分になった。

彼の代わりにわたしが収容されちゃる。

で,『まんだら屋の良太』を読むのだ。なにせ50巻以上ある。じっくりと。

いや,でも,これじゃ,2年には足りないか。

追加で差し入れだ。

なんでもいいけど,とにかく長いの!

海賊の漫画? 勘弁してくれ。

『弐十手物語』全110巻?

うってつけだ。

2013/06/11

スーチーお母さんファイト

スーチーお母さんへ

私は,ワジェ・コントイといいます。カチン族です。9才で小学4年生,XX小学校で,勉強しています。

私が,6才の時,スーチーお母さんが,なんきんに,なって,お母さんと,大使間前で(ママ),「スーチお母さんを,出してください!!」と,ポスターを,持って,大声で,叫びました。

ミャンマーで,せんきょが,ある時も,スーチーお母さんを,おうえんしました。今まで,ずっと,おうえんしてきました。私は,お母さんから,「スーチーさんが日本へ,来るよ。」と言われ,うれしくて,その前の夜,ワクワク,ドキドキで,スーチーお母さんに,会うため,サインをもらうための,じゅんびをして,その日の夜は,ねむれませんでした。

私は,朝4時に,起き,歩きながら,電車が,来るかなと,心配していました。でも,電車が,出て,神様に,感しゃしていました。5時に,電車に,乗る事が出来ました。なり田空港に,着いて,スーチーお母さん,まだ来ないかなと,思っていました。スーチーお母さんは,どんな顔なのだろう。出来れば,サインや,あく手を,してもらいたいなと,思って待っていました。でも,スーチーお母さんが,出て来なくて,がっかりしました。

私の,お母さんが,バスの中で,「ブブ,もう帰ろうか。」と言われました。私は,お母さんに,「ブブは,あきらめないよっ。お母は,もう帰っていいよっ。」とスーチーお母さんに,会いたい,固い意しで,いっぱいで,長〜い時間待って,かんげい会に,さんかしました。

スーチーお母さんに,会って,こう思いました。スーチーお母さんは,みんなの事を,考え,それを,行い,たとえば,ミャンマーから,日本まで,長い時間なのに休まない,えらい人なのに,自分中心ではなく,やさしい,すてきな方だと思いました。テレビで,見ているより,じっさい会って見たほうが,もっときれいで,かがやいている顔でした。

今私は,英語,カチン語,ミャンマー語を,勉強しています。スーチーお母さんが,スピーチを,ミャンマー語と,英語で,お話しした内ようを,お母さんが,私に,通やくしてくれて,私も,スーチーお母さんのように,早く,英語と,ミャンマー語で,ペラペラスピーチが,出来るようになりたいです。私は,スーチーお母さんの,スピーチを聞いて,「もっと勉強を,がんばろう。」と,かくしんしました。

私の,おばあちゃんと,スーチーお母さんのお母さんは,友だちだったそうです。私のおばあちゃんは90才を,むかえて,来ました。今私は,日本で勉強し,私のしょう来を,考え,おばあちゃんに,会う事が出来ないので,おばあちゃんや,今まで,お世話になった方たちに,恩返し出来るように,がんばって,おばあちゃんが,生きている内に,何のしょうでも,一つか,二つは,取りたいです。

スーチーさんは,しょうが100い上あるのを,かんげい会のプログラムで,見て,スーチーお母さんに,もっと,あこがれました。

今私は,交通安全活動を,を(ママ),やっています。

私のお母さんは,ミャンマーで,生れ,私は,日本で,生れ両国の,役に立つかけ橋が出るように(ママ),がんばりたいです。しょう来ミャンマーで,めぐまれない子どもたちに,紙しばいを,読んだり,バイオリンを,教え,ゴミの分れつ(ママ)の仕方を,教え,命の大切さと,交通ルールを,教え,交通事こをなくしたいです。

私は,お医者さんになって,色々なやまいを,持っている人たちをたすけたいから,たくさん勉強しています。お医者さんもしながら,ユニセフ活動をしたいです。

今世界中で,テロや,せんそうが,まだつづいています。ミャンマーでも,せんそうが,ないように,みんなの心が一つになるように,スーチーお母さんが,みんなまとめ,平和な国に,なるように,きたいしています。

私が,大人になって,ミャンンマーへ来た時,ハグしてかんげいしてねっ。それまで長生きしてねっ。スーチーお母さんの上に,神様の祝福と,めぐみがありますように。

スーチーお母さんファイト

 ワジェ・コントイより
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(原則的には,少女がジャポニカ学習帳に記したままに書き写した。ただし,一部固有名詞を伏せ,また原文にはない改行を施してはある。本ブログへの掲載の許可は彼女の母からいただいた。ここに感謝を申し上げる。

日本で生まれ育った彼女は現在,母とともに暮らし,難民として認定されるのを待っている。なお,この手紙は,結局,アウンサンスーチーさんのもとに届くことはなかった。でも,きっと,いつか届くからねっ)
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2013/06/10

カチン・グローバル・デー・オブ・アクション

カチン・グローバル・デー・オブ・アクションとして,6月7日午後3時から5時の間,渋谷の国連大学前で在日カチン人とビルマの人々によりアピールが行われ,代表たちにより国連の人に声明文が手渡された。

そのときの様子が分かる写真を数枚。










2013/06/08

カチン・グローバル・デー・オブ・アクション緊急声明文・最終版

前回,カチン・グローバル・デー・オブ・アクション緊急声明文として訳出した英文の最終版がFederalism is key to genuine peace - Statement by 60 organisationsとして公になった。

わたしが翻訳したのは草稿版で,かなりの相違点がある。なので,改めて最終版を以下に掲載する。

真の平和の鍵は連邦主義
60の団体による共同声明

ビルマ政府が17年の停戦を破棄し,カチン独立軍(KIA)とカチン民間人に対して軍事攻撃を開始して2周年となる本日,21カ国の60のカチン民族団体およびビルマ・キャンペーン・グループはともにグローバル・デー・オブ・アクションを開催いたします。

ビルマ軍がカチン民族との停戦を破棄して2年の歳月が流れました。その結果,カチン民間人は絶え間ない軍事攻撃と人権侵害にさらされることとなりました。 軍事攻撃にさいし,ビルマ軍は民間人を標的にしているのです。これは戦争犯罪と認定することができます。また,ビルマ軍による人権侵害行為は国連においても記録されていますが,これらは人道にもとる犯罪と見なしうるでしょう。カチン民族民間人は,さまざまな人権侵害に苦しんできました。女性と子どもに対する強かん,法によらない処刑,拷問,強制労働,迫撃砲による砲撃,村の放火と略奪……。いまや10万を越えるカチン民間人が故郷から避難民キャンプへと逃れるか,国内避難民となっています。しかも,ビルマ政府はこれらカチン避難民に対する人道的支援を制限し続けています。国際的な人道団体が現地の支援団体を通じてこれら国内避難民を支援することが今なお必要なのです。

このグローバル・デー・オブ・アクションが光を当てるのは,カチン民族地域での人権侵害行為であり,そのうちには,戦争の道具として罪に問われることなく非ビルマ民族女性に対して性的暴力を行使するという広く見られる侵害行為も含まれます。また,永続的な平和を保障する「連邦主義民主国家ビルマ」の樹立をも呼びかけます。

世界中のさまざまな国で平和的なデモ,書簡やイベントを通じて,それぞれの政府に対する働きかけがなされるでしょう。それは,各国政府の圧力により,テインセイン大統領にカチン民族に対する攻撃を停止させ,彼を連邦制民主主義と民族の平等との原則とに依拠した政治的解決へと向かわせるためのものなのです。

ビルマでは,さまざまなアクションが予定されています。平和活動家たちが独立記念塔でリースを献花します。また,カチン・ピース・ネットワークをはじめとする現地の市民団体は,インヤー湖ですべての宗教に開かれた祈祷会を開催した後,平和的デモ行進を行う予定です。

イギリスでは,カチン・コミュニティとビルマ・キャンペーンUKがイギリス外務省前において抗議を行い,ウィリアム・ハーグ外務大臣に対して,ビルマ政府軍が犯した強かんと性的暴力の問題を重大に受け止めることを求め,連邦制に根ざした憲法改正がビルマで行われるための働きかけを要請します。

若干の和平交渉が行われてきたものの,真の停戦への動き,戦争の根本原因である政治的問題に取り組んだ内実ある交渉という点では,政府側からの見るべき進展はありません。カチン民族,そして他のビルマ少数民族が,軍部を後ろ盾としたビルマ政府のもとで苦しみ続けるなか,国際社会は凄惨な人権侵害にを前に見て見ぬ振りをし,それどころか主要な経済制裁を解くことをもってビルマ政府に報いているのです。わたしたちは国際社会に対して,今後起こりうるいかなる和平交渉・政治的プロセスにも積極的に関与してくださるよう強く求めます。

 「カチン州の紛争の根本原因は現行の憲法のもたらした国民間の不平等である。カチン民族をはじめとするすべての非ビルマ民族の民族自決権を保障する連邦主義的民主国家ビルマの成立という政治的解決なしには,この国に永続的な平和は決して訪れないだろう」(カチン独立機構外務省のガウル・ラオウンの言葉)。

(以下,声明に賛同する団体名のリストが続くがこれは略す。)

カチン・グローバル・デー・オブ・アクション緊急声明文(日本語訳)

(英文の声明を翻訳したもの)
 
Kachin Global Day of Action
カチン・グローバル・デー・オブ・アクション
カチン民族のために世界中で働きかける日
緊急声明文
2013年6月7日

真の平和の鍵は連邦主義

ビルマ政府軍とカチン独立軍(KIA)との間の17年間の停戦が破棄されて2周年となる本日,世界各国のカチン民族団体およびビルマ・キャンペーン・グループはともにカチン・グローバル・デー・オブ・アクションを開催いたします。

このグローバル・デー・オブ・アクションが光を当てるのは,カチン民族地域での人権侵害行為であり,そのうちには女性に対する性的暴力も含まれます。また,永続的な平和を保障する「連邦主義民主国家ビルマ」の樹立をも呼びかけます。

世界中のさまざまな国でデモ,書簡やイベントを通じて,それぞれの政府に対する働きかけがなされるでしょう。それは,各国政府の圧力により,テインセイン大統領にカチン民族に対する攻撃を停止させ,連邦制民主主義の原則に依拠した政治的解決へと向かわせるためのものなのです。

イギリスでは,カチン・コミュニティとビルマ・キャンペーンUKがイギリス外務省前において抗議を行い,ウィリアム・ハーグ外務大臣に対して,ビルマ政府軍が犯した強かんと性的暴力の問題を重大に受け止めるとともに,ビルマの憲法改正のための働きかけを行うように求めます。

ビルマ軍がカチン民族との停戦を破棄して2年の歳月が流れました。その結果,カチン民間人は絶え間ない軍事攻撃と人権侵害にさらされることとなりました。軍事攻撃にさいし,ビルマ軍は民間人を標的にしているのです。これは戦争犯罪と認定することができます。また,ビルマ軍による人権侵害行為は国連においても記録されていますが,これらは人道にもとる犯罪と見なしうるでしょう。カチン民族民間人は,さまざまな人権侵害に苦しんできました。女性と子どもに対する強かん,法によらない処刑,拷問,強制労働,迫撃砲による砲撃,村の放火と略奪……。いまや10万を越えるカチン民間人が故郷から避難民キャンプへと逃れるか,国内避難民となっています。しかも,ビルマ政府はこれらカチン避難民に対する人道的支援を制限し続けているのです。

真の停戦への動き,戦争の根本原因である政治的問題に取り組んだ内実ある交渉という点では,政府側からの見るべき進展はありません。カチン民族,そして他のビルマ少数民族が軍部を後ろ盾としたビルマ政府のもとで苦しみ続けるなか,国際社会のほとんどは凄惨な人権侵害にを前に見て見ぬ振りをし,それどころか主要な経済制裁を解くことをもってビルマ政府に報いているのです。

「カチン州の紛争の根本原因は現行の憲法のもたらした国民間の不平等である。カチン民族をはじめとするすべての非ビルマ民族の民族自決権を保障する連邦主義的民主国家ビルマの成立という政治的解決なしには,ビルマには永続的な平和は決して訪れないだろう」(あるカチン人の言葉より)

2013/06/06

プラカード

明日(7日金曜日)のカチン・グローバル・デー・オブ・アクションでは,在日カチン人が渋谷の国連大学(UNハウス)前で,ビルマ軍によるカチン人への攻撃や人権侵害に関するアピール活動を行う(午後3時〜午後5時)。

カチン民族機構(日本)の代表のピーターさんから,そのときに使うプラカードを6枚ほど頼まれた。で,さっき出来た。日本語のスローガンは,ピーターさんの要望に添って作ったものだ。







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 |   ありません     |
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