2013/07/30

カチン独立軍(KIA)の病院(4)

すでに書いたが,この日はいつになく負傷者が多く,ベッドはすべて埋まっていた。


残りの12床について思い出せる限り記すと,地雷の被害にあった人が2名で,残りがおそらくすべて戦闘による負傷者であった。地雷被害者のうち,1人は右足の膝から下を失っていた。わたしたちはロンジーをめくって,包帯にぐるぐる巻きにされ,血のにじんでいるその部分を見せてもらった。

ロンジーをめくり上げるのに少々ためらわずにはいられなかったが,付き添いの人も,また同行した在日カチン人も勧めるので,わたしはビデオに撮り,写真を撮った。


怪我人は口をへの字にしてどこか別のほうを静かに見つめていた。 わたしたちのほうに顔を向けもしなかった。

もう1人の地雷被害者は,四肢は無事だったようだが,身体の右側が傷だらけだった。地雷が右側で爆発したのである。右拳全体に包帯が巻かれていた。特にひどかったのは右目で,失明したのだそうだ。彼もまたひとことも発せずに,トランクス一枚でベッドの上で膝を抱えたり,横になったりしていた。2人のうちどちらかは民間人であったように思う。

同じ並びに口ひげを生やした兵士がいた。喉を負傷し,それで話せなくなったのだという。彼はベッドに横になり,ときどき,何か静かな悲しい情感に溢れた目ででどこかを見つめていたのが忘れられない。


負傷者のうち何人かの腹部には,銃弾の摘出手術が行われたことを示す縫合跡があった。ただ仰向けに寝ている者もいたが,手術を受けてしばらく経過したのか,ベッドの縁に腰掛けて付き添いの家族と雑談している者もいた。どちらも比較的生気のある表情をしていた。負傷のショックから立ち直りつつあるのだろう。


なお,ベッドは長細い部屋の両脇に並べられているが,間の通路にヒモが張り渡されていた。それに,患者の個人情報や病状を記したファイルが吊るされていたので,時間があればもう少し詳しく怪我の状況なども知ることができたように思う。