2013/08/13

第63回カレン殉難者の日式典

第63回カレン殉難者の日式典が8月11日午後,南大塚地域文化創造館の会議室で開催された。

この日は,カレン民族同盟(KNU)の創立者で、カレン人にとっては伝説的な指導者であるソウ・バウジーが、1950年8月12日にビルマ軍の奇襲により惨殺されたのに由来し,爾来,カレン民族解放運動の死者を追悼する日となった。

主催は海外カレン機構(日本)OKO-Japanで,在日カレン人や非ビルマ民族政治活動家など約60名が参加した。

この日はお盆の休みということもあって,わたしの知る限り二つの団体(BRSAとNLD)が海へのバス旅行を企画したりしていて,参加者はは少々物足りなかったが,少なくとも主要なカレン人は集まったと思う。

日本人は,わたしと,ウー・シュエバこと田辺寿夫さんの2人。わたしはOKO-Jaoanのメンバーだから当然としても,こういうあまり人の来ない日にいらしてくれた田辺さんには本当に感謝したい。田辺さんのビルマの人々に対する愛情と関心は,他の人には真似できないものである。

プログラムは,開会の辞,カレン殉難者への敬礼,カレン民族歌斉唱,カレン殉難者の日の由来の説明,殉難者への献花,ビデオ・プログラム,KNUの声明の朗読(スゴーカレン語とビルマ語),来賓挨拶。

来賓挨拶で,田辺さんはビルマ語でお話をされたが,いつもながらの話術で,タイのメーソットでの体験談のくだりでは会場をおおいに沸かせた。主な内容は,現在日本で取りざたされている改憲への反対表明。これは太平洋戦争当時のビルマと日本軍の状況についてもいくつも著作・翻訳のある田辺さんならではの重みのある挨拶であった。