2013/10/30

BRSA出店情報

11月2日(土曜日),千葉県松戸市の馬橋駅の馬橋本通り商店街のイベントに,在日ビルマ難民たすけあいの会(BRSA)として出店します。 

販売するのは,BRSAおなじみの手作り豆のフライ。ビルマの食べ物です。

収益は,BRSAの活動資金(ビルマ農村での井戸作り)となります。

もともとは10月26日に開催される予定でしたが,台風のために延期となりました。

どうぞおいで下さい。

名前つき井戸ポンプ

15,000円であなたの名前入りの
井戸ポンプがビルマに寄付できます!

「生活のためのきれいな水」 今ビルマでもっとも必要な支援のひとつです。

長い軍事政権の後,ビルマでは農村の発展が遅れ,いまも多くの農民たちが生活,医療,教育などの面で苦労しています。

わたしたち在日ビルマ難民たすけあいの会(BRSA)は,ビルマ国内の活動家の協力のもと手押し井戸ポンプの建設を通じてビルマ(ミャンマー)の農村にきれいで衛生的な水を支援するプロジェクトを行っています。

ポンプにはあなたのお名前が記されます。BRSAが責任を持って現地にお送りし,完成写真をご寄付された方にお届けします!

詳しくはBRSAのホームページ及びBRSAのYouTubeチャンネルのビデオをご覧ください。

在日ビルマ難民たすけあいの会(BRSA)
事務局:110-0005 東京都台東区上野3-12-5大同ビル302
Email: brsajp@gmail.com


東京 MANAU 2013

11月8〜9日に芝公園で開催されるカチン民族のお祭り,マナウのチラシ。

2013/10/28

ダディンジュ祭り

10月27日日曜日,中野駅北口暫定広場で,ビルマのお祭り,ダディンジュ祭りが開催された。主催は国民民主連盟(解放区)日本支部NLD(LA)-JPで,仏教の儀礼や,音楽演奏などの出し物のほか,ビルマ民主化団体を中心に多くの団体が出店した。

わたしの所属する在日ビルマ難民たすけあいの会(BRSA)も出店し,豆のフライ,焼ビーフン,豚スペアリブの唐揚げを各1パック¥500で販売した。

会場はやや狭く,入り口が人の流れから少し外れていて,ビルマの人以外の来場者は少なかったように思うが,それでもBRSAは,最後は投げ売り状態にはなったものの完売した。

とはいえ,売れ残ってしまった団体も多かったようだ。来年もし同じ場所を使うのならば,公園の周囲で目立つように案内をする必要があると思う。

それはともかく,今回はとくに非ビルマ民族系の団体の出店が少なかった。出ていたのはカレン民族同盟日本支部(KNU-Japan)だけで,しかも最初のうちは日本代表のモウニーさんだけしかいなかった。売っていたのは豚足と総菜と辛いふりかけ。後になって数名のカレン人が手伝いにきていた。

カレン人といえば,この日,第3国定住事業で9月に日本にきたばかりの家族も会場を訪れていた。カレン人,カレンニー人,ビルマ人の家族だという。みんな硬い顔つきなのが印象的だった。

売られていた食べ物で覚えているのは,海老のかき揚げの和え物,サラダ風に合えた麺,チャーハン,モヒンガー(魚の汁の麺),インド風の炊き込み御飯,鶏肉料理,餅米のデザート,タピオカのデザート,揚げ物などで,ビールやジュースなどもあった。時間があればゆっくり食べたいところだったが,自分の店があるのでそうはいかなかった。

お坊さんへの捧げものとお祈りで開始。

 
 BRSAのお店。

  
 焼ビーフン,豆のフライ,スペアリブ。

 会場の様子。




 この日も田辺さんは大活躍。

熊殺し

わたしの苗字は熊切といい,そのルーツは静岡の熊切村(この地名はもう廃されているが)にあるようだ。

もっとも,いつどのようにわたしの一族が出てきたところの千葉の山奥に熊切姓が移ってきたかは分からない。

しかし,この姓は東京や神奈川にもあることが確認されているから,海路ではなく陸沿いにやってきたことは確かだろう。たぶんマンモスか何かを追って(昔の人が移住する原因No.1はマンモスだから間違いあるまい)。

ところで,芸能人の熊切あさ美さんは浜松の出だそうで,これも熊切村と関係があるにちがいない。近頃よくニュースにとりあげられるが,これはよいことだ。わたしをふくめて崖っぷちの熊切がそんなにたくさんいては困る。

「熊を切る」というやや変わった苗字は外国人には好評で,たいてい狩人かサムライを想像するようだ。 由来は分からないが,熊とあるからにはおそらく先祖は熊だったのだろう。

朝鮮の神話的な王,檀君は熊から生まれたそうだが,もしこれが本当ならば,おそらく同族に違いない我が先祖も,半島が懐かしくて,房総半島に移り住んだのかもしれない。まさに歴史のミステリーだ。

さて,この間,やはりわたしの苗字が話題になった時,あるカレン人が,熊を素手で殺したというカレンの男の話をしてくれた。

その男はタウングー辺りの農民で,今から20年ほど前のこと,山で熊に出会い,死闘の末に見事仕留めて,獲物を抱えて村に帰還したのだそうだ。

戦いの最中に彼は熊に顔面をえぐられ,それは醜い傷となって残り,事情を知らぬ人をぎょっとさせているという。

なお,ビルマでも熊胆は医薬品として珍重されているのだと。

2013/10/27

難民性悲惨欠乏症

ビルマ難民支援をしている活動家について,あるビルマの人が「この人たちは難民で食べているようなもので,結局難民がいなくなったら困るのだ」と言っているのを耳にしたことがある。

これは意地の悪い見方であるばかりでなく,間違ってもいる。まじめに難民支援をしている人は本当に難民がいなくなることを望んでおり,かりに難民がいなくなったなら(まずありえないことだが),喜んで別の仕事を見つけることであろう。

もっとも,どこの世界でもそうだが,まともでない人もいる。難民ではなく,難民を支援している自分が好きな人や,自尊心を満たすための手段として難民支援を行う人のことである。

そうした人にとって,難民というのは,自分が特別であり優れた人間であることを証しするための手段でしかない。あたかもちょっと変わったアクセサリー,あるいは珍しいペットのようなものだ。そして,難民がそれ以上のものであろうとする時に,これらの人々がどれだけ陰険になるかは,難民以外には分からない。

まあ,その意地の悪さときたら,先ほどのビルマ人の言葉の比ではない。

同じことが政府への態度についてもいえる。

日本では,日本政府に批判的な目を向けることなく,難民問題を論じたり,支援を行ったりすることはできない。

政府とは畢竟人が作った出来損ないのものに過ぎないから,これを少しでもましなものとするために批判したり,非難したりして刺激を与えるのは大いに必要なことだ。

しかし,ある種の人々は,政府を批判することを自尊心の維持のために利用している。それは自分を大きく見せる行為であり,また善と悪との二元論の悪の側に政府を落とし込むことによって正義を不正に独り占めする行為でもある。自分の存在に関する不安を一掃するにはなかなか効果的だ。

しかし,政府を変えるという目的から見れば,独りよがりな攻撃に効果がないのはいうまでもない。

さてここまでが前置きだ。

わたしは難民関係のあるメーリングリストに入っている。そのメーリングリストにある難民支援家が次のようなメールを流した(ただし原文そのままではない)。

「X県でAという病気を持つ仮放免中の難民がAの発作で亡くなったという情報を聞きました。詳しいことをご存知の方お教えください。」

それに対して,事情を知る人が,この難民が別の病気で嘔吐し,その吐瀉物が気管に詰まったため窒息死したと返信すると,彼はこう返事をした。

「そういうことだったんですか。ありがとうございます。早朝に食べ物がつまって窒息死、う〜ん、その症状も前からあったかもしれませんが。年に1人か2人死にますね。」

わたしは彼が何を言いたいのかよくわからない。死因にはっきり結びつくぐらい日本政府がこの難民を苛めなかったことや,入管の苛烈な仕打ち以外の理由で死んでしまう難民がいることがもしかしたら不満だったのかもしれない。

2013/10/26

身元保証人変更許可申請

難民認定申請中の人の身元保証人変更許可申請について先日書いたのが祟ったにちがいない,その手続きをするはめになった。

普通は入管はこの変更をいやがる。身元保証人というものは軽々しく変えていいものではないのだ。だが,今回のケースは違った。入管の方から変えるようにと言われたのである。

というのも,その身元保証人が外国に行ったまま帰ってこないからだ。その人はカレンのビルマ難民だが,生活と活動の拠点をタイに移したらしい。日本にいない人が身元保証人としてふさわしくないのはいうまでもない。

わたしに身元保証人を依頼してきた人は以前からの知人で,わたしとしては拒む理由はない。

身元保証人の変更には前の保証人の署名が必要だが,なにしろどこにいるか分からないので,そんなものは手に入らない。とりあえず,入管には申請書を提出したが,申請が認められるかどうかはまだわからない。

さて,入管を出て家に帰ろうとしていると,別のビルマ難民から電話がかかってきた。身元保証人がビルマに行ったまま帰ってこないので困ってる……保証人をお願いできないだろうか……。

待てよ,聞いたことあるぞその話。

しかも,その身元保証人ときたら,思い出した,たしかビルマを変えるために帰国を決意したなどと昨年12月に新聞に取り上げられてた,顔写真付きで。祖国のために働くのは結構だが,身近な人間の面倒をちゃんと見ろよ!

2013/10/25

サヨナラだけが

ビルマが変わりつつあるということもあるかもしれないが,それよりも日本の状況,つまり待てど暮らせど滞在が認められないという絶望的な日々に心身をすり減らして,ビルマへの帰国を余儀なくされる人がいる。

この前,ある難民認定申請中の人物がFacebookに日本語で次のような書き込みをした。

「さようなら日本 もう帰ります」

彼は日本のビルマ難民コミュニティで広く知られ,敬愛されている人だったから,多くの人が驚き,慌ててコメントを寄せた。

「本当に?」 「まだまだ」 「もう少し辛抱して!」……

わたしがこれに気がついたのは彼が投稿してから3時間ほど経ってからだった。

わたしにとっても忘れがたい人だったから,すぐに電話した。

……この電話は現在使われておりません……

おお,彼はもう電話を解約してしまったのだ! 今頃,きっと飛行機の中で,十何年ぶりかの故郷に思いを馳せているに違いない……

わたしは,熟慮の末に違いない彼の決意を妨げたくはなかったから,彼の投稿のコメント欄にただ感謝の気持ちのみを記したのであった。

そして,数週間が経った。その彼が今どうしているかと言うと……

実はまだ日本に居るのです。

(これが言いたいだけでした)

2013/10/24

第2回「仁王様のスタンプラリー」

*台風のため,11月2日に延期になったそうです。そのときに出店するかどうかは未定です。

千葉県松戸市の馬橋駅の馬橋本通り商店街で,10月26日(土)に第2回「仁王様のスタンプラリー」というイベントがあるのですが,そこで飲食店を出します。

といっても作るのはわたしではなく,カチン民族の方々。鶏肉のご飯とスープを販売する予定です。

収益は,11月8〜9日に芝公園で行われるカチン民族のお祭りの運営資金と,在日ビルマ難民たすけあいの会(BRSA)の活動資金(ビルマ農村での井戸作り)に当てます。

馬橋メンチという馬の肉で作ったメンチの店も出店するのですが,今回はそのお店の方の紹介で参加することになりました。このメンチ,かなりおいしいのでぜひ食べてみてください。

会場となる万満寺というのは仁王像で有名だそうで,この催し物もそれにあやかっているもののようです。

それで,この記事の締めくくりに使おうと,仁王に引っ掛けた駄洒落をいろいろ考えたのですが,新倉イワオが出た時点でもう無理と諦めました。

2013/10/23

さみしいと いま

この間の日曜日はチン民族のお祭りが品川で開催された。わたしも招待されていたが,海外カレン機構(日本)の会議が駒込であり,残念なことに参加することができなかった。

だが,ひどい雨のせいでその会議の出席者も少なかった。わたしたちは1時間半ほど活動について話し合い,解散した。


そのうちの5人で近くの居酒屋に入った。ビールとハイボールをそれぞれが4杯ほど空けた頃,1人のところに電話がかかってきた。

「居酒屋にいるから来い来い」と言っている。近くに住むカレン人のWさんからだった。会議の後には彼の家に行って,みんなで酒を飲むことも多かった。今夜も彼はそれを期待していたのだが,誰も来ない。それで電話をかけてきたというわけだ。

「さみしくなったんだ」とわたしたちは笑った。

50を越した独り者とあれば仕方がない。やがてWさんがやってきた。さあ,ビールだ,乾杯!

わたしはさらにハイボールを2杯ばかり。するとまた着信。もうひとり別のカレン人が来るという。彼はみんなと飲もうとWさんの家に行ったが誰もいない,で電話をかけてきたのだ。

「さみしくなったんだ」とわたしたちは笑った。

彼は1年ほど前に離婚したばかりなのでもうこりゃ仕方がない。

さみしい者たちが陸続と。しかしそもそもそれ以外にわれわれが居酒屋に行く理由などあるものだろうか?

世の中のあらゆる酒場は,さみしさにはいくら感謝してもし足りないはずだ。


2013/10/19

Tired of Waiting for You

難民認定申請は結果が出るまでにとても時間がかかる。平均2年ともいうが,実際にお目にかかるのはそれ以上かかるケースばかりだ。

というのも,その出た結果というものはたいてい悪い結果,つまり不認定で,その後再申請(あるいは裁判)を余儀なくされるわけで,申請中の決まりのつかない身の上は,2年以上,何年も何年も続くこととなる。

入管の方でも審査の迅速化を図っており,ずいぶん早く結果の出る人もいるが,それも認定数が少なければ,いくらスピードアップしても,あまり効果はない。つまり,結果を待ち焦がれる申請者数はなかなか減らないのだ。

どうして審査に時間がかかるのか,いや,それだけではなく,どうして申請者によってかかる時間がまちまちなのか,それは入管の難民審査の大いなる謎だ。ある申請者は一年のうちに結果が出たというのに,別の人は口頭審査に辿り着くまで何年も待たされる,という不合理はざらにある。

先日あるカレン人難民認定申請者と話をしたが,彼は2009年7月に入管収容所の中で申請を行い,一次審査の結果,2010年6月ごろ不認定となった。そこで,誰もがするように異議申立て(二次審査の申立て)を行ったのであるが,そのインタビューがようやく,ついに,いよいよ,今年の12月に行われるというのだ。

この3年以上の間に,入管が何をしていたのかは分からないし,その遅延は役所の仕組み上やむを得ないことなのかもしれないが,彼の貴重な命がそれだけ蕩尽されたということはいかにも悲しいことだ。

もっとも,人によっては,インタビューを待たされる理由が推測できるケースもある。これは直接聞いた話ではないが,あるビルマ人難民はもうかれこれ7年以上,入管のインタビューを待ち続けているのだそうだ。

その原因はといえば,彼が最初のインタビューの時,難民審査官の態度が悪かったのか,それとも何か別の理由からか知らないが,ひどく激昂して,机をひっくり返したことによるといわれている。

いかなる事情があろうと,暴力に訴えることは愚かなことであり,また入管がこの自制心のない申請者を警戒するのも理解できるが,もし入管がこの音信不通に懲罰的,あるいは見せしめ的な意味合いを含ませているとしたら,それはまったくのお門違いだ。もっとも,本当のところは皆目分からないのだが。

さて,この記事の表題となったのは,この地上で結成されたバンドのうちでもっとも素晴らしいと言われているThe Kinksの,それこそ無数にある名曲のひとつだということを注記しておこう。

2013/10/17

おもてなしに倍返し(6)

そこで入管に電話をかけ担当の方に尋ねてみると,滞在資格変更の件でNさんの勤務先に連絡した事実はないとのこと。

さらに言うには,入管の他の部門が労働時間に関して問い合わせをするとも考えにくいと。

つまり,入管は今回の解雇の件に関係なさそうだということだ(なお付け加えれば,後にNさんは何の問題もなく滞在資格変更が認められた)。

これで,入管がNさんの職場に連絡した(あるいはやってきた)というのはH部長の嘘か,彼の話をNさんが誤解したかのどちらかということになった。

NさんはH部長についてよく思っていないから,絶対に嘘をついたのだと主張する。そして,わたしに電話で話してくれるようにと頼んだ。

わたしとしては,もしかしたら不愉快な思いをしかねない相手に電話するのは気が進まなかった。

しかしNさんにはかなり世話になっている。断るわけにはいかない。で,電話を掛けた。そして,相当の不愉快を感じた。

2013/10/12

カチン・マナウ祭り 東京 2013

Tokyo Manau 2013
カチン・マナウ祭り 東京 2013

《日付》2013年11月8〜9日

《場所》芝公園 第23号地

《プログラム》
11月8日 10:00-17:00 開会式とマナウ・ダンス

11月9日 10:00-17:00
 10:00 マナウ・ダンス
【マナウとは】 ビルマ(ミャンマー)の民族のひとつであるカチン人の伝統的なお祭りです。にぎやかな歌とともに人々が列を作って踊り,民族の平和を祈ります。

 12:00 カチン音楽ショウ
 (ビルマからカチン人の著名な歌手が来日してコンサートを行います)

 15:00 閉会式とマナウ・ダンス

*カチン料理,ビルマ料理のお店も出てお祭りを盛り上げます!

主催:Kachin National Organization (Japan) カチン民族機構(日本)

2013/10/11

おもてなしに倍返し(5)

Nさんはちょうどこの時,入国管理局に滞在資格の変更申請をしていた。これまで1年ごとに更新しなくてはいけなかったのを3年ごとの更新で済むようにしてもらおうとしていたのだ。

この手続きでは,申請書に勤務先や収入を書かなければならない。これはおそらく滞在資格の条件として自立して生活できるだけの収入があるかどうかが重要であるからであろう。

ところで,先に「自分は税金も保険もちゃんと払っているから何の問題もない」というNさんの言葉を記したが,これも滞在資格の変更を念頭に置いたものでもある。しばしば聞くのが,税金が滞っていたため変更できなかったり,入管に納めるように指示されたりしたという話で,だからこそ,Nさんもその辺りのことを気をつけていたのだった。

それはさておき,Nさんが滞在資格変更手続き中であることを聞いていたわたしは,もしかしたら入管がそのからみで勤務先に何か確認の電話でもしたのでは,と考えたのだ。

もしそうだとしたら,そのことにH部長が単に過剰反応しているだけということもありえる。あるいは,Nさんが言うように人間性に問題がある人であるならば,その事実を不当解雇に利用しようとしていることだって考えられる。

いずれにせよ,入管に問い合わせるのが先だ。

おもてなしに倍返し(4)

「この男は本社が事情を知らないのをいいことに,いつもわたしたちに嘘を言って苛めてるんだ。お店の店長もみんな困ってる。今回わたしが辞めさせられたのだって,同じだよ。H部長が自分で勝手にやってるんだ。店長もわたしを首にするのには反対だけど,仕返しが怖いから何も言えないんだ」

なるほど。だが,H部長の評判はわたしには関係ない。重要なのはこの解雇が不当なものであるかだ。

わたしがネットで調べた知識によれば,不当解雇とは少なくとも次の2つの条件に当てはまるもののようだ。

1)30日以上前にすべき解雇予告をしていない。
2)解雇の理由が「客観的に合理的な理由を欠き、社会通念上相当であると認められない場合」

まずはじめのものについていえば,今回のケースはこれに当てはまる。というのも,解雇を通知されたのが,前日なのだから。

では,2番目の理由についてはどうか。

NさんはわたしにH部長に電話して解雇理由について確かめてほしいと頼んだ。だが,わたしはその前に電話しなくてならない場所があることに気がついた。

2013/10/10

おもてなしに倍返し(3)

労働時間の問題についても,Nさんは「こんなことあるわけない」と主張した。

その理由はといえば,彼の周りには同じように仕事を掛け持ちしているビルマ人はいくらでもいるが,2つの仕事の合計労働時間が基準を超えているからと,仕事をやめさせられた話など聞いたことがないからだ。

また,彼はさらに言った。2つの職場で長時間働いていることが問題ならば,もうひとつの職場,つまり深夜の飲食店にも役所が調べに来ていなくてはならない。しかし,その店の人に聞いたところ,そのようなことはなかったという。

わたしは労働の問題についてはよくわからないが,ネットで調べた限りでは,労働基準法はダブルワークのことについてはあまり考慮していないようで,複数の職場でアルバイトする場合の労働時間の制限については特に明確に定められてはいないようだ。

たとえそれが間違いだとしても,どうしてNさんだけが,労働基準局だか,区役所だか分からないが,行政の関心の対象になるのかは不思議なことと言わねばならない。

そんなわけで,Nさんは,入管が来ただの役所が来ただのは,すべてでたらめ,つまりH部長が自分を解雇するために,適当な理由をでっち上げているに過ぎない,と考えた。

そして,彼とその同僚たちの経験によれば,H部長はいかにもそのようなことをしそうな人物であった。

2013/10/09

Delta Song with Mr. Nay Myo Zin

今年の2月のビルマ訪問のさいに撮影した映像を使って,エーヤワディ管区の農村の現状とBRSAとNay Myo Zinさんによる井戸作りをまとめたビデオ(日本語字幕付き)を制作しました。

Nay Myo Zinさんは有名な政治・社会活動家で,農村に対してさまざまな支援活動を行っています。

2分に満たないという素晴らしい短さなので,ぜひご覧ください。

2013/10/08

小切手

身元保証とともに仮放免されている難民認定申請者は,だいたい30万〜100万円の保証金(正確には保管金)を入管に収めている。

難民認定されたり滞在許可を得たりして身元保証が不要になると,この保証金が返還されることになる。

品川の入管の場合,4階の会計課で簡単な手続きの後,保証金の金額が記された小切手を受け取り,田町の東京三菱UFJ銀行に赴き,その中の日本銀行代理窓口で換金を行う。

わたしは9月24日にその手続きを行ったのだが,面会などの別用もあったため,銀行に着いたときには窓口が閉まっていた。

そこで,別の日にもう一度行かなければいけなくなったのだが,その後,やはりわたしが保証人をしていた別の人にも滞在許可が下り,その次の週に都合良く2人分済ますことができた。

小切手2枚を銀行で換金するというのは,わたしにとってははじめてのことで,2枚を比べると,小切手に番号が振られていることに気がついた。

9月24日に発行された小切手の番号は126で,10月4日のものは139だ(もうひとつ別の番号もありそれぞれEV01804,EV01817と記されている。EVは何の略か分からない)。この小切手には「保管金」「保・入国管理」とも記されており,それゆえ保管金のみに使われるものだと推定できる。

つまり,9月24日から10月4日までの間に,少なくとも14枚の小切手が切られ,保証金が返還されたということになる。「少なくとも」と言うのは,9月24日ではわたしの前に,10月4日ではわたしの後にその日付の小切手が出された可能性があるからだが,それはここでは除外して考えよう。

9月24日から10月4日までの間で,入国管理局が開いている日は9日あるから,それゆえ,この9日間の間に14人の人が保証金返還手続きを行ったということになろう。これは少なくとも2日で3人というペースだ。

この数字に何か意味を持たせるにはあまりにもデータが少なすぎるが,今年中に次の小切手を手にするということがあるとするならば,その番号はいったい何番になっているだろうか?

それを考えると,もうワクワクして眠れない。

いや早く寝なさい……。 

2013/10/05

アウンサンスーチーさんのスピーチ

今年の4月13日の渋谷でのアウンサンスーチーさんのスピーチと質疑応答を今頃ですがYouTubeのBRSAのページにまとめました。日本語の字幕はついていません。

 

 

 

 

 

2013/10/04

おもてなしに倍返し(2)

ここでNさんの労働環境を述べよう。

彼は難民認定申請により日本での在留許可を得ている。そして,この場合,普通の労働であれば制限なく行うことができる(確か風俗業のようなことだけはダメだったと思う)。

また,彼によれば「自分は税金も保険も全部ちゃんと支払っているから,問題になるようなことはない」とのこと。つまり,在留許可と就労ビザの点では何一つやましいことはないということだ。

だから,自分の就労資格についてに入管が何か言うことはありえない,と。

では,もうひとつの問題,労働時間の方がどうかというと,彼はそのSという居酒屋で,月曜から金曜まで毎日午後4時から午後10時まで働いていた。雇用形態はアルバイトで,仕事の内容は調理だ。

いっぽう,彼はもうひとつ飲食店のアルバイトを持っていた。午後11時から午前4時までの深夜の仕事で,NさんはSの仕事の後にその職場に向かうのだった。

居酒屋SのH部長が主張するには,Nさんが2つの職場で長時間働いているため,役所が問題視しているのだという。過労死しちゃうのではないかと。

2013/10/03

おもてなしに倍返し(1)

新橋の居酒屋Sで働くビルマ難民のNさんが9月19日木曜日にいつものように午後4時に店に行くと,本社のHという部長がやってきて,次のようなことを言った。

1)役所(どこだか分からない)が本社にやってきて,あなたが働き過ぎだといっている。

2)入管が本社にやってきてあなたのことを調べた。

「会社としてはあなたが働きすぎて過労死してしまうのが心配だから,しばらく来ないでほしい」

Nさん「ならば,いつから働き始めることができますか?」

Hははっきりしない。土曜日で終わりだとかタイムカードを押さないでほしいとかいろいろ言っている。日本語能力が十分ではないNさんはHの言うことははっきりとはわからなかったが,自分が不当に解雇されようとしていることはわかった。

翌日,20日に彼はわたしのところに来た。何が起きているのかはっきりさせてほしいので問い合わせてくれないか,という。「こんなふうに仕事辞めさせるのは,イジメだよ!」と怒っている。

2013/10/02

身元保証(5)

難民認定申請者が死亡する以外に身元保証という関係が解消されうるとしたら,難民認定申請者が犯罪行為により逮捕され,実刑判決を受けた場合ではないかと考えられる。

身元保証人は申請者に対して仮放免延長許可申請のために定期的に署名をしなくてはならないのだが,申請者が刑務所にいる間はもちろんそんな必要もないし,そもそもありうることではない。

だから,少なくとも刑期中は身元保証関係は解消されるものと見なくてはならない(いわば,その間は国がその人の身元保証をしているわけだ)。

このように刑務所に収監された申請者は,しかるべき償いを終えた後,入国管理局に移送される。そして,その後,本国への強制送還手続きがはじまるのだが,そのような状態であっても,難民であるため帰ることができないと考える者は,再び難民認定申請に入ることができる。

そして,申請後,仮放免手続きを行うさいには新たに身元保証人が必要となるわけだから,刑務所に行く前の身元保証関係はある時点ですでに解消されていると考えなくてはならない。

いったいそれはいつの時点であろうか? 逮捕された時点か,起訴された時点か,実刑判決を受けた時点か,それとも刑期を終え入管に移送された時点なのか?

これは大問題だ。なぜなら,身元保証関係がいつ消滅したかは,日本政府に収めた保証金をいつ取り戻すことができるかに直結しているからである。

それにもうひとつ付け加えるならば,これはまったくわたしにとって人ごとではないからだ。 

つまり,わたしが身元保証していたあるビルマ難民がくだらない犯罪行為を犯して逮捕され,おそらく実刑は免れまいというのだ(他人の命に危害が及ぶことがなかったのは幸いであった)。

いいかげんにしてくれよ……。

2013/10/01

身元保証(4)

難民認定申請者が身元保証から解放される場合として,その申請者が難民認定されるか,人道的配慮により滞在を許可されるか,あるいは,申請を取り下げて帰国するかしたときの3つを前にあげたが,これ以外にもいくつかある。

ひとつは申請者が亡くなった場合。これは幸いにしてわたしは経験していない。

身元保証人が亡くなることだってありうるが,この場合は申請者は別の保証人を捜さなくてはならない。これも幸いにしてわたしにはない。 

少し脱線するが,身元保証人を変えなくてはいけないケースもある。それは例えば身元保証人が重い病気になり,責任が負えなくなった時だが,一番多いのが,身元保証人と難民認定申請者との間の信頼関係が失われ,どちらも,あるいはどちらかが保証関係を解消したいという場合だ。

入国管理局は身元保証人の変更はあまり認めたくないようで,変えようとすると嫌味を言われたりする。手続きもいろいろめんどうだ。

ときどき,難民認定申請者の方から,今の身元保証人は意地悪なのでわたしにお願いできないか,と頼まれることがある。わたしはたいてい次のように答える。「もちろんいいですよ。でも前の保証人の方と入管に行ってまず相談してみてくださいね」

そうするとまず話は沙汰止みになる。手続きに少々手間がかかるので,それくらいならそのままでいいや,と思うに違いない。わたしとしても万々歳だ。