2013/10/27

難民性悲惨欠乏症

ビルマ難民支援をしている活動家について,あるビルマの人が「この人たちは難民で食べているようなもので,結局難民がいなくなったら困るのだ」と言っているのを耳にしたことがある。

これは意地の悪い見方であるばかりでなく,間違ってもいる。まじめに難民支援をしている人は本当に難民がいなくなることを望んでおり,かりに難民がいなくなったなら(まずありえないことだが),喜んで別の仕事を見つけることであろう。

もっとも,どこの世界でもそうだが,まともでない人もいる。難民ではなく,難民を支援している自分が好きな人や,自尊心を満たすための手段として難民支援を行う人のことである。

そうした人にとって,難民というのは,自分が特別であり優れた人間であることを証しするための手段でしかない。あたかもちょっと変わったアクセサリー,あるいは珍しいペットのようなものだ。そして,難民がそれ以上のものであろうとする時に,これらの人々がどれだけ陰険になるかは,難民以外には分からない。

まあ,その意地の悪さときたら,先ほどのビルマ人の言葉の比ではない。

同じことが政府への態度についてもいえる。

日本では,日本政府に批判的な目を向けることなく,難民問題を論じたり,支援を行ったりすることはできない。

政府とは畢竟人が作った出来損ないのものに過ぎないから,これを少しでもましなものとするために批判したり,非難したりして刺激を与えるのは大いに必要なことだ。

しかし,ある種の人々は,政府を批判することを自尊心の維持のために利用している。それは自分を大きく見せる行為であり,また善と悪との二元論の悪の側に政府を落とし込むことによって正義を不正に独り占めする行為でもある。自分の存在に関する不安を一掃するにはなかなか効果的だ。

しかし,政府を変えるという目的から見れば,独りよがりな攻撃に効果がないのはいうまでもない。

さてここまでが前置きだ。

わたしは難民関係のあるメーリングリストに入っている。そのメーリングリストにある難民支援家が次のようなメールを流した(ただし原文そのままではない)。

「X県でAという病気を持つ仮放免中の難民がAの発作で亡くなったという情報を聞きました。詳しいことをご存知の方お教えください。」

それに対して,事情を知る人が,この難民が別の病気で嘔吐し,その吐瀉物が気管に詰まったため窒息死したと返信すると,彼はこう返事をした。

「そういうことだったんですか。ありがとうございます。早朝に食べ物がつまって窒息死、う〜ん、その症状も前からあったかもしれませんが。年に1人か2人死にますね。」

わたしは彼が何を言いたいのかよくわからない。死因にはっきり結びつくぐらい日本政府がこの難民を苛めなかったことや,入管の苛烈な仕打ち以外の理由で死んでしまう難民がいることがもしかしたら不満だったのかもしれない。