2015/12/31

永住許可

在日カチン人難民の夫婦が永住許可申請を行い、半年ほどの審査の後、先日許可が下りた。申請のさいにわたしはその保証人を頼まれていた。

永住許可がどういうものなのかについては法務省の永住許可に関するガイドラインに記してある。

わかりやすく言うと、定住者には在留期間と就労制限があるが、永住者にはそのどちらもないということだ。

これは、定期的に入管に行って在留許可延長する手間から解放されるということだけを意味するのではない。

同時に、申請のさいに定住者が抱く「延長が認められずビルマに送還されるのではないか」という恐れから解放されることも意味する。

わたしが保証人をした人は本当にうれしそうに「永住許可」と記された在留カードを見せてくれたが、これはその人にとって一つの自由の証だからなのだ。

そして、ついでに言うならば、わたしもまた、自分が身元保証人をしたせいで申請がダメになったらどうしようという恐れから解放されたのであった。



在留資格
本邦において有する身分又は地位
該当例
在留期間
永住者
法務大臣が永住を認める者
法務大臣から永住の許可を受けた者(入管特例法の「特別永住者」を除く。)
無期限
日本人の配偶者等
日本人の配偶者若しくは特別養子又は日本人の子として出生した者
日本人の配偶者・子・特別養子
5年,3年,1年又は6月
永住者の配偶者等
永住者等の配偶者又は永住者等の子として本邦で出生しその後引き続き本邦に在留している者
永住者・特別永住者の配偶者及び本邦で出生し引き続き在留している子
5年,3年,1年又は6月
定住者
法務大臣が特別な理由を考慮し一定の在留期間を指定して居住を認める者
第三国定住難民,日系3世,中国残留邦人等
5年,3年,1年,6月又は法務大臣が個々に指定する期間(5年を超えない範囲)

焼き肉フジ

ザイダン・ヨウシンさんは在日カチン人難民で、カチン州出身だ。

日本にいるカチン人はシャン州北部の出身が多く、カチン州生まれの人は案外少ない。わたしも数人ほどしか知らない。

ずっと昔のことだが彼の難民申請関係の書類の作成を手伝ったことがあり、彼の経歴についても多少のことは知っている。

それは非常に厳しく辛いものだった。ビルマ軍がボーター狩りのために村にやってくるたびに、彼は山小屋に逃げ、その床下に何日間も飲まず食わずで身を潜めていなくてはならなかった。

難民申請の結果、彼は日本での在留を認められた。結婚をし、子どもをもうけた。4人もだ。そして、今月1日上野で焼き肉屋を開店した。昨日、カチン人の友人たちと行ってきた。

「焼き肉フジ」という店で上野の入谷口から歩いてすぐのところにある。

ホットペッパーの情報を見ていただけば分かるように、肉の分厚さが売りだ。昨日行った時もなんだかすごい大きな肉が出てきた。これもとても美味しかったが、牛肉と醤油ご飯を混ぜて食べる肉ごはんも気に入った。

わたしは彼に会うと、彼が厳しい人生を過ごしたカチン州の険しい山々に思いを馳せたものだったが、これからは分厚い肉と肉ごはんを思い出すことになるだろう。


肉ごはん




悲惨な戦い

難民認定申請者のうちには就労を禁じられている人もいる。しかし、難民認定審査のプロセスは何年もかかるから、その間、餓死しないために働く必要がある。

これは不法就労だが、日本の入管は黙認している。そしてこの黙認がいわゆる「偽装難民」増加の一因ともなっている。つまり「偽装難民」の問題は入管の無策によって生じているともいえるわけだが、それはさておき、この間、その「不法就労」をしている人が働いている居酒屋に飲みに行った。その人はBRSAの会員で、そこに勤めて長い。社長からの信頼も厚く、もうほとんど社長代理みたいに切り盛りしてる。独自に考案したメニューもある。

社長は相当年配の方だが、わたしがBRSAの会長であることを知っていて、どんなに店が忙しくても丁寧に挨拶してくれる。つまりそれくらいその会員は店にとって大切な人なのだ。

わたしたちが店に入った時は、いくつか空いた席があったが、焼き鳥、南蛮漬け、ほうれん草のピリ辛和えなどをビール、焼酎のお湯割によって次から次へと平らげている間に満席となっていた。もう誰もがやかましく酔いしれ、好き放題にサービス品やおすすめを注文している。にぎやかで居心地のいい店だ。

十分に飲み食いしたわたしたちは勘定を済ませ、席を立つ。店を出ようとするわたしに社長が頭を下げた。

「どうか」と件のBRSAの会員を指して「あの人が日本に居られるよう会で助けてやってください」

それは本当のところ簡単なことではないし、正直言って何をすれば良いのか見当もつかないことだが、重要なことだ。その会員にとっても、いや、そればかりではない、社長とその店にとってもだ。というのも、その会員を失うことは店の存続に関わる事柄だろうから。

わたしたちの会にはおそらくこうした人がたくさんいる。その貴重な働きによって、都内の居酒屋を支えている人々が。ならば、BRSAがそうした人々のために働くことは、これらの居酒屋のために働くことではないだろうか。さらに言えば、これらの居酒屋に集うすべての客のために働くことでもある。わたしたちの難民支援活動は酔客支援活動でもあるのだ。

吉田類やなぎら健壱はわれわれに一杯ぐらいおごってくれたっていいはずなのだ。

BRSAの会議では誰も飲まない。

2015/12/29

入管旅館

わたしは熱心に入管の問題に取り組んでいるわけではないが、入管の方が熱心に友人を収容するため、それなりに長い付き合いとなる。今でも仮放免手続きやらなんやらで少なくとも月に1回は行く。

わたしがかつて仮放免手続きをした人々は、そのかなりの数が日本で安定した暮らしを確立し、自立した生活をしている。

ところがわたしは未だにろくな収入もないまま難民問題の底辺を這いずり回っている。

わたしの友人たちは入管とは見事におさらばして人生の次のステージに進むことができたが、わたしは未だに入管から足を洗うことができない。

わたしは時々思う。

もしかしたら、収容されているのは友人ではなく、自分ではなかろうか、と。わたしが誰かのために出す仮放免申請はもしかしたら自分のためではないだろうか、と。

なるほどわたしは自由だ。入管に行ってもいつでも出ることができる。しかし、本当のところは決して離れることはできないのだ……

さあそれではここで聞いていただきましょう、イーグルス1977年の大ヒット曲「ホテル・カリフォルニア」!

Welcome to the Hotel California
Such a lovely place, such a lovely face
Plenty of room at the Hotel California
Any time of year, you can find it there…

Up ahead in the distance, I saw a shimmering light…

難民難民

テュアンシャンカイくんは関西学院大学で学ぶチン民族難民2世の若者で、さまざまな場所で難民についての講演会をしている。

彼が講演をする場に居合わせたことがある。それはある高校の国際協力関係の授業に彼が招かれた時のことで、その場には高校生たちと彼を招いた先生とクラス担任の先生とがいた。

難民についてほとんど知らない人ばかりなので、シャンくんは難民とは何かについて丁寧に説明する。よく聞く「就職難民」や「ネットカフェ難民」とは違うということが話の導入部であったように思う。

難民の話は、難民申請と難民認定数の少なさの話に結びつき、それはやがて外国人を受け入れない日本の社会へと向かっていく。

高校生には難しい内容かもしれないが、ほぼ同じ世代の難民が目の前で語るということはインパクトがあることだ。それなりの手応えはあったように思う。

授業の終わりに担任の先生がまとめの話をした。これからの日本の社会も難民ばかりでなく弱者に厳しい社会になっていくから、ちゃんと勉強しなくてはならない、という叱咤激励だ。

その先生の言葉遣いは少々乱暴であったが、生徒のことを真剣に考えているようで、わたしはなんとなくやさしい気持ちになった。

最後に、先生はこう語って授業を締めくくった。

「授業中ぼーっとしてると、お前らも就職難民になっちゃうぞ!」


2015/12/27

ビルマ語早口言葉

今日は早稲田に行き、カレン人の教会の礼拝に出席した。

礼拝の後にちょっとした用事があったからで、礼拝が終わったらすぐに帰る予定だったが、そういうわけにはいかなくなった。

というのもクリスマス礼拝だったからだ。

多くの教会では20日に済ましてしまうが、先週は本教会の合同クリスマス礼拝が行われたため、このカレンの教会では今日がその日なのだという。

なので、通常の礼拝に加えて、歌や踊り、ゲームなどの余興が加わっていつもより長めなのだった。

また通常よりも出席者も多い。普段は30人弱だが、今日は特別な日ということでいろいろなゲストがやってきている。別用でやってきたわたしだったが、そのゲストに含まれていた。

それはそれでいい。ただし残念なことに時間がなくて全部は楽しめなかった。

さて、余興の一つに早口言葉があった。前に呼び出された人々が1人づつ早口言葉を言っていく。

わたしはビルマ語の早口言葉を聞くのは初めてなので、もしかしたら有名なものかもしれないのだが、ここに記しておこう。

ミャウンミャ・ミョ・フマ・マウン・ミャッマウン

というもので、すべてmの音で始まる。フマというのは日本語の「〜で」に当たるもので、難しい言葉で言うと無声化した両唇鼻音、つまりこれもmの一種だ。ミャウンミャはエーヤーワディの町、ミョは町、マウンは若い男性につける冠称(英語のMisterのようなもの)、ミャッマウンは人名で、意味は「ミャウンミャ町のマウン・ミャッマウン」となる。

これはなかなか難しいらしく、みんなうまく言えないので、会場は大笑いだった。

2015/12/26

ビール・ワイマン

母音というのは「あいうえお」に当たるもので、これをさらに長くして「あー」とか「いー」とかにすることができる。

標準的な日本語ではこの母音の長さというものが重要で、「おじさん」と「おじーさん」では意味が違う。「腰」と「格子」でも違う。

これに対し、母音の長短が重要でない言語もある。中国語、韓国語、そしてビルマ語もそうだ。

そこで、これらの言語の話者は、日本語を学ぶ場合、しばしば長母音と短母音を取り違えることになる。

大げさに言えば「冷蔵庫」が「れぞこー」になったりする。

BRSAでは日本語教室を開催しているが、そこで学ぶ会員が日本語能力試験を受けることにした。

願書に名前や住所などの必要事項を記入して送ると、しばらくしてハガキで受験票が届く。

そのハガキは願書に記した住所で送られてくるが、会員に届いたハガキを見ていただきたい。


もちろんビールではなくビル。念を押すかのように「まんなかのビルです」と付け加えたのは、絶対に試験を受けたいという意志の強さか、ビルマの人らしい心遣いか。なんにせよ届いてよかった。

ちなみに「ん」も日本語話者以外にはなかなか難しい発音のようだ。

本当のクリスマス

フェイスブックを見ていたら、「本当のクリスマス」と題された投稿を見かけた。おそらくキリスト教関係のメッセージをそのまま掲載したものらしい。長いものなので要点だけを引用する。

****
クリスマスは、英語で「Christmas」とつづり、「Christ」はキリストのことです。でも、宣伝や広告では、それが消されてXにされています。「Xマス・セール!」「Xマス・バーゲン!」というふうに。クリスマスはキリストの誕生を祝う時なのに、「Christ」が取られて、「Xマス」となってしまっているのは、悲しいことですね。

でも、上の祈り(「イエス様云々」という祈りがこの前に記してある−引用者)を心から祈ったなら、イエスは、あなたのむなしい「Xマス」を、本当の喜びにあふれる「クリスマス」(Christmas)に変えてくださることでしょう。そして、この地上での人生が終わっても、天国で永遠に生きられるようにしてくださるのです。
****

要するに、キリスト教徒だけが本家本元の本当のクリスマスの祝い方を知っているというわけで、わたしはこういうしょうもない選民思想に触れると「ふざけるな」と十字架とかを叩き壊したくなる。

そもそもクリスマスはイエスの誕生を祝うものではない。これはキリスト教以前の古い祝祭に由来するもので、これをキリスト教が後から利用しているにすぎない。だから、キリスト教徒がいかにエラそうなことを宣おうと、後から来たという点では、「むなしい」クリスマスにうつつを抜かす我々異教徒たちと大差ないのだ。

ところで、昨日25日、品川の入管に収容されている人がわたしに電話をかけてきた。彼は仮放免申請がどうなったのかと尋ねた。もしかしたら年内に出られるかもしれない、という希望に駆り立てられていたのだ。だが、わたしはその見込みを打ち砕かざるをえなかった。入管からはいかなる連絡もなかったからだ。

しかし、彼の声は明るかった。一時はウツ状態でどうなることかと思っていたほどだったが、その声がわたしをまた明るくした。

「昨日、みんなでクリスマス・パーティーをしたんですよ。お金を500円ずつ出し合って、お菓子を用意して」

入管収容所の中でクリスマス・パーチーだと? 初耳だ。

「こんなとこでは、なにか息抜きがないとダメですから」

「ビルマ人だけで? それとも中国人とか他の国の人も?」

「そうですよ。みんなで!」

わたしには何が本当のクリスマスかはわからない。

だが、入管のクリスマスを祝う多くの「異教徒」たちの望み、つまり、「収容所の外で安全に生きたい」という切実な思いに触れると、正しいクリスマスが成就してくれるはずの「天国で永遠に生きたい」という欲望ほど救いのないものはないように思える。


2015/12/25

クリスマスの夜に

牛久の入管から電話がかかってきたので、もしやクリスマス・プレゼントではと大いに期待した。

しかし、そんな結構なものではなく、10月に出した仮放免申請が不許可になったというだけの知らせだった。

世間に溢れるクリスマスや年末の賑やかさは、入管の収容所内にはついに至らず、その周辺に寄生しているわたしなどに人の世の喜びが届こうはずもないのだ。

しかしわたしは直ちに書類をかき集めて、申請書類を郵送する。

というのも結果が出るのは約2ヶ月後。

もしかしたら入管からのバレンタインが、ひょっとしたら


2015/12/23

渡邊彰悟弁護士講演会:在日ビルマ人と難民問題

【在日ビルマ難民たすけあいの会(BRSA)講演会のお知らせ】

「渡邊彰悟弁護士講演会:在日ビルマ人と難民問題」

日時:2016年1月10日日曜日13:30〜15:30(開場13:15)

場所:豊島区民ホール第13会議室(3階)。JR池袋駅(東口)より徒歩5分。

参加費:会員無料(非会員1,000円)*参加に際し事前連絡は不要です。

問い合わせ先:cyberbbn@gmail.com(熊切)

在日ビルマ難民、特に難民認定申請中の人々の状況は今、大きく変わりつつあります。

ビルマの総選挙でのNLDの圧勝は難民にとっても朗報でありました。しかし難民の帰還と再定住のための道筋がいまだ見えないなか、日本では難民に対する政府の対応はますます厳しいものとなり、排除政策と長期間の収容が常態化しています。

このような状況の中、難民申請者たちはこの日本でどのように命をつないでいくべきなのでしょうか?

そして、BRSAをはじめとする難民申請者は、今後どのように政府・入管に対して働きかけていくべきなのでしょうか?

わたしたちがぶつかっているこんな難問が今回の講演会のきっかけとなりました。

講師を務めて下さる渡邊彰悟弁護士は、ビルマ難民の弁護活動の第一人者であり、ビルマ政治と日本の難民政策の双方に関して深い知識と経験をお持ちの方です。

講演会では、弁護士として、そして日本とビルマをつなぐキーパーソンの一人として、入管への対処や難民認定申請に関する実際的なアドバイスに加えて、日本の難民行政の現状とビルマの政治的変化に関して率直なお話をいただきたいと思っております。なお、通訳には田辺寿夫さんをお招きしております。

*今回の講演は、在日ビルマ難民の会員だけでなく、ビルマの政治問題、難民問題に関心のある一般方も対象にしております、どうぞお気軽に参加ください。

【渡邊彰悟弁護士】いずみ橋法律事務所。全国難民弁護団連絡会議代表。著書に『難民勝訴判決20選ー行政判断と司法判断の比較分析』(編集代表)信山社刊。

【在日ビルマ難民たすけあいの会】
2008年に在日ビルマ難民と日本人によって設立された政治団体。ビルマの難民・国民のため、またビルマの民主化のため、さまざまな政治活動・支援活動を行っています。ウェブサイト:https://sites.google.com/site/japanbrsa/

2015/12/21

バス旅行と一時旅行許可申請(3)

今度のバス旅行のために作成した文書は次のようなものだ。

***

上申書

日本国法務省入国管理局仮放免許可申請および難民認定申請に関わるみなさま

わたしたちは在日ビルマ難民たすけあいの会と申し、日本に暮らすビルマ難民の生活の向上のために働き、ビルマ民主化を目指す政治団体であります。

このたび、恒例の行事として、2016年1月1日(金曜日)に以下のような日帰りバス旅行を企画しております。本旅行参加者が一時旅行許可書申請の際に、ご参照いただければ幸いに存じます。

目的:観光旅行
旅行先:静岡県裾野市須山字藤原2428

旅程:
1)2016年1月1日朝、高田馬場駅前集合、静岡県に出発。
2)スノータウンイエティ(静岡県裾野市須山字藤原2428)にてスキー。
3)温泉施設、ヘルシーパーク裾野(静岡県裾野市須山3408)。
4)18:00に出発。夜、高田馬場帰着。

在日ビルマ難民たすけあいの会(BRSA)

***

ある時、品川の入管にいたら、会員の1人が声をかけてきた。夏のバス旅行のための許可を取りに来たのだが、自分の携帯に入っているこの文書を入管に見せたら、ちゃんとした紙でなくてはダメだと言われたのだという。

わたしはその紙を持ち合わせていなかったが、入管のコンビニのコピー機にネットワークプリント機能があり、携帯を通じてなんとか印刷できた。

その紙を彼に渡しながら思ったのは、旅行の情報が分かればそれで済むものを、わざわざイヤガラセのように紙を要求して申請者を困らせる入管はまったくとんだ性悪な連中じゃわい、ということで、わたしは実に不愉快な気分になり、そして今なお不愉快であり、さらに将来的にもバス旅行の文書を作成するたびに不愉快になること疑いなしなので、憂さ晴らしにここに書いたのである。


バス旅行と一時旅行許可申請(2)

一時旅行許可申請について、入管のホームページでは次のように書かれている。

***

Q28
仮放免中に指定された行動範囲外の場所へ出かける必要が生じた場合は、どうすればいいのですか。


仮放免許可書に記載された行動範囲外の場所へ出かける必要が生じた場合には、事前に、指定された住居地を管轄する地方入国管理官署の主任審査官に対し、一時旅行許可の申出を行ってください。

申請に当たっては、身元保証人と連名による一時旅行許可申請書のほかに、旅行の目的、必要性、旅行に要する期間等を明らかした書類を提出しなければなりません。

***

この許可申請はそれほど難しいものではないが、旅行先の住所は少なくとも市まで記さねばならないので、申請の前にその辺りを確認しておかないと不許可として突き返される。

また、目的によっても不許可になることがあるようだが、その基準ははっきりしない。

いずれにせよ、BRSAのバス旅行の参加にさいしてこの申請をしなくてはならない人は非常に多い。なので会では、申請のときに利用してもらおうと、旅行の日時、目的地などを記した文書を発行している。

今年の正月のバス旅行の様子

バス旅行と一時旅行許可申請(1)

在日ビルマ難民たすけあいの会(BRSA)は年に2回日帰りバス旅行を企画して、海水浴に行ったり、スキーに行ったりする。

苦労するのがバスの手配で、最近は過労運転による事故を防ぐため、たいていの日帰り旅行では運転手を2人つけねばならず、貸切バスはずいぶん割高になった。が、それでもビルマ人の役員たちは目的地を変更したり、集合時間を変更したりして対応している。

今年の元旦の行き先は静岡のスノータウンイエティで、貸切バス2台、総勢100人で行くそうだ。これだけの規模の旅行を企画し、しかも、バスの中で食べる朝食や昼食も準備するのだから、BRSAの役員たちはすごいといつも感心する。

参加者は会員が約70人、それ以外が家族や学生たちだが、BRSAの会員は難民認定申請中の人が多い。そして、同じ申請中でも、仮放免中の人がほとんどだ。

これが何を意味するかというと、これらの人々は指定された居住地域(大抵は東京都内)を離れる場合は入管に行って許可を取る必要があるということだ。この許可なしには、旅行に参加することは許されないのだ。

この申請が一時旅行許可申請である。

2015/12/19

獄中読書計画(2)

【夜の読書】
静粛なる夜の時間ほど、宗教的瞑想に適しているものはない。この清らかな時間は、仏典(サンスクリットとパーリ原典)と聖書(ヘブライ語とギリシア語)を味わいつつ読みたい。これらの古典語の習得に際しては、教誨のために刑務所にやってくる坊主や牧師を上手に活用したいものだ。

また、宗教的徳をたっぷり身につけたおかげで、周りの受刑者や果ては看守にまでその感化が及び、みなに崇拝されたなどという逸話も残しておきたい。

……刑務所所長はこれを見て嫉ましく思い、わたしを独房に放り込むだろう。彼は食事も与えない。わたしを餓死させようという腹なのだ。そして14日後、所長は「もう頃合いじゃろうて」と独房の重い鍵を開く。だが、そこにいるのはなんと、ピンピンしているわたしではないか。実は小鳥たちがわたしのために朝な夕なに食事を運んできてくれていたのだ。何たる徳の高さであろうか。無力を悟りくずおれる所長。彼はすっかり改心し涙ながらに許しを請うだろう。だが、わたしはそれに構わずこう告げるのだ。「な、なにか、読むものを……」

【就寝前の読書】
アメリカの優れたSF小説によって占められたこの時間は、監獄を不思議と驚異にあふれた夢幻の空間へと変え、1日の読書に疲れたわたしを安らかな眠りへと誘うのであった。

* * *

なんと充実した毎日であろうか。もう一刻も早く刑務所に入りたいぐらいだ。わたしは人を苦しめたり、その命を損ないたくないから、ぜひとも政治囚として入りたい。本をどっさり持って刑務所に駆け込みたい。

だが、そのためには、この日本がもっともっと不自由になり、不寛容と不合理がはびこり、恐れと不信に満ちあふれ、人間の尊厳がないがしろにされなければならない。政府が人間をもっともっと苦しめる国にならなくてはならない。

政治囚の発生率が出生率を上回る……そんな素晴らしい社会が早く来るように一生懸命、安倍首相と自民党を応援していきたい。

パテインの刑務所

獄中読書計画(1)

読書が人格者を育てるとか、成績を上げるとかは迷信の一種で、いくら本を読んでもダメなやつはダメでくだらんやつはくだらん。

しかし、それでも読書は重要だ。なぜなら、もっとも安価で、しかももっとも手間のかからない娯楽だから。病魔も投獄もその楽しみを奪うには相当頑張らねばならない。

そんな理由から在日ビルマ難民たすけあいの会(BRSA)でビルマの政治囚に本を送り、空いた時間を有効活用してもらう活動「バマゾン・プロジェクト」を行っているのだが、それだけでなく、そもそもわたしは獄中の読書というものにものすごく憧れているのだ。

ときどきわたしは自分が刑務所に入ったらどんな本を読もうかと考える。わたしが現在抱いている計画は次のようなものだ。

【早朝の読書】
起床と点呼の後の朝食までの間の爽やかな時間は詩の研究。エズラ・パウンドのCANTOSを1日1ページ読むこと。

【午前の読書】
朝食と昼食の間の活力にあふれた時間は、アラビア文学古典の原典の解読に当てたい。まったく刑務所でなくては読む時間もないものばかりだ。

【午後の読書】
昼食後は文学の精読に打ち込む予定。まずはアメリカ文学。メルヴィル、ホーソーン、ヘンリー・ジェイムズの全作品をじっくり読みたい。時間が足りなくて、求刑より短い判決を下した裁判官への恨みごとが飛び出す始末。

【夕方の読書】
この時間はかねてから取り組みたいと思っていた明の李卓吾の主著『蔵書』『焚書』の探求に捧げたい。長くつらい幽閉生活だ、この思想家のごとく獄中自殺をしたくなるときもあるかもしれない。だが、『続蔵書』と『続焚書』を読みたい気持ちがそんな迷いをかき消してくれる。

パテイン刑務所の外壁

2015/12/17

バマゾン・プロジェクト(5)

わたしがビルマに獄中の差し入れとして持ち込んだ書物のうち、一冊だけはその運命がすぐに明らかになった。

というのも、荷物をごちゃごちゃに詰めていたせいで、『オデュッセイア』だけ取り出すのを忘れてしまい、渡せなかったのである。

わたしはそれを日本に持ち帰った。10月のビルマ訪問はわたしにしては長い期間にわたったが、そうであっても約18日間の旅路ではオデュッセウスの帰還には短すぎよう。

この時の訪問では、やはり獄中にある政治活動家ネーミョージンさんにも会うことができたが、彼が英語の勉強のために歴史的なスピーチの本が欲しいと言っていたので、偉人による英語スピーチ集のペーパーバックを2冊買った。

そしてBRSAの会員の峯田史郎さんが、11月の総選挙の監視団の一員としてビルマに行くというので、その際に持っていってもらった。もちろん『オデュッセイア』を押し付けるのも忘れなかった。

そのうち書物は姿を変えてわたしのもとに戻ってきて報復を始めることだろうが、それはそれで楽しみだ。


2015/12/16

バマゾン・プロジェクト(4)

これらの本を差し入れたのは、今年の10月にビルマを訪問し、やはり裁判に出頭した学生たちに会った時で、13日の火曜日、ヤンゴン中心部のチャウタダー郡裁判所でのことだ。

この時のことやその前の7月の学生たちと面会についてはまた別に書くので省くとして、わたしはヤンゴンに入る前に一泊したバンコクで、これらの本にBRSAのシールを貼り付けた。

BRSAの名の記されたこれらの書物がどのような旅路を辿るのか、獄中でどのように流通し、どのような読者を見つけていくのか、あるいは誰にも読まれぬまま食べ物の包みかなんかに使われるのか……などとその運命を考えていると、わたしはだんだんもの狂おしくなってきて、この世にこれ以上に有意義なことはないかのように思われたのであった。





2015/12/15

バマゾン・プロジェクト(3)

「そんなわけで、帰国するとわたしはBRSAのプロジェクトとして始めてみることにした。」

などという前回の末尾の文は、その後このプロジェクトが世界を変えでもしたような口ぶりだが、今のところ17冊の本を差し入れただけだ。

前々回に載せた案内を配ると、早速、BRSAの会員の野上俊明さんが英英辞書、ビルマ愛好家の大村哲さんが画集を2冊寄付してくださった。

9月19日にBRSAでは田辺寿夫さんをお招きして講演会を行ったが、その後の飲み会で6000円ほど残金が出た。これと野上さんからいただいた寄付金3000円を元手に、八重洲ブックセンターに行き、英語の辞書3冊とOxford University Pressの新書を買ってきた。

これは“A Very Short Introduction”というシリーズの各130ページほどの小著で、1000円から1300円ぐらい。

購入したタイトルは”Education”、”Law”、”Politics”、”Sociology”、 “Democracy”。さらに正体不明の言語学者が勝手に”Linguistics”を混入したことも付け加えねばなるまい。

これにわたしの膨大な蔵書から2冊を加えた。一冊はいつでもどこでも買い直すことができるので惜しくない古典中の古典、ホメロスの『オデュッセイア』の英訳。もう一冊はアマゾンでモンティ・パイソンのジョン・クリーズの本だと勘違いして買ってしまった薄い本。

悔しいので書名は記さないが、こんな得体の知れない書物がビルマの獄中に忍び込むのもなかなか面白かろう。


2015/12/14

バマゾン・プロジェクト(2)

バマゾン・プロジェクトというのはもちろん、アマゾンのもじりだが、獄中にある学生活動家たちに本を届ける活動だ。

わたしは今年の7月ヤンゴンに行き、獄中にある学生活動家たちに会い、インタビューすることができた。

約60名ばかりの学生たちは、無許可で政治デモを行ったために逮捕され、身柄を拘留されながら、毎週のように裁判に出頭していたのであるが、わたしはその裁判に行ったのである。

日本では、拘留されている被告と、裁判関係者以外の人間が接触することは不可能だと思うが、ビルマでは可能である。外国人はもしかしたら難しいかも、と言われていたが、学生たちの弁護団の一人であるロバート弁護士が「俺に任しとけ」と許可証を公式に出してくれた。

そんなわけでわたしは学生たちのただ中に入り、話を聞いたり、若者らしくふざけあっているのを目撃したり、裁判を傍聴したりすることができた。

わたしを裁判のあるバゴー管区のタヤワディ郡地方裁判所にまで連れて行ってくれたのは活動家であるゾウヤンさんという方だったが、彼が学生たちは刑務所にいるあいだ勉強ができないので本などを支援するのは良いことだ、と助言してくれた。

彼自身、1988年に学生リーダーの一人として民主化活動に関わった人で、学生が何を必要としているか身を以て知っているのだ。

そんなわけで、帰国するとわたしはBRSAのプロジェクトとして始めてみることにした。



2015/12/13

バマゾン・プロジェクト(1)

今年の夏、BRSAでバマゾン・プロジェクトという以下のようなプロジェクトを始めた。

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「獄中の学生のために英語の本を!」

BRSA Burmazon Project(バマゾン・プロジェクト) 投獄されたビルマの学生たちを支援しよう!

ビルマでは、民主化活動を行う学生活動家や市民活動家が今なお逮捕・投獄されています。

わたしたち在日ビルマ難民たすけあいの会(BRSA)は、獄中でも勉強を続けたいという学生たちの希望に応えるべく、英語の図書を刑務所に送る「バマゾン・プロジェクト(Burmazon Project)」を立ち上げました。

ビルマの明日のリーダーを育てるBRSAのバマゾン・プロジェクトにぜひご協力ください!

【BRSAバマゾン・プロジェクト(Burmazon Project)とは】
現在獄中にある若い学生たちが学べるように英語の図書を差し入れるプロジェクトです。

【獄中にある学生たちとは】
政府の推し進める教育法案に反対し、より民主的な教育制度を求めて平和的にデモ行進を行っていたところ、政府の弾圧を受け2015年3月10日に逮捕された約70名の学生たちです。現在、刑務所に拘留されながら裁判で戦っています。

【どんな本が必要ですか】
不要となった英英辞書および以下のあらゆる分野の教科書、入門書、研究書(政治、経済、心理、哲学、仏教、神学、宗教、思想、教育、文学、社会、法律、工学、IT関係、農業、言語学、文化人類学、福祉など)。

【どのようにビルマに送りますか】
 ①BRSAを通じて、②ビルマに訪問する協力者を通じて、③船便で、のいずれかによってお預かりした図書をビルマ国内の支援者団体にお届けします。

【寄付金も受け付けております】
図書の輸送費、古書の購入費として使わせていただきます。

【本の送り先と送付方法】
図書の支援をしてくださる方、ご寄付してくださる方はまずはメールにてご連絡ください。 毎月行われているBRSAの会合に持参いただいてもいいですし、またBRSA事務局までお送りください(その場合は、勝手ながら元払いでお願いいたします)。

メール:brsajp@gmail.com BRSA事務局:110-0005 東京都台東区上野3-12-5大同ビル2F Burma Concern内

ウェブ:https://sites.google.com/site/japanbrsa/

2015/12/12

もうひとつの選挙(7)

「組織を変えます」

というのが、2016年度の会長に再選されたニンザルンさんの言葉で、要するにこれから会員たちがもっと活発に参加するような団体にしていくということだ。

今までCNCはチン民族の名のもと団結してきた。しかし、実のところ、チン民族にはいくつもの民族が含まれる。これらは言語系統は同じだが、互いに通じ合わないほど隔たっており、集会などではビルマ語が用いられる。日本には、ニンザルンさんのテディム・チンと、やはり今回CWO-Japanの会長に再任されたジャスミン・ングンタンさんのハカー・チンの2つの大きなグループ、そして、ミゾなどの少人数のグループが存在している。これらのグループは教会も別々であり、また滅多にないことだが、仏教徒のチン民族もいる。

今回の総会で提案されたのは、CNC-Japanをこれらの諸民族の代表による合議制にしたらどうかというものだった。各民族ごとの主体性を重視した運営方法に変えたほうが、より活発になるというのだ。

ニンザルンさんもこの方針は検討に値すると考えておられるようだった。

新体制がスタートするのは来年の1月からで、今後どのようになるかはわからないが、ビルマとチンの政治状況、そして難民を取り巻く日本の状況も変わる中、在日チン民族協会は、役員も一般会員もそれぞれの状況の中で自分たちの活動を模索している。

日本においてチンの組織が活動を続けるのは大事なことであり、わたしとしてもできる限り応援したい。みなさんも応援よろしくお願いいたします。(おしまい)


2015/12/11

田舎娘

わたしの世話になっているカレン人の娘さんが、今年の春に日本にやってきて大久保の日本語学校で学んでいる。

年は20歳。エーヤーワディ・デルタの小都市、ミャウンミャで生まれ育ち、留学前の数ヶ月をヤンゴンで過ごした。

彼女のいとこが日本に住んでいて、わたしは彼と2人で空港に迎えに行き、大久保の家まで連れて行った。

わたしたちは彼女の小さなスーツケースを転がして大久保の曲がりくねった路地を進む。ふと気がつくと、彼女はずっと後ろをノロノロと歩いている。わたしたちはしばらく待ち、彼女が追いついてから再び歩き始める。

だが、しばらくするとまたわたしたちと彼女との距離が開き始める。彼女はひどく歩くのが遅いのだ。しかも驚くべきことに、追いつこうとして焦っている気配すらない。

わたしはミャウンミャに何度も行ったことがあるから、すぐにピンときた。あそこはヤンゴンと違ってのんびりしているから、早歩きなどする必要はないのだ。

せわしない東京の暮らしにこの田舎娘は慣れるだろうか? ミャウンミャには車もたいして走っていないから、道なんかちゃんと渡れるだろうか?

そんなことを思ったものだったが、数ヶ月後、そのいとこから、彼女が大久保で道を渡ろうとしてタクシーに引っ掛けられたという電話がかかってきた。幸いなことに怪我はなかったとのことだ。

ミャウンミャの風景

2015/12/10

もうひとつの選挙(6)

では、CNC-Japanの存続が覆える可能性はもはやないのだろうか?

いやある。選挙委員長であるわたしはすぐに気がついた。

この後に行われる会長選挙で、誰も立候補せず、推薦された者もこれを拒絶したら、つまり来年度の会長が不在ということになれば、これ自体、会を解散すべきことの確固とした理由となるのだ。

ということは、わたしが選挙委員長としてこの団体の解散を勧告することになるかもしれぬ。

そんな思いを抱きながら、わたしは会員たちの前に座り、選挙の開始を告げたわけだが、結論から言うと、CNC-Japanは存続する。少なくとも来年度は。

前会長のニンザルンさんを含む5人が会長に推薦され、投票の結果、彼女が再選されたのである。

推薦された人はみな前役員で、そのうちの4人は会の存続に反対していた。それでわたしは投票の前に、彼女たちに候補者としてひとこと話してもらった。4人が明確に拒絶した中、ニンザルンさんだけが自分の果たすべき責任について言及した。これで全員が拒んでいたら、わたしはそこで選挙を中止して、解散勧告をしていただろう。

投票用紙

2015/12/09

儒林外史

知らない電話番号からこんなメールが来てギクリとする。

「線さえ。。。儒者をの髪さいおねがいしむす。。。わたしどこにきむsか」

謎のメッセージ……。

病んだ言葉遣い……。

だが、読み直すと意味が通じた。

「先生、住所の紙、サインお願いします。私はどこに行けばいいですか」

つまりわたしが仮放免の身元保証をしている人が、入管に出す住所変更届にわたしのサインを必要としているのである(なお、その人は電話番号を変えたばかりだった)。

「行く」にすべきを「来る」としたのはビルマ語の影響だろう。

なお、「先生」というのは、通常は教師や偉い人などを呼ぶのに使われるが、ビルマ人の場合は、入管収容所職員のような厄介な相手に対しても使うことも申し添えておきたい。

2015/12/08

存在と無

チンの友人が引越しするにあたり連帯保証人をわたしに頼んできた。

あまり乗り気ではないが引き受ける。

しばらくして不動産屋から電話がかかってきて、連帯保証人の審査があるのでと言ってあれこれ尋ねてきた。

職業はと聞くので「無職です」と答えたら絶句してた。

だが、もし彼が哲学と論理学というものを知っていれば、言葉を失うことはなかったろう。というのも、無職は、無実の罪が罪の一つであるのと同じく、職の一つなのである。

この無こそ、古来よりあらゆる思想家が探求してきた尊い営みなのだが、審査会社はそうは見ないかもしれない。

その夕方、近ごろ同棲しだした在日ビルマ人難民から、婚姻届の証人となってほしい言われたので、署名した。幸せな二人にとってさいわいなことに、役所は証人の審査はしないようだ。


2015/12/07

もうひとつの選挙(5)

CNC-Japanの総会を締めくくるにあたり、会長のニンザルンさんが話し始める。

感謝の言葉、そして彼女自身の活動の振り返り。日本の他のビルマ政治団体との情報共有、2月の連邦記念日の参加、UNHCRや難民支援団体のとの協力など……。そして、ついに本題に入る。

「CNC-Japanの会員は現在110人います。うち18歳以下が11人です。そして今、この総会に来てくださっているのは19人です。80人の会員が来ていないのです。総会は本当は半分の人が来なくては成り立ちません。月例会に来る人もほとんどいません。会員たちはCNCの活動に関心があるのでしょうか?」

ニンザルンさんの表情は硬い。そして前に座る役員たちのも。

「ここでみなさんにお聞きしなくてはなりません。CNC-Japanを存続させるのかどうか、という問題です」

速やかに挙手で賛否が問われる。多数決でCNCの存続が決まる。

19人のうち、CNCの解散に賛同したのは4人だけ。ニンザルンさんら役員だ。

2015/12/06

入管よありがとう

定職に就きたいと思っているが、求職の試みはかならず惨めな拒絶に終わる。自分ができる非常にわずかなことも、まったく社会に必要とされていないということをこの歳になって知るのは愉快なことではない。

無能な人間はお払い箱にするのが社会の掟だ。我が国の輝かしき発展のために払わねばならぬ尊い犠牲である。

自分が無価値な生を生きているせいか、同じように命を浪費している人は放っておけない。その甲斐のない境遇のつらさが心に突き刺さるのだ。

そんなわけでわたしは入国管理局に行き、そこに収容されている人の仮放免のための身元保証人をしばしばする。

これらの人々は身元保証があれば、外に出られるかもしれないのだが、それをしてくれる人が見つからないばかりに、価値ある生き方をする機会を奪われているのだ。

身元保証人などわたしこそ欲しいくらいだが、それだけに保証されることのない惨めさは身に滲みてる。そんなわけでそうしてほしいという人がいれば引き受けることにしている。

もっとも、わたしごときの身元保証だ、何の権威もない。もっと立派な人がやれば覿面だろうが、わたしの場合はなんど申請しても不許可ばかりだ。被収容者のためを思ってする申請が、かえって収容を長引かせ、被収容者を苦しめている。これ以上に無様なことがあろうか。

それでも、ごく稀に申請が通って仮放免許可が下りることがある。

わたしの申請が認められることがあるのだ。

わたしは入管のしていることを憎み、ときに怒る。しかし、あらゆる申請や応募を社会から撥ねつけられてきたわたしを唯一認めてくれるのがこの入管だけだというのも、なんとも皮肉なことだ。


いっそ収容されたほうがマシかも……

懸命に捜索

銭形「いえ、奴はとんでもないものを盗んでいきました」

クラリス「……?」

銭形「入管のテレビです」

2015/12/05

もうひとつの選挙(4)

報告が終わると、討論会という形で会員たちが発言する機会が設けられていた。

まずは新メンバーが次々に自己紹介を始める。研修生として来日したものの結局東京に出てきたという若者がまず前に出る。どのように日本と出会い、日本にやってきたか? 一度はあきらめかけた夢……だが思いもよらぬチャンス! などと新人のくせにやたらと長い話をして、司会の気をもませてた。

4人の新メンバー紹介の後、古参のメンバーが立ち上がり、「原点に帰って活動しよう」と呼びかける。

そしてこれに応じて「今は会は活発ではないが、みんなできるだけ参加してほしい!」とぶち上げたのが、ほとんど顔を見たことないメンバー。わたしはてっきり新入りかと思ったほどで、ハウカンチャンさんが「自分もね!」と付け加える。彼女は役員たちの心の声を通訳したのだ。

とはいえ、チンの男性にしばしば見られるこういう呑気さはキライではない。

最後にもう一人、別の男性メンバーが訴えた。

「CNC-Japanが続いているのがうれしい。このグループがあったからこそ、今のわれわれがある。これからもよろしくお願いしたい」

役員たちに漂うピリピリした雰囲気、通訳の緊張感、会員たち支持表明の裏に見え隠れするある意図……さすがに鈍いわたしも事態を理解した。

ニンザルンさんたち役員は、CNC-Japanを解散しようという決意を持ってこの総会に臨んでいたのであり、会員たちはそのもっともな決意になんとか抗おうとしていたのだった。

「変わる時」が来たのだ。


2015/12/04

もうひとつの選挙(3)

総会は祈りから始まり、引き続いて会長のニンザルンさんの演説。役員に、会員に、そしてわたしに感謝を告げ、「変わる時が来た」という一言で締めくくる。

それは先月結ばれたばかりのチン民族戦線とビルマ政府との歴史的な停戦合意を指すに違いなかった。

総会の内容はといえば、活動報告、会計報告と例年のごとく。CWO-Japanの報告も同時に行われ、会長のジャスミン・ングンタンさんは「わたしたちにはまだやらねばならないことがたくさんある」と語る。

わたしの隣には、ニンザルンさんの娘さんのハウカンチャンさんが座っている。彼女は日本生まれではないが日本で育ったので、日本語には問題ない。それで、いつものように同時通訳してくれるわけなのだが、やがてわたしは彼女の様子がおかしいのに気がついた。

膝に置いた手を神経質に動かし、しきりに指でぐるぐると見えない円を描いている。彼女を緊張させるものがあり、それに耐えきれないという感じだ。

わたしはますますこの総会に不穏な印象を抱かずにはおられなかった。

2015/12/03

もうひとつの選挙(2)

確かに最近は活動が縮小気味であるとはいえ、ひとつの政治団体を運営していくのは大変なことだ。

自分の民族のためとはいえ、どうして自分だけが犠牲を強いられなければならないのか。そうした思いも、会が活発で発展しているのならば報われようが、事態はまったく逆だ。参加率も会費収入も減少するばかり、増えるのは徒労感ばかりというわけで、そんな重苦しさ、苦々しさが、年を追うごとに役員たちの間で色濃くなり、そして今年、それはどうも抑えきれないほどにまで達したようであった。

というのも、選挙委員として、大井町のきゅりあんの会議室に颯爽とやってきたわたしが直ちに嗅ぎつけたのは、役員たちを覆う並々ならぬ疲労感であった。いや、それどころか、得体の知れないピリピリした緊張感にたじろぎすらしたのだ。

それはわたしに居心地すら悪く感じさせるほどだった。今のところ世界でたった2人の「チン民族の友賞」受賞者であるわたしですらそうなのだから、並の人間ならば直ちに逃げ出して大井町の闇に身を投じていたことだろう(ちなみにもう一人の受賞者は田辺さん)。

そのようなただならぬ雰囲気の中、CNC-JapanとCWO-Japanの第14回目の年次総会が始まった。

2015/12/02

もうひとつの選挙(1)

ビルマで総選挙の投票が行われた11月8日、東京の片隅でも小さな総選挙が行われた。それは、日本に暮らすチン民族の政治組織、在日チン民族協会(CNC-Japan)と在日チン女性機構(CWO-Japan)の年次総会と役員選挙で、わたしは今年も選挙委員長として招かれた。

CNC-Japanの役員は、会長のニンザルンさんを含めほとんどが女性で、しかもその顔ぶれも毎年変わらない。

それは、ここ数年、彼女たちに代わって役員を引き受けようとする人が誰もいないからだ。つまり、多くの会員が、ビザを取った途端に活動に顔を出さなくなるので、役員をするだけの責任感の持ち主しか残らなくなるのだ。

もっともこれはチンだけの問題ではない。多くの団体でも同じことが起き、どこでも幽霊会員でいっぱいだ。これらの幽霊会員が享受している自由のいくばくかは、自分が所属している政治団体の政治活動、難民審査へのサポートとアピール、そして会員たちの苦労により獲得されたものに違いない。ならば、少なくともその分は会に貢献してくれるだろう……。だが、たいていの場合、役員たちのそうした期待は裏切られる。これら自由を我がものとした幽霊たちは、もはや「恩人」を顧みず、自分の人生を謳歌しだすのだ。もう成仏どころではないと言わんばかりだ。

とはいえ、わたしはそれは非難すべきことではないと思っている。というのも、誰にとっても自分の人生を生きることは重要であり、その経験なしには他の人間の生に関わること、つまり政治活動などできないからだ。

しかし、そうはいっても釈然としない、というのがCNC-Japanに限らず多くの活動家たちが抱いている思いでもある。


2015/06/12

入管エレジー [18日目]

品川に収容されているビルマ難民のために出していた仮放免許可が下りた。

毎度のことながら、何で許可されたのか分からない。この人は3度目の申請で通ったのだが、不許可だった2回と今回の申請の内容はほとんど変わらない。

要するにわたしがどんな申請をしようと、入管が出そうと判断しなければ、通らないのだ。

かつてわたしは、仮放免許可申請理由書をしたためるのに文才の限りを費やしたものだった。被収容者の悲しみと苦しみをあたかも一編のエレジーに仕立てあげ切々とうたいあげたのだ。おお、その哀切な言葉たちは鬼神をして慟哭せしむるほどだった。

ただ残念ながら、これが入管にまったく効き目がなかった。ホント。

てなわけで、わたしはもうそんなことはしない。

理由書のひな形を作っておいて、要請があるたびに名前を入れて、はい出来上がりだ(心身に異常のある場合だけその旨付け加える)。

きっと入管だって読みゃしない。書類が揃ってりゃいいのだ。理由書に書いてあるのがふわとろオムレツの作り方だったって、出すときゃ出すだろう。

ローマの詩人、オウィディウスは、配流の地で書きつづったその哀歌でもって、皇帝アウグストゥスの怒りを解き、ローマへの帰還を果たそうとしたが、結局、客死を免れえなかった。オウィディウスほどの詩人でさえこうなのだから、わたしごときのエレジーが効き目を発揮しなかったとしても無理はないのである。

品川入管の面会待合室行きのエレベーター。

2015/06/08

アラカン民族のこと [17日目]

アラカン民族紹介のスライドショーに自分でナレーションをいれたものをYouTubeに公開したのだが、わたしの声がなかなか良いとの評価をいただいた(約1名)。

となると、映像を見る人がわたしの朗々たる美声に聞きほれてしまい、肝心の内容が頭に入ってこないなどということもあるかもしれない。

もう心配でいてもたってもいられぬ。

なので、念のため以下にテキストを公開する次第だ(すでに述べたようにゾウミンカインさんが書いたものをわたしがシンプルに訳したものだ)。

1)ゾウミンカイン。日本のアラカン民族の代表です。

2)イギリス植民地前のビルマではすべての民族が独立して平和に暮らしていました。

3)アウンサン将軍の主導のもと、ビルマをひとつにするために結ばれたのがパンロン協定でした。すべての民族の平等と自治が認められていました。

4)アウンサン将軍の暗殺後、ビルマの指導者たちはパンロン協定を反故にして、権力を奪いました。

5)ビルマの指導者たちは少数民族に政治的な力を譲り渡すことを拒み、平等と自治を否定しました。それゆえ、多くの民族が武器をとって戦う道を選びました。これは民族同士の戦いではなく、中央政府とわたしたち少数民族の戦いなのです。

ビルマの問題の本質は、民族の平等と自治を認めない現在の憲法にあります。

6)アラカン人も、チン人も、カチン人も、カレン人も自分の軍を持っています。

7)カレンニー人も、コーカン人も、モン人も、パラウン人もともに戦っています。

8)シャン州軍もあれば、ワ人の軍もあります。

9)アラカン人はアラカン州に暮らしています。

10)豊かな資源が眠るわたしたちの州ですが、開発の点ではビルマ最低です。

11)アラカン州の誇る古代仏教遺跡、そしてビルマ中のあこがれのガパリビーチ。

12)アラカン州が産出する天然ガスは中国に売られ、地元には利益はまったく還元されません。

13)中国企業の進出にともない、土地は奪われ、住民たちは適切な利益や補償を受けることもできません。

14)中国にとってアラカン州は、天然ガスや原油をパイプラインによってもたらす生命線であると同時に、インド洋のインド海軍の動きを監視するための戦略拠点ともなっています。

15)アラカン州には豊富な天然ガスがあるにも関わらず、ビルマ政府は石炭による火力発電所の建設を計画しています。環境破壊と健康被害を懸念するこの地域の住民たちは計画に反対しています。

16)政府への不満と反中国感情がアラカン州で高まっています。他の国々、特に日本からの投資をわたしたちは待ち望んでいます。どうもありがとうございました。

2015/06/04

ビルマの少数民族とアラカン民族の現状 [16日目]

先日開催されたファッション・ショーで上映する民族紹介ビデオの制作を手伝ってほしいと頼まれた。

チン民族のものはすでに完成していて、アラカン民族はPowerPointのスライドショーまでは完成していた。他の民族は間に合ったのかどうか知らない。

アラカン民族のスライドを製作したのはリーダーのゾウミンカインさんで、これを動画にしてナレーションをつけてほしいという。


で、動画に変換して、ファッション・ショー前日の真夜中に一人で声を吹き込んだ。ナレーションはスライドの英語をもとに作ったもので、原文をかなり単純化している。

長く話すとボロが出るからだ。

それでも何箇所かとちっているし、Ngapaliビーチをガポリと言ってしまっているが、もうそんなの気にしない。なぜなら真夜中だからだ。

ファッション・ショーは行けなかったが、翌日ゾウミンカインさんからプレゼンテーションはうまくいったとの連絡をいただいた。

ゾウミンカインさんからの許可を得たうえで、このスライドショーをYouTubeにアップロードさせていただく。

わたしのナレーションはともかく、内容自体はよくまとまっているのでぜひごらんください。

2015/06/03

ネガティブでクールな地獄 [15日目]

仮放免申請のために次に面会したのは不眠症に悩むBRSA会員だ。

いやな雰囲気をまとって面会室にやって来る。笑顔ひとつ見せない。

眠れなくて追いつめられているのだ。収容される前は、控えめだけど人を脅かすような感じのある人ではなかった。いまではすっかりネガティブの吹きだまりだ。

国境ではポジとネガが入れ替わる。

それはともかくわたしと話していると少し笑顔を見せる。暗い世界に光が差したという感じだ。

眠りが浅くてせいぜい2時間ぐらい。朝の点呼の後も横になっているが、テレビや人の出入りがあるため寝つけない。イライラが募るので精神安定剤をもらっている……。

そんな様子を聞きながら、仮放免の申請書に署名をしてもらう。面会後に受け取ることになっている。

面会時間は30分だが、わたしは2人に面会するので15分ずつに短縮してもらっていた。

イライラについて話している時、入管の職員が迎えに来た。

彼は無視している。話し続ける。再び強烈な敵意を発散しはじめる。

「自分がこんなに怒りっぽくなるなんて思いもしませんでした……」

わたしは彼が入管の職員に敵対的な行動を取るのではないかと恐れ、ノートを畳んで立ち上がる。彼もやがて席を立つ。ネガティブ界の天使は彼を奪い去っていく。

2人の仮放免申請を無事に済ませ、入管で用を済ませた人々でいっぱいのバスに乗り込む。品川駅でみな降りる。若い外国人男性が前にいる。リュックにアニメのキャラクターの缶バッジをいくつもつけている。猫の耳の女の子やなんかだ。

日本ではそういうものを公共の場で身に付けたりすることは重罪にあたり、場合によって「クール・ジャパン」と呼ばれる極寒の監獄に送られることがあるからすぐに捨てたほうがいい、と教えてあげたがったが止めた。

くそっ、他人のことなど構っていられるか。

2015/06/02

瞑想のススメ [14日目]

昨日、仮放免不許可通知が届いた2人のために、今日品川の入管に行ってまた申請してきた。

1人はカレン人で、面会すると元気そうだ。ただいつも頭が痛いという。いつも何してるのかと聞いたら、読書・サッカー・瞑想という答えが返ってきた。

以前は瞑想などしていなかった彼だが、長く単調な収容生活を乗り切るためにはこういうことも必要らしい。

ビルマの仏教徒はわりに瞑想をする。わたしたちは瞑想を実践している共通の友人たちについて話しあった。

そのうちの1人は、BRSAの事務局長をしているテッアウンさんで、毎日、しかも時間があればあるだけ瞑想をするという。

瞑想というのは、日本でいう禅のようなものだが、禅と同じように、本質的には宗教とは関係ない。わたしも一度テッアウンさんの瞑想に付き合ったことがあるが、座りながら「もう絶対眠くなる、絶対寝る、そしてイビキかく」と心配しているうちにどうでもよくなってしまった。

不真面目な人間はスピリチュアルな探究には向かない。

そのようなわたしではあるが、BRSAに瞑想部でもつくったら楽しいのではないかといつも思っている。

面会の申請書類

不許可通知書 [13日目]

東京入国管理局から書留が来ると、それはわたしの出している仮放免申請が不許可であったということを意味する。

許可の場合は入管から直接電話がかかってくる。仮放免の日取りを決めるためだ。

先週の金曜日、書留の不在連絡票が入っていて、今日月曜日の朝に受け取った。

2人分の不許可通知だ。通知書と教示書の2枚ずつで4枚。どういうものか知りたい方々のために、内密にネット上で公開しよう。



何度申請しても許可は下りない……諦めたくなるがいつか下りると信じて申請する。

不許可通知書は残念なものだが、もしかしたら、入管はこうした通知を通じて国民であるわたしたちに人生というものを教えてくれているのではないだろうか。

諦めるな、信じて生きよ……わたしの申請に対して送られてきた通知書や教示書は、きっと通信教育、明日のための添削指導……。

にしても、忌々しいので、くしゃくしゃに丸めてゴミ箱行きだ。