2015/02/06

誰が難民申請を濫用しているのか

2月4日の読売新聞で、「難民申請、偽装を指南…ネパール人を摘発」という記事が掲載され、「難民認定制度の悪用」が取り上げられた。

これに対し、難民支援協会(JAR)は、この報道について今日、Facebook上などで見解を発表し、このように一方的に「濫用」を報じる記事が「保護されるべき人が保護されないという事態」を招くのではないかと懸念を表明している。

この懸念については、多くの人々が賛同を示しているようで、良いことだと思う。

とはいえ、JARの主張は、日本における難民の立場を保護するためには重要なことだが、その一方、「濫用」し「偽装」しているとされる人々については、特に詳しく触れてはいない。

JARは難民を対象とする団体だからそれは当然だが、これらの人々を簡単に「濫用者」として切り捨てる気にはわたしはなれない。

というのも、現在の難民認定制度を、誰が「濫用」し、誰が「偽装」しているかについては、わたしはまったく別の見解を持っているからだ。

わたしが実際に出会ったなかでは、難民申請を「濫用」しているとされる人には、(婚姻などの問題で)日本にいなくてはならない切実な理由を持っているか、外国人研修制度の不備やミスマッチ、失望が原因で研修先を逃げてきた研修生が多い。

これらの人々は、日本に滞在するための手段が他にないから、あるいは、外国人研修制度で生じた問題を研修生のニーズに合わせて解決してくれる仕組みがないから、強制送還を避け、生きていくために就労しようとして、仕方なく難民認定申請を「偽装」するのだ。

日本に来る外国人の数は増加しているのだから、さまざまな事情から日本にいたい、いなくてはならないと考える人が増えるのは当然だ。そして、こうした実情に合わせた滞在の選択肢を日本政府がうまく整備してこなかったために、「濫用」が起こっているというのが、真相だと思う(在留特別許可のガイドラインというものがあり、選択肢のひとつであるが、滞在希望者のほとんどがその条件に当てはまらない)。

さらにもう一つ、この「濫用」が生じた原因がある。それは日本の難民認定制度の不備によるものだ。

難民認定申請に関わった者ならば、日本の難民認定数が極端に少なく、そして、不認定の後に「人道的配慮により」在留特別許可をもらう人が圧倒的に多いということは、だれでも知っている。

たとえば、2013年の難民認定者数は6人だが、人道的配慮による庇護数は151人だ。法務省はこの二つを合わせて庇護数157人と報告している。

ところが、この「人道的配慮」というのが実際はくせ者で、「あなたは難民としては認めれられなかったが、政府の人道的配慮により在留を認めますよ」という意味だが、この中には実際のところ、国際的な基準では難民と認定されるべき人がたくさん含まれているのである。

そして、その一方、難民性が弱いにも関わらず人道的配慮で許可が出たというケースも少なくない。

その基準は実際には不明で推測するほかないが、おそらくこの「人道的配慮による在留許可」は、政府が難民性とは違った原理(おそらく日本社会への馴染み具合や貢献度)で一定の人を受け入れることで、全体の庇護数を増やしつつ、同時に難民認定数を抑えていく、という政治的な調整弁の役目を担っていると考えられる。

すなわち、「人道的配慮による滞在許可」とは、難民認定制度、難民条約の本来の趣旨とはかけ離れた意図による仕組みなのであり、いわば、日本政府が難民認定制度を「濫用」し、本来は無関係な「人道的配慮による在留許可」を庇護数に加えることで全体の庇護数を大きく見せるという「偽装」をしているということなのだ。

 一方、難民性がないにも関わらず難民認定申請をしている人々は、実際、自分が難民認定されるとは夢にも考えていない。これらの人々が期待しているのはこの「人道的配慮による在留許可」なのであり、要するに、日本の難民認定制度のあいまいで、不透明な部分、難民条約とはまったく関係のない部分が、これらの人々を引きつけているのだ。

つまり、「濫用」と「偽装」を生み出しているのは、合理性と透明性に欠ける難民認定制度なのであり、その責任を負うべきは、個々の外国人などではなくむしろ日本政府なのだ。

「偽装指南」している人についてはさておくとしても、その指南を受け「偽装」したとされている人々は、必ずしも悪人でもない。むしろ、個人的な理由からどうしても日本にいなくてはならないにもかかわらず、他に手段がないために、難民申請制度にしがみつかざるをえない人たちだ。

そして、日本で暮らす難民の厳しい生活を理解している人たちならば、これらの「偽装者」たちのやむを得ぬ立場も理解しているはずだと思う。

品川入管