2015/05/28

中国大使館前の抗議集会と逮捕 [12日目]

レッパダウンで抗議運動中に村人が警察に射殺された事件は、たちまちのうちにビルマのメディアで報道され、レッパダウンのみならず、ヤンゴン・マンダレーで抗議集会や真相解明を求めるデモが行われた。

2014年12月29日夜、ネーミョージンは、やはり著名な活動家であるノウ・オンフラらとともにヤンゴンの中国大使館前で抗議集会を組織する。なぜ中国大使館前かというと、レッパダウン鉱山開発に中国政府が深く関わっているからだ。

この時の集会の様子は、YouTubeでも見ることができる。

最初のものはRFA(ラジオ・フリー・エイジア)のもので、ヤンゴン市内でデモ行進を組織し、中国大使館前に向かい、そこで警官たちと対峙するネーミョージンらの姿が記録されている。

アウンサン将軍の顔がプリントされた黄色いTシャツを着ているのがネーミョージンで、年配の眼鏡の女性がノウ・オンフラだ。






もうひとつのビデオは、DVBが撮影したもので、これは夜の集会の様子だけだが、ネーミョージンが、興奮して警官に掴み掛かろうとする集会参加者を押しとどめるなど、集会のやや混乱した状況も見ることができる。



翌12月30日朝、ネーミョージンは、レッパダウンに向かおうとしたところで、警察に逮捕される。ノウ・オンフラも同じ頃、自宅で逮捕。他にも数名の活動家が逮捕された。

2015/05/27

レッパダウン鉱山問題と村人の殺害 [11日目]

ネーミョージンさん逮捕までの流れをまとめてみよう。

ザガイン管区のレッパダウンで、ビルマ政府と中国企業が進める鉱山開発に伴う土地の強制収用、環境破壊に地元農民たちは長年反対してきた。抗議運動には僧侶や市民が加わり拡大していくが、2012年11月28日、これを政府は激しく制圧。その結果、多数の負傷者が出る。事件はビルマ国内だけでなく世界中に広く報じられる。

アウンサンスーチーを委員長とする調査委員会が組織され、2013年3月、委員会は開発の続行を結論づける。

委員会の決定に反対する地元農民たちはその後も抗議を続けるが、2014年12月22日、抗議活動の最中に、50代の女性の村人(キンウィン)が警官に射殺される。

当時のレッパダウンの抗議活動と警官隊の弾圧の様子は次のDVBのビデオに収められている。

2015/05/26

希望 [10日目]

BRSAの会員で品川に収容されている人がいて、ずいぶん前から仮放免申請を出してほしいと言ってきていたのになかなか行けなかった。

聞き覚えのない名前だったので知らない人かと思っていたのだが、今日面会してみるといつもミーティングに来る人だった。

彼は難民認定申請が不認定になって3月13日に収容された。それから1ヶ月後に再申請をし、ようやく今日仮放免申請というわけだ。

もっとも、1回では許可は出ないだろう。3回はしなくてはならないかもしれないし、もしかしたらその間に牛久に移されてしまうかもしれない。

とはいえ彼によれば、先日、1人のビルマ人が11ヶ月の収容の後に品川から釈放されたらしいから、希望はないわけではない。

わたし自身は希望とかそういったものにはあまり縁がないが、こうやって他人の希望に与ることができるというのはありがたいことだ。

あるいはこれがわたしが仮放免申請をする理由かもしれない。自分自身がどこかから仮放免されるのを待ち続けているのだろう。

ケシの花 [9日目]

パラウン民族(タアン民族ともいう)のマイチョーウーさんは、ファッションショーで見せる民族紹介ビデオに、タアン民族解放軍(TNLA)が麻薬の撲滅に力を入れているところを挿入したいと言っていた。

そのビデオはVOA(the Voice of America)の短いニュース(Poppies, Power and Politics in Myanmar’s Kokang Conflict)に含まれていて、白い花を咲かせたケシ畑を兵士たちが棒でなぎ倒している場面がそれだ(以下のビデオでは0:45から)。


さてその翌日、江戸川に行ったら河川敷にポピーの花畑ができていた。ビデオのタイトルが頭にあったので、混乱したわたしはすべてを蹴散らすところだったが、そんなことをしたら江戸川に投げ込まれてウナギの餌となっていたことだろう。


チャリティ・ファッションショー [8日目]

NPO法人のピースが今週末にチャリティ・ファッションショーを開催する。


その時に上映する非ビルマ民族の紹介ビデオの制作を手伝ってほしいと、アラカン民族のゾウミンカインさんとパラウン民族のマイチョーウーさんたちが事務所にやってきた。

先週の土曜日の夜のことだ。

「本当に次の日曜日に上映できるの?」ってぐらいやることがたくさんある。

わたしも役に立つかどうかわからない。しかし、ショーの券をもらったので宣伝しとく。


2015/05/23

牛久なる国境 [7日目]

現在品川に収容されている人々について話したが、牛久にも収容されているビルマ人難民が少なくとも3人いる。

3人とも男性で、わたしはそのうちの2人の身元保証人をしている。

そのうちの1人は、間違ったことがきらいな人だ。

彼は入管の職員が自分に正しくない扱いをしたと怒っている。

彼は自分を診察した医者が不正をしたと怒っている。

彼は外にいる自分の友人が当てにならないと怒っている。

面会の間中わたしが聞かされるのは、いかに彼が不公平な扱いを受けているかの話だが、そうした話にうんざりしないほどわたしは公平な人間ではない。

人間にとって正義なり公平が意味があるのは、他者の正義なり公平のために働いている時だけだ。ときには自分の正義のためだけに働いているように見える人がいるけど、そうした行為が意味を持つ場合はつねにその自分が同じような状況にある他者と繋がっている。

それは正義・公平という概念そのものに類的性質(集合性・複数性)が前提されているからで、それだからこそわれわれ人類は対話と対立を繰り返しながら正義という概念を発展・拡大させようと努力している(ただし安倍首相とその取り巻き連中とISは除外)。正義とはまだ見ぬ正義込みの正義というわけだ。

これに対して、そのような他者に繋がらない正義は、正義に見えるけれど、実は正義とはまったく関係のない現象、あるいはむしろ不正義といってもよい代物で、しばしば独善とも言われる。

わたしはおそらくさまざまに不公平な扱いを受けてきたに違いない彼のことを独善と責めるつもりはないが、ただそうした考え方では入管ではつらいよとだけ言いたい。

彼は不眠に苦しみ、じんましんに悩まされている。

自分が理不尽な使いを受けたことが悔しくて眠れないのだ。その怒りが赤いポツポツとなって体中に現れているのだ。

「自分が正しいことを考え過ぎるのがよくないかもしれないんですけど」

彼だって分かってるのだ。

自分のために怒るのではなく、他者のために怒るがよい。

そうすれば、他者のために何をすべきか考えるのに忙しくて怒ることも忘れてしまうだろうから。

そうはいっても、人間は自由がなくては
健全ではいられません。

国境の人々 [6日目]

さて、妻から離婚されそうになっている被収容者の男性だが、さいわいなことに仲直りしたようで、心配しないでくださいとの電話が入ってきた。なので、みなさんも心配しないでください。

現在、品川の入管にいるわたしの知り合いは7人の男たち(収容されている女性会員もいる)。家族の絆を取り戻したこの彼、そして眠れない彼と金を返せという彼。そのほかに、BRSAのメンバーがさらに2人、そしてビルマ人が1人に、カレン人が1人。

BRSAのメンバーの2人は、1人は来週あたりわたしが仮放免許可申請する予定で、もう1人は別の人の保証人で申請中だ。

もうひとりのビルマ人はよく知っている人ではないが、難民申請中に駅で警察に捕まって収容されてしまった。その罪状はよく分からないが本人の話から判断する限り痴漢らしい。しかも2度目の。

そのまま帰国するのかと思っていたら、この間電話がかかってきて、身元保証人を頼んできた。BRSAの役員に相談しなくちゃならない、と言ったら、断られた。

わたしが身元保証人を引き受けるのは、BRSAという会の活動の一環としてであり、役員会の承認がなくてはできない。ただし、非ビルマ民族の人々は例外で、これらの人々はBRSAよりも付き合いが長いので必要があればいつでも引き受ける。

そのひとりが今収容中のカレン人の男性で、彼は1991年に起きたボーガレー危機というビルマ政府によるカレン人大虐殺から逃れてきた人だ。この人を難民と認定せずして誰を難民認定するのかというほどの人だが、残念ながら収容されてしまった。

「偽装難民」について文句を言う前に入管の「偽装不認定」のほうをどうにかしてほしいものだ。

ネズミの肉をどうぞ。
(ボーガレー危機のあったエーヤーワディ・デルタではネズミをよく食べる)

2015/05/21

国境の生活 [5日目]

入管という名の地獄から電話を掛けてきた友人は不眠を訴えた。

「せいぜい長くて2時間寝れればいいほうで、2分ごとに目が覚めるんです……。入管の医者から睡眠薬もらってます」

今度「カウンセラー」と称する人物が会いにくることになっているが、彼はこいつが精神病の医者じゃないかと疑っていた。

彼は今回が3度目の収容で、前回仮放免された時も不眠で相当参っていた。釈放されたばかりのころ彼は時たまわたしに電話をかけてきてとりとめもない話をした。なかなか切らせてくれないので、しまいには電話に出るのがいやになった。もっとも、1年ほどすると、落ち着いたまともな人間になった。

この電話からしばらくして再び彼から電話がかかってきた。

「この前、言ってたカウンセラーが来たんです。しんりがくってどういう意味ですか」

「サイコロジーだね」

「何のために来たんですかね」

「不眠だって言うから、たぶん、心のケアか何かのためじゃないかな。それでなんて言ったの」

「眠れないこととか話しましたよ。45分間ぐらいだったかな」

「で、カウンセラーはなんて言ってた?」

「メリハリのある生活をしなさいって言ってました」

これにはわたしも彼も大爆笑だ。

収容生活にメリハリもクソもあるもんか。

2015/05/19

国境からの電話 [4日目]

入管収容所への電話について書いたら、さっそくそこから電話があった。

わたしが保証人をしていた若い男性で、しばらく行方をくらまして困った人間だと思っていたら、いつの間にか入管に出頭して収容されてた。

それ以来、保証金を返せと矢の催促だ。

そらもちろん彼の金だ。返却に異存はない。しかし、保証金の手続きで半日潰れる。なるべく他の用事と合わせて済ましたい。あらかじめ出頭してくれることを伝えてくれてれば、もっと早く手続きすることもできたが、そう簡単に都合などつかないのが実情だ。

「はいはい、お金はこの前入管に行って銀行から返してもらいました。そのうちBRSAの誰かが届けに行きますよ」

「こっちは2ヶ月待ってるんですけど。お金を借りてるんです。今週中に届けてください」

「ああそうですか。それはすいません。誰かがきっと行きますよ……きっと……」

お前の借金など知るか。

しばらくしてまた着信。だが出損ねる。番号を見ると

03 5461 8070

とある。

リダイヤルしてみると、「おかけになった電話番号は現在使われておりません。番号をお確かめの上お掛け直しください……」

入管の電話番号をばらしたわたしに対する警告……いや霊界からの通信では。地獄発蜘蛛の糸経由で……。

1時間半ほどして再び同じ電話番号から着信。恐る恐る出る。

入管の被収容者だ。あの世の地獄じゃなくこの世の地獄からだった。

保証金(保管金)還付のさいに入管から渡される小切手。
これはすでに換金済み。

国境への電話 [3日目]

先週4年4ヶ月の禁固刑を言い渡されたネーミョージンさんだが、彼だけじゃない。わたしの周りは基本囚人だ(「元」含む)。

電話が来るかと思えば入管からだ。で、入管収容所から着信があるたびに携帯に登録してる。

そうやってささやかながら収集癖を満たしてるというわけ。『入刊 収容所電話番号コレクション』(アゴニスティーニ・ジャパン)だ。

入管収容所の内部は分からないが、各ブロックごとに電話コーナーがあって、みんなそこに並んでかけているという印象だ。

その電話の一本一本がわたしのコレクションとなる。

だが、ここで残念なことが明らかになった。携帯に「入管収容所」と登録されたほとんどが「おかけになった電話番号は現在……」に成り果てていたのだ!

で、不通になっていないのは次の通り。

03 6718 9703
03 6718 9706
03 6718 9707
03 6718 9708
03 6718 9713

こ97シリーズは発信専用で外からから掛け直すことはできない。

だが、みなさんも試してみたらいいだろう。国境に電話をかけるというのがどんなだか分かるから。

拘置中のネーミョージン。息子さんと。
(4月下旬ごろの写真)

寒山拾得 [2日目]

財布を拾ったどうしよう、と知り合いのあるビルマ難民から電話がかかってきた。

そのまま警察に届ければいいと思うのだが、そう簡単には行かない。

彼は難民認定申請中の仮放免の身で、就労許可はない。しかし、難民認定申請中の人を経済的に支える仕組みは国には(ほとんど)ないから、仕方なく働かなくてはならない。昔は入管もこうした労働を取り締まろうとしていたが、今は見て見ぬふりしている(そして入管のこうした態度がいわゆる「偽装難民」を誘発している)。

で、彼が財布を拾ったのは仕事帰りだ。警察に届け出て、いろいろ聞かれて「不法就労」(いや入管の態度からいえば不問労働だが)をつつかれると心配だ。で、わたしのところに電話をかけてきた。

翌日、事務所にやって来ると彼は言った。「いや、もうこれで財布を拾うのは3度目なんですよ!」

わたしもあやかりたい!

それはともかく前の2回は職場の友人が警察に連絡してくれたらしい。

財布を開くと職場の名刺が出てきた。そこに電話をかけて事情を告げると、本人は休みだが、連絡をしてくれるとのこと。

「きっと心配で今ごろ探し回ってるんじゃないですか」と彼。

しばらく待っていると落とし主から電話がかかってきた。

わたしたちは駅で待ち合わせ、無事に返却することができた。飲んだ帰りに落としたのだそうだ。

落とし主は5000円をお礼として彼に渡した。わたしも500円ぐらい分けてもらえるかもと思ったがそれはなかった。


「彼ら(移民)は犯罪率を上げる!」
というが、ほとんどの移民は犯罪と汚職を避けるし、
送還されでもしたらと思うと
恐くて犯罪になんかかかわっていられない。

「む……あの財布には送還されてもいいぐらいの
金が詰まってるのかね……んなわけない」

結果として犯罪率についていえば、
アメリカ生まれのアメリカ市民より
不法滞在者のほうが低いということになる。
(Peter Bagge, "Everybody is Stupid Except for Me" p117)

2015/05/17

掛け橋としての自由剥奪 [1日目]

政治的抗議活動を理由に昨年12月30日に逮捕され、拘置されていたネーミョージンさんら6人の政治活動家たちが、昨日、4年4ヶ月の禁固刑を言い渡された。

「イラワジ」の記事に引かれている担当弁護士の言葉によれば、司法システムに対する不信から控訴はしないとのことであり、このまま収監されるようだ。

とても悲しいことだ。

友人のひとりとしてそんなことを思っていたら、入管から電話だ。

「あの、会長、ちょっと話いいですか?」

収容されているビルマ難民だ。

立派さの点じゃネーミョージンさんよりぐんと落ちるが、彼もやっぱり自由を奪われている点じゃ変わりない。

そうだ。

ヤンゴンでは今まさに友人が収容されようとしている。日本じゃ、やっぱりわたしの友人たちが閉じこめられている。

どうもこれは偶然じゃあないぞ。なにかある……。

「会長! 奥さんが離婚するって言いだしてもうぜんぜん電話に出てくれないんです」

うるさいっ、俺は今考え中なんだ……。

5月はじめ頃のネーミョージン。