2016/01/13

マン・サムソン(2)(ネーピードーの虹 序章:2)

とはいえ、彼は頭の固い民族主義者などではない。それどころか、彼はわたしが出会ったカレン人のうちでもっとも教養を持ち、もっとも柔軟な考え方をする人のひとりだ。これは明らかに良い教育者が備えているべきものであるが、ミャウンミャのどこでも彼の教え子のカレン人に出くわして、敬意をもって遇されるのを見れば、その通りであることがうかがわれる。

ただし、わたしが知る彼は、ミャウンミャのポーカレン文化委員会で要職に就いている以外は、いかにも市井の隠者といった趣で、政治運動の気配など微塵もなかったから、彼のメールを見て驚いたのだった。

もっとも、彼がメールを寄越したのは、選挙とは別の理由からだ。わたしは数年前からボーガレー虐殺という1991年のカレン人虐殺事件について調べていて、その件でサムソンさんにも協力してもらっていたのだが、このボーガレーには一度も行ったことがなかった。それはもっとも海に近い僻地の町だということもあるが、なによりもそこにツテがなかったからだ。

わたしの関心を知るサムソンさんはありがたいことにそのことを気にかけていてくれた。それで、自分のボーガレー行きに同行したらどうかと誘ってくれたのである。

ミャウンミャの喫茶店