2016/01/27

「我らが勝利の日:チン民族と全土停戦合意(NCA)」(2)

このようなチン民族の状況は、2つの帰結を引き起こした。ひとつは1988年のチン民族戦線(Chin National Front, CNF)の結成である。1988年8月の大規模な民主化要求運動のきっかけとなった学生デモの直後3月20日に結成されたこの政治・軍事組織は、チン民族の自己決定権の獲得とビルマの民主主義と連邦制の確立を目的として掲げ、チン民族としては初めてビルマ政府に対する組織的武装抵抗を行った。CNFは現在、チン民族を代表する政治組織としてビルマ政府との交渉に当たっている。

もうひとつの帰結は、ビルマ国外へのチン民族の難民の流出である。チン州と国境を接するインドばかりでなく、マレーシア、シンガポール、タイ、オーストラリア、欧米諸国、そして日本にチン難民のコミュニティが存在する。これらの亡命チン民族は、それぞれの居住国でチン民族のための政治活動や人権支援活動を行っており、その影響力は非常に大きい。

今回、停戦合意式典に出席したチン民族代表でも、国外で政治活動を続けてきた人々が重要な役割を果たしている。

例えば、サライ・リヤンムンサコン博士(Dr. Salai Lian Hmung Sakhong)はチン民族随一の政治学者であり、またヴィクター・ビヤックリアン氏(Victor Biak Lian)さんは、国際的なNGOであるチン人権機構(CHRO)のディレクターである。

そして、今回の式典でCNFを議長として率いるタン・ナンリヤンタンさんは、日本で難民として認定され、また日本の非ビルマ民族運動を作った一人ともいえる政治活動家である。